さわやかウォーキング 焼津

R.1.5.6

さかなの街焼津 伝統の食と味めぐり

連休最後の日、焼津で長男と待ち合わせしてウオーキングに参加する。駅を降りるともう人の列がどこまでも伸びている。先に着いた長男が列の真ん中あたりにいて開始を待つ。8時30分に受付が始まり、地図をもらって歩き始める。今日は焼津の食を堪能するウオーキングです。工場の前で試食をしたり、製品を買ったりしながら歩く。人が多いので試食が終わってしまったり、なかなか買えなかったりする。

焼津港は日本のまぐろの水揚げ量の三分の一があり日本一である。

駅前の足湯

急造庫(鉄製のせいろにならべられたカツオは急造庫と呼ばれる蔵に入れられる。1階が薪を燃やす火床になっている。2階から5階にせいろを入れる。火の効き具合を見ながら並べ替える。ィか月ほど乾燥させると荒節が出来上がる。)

丸又で黒はんぺんのフライを買い食べた。黒はんぺんはフライやおでんに入れるというがにおいがあるので私は今までやったことはなかった。フライは美味しかった。

船玉浦神社は「ふなだまさん」と言われ、海上安全や豊漁を祈願する。例祭では対岸から御幣をたてた船に乗り、小さな小舟を沖に流す。
 昔から毎年小さな舟を作り赤飯を盛ってお神酒を捧げ海に流して海上の安全と豊漁を祈願してきた。

天皇神社は焼津駅から東北に500mほど行くとある。後醍醐天皇の七皇子宗良親王、八皇子懐良親王の二皇子が遠江國より駿河國に渡らせし時、阿部郡の住人狩野介貞永および入江蒲原等の諸族が親王の御舟を迎えこの地に館を建て住まわしめた。その徳を敬慕し後醍醐天皇を勧請して今日に至る。

焼津の食を堪能しました。

須賀神社 には立派な黒松がある。その隣に津波タワーが建設されていた。焼津には津波に備えてこのようなタワーがあちこちに作られている。

黒潮温泉は昭和58年に地下1500mから湧出した51℃の温泉。海水の約半分の濃度の塩分を含む塩化物泉で、アルカリ性。市内8施設の給湯されている。駅前にはエキチカ温泉・くろしおもある。

手火山燻製は熱と煙を当てている鰹節を直接手で触れてカツオの温度を確かめることから「手火山式焙乾」という。燻製を繰り返すことで中まで水分が抜けて表面が黒くなる。

強固な堤防の措置に出ると「うみえーる焼津」と「アクアスヤイズ」がある。1階は焼津の特産物を販売し、2階が魚料理の食事ができる施設になっている。堤防は地震で自動的に締まるようになっている。逃げ遅れた車はどうするのかという話になった。

浜通り(八雲通り)は焼津漁港と小川港を結ぶ南北に走る1.5kmの街道とこの通りに沿って家並みが続く集落を浜通りと呼んだ。漁師や船元、魚を販売加工するさかなやが集中し、焼津の古里と言える。「小泉八雲」碑がある。八雲が焼津を訪れたのは明治30年で、亡くなるまでの夏はほとんど焼津で過ごした。「焼津小泉八雲記念館」もある。

焼津魚河岸シャツの店。浜松注染そめの綿100%の手ぬぐいまたは浴衣地を使用した衿無しシャツで、吸湿,吸汗、速乾性に優れている。焼津市内にはたくさんの店がある。

漁業資料館は焼津漁業組合により運営されている。焼津の漁業が徳川時代より相当な規模で行われていた。先人の活躍や現在の焼津港に成長してきた過程がわかる品々が展示されている。

明治の石造りの堤防が移築され一部残っている。その上に上がると「天皇陛下御野点所跡」碑がある。街道を歩いていて明治天皇碑はたくさん見たが昭和天皇はあまりない。

ここには「札の辻」があった。江戸時代の高札場があり、札の辻と呼んでいた。また庚申尊や波除地蔵尊がある。後ろに回ると昭和天皇の「行幸記念碑」がある。

昔浜通りには地区ごとに三体の波除地蔵尊があった。平成13年に完成した強固な堤防によって暴風雨の高波被害の心配はなくなったが、地蔵への信仰は受け継がれている。