さわやかウオーキング 雪景色の富士山眺望とウイスキー蒸留所をたずねて

H.28.02.28

道の反対側に「大太郎湧水入口」の看板が立っている。ネットで調べると、ここを500mほど入ったところにあり、「仁杉水神社」が祀られているそうです。近年は上流で工業用水がくみ上げられて大太郎湧水は「枯渇」「湧水」を繰り返していうということでした。時間があれば行って見たかった。

順路通りに歩き、御殿場中央公園でイベントがあるということだったが、一緒に歩いていた3人組のおじさんたちが、寄らないというので、パスして138号線に出る。右手に大きな富士山が見えるが、半分以上雲がかかり、富士山の眺望を楽しむという具合にはならなかった。道は富士山に向かってわずかだが上っている。

また国道に出て、しばらく歩くと12時34分、「一本杉跡」がある。(昔この辺り仁杉字中畑に杉の巨木があった。はるか遠くから旅人の道しるべになっていた。この杉で小田原、足柄、小山町の地蔵が彫られた。また大乗寺の「ひんずるさん」もこの木の枝で刻まれたといわれている。)

木の花名水」(主祭神・木之花咲耶毘売命の名にちなみ、当湧水を木の花名水と名付けた。)地元の方が大きなペットボトルに水を入れていた。手に取って飲んでみたが美味しかった。神社横の広場で、甘酒の接待を受けた。そこで売っていた「保坂のくりせん」富士山バージョンを買い求めた。

仁杉神社」は「お諏訪さん」ともいわれ、昔からの諏訪神社に村内の社護神社、稲荷神社、子之神社が合祀され、明治39年に「仁杉神社」となり、諏訪坂の由来になっている。境内には紅梅・白梅が咲き、しばらく休憩をして花を眺めた。

坂を降りると12時18分、「諏訪坂」の看板があった。(諏訪坂は甲州街道の旧道である。沼津から甲州を結ぶ街道で、須走、籠坂峠から郡内に入り、甲州に入る「塩の道」であった。)

杉林を歩いていくと、「馬作り場」の看板がある。近くにいた方が「ここで、馬をせめて走れる馬にした所だ。」と言っていた。ネットで調べたが分からない。「作り馬」と言うのが、「神馬の代わりに奉納する木馬」のことをいうそうだ。

水土野東信号機で折り返す。元来た道を引き返し旧甲州街道に入る。12時5分、「猪蹴橋」を渡る。(征夷大将軍になった源頼朝は、富士の裾野で巻狩りを行った。その際に伊豆の武将・仁田四朗忠常は、大猪と格闘し、抜川の蹴落とした。また急に襲い掛かって来た猪に跨って、二町あまり(2000m)走り、この橋で仕留めたという説もある。)

御殿場駅~御殿場中央公園~大乗寺~ウイスキー蒸留所~旧甲州街道~仁杉神社~新橋浅間神社~御殿場駅

11時に大乗寺に着いた。創建は文明元年で、光誉上人によって開かれた。本堂内には2mを越える十一面観音が安置されている。庭にはフクジュソウが咲いていた。お参りをして、少し休憩する。

藤枝駅7時33分の電車で沼津まで、御殿場線に乗り換え、9時50分に御殿場駅に着いた。受付をして、コースのマップを貰い、10時5分、歩き始める。今日は良いお天気で、風もなく暖かい。

標高が上がり、道端の残雪が見られるようになり、急に風が冷たく感じ出した。11時33分、「キリンディスティラリー富士御殿場蒸留所」に着いた。工場見学ができるというので、受付に行くと、まだ12時前なのに「次の見学は1時です。」と言われあきらめて、お土産だけを買い、工場を後にした。工場見学をすると、ウイスキーや飲料の試飲ができるようです。

401号線に入り、246号を横切って「新橋浅間神社」に立ち寄る。応保元年、熊野衆徒の鈴木氏によって造営されたとされ、また建久4年、源頼朝が創建されたものともされている。かって富士山の東から登る道は須走口と須山口だけでしたが、宝永山で須山口と一緒になる登山道を切り開いた伴野佐吉の功績をたたえ境内には、富士山東表口便道開鑿記念碑が立っている。

「富士山麓ウイスキーゼリーチョコレート」「ビール酵母の入った亀田の柿ピー」「炭酸水」

13時20分、御殿場駅に着いた。カードにスタンプを押してもらい、時刻表を見ると13時21分の沼津行きがある。階段を駆け下りて飛び乗った。行に駅の近くに「御殿場ソーセージ」の店があったので時間があれば寄りたかったが、また来ることもあるでしょう。沼津で東海道線に乗り換え、藤枝には15時25分に着いた。コースの距離は約13kmで、健脚コースだったが約3時間30分で歩き切った。臨時急行「富士山トレインごてんば号」が運転されるということだったが、時間的に乗ることはできなかった。

御神木・諏訪の檜