さわやかウオーキング 河津桜咲く朝比奈川と岡部宿柏屋

H.28.03.05

今回は、息子と一緒に歩きました。8時25分に焼津駅に着くと、もう受付が始まっていました。コースの地図を貰い、8時30分に歩きはじめる。駅前を抜けて、瀬戸川沿いを歩く。8時46分、焼津の文化遺産「五本松延命地蔵尊」がある。そばにある由来記によると(老人に化けた狼が通行人を殺して食べた所を見た農夫が「しゃべると同じ運命になる。」と言われ黙っていたが、ある時ふと家人に漏らしてしまった。ある日誰かが呼んでいるような気がして、出かけたまま帰らなかった。村人が牛田橋で死んでいる農夫を見つけた。農夫の霊を慰めるため、ここに地蔵様を祀った。それから、狼が出なくなったという。)

問屋場跡

213号線に入ると、9時55分、「十輪寺」がある。モクレンが有名なお寺で、境内には約400本のモクレンが植えられている。3月12日から「モクレン祭り」があると書かれていた。もう十分咲いていました。門前でデコポンやポンカン、きよみなどが売られていて、買い求めました。

鉄工場の所で、土手を降り、しばらく歩くと、9時35分、神(みわ)神社がある。(岡部町民俗無形文化財に指定されているこの神社は、大和国大神神社の御分霊を三輪の里にお祀りしたのが神社創建の由来である。本殿がなく、「三つ鳥居」や「岩堺」があり、例祭などでは、お山に五対の御幣を立て、本殿と同じ神饌を上げて祀る古代祭祀が行われている。三輪鳥居は、三輪系神社独特のもので、神界と人間界を区切る鳥居である。)

喜多川芳盛の岡部宿

初亀酒造

8時56分朝比奈川左岸を歩く。全長2kmにわたって河津桜と同種の「山の手さくら」約200本が満開でした。土手には菜の花も咲き、お花見日和です。

東名自動車道をくぐり、「石原マリンステーション」により、
13時20分に焼津駅に着いた。13時26分の島田行きに乗り、藤枝に帰った。今日は16kmの健脚コースを約5時間で歩きました。あたたかな陽気で、朝比奈川の河津桜や柏屋のお雛様を見ることができて充実した一日でした。付き合ってくれた息子にも感謝です。

爆弾淵」の看板がある。(太平洋戦争末期、昭和20年5月19日、爆弾が19発落とされ、そのうちの2発が朝比奈川左岸のこの辺りに着弾し、大きな穴を穿ち、淵を作った。戦後の河川改修が行われるまで、鮎釣り場や水泳の場所となり、通称「バクダン淵」と呼ばれた。対岸の旧広畑村では、4名が犠牲になった。)

なまこ壁ギャラリーでは「雛人形展」が開かれていた。

岡部宿の山内家に伝わる「御殿飾り」江戸時代1855年に造られた。

問屋場跡」(幕府の公用旅行者のための施設で、人夫や馬を常備し、次の宿場まで旅行者を無料で継ぎ送った。公用が無い時は一般の旅行者や荷物を有料で送った。岡部宿には、岡部本町と加宿内谷の二か所にあった。)

藤枝バイパスを越えて、横内の工業団地を通り、太平洋岸自転車道に出る。
朝見た朝比奈川の「山の手さくら」を見ながら帰る。

柏屋をでて、岡部支所まで歩く。その先には松並木が残っている。文献によると誓願寺から横内までの道の両側に松が植えられていたが、新国道建設の際に、東側の松並木が切り倒され、西側だけが残った。

現在の建物は、天保7年に建てられたもので、5代目良吉以降は、旅籠屋と質屋を兼業して、田畑の集積もすすんで、かなり裕福であった。柏屋山内家は、代々問屋や年寄りなどの宿役人を勤めた。

11時4分大旅籠柏屋に着いた。東海道21番目の宿場町・岡部宿にあるこの建物は、1998年、国の登録有形文化財に認定され、部分的な改修をしながら170年余り往時のたたずまいを伝えてきた。今日は、「ひなまつりイベント」が開催されていた。等身大の雛人形や、京都御所をかたどった江戸時代の御殿飾りが展示されていた。今日は、女性だけに「ひなあられ」を配っていて、いただけた。

「小野小町姿見の橋」(晩年、東国に下る途中に、岡部の宿に泊まった。小町はこの橋の上に立ち止まって、夕日の映える西山の景色に見とれていたが、ふと目を橋の下の水面に移すと、長旅で疲れた姿が映っていた。過ぎし昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだ。)

藤枝バイパスのガードをくぐり、「岡部宿街道」に入る。このあたりは、東海道を歩いたときに来たことがある。

その先には、「馬頭観音」がある。(三輪字後呂の馬頭観音は一面二臂で頭上に馬の頭をいただいている。馬は昔から農耕や荷物の運搬の手段として大切に扱われてきた。馬は牧草をむさぼるように、人間の煩悩や諸種の悪を喰い尽くし、救済するといわれている。馬の安全息災と、旅人の道中の無事を念じ、馬頭観音として、路辺に建てられた。)

奥に、三つ鳥居、岩堺が見える。

その先を、右側に入っていくと、10時18分、急な坂の上に「常昌寺」がある。日清・日露の戦争で戦死した戦没者供養のために建てられ、約200体以上の軍人の木像が祀られている。「兵隊寺」ともいわれている。

十輪寺を出ると、道路の左側に「子安観音」がある。(寛永7年(1630)に建てられました。三輪の里に大流行した子供の疫病や色々な災いを救うため、土地の講中にて建てられた。)

くつろぐ弥次さん喜多さん

広重の岡部宿