H.28.02.27
掛川駅~永江院~龍尾神社~馬喰橋・一里塚~仁藤町大獅子保存小屋~ゲイスベルト・ヘンミィ墓~掛川城~掛川駅
家から歩いて藤枝駅に行き、8時8分の電車で掛川に8時35分に着いた。受付をして、コースマップを貰い、8時50分に歩き始める。
「小崎葛布」商店に入り、実演はなかったが、作業をしているところを見せてもらった。気に入った財布があったので買い求めた。草履もあり、ほしかった。葛布は、山野に自生する葛の繊維を織り上げた布のことである。
十露盤(そろばん)堀 本丸を囲む重要な堀である。水がたまった部分がそろばんの箱のように見える事が、その名の由来と思われる。
9時17分に永江院に着いた。延徳元年(1489)以翼長佑禅師によって開創された。文禄2年(1593)の棟札に記されている内容によると、総門と龍の彫刻は掛川城主・山内一豊が寄進したものです。龍にまつわる逸話として、この龍が門前の池の水を呑みに出るので、周囲に金網を張り、出られないようにしたといわれている。 寺内は撮影禁止だったが、「山岡鉄舟」が書いた大襖や「涅槃図」がある。
太鼓櫓 正保城絵図では荒和布櫓とよばれる見張り櫓があった。今ある建物は嘉永7年(1854)の大地震のあとに建てられた太鼓櫓である。時刻を報せる太鼓を置いていた。何回かの移転の後、手話30年に三の丸から移築された。
大手門は、掛川城の表玄関にふさわしい楼門造りの本格的な櫓門で、木造瓦葺き入母屋造りになっている。白壁で板ひさしが配され、棟上にはシャチ瓦が飾られている。江戸時代末期に建てられた大手門番所は、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所で、城内に出入りする者は、すべてここで調べられた。
その先の天然寺の門前に「ゲイスベルト・ヘムミ先生古墳」の石碑が立つ。少し先にかまぼこ型の墓があった。鎖国時代に、長崎出島のオランダ商館長だったヘンミィは、寛政10年(1798)6月、11代将軍徳川家斉に謁見後、掛川の本陣に投宿した際、亡くなリ、この地に葬られた。その後、オランダ使節はこの地を通るたびに、墓参し、墓にブドウ酒を注いだといわれている。
2月25日、「家山の梅園」に行きました。
天守閣には、以前来た時に上っているので、パスして帰ることにする。「懸河旧址」の標識がある。(東から流れてきた逆川が城山に当たり、川は深い渕となって崖を作った。鎌倉時代から懸河と呼ばれていたこの場所が掛川の名前の由来となっている。江戸時代に、歴代の城主が記念として榜示を立てた場所である。)
二の丸御殿 嘉永7年の大地震の後、再建された。木造瓦葺き平屋。二の丸御殿が現残するのは掛川城と二条城だけで、重要文化財に指定されている。
三日月堀 本丸門の前に配置された三日月型の堀で、深さは8m。調査では、堀の南面から石垣は見つからなかったが、その下から、柱穴が並んで見つかった。
大手門礎石根がため石
橋の手前に「仁藤町大獅子保存小屋」がある。(日本一の大獅子が保存されている。耳の長さ1.2m、目玉の大きさ60cm、総重量300kgの大獅子で、3年に一度の掛川祭りの大祭りに登場する。)頭に14人、母衣の中に百余人、尾引きが4,50人で、力を合わせて大獅子を動かす。
逆川の川沿いを歩き、掛川城に向かう。途中、城が見えた。(室町時代、駿河の守護大名・今川氏が遠江進出をねらい、家臣の朝比奈氏に命じて築城した。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城して、大規模な城郭修築を行うとともに、城下町の整備や大井川の治水工事に力を注いだ。現在の城は、平成6年(1994)に、日本初の「本格木造天守閣」として復元された。
9時34分、龍尾神社に着いた。花庭園に先に入る。約300本の「しだれ梅」が有名。よく手入れされた庭園を順路に沿って梅を眺めながら歩く。昨年も来たが、今年もきれいに咲いていた。
寺をでて、倉見川に沿って歩く。川沿いには、掛川桜が満開だった。(掛川さくらは寒桜の新品種で、河津桜より遅く咲き、ひとまわり小さい花がてまり状に咲く。)
駅の戻る途中の壁に「仁藤の大獅子」の絵が描かれていた。掛川駅には11時50分に着いた。7.5km、3時間のウオーキングでした。受付でスタンプを押してもらい、11時54分の電車で藤枝に帰った。藤枝駅前では、駅北フェスタが行われていたが、人もまばらであまり盛況と言う感じはなかった。出店で「くちなしのおむすび」を買って帰った。
天守閣と四足門 調査では、門の後は見つからなかったが、「正保城絵図」をもとに復元された。門の内部に入城者を調べる番所があり、本丸に通じる重要な門でした。
平成5年の発掘調査の際に発見された門の基礎部分「根固め石」12個の内のひとつである。直径2m、深さ1.5mの穴に40㎝位の河原石を円形に4~5段積み重ね、その上に門柱の礎石が置かれていた。
大手門番所
神社を出て、南下し、北池公園を過ぎ、逆川の川沿いを歩き、馬喰橋まで行く。江戸日本橋から数えて58里めの一里塚がある。逆川に架かる馬喰橋はかって、長さ23間(約41.8m)の土橋だった。 橋のたもとに「振袖餅」を売る「もちや」があり「振袖餅」を買った。
龍尾神社は鎌倉時代の和歌にも詠われている古社であり、掛川城の北東(鬼門)に位置するため、その守護神として、山内一豊をはじめとする歴代城主から崇敬を受けた。
規模も小さく、人出も無かったが、きれいに咲いていました。