H.28.06.18
起雲閣を後にして、河沿いを歩くと、「熱海芸妓検番」「熱海芸妓検番歌舞練場」の看板が出ている。
海にでた。遮るものが無く、日差しが降り注ぐ。良く整備された「親水公園」を歩く。.街道沿いには「ジャカランダ」の並木が見える。紫の花をたくさんつけている。不老長寿の大楠とリゾート感満載ジャカランダ 花と木を楽しむ熱海
玉姫(根津嘉一郎によって建てられた洋館。)
東海道線で熱海に9時30分に着いた。受付で地図をもらい歩き始める。駅前に「熱海軽便鉄道7機関車」が飾られていた。駅をスタートして商店街の坂を下りていく。店先に「イカ」を干してあったり、「イカ様地蔵」があったりする。
ジャカランダ遊歩道を通っていくと、「お宮の松・貫一お宮の像」がある。今の人は「金色夜叉」も「尾崎紅葉」も知らないだろう。私の時代でもすでに古かったのだから。
漁民一揆の首謀者で、八丈島に流される途中で死亡した「釜鳴屋平七」の銅像がある。澤田政廣作の夫婦像である。春になると両側に熱海桜が咲く。
玄関を入ると、「海運王」と呼ばれた内田信也によって大正8年に建てられた「麒麟の間」があり、その2階には大鳳の間」がある。
建物に囲まれるように、庭園が広がる。良くて手入れされていて、気持ちよかった。
染殿の湯
谷崎潤一郎の書
起雲閣ゆかりの文豪の間(山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、船橋聖一、武田泰淳、など日本を代表する文豪たちに愛された。)
海に向かって坂を下りていく。「糸川遊歩道」は糸川沿いにユニークなオブジェが欄干に飾られ、100m程の遊歩道にブーゲンビリアが咲き乱れていた。
樹齢1300年超の第二神木。約300年前の落雷にも負けなかった。
そこから700m程坂を下ると、「來宮神社」がある。古くから「来宮大明神」として熱海郷の地主の神であって、来宮の地に鎮座し、来福,縁起の神として古くから信仰されている。平安初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂戦いの勝利を祈願し、各地に御分霊を祀ったとされてる。
熱海温泉・大湯と書かれている。壁に「熱海本陣跡・徳川家康熱海入湯」とある。
金剛
「名水百選 丹那湧水」と書かれた水場があり、その横に湯が立ってお湯が湧き出ている。。「湯汲み坂」を上がっていくと。魚屋さんがある。 魚屋さんの店先に豆アジの開きが売っている。15枚500円で買い求めた。おじさんが「素揚げにすると、骨まで食べられてうまいよ。」と言うので、家で素揚げにして食べたが、美味しかった。
この先はずっと上り坂で汗をかきながら進むと「仲見世通り商店街」に出る。賑わっている観光客を掻き分けて駅に進み、受付を済ませ、食堂で昼食をとって帰った。
「一代目お宮の松」
子の階段の下で、女の方が倒れていて、数人の人が囲み団扇で仰いでいた。階段を転がったのか?熱中症で倒れたのか?付き添いが沢山いたのでそのまま後にしたが、直ぐに救急車が来て運ばれていった。何事も無ければいいが。今日は暑いので、ウオーキングにはきつい。
「ローマ風浴室」では、船橋聖一が「孔雀の間」で執筆し、溝口健一が監督した「雪夫人絵図」の撮影が行われた。
玉渓
「起雲閣」(熱海の三大別荘といわれた名邸が基になる起雲閣は、その後旅館として生まれ変わり、多くの文人たちに愛された。現在は熱海の文化財として一般公開されている。入るのに10分程かかってしまった。
以前泊まったことのある「山木旅館」発見。お庭がきれいな旅館だった様な気がする。まだ営業を続けていた。
樹齢2000年超の大楠。幹を一周廻ると、寿命が1年延びるといわれる伝説がある。本州一位の巨樹である。周囲23.9m、高さ約26mで、まんなかにうろがある。今日はこの大楠を見たくて来たので、余りの大きさに感激しました。
本殿
弁財天
湯前神社の大楠
源実朝の歌碑「都より 巽にあたり出湯あり 名はあずま路の 熱海(あつうみ)という」
その奥に「湯前神社」がある。神社の石鳥居や石灯籠は江戸時代に熱海で湯治した大名が寄進した石造物である。
「大湯間欠泉」ここは、昔は自噴泉であった。「大湯」の噴出は昼夜6回で地面が揺れるようであったという。明治中頃から次第に減少し、昭和の初めにはついに止まってしまった。昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として整備された。今日はタイミングよく、噴出する時間に居合わせた。 「オールコックの碑」や「愛犬トピーの墓」もあった。
今日は約6kmを3時間30分で歩いたことになる。寄るところが多かったので、時間が予定よりかかった。「来宮神社の大楠」を見たかったので、見ることができて良かったです。