約0,9km歩くと「許禰(こね)神社」がある。(かっては、木原権現社といわれていた。木原の子供に熊野の神が乗り移り、この地に熊野の神を祀れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするとのお告げがあり、これが木原権現社の由来となった。)

さわやかウオーキング 磐田~袋井

H.28.3.26

8時30分に、磐田駅を出発します。駅前には「前島密」の胸像が立っている。(前島密は維新後、静岡に移住し、明治2年に中泉に奉行として赴任した。後に、新政府に出仕し、イギリスに渡り、郵便事情を視察し、帰国後郵便制度を設けた。)静岡県とゆかりのある人とは知らなかった。

隣の長命寺では、地元の方の接待があり、「おはたき餅」「甘酒」などを頂いた。野菜の販売や甲冑姿の武士に扮した人もいて、賑わっていた。今日はお祭りでもなんでもなく、「さわやかウオーキング」のためにやっているこのことでした。

700m歩いて、「連福寺」に着いた。(開創は大同2年(807)弘法大師空海が厄除け地蔵の石仏を作り、真言宗弘福密寺とした。石仏は大師堂に置かれている。その後1156年、平清盛の息子・重盛が伽藍を建て、連福寺と改称した。県内最大の「閻魔大王」像を安置する閻魔堂がある。

笹田源吾供養塔(勝頼は家康の情勢をうかがうため笹田を偵察に出した。木原村の木原権現社の神主親子に打ち取られてしまった。その後村では災害や疫病が続いたため、供養塔を建て、念仏供養を始めた。)

原谷川を渡り、住宅街を歩くと地産地消のお店「とれたて食楽部」がある。今日の夕食の野菜を買い、お稲荷さんを買って外で食べた。

その先で国道に出て、しばらく歩き、また旧東海道に入る。「ふくろいの近代化遺産・澤野医院記念館」がある。以前東海道を歩いた時は、早朝で開いてなかった。享保12年(1727)に作られた「山名郡川井村差出明細帳」によると本道(内科)医としてその名が残されている。現在は地方医院の歴史を語る物として袋井市の文化財に指定されている。)、

その先の東海道沿いには、「木原一里塚」がある。(江戸から数えて61里目の一里塚で、本来はこの場所から約60m東にあった。)

この先で、国道1号線に出る。木原で「旧東海道」に入る。(木原は武田信玄が家康を破った三方が原の戦いの前哨戦・木原畷の戦いの地である。「木原大念佛」の発祥の地でもある。

約1,5km歩くと「須賀神社」がある。創建は1226年で、境内には樹齢500年の大楠があり、樹高は15mある。神社の先の農家で飼っている「クジャク」を見せてもらい、羽を貰った。

その先には「田原・水車の里」がある。(平成16年、田原小学校の6年生が卒業制作として水車を作ったのが始まり。平成20年度まで5基の水車が完成した。平成23年の台風で全壊したが、有志により修理、半年ほどで完成した。)広場では、地元の人の手造り品が売られていた。

その先に「王子神社」がある。ここはコースに含まれないが入って参拝する。(創建は正暦2年(992)と伝えられ、皇室の祖神の系統に連なる神といわれ本来は稲穂の神である。)

さらに、約2.2km歩き、「オープンガーデン・樹」に着く。ピザを焼く窯が庭にあり、ピザを頼んで食べている人もいた。

休憩し、磐田駅で買った「しっぺい饅頭」と「恋するシッペイ君」を食べた。シッペイ君は磐田のゆるキャラで駅に来ていた。

約2.5kmほど歩くと、「ひょうたん池」がある。平面では良く分からないが、ヒョウタンの形をしている。(1日2トンの湧水量があり、多くの水生植物やトンボ、メダカなどが生息している。)

木原大念仏の太鼓

桜が一輪咲いていた。

その先には、「鹿苑神社」がある。境内を通り抜けて歩きます。

12時40分、袋井駅に着いた。受付でスタンプを押してもらう。実家の両親がお世話になっている施設に寄り道をする。袋井駅はすっかり綺麗になって駅前も整備され驚きました。
 今回は約12kmを約4時間で歩きました。桜は少し早かったが快適なウオーキングでした。