j神代桜の子桜
身延山久遠寺と慈雲寺の二大枝垂桜、山高神大桜
H.22.04.04
臥竜桜の子桜
久遠寺
山高神代桜、根尾谷薄墨桜、三春の滝桜が日本三大桜として知られている。また狩宿の下馬桜、埼玉県石戸の蒲桜をいれて五大桜と言われている。 薄墨桜は何年か前に朝日旅行会の仏像旅行の折に訪れたが、まだ蕾で2,3輪咲いているだけだった。神代桜も、何年か前に、山の帰りに行って見たが、もう終わり頃で、今のように整備されていなくて、遠くから少し見ただけだった。 Am.7:20焼津駅からバスに乗り、静岡、清水と回って、予定より早く身延に着いた。今が見ごろと言うことで、参拝者や観光バスでごった返し、やっとバスを駐車場に入れた。最近出来た、斜レベーターに乗り本殿の横に着いた。ロープウエイに乗る人だけは乗り場に行く。45人乗りで、今日は7分間隔で運転されていた。7分の空の旅で思親閣のある奥の院駅に着いた。
鎌倉時代、日蓮上人は「法華経」をもってすべての人々を救おうと、身延山に入山する。1274年から9年間法華経の読誦と門弟の教導に終始し、1281年身延山久遠寺を創建する。 1282年、両親の墓参のため、常陸の国(茨城県)にむかい、その途中武蔵の国池上で61歳の生涯を閉じる。 「いずくにて死に候とても墓をば身延の沢にせさせ候べく候」というご遺言のとおりご遺骨は身延山に奉せられ、心霊ともに祀られた。
夢想国師により開かれた臨済宗の寺。樹齢320年の糸桜が有名。樋口一葉縁の寺でもある。
慈雲寺の糸桜 (山梨県甲州市塩山)
山高神代桜の極盛期は幕末から明治初期と考えられている。明治40年の写真が残されているが、極盛期を過ぎたとはいえ、威風堂々たる姿でした。 大正11年に国の天然記念物の指定を機に、囲柵や石積がされ、発育条件が阻害され、次第に樹勢が衰えた。昭和23年に「あと3年以内に枯死」の宣告を受ける。昭和34年の台風7号により、主幹が折れ、樹形を変えた。 その後隣接する道路を車が頻繁に往来し、樹勢へ深刻な影響を与える。 平成13年からは、大規模な土壌の入れ替えや、土壌微生物による樹勢回復など、17年までの4年間土壌改良工事を進めてきた。 工事を公開し、将来を引き継ぐ子供達に工事の内容を説明した。
滝桜の子桜
薄墨桜の子桜
身延の枝垂桜の子桜
山高神代桜 (山梨県北杜市武川町) 実相寺
祖師堂前の400年を越える枝垂桜
新しくなった本堂
山頂からは、七面山、南アルプス、笊が岳などが見えるはずだったが、雲が多く、雲の切れ間から少し垣間見えただけだった。富士川方面には富士山が見えるはずだが、これも見えなかった。 ロープウエイで下り、久遠寺の境内に着いた。
甲府盆地の桃の畑
日本武尊が東征の際にこの桜を植えたと言われている。また、鎌倉時代に日蓮がこの桜が衰えているのを見て、祈ると蘇った。という伝説が残っている。神代桜は、樹齢2000年とも言われるエドヒガンの古木で、根周り13、5m、高さ13.6m。 境内には樹齢50年から100年の桜が30本ほどある。
仏殿前の400年を越える枝垂桜
徒歩で2時間かかる山道
ロープウエイからの西谷の桜
帰りは、精進湖のほとりに出て、朝霧高原を走り、桜三昧の一日が終わりました。静岡に9時ごろ到着の予定でしたが、たいした渋滞もなく、1時間ほど早く着きました。
斜行エレベーターから見た西谷の桜
仏殿、納牌堂
再建された五重塔
祖師堂
思親閣
御母妙蓮尊尼杉
御父妙日尊儀杉
日蓮聖人お手植えの4本の杉 樹齢700年
奥の院 思親閣