「清水家」で久しぶりに鰻を食べ、龍潭寺に向かった。北区引佐町にある国指定名勝「龍潭寺庭園」で、池の水を抜き、護岸くいを取り換える10年ぶりの修繕工事が行われている。というので、見に行った。水面下に隠れていた約400年前の石積みが見られる貴重な機会ということだった。
2021.2.11
「湖西市�大知波の大神山八幡宮で、早咲きの大知波桜が見頃を迎えている。」という新聞記事を見つけ、出かけた。 浜名湖のほとりを走り、国道301号線多米峠入り口を西進した北側にある。 カンヒザクラとヤマサクラの雑種で、1966年に地元住人が植樹した。地元住民40人で作る「大知波桜を守る会」が、周辺に案内板を置いたり、苗木を枝分けして、増やしたりして魅力を伝えている。
山門 山号「萬松山」は朝鮮通信使の書。
山門から石垣が続いている。お城のような造り。
今年は、コロナの影響で、夜間のライトアップは中止したそうだが、家族連れが訪れて、花を観賞していた。
補陀落の庭 浜名湖を表現している。
龍虎の間
丈六の釈迦牟尼仏
御祭神宗良親王は、後醍醐天皇第四皇子で、約650年前、動乱の南北朝時代に、東征将軍として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝方のために活躍した。
イヌマキ科の常緑高木
樹高 19m
目通り幹囲 2.67m
樹齢 推定400年
御神木・梛の木 24代井伊直政幼少のころ、井伊家の安泰を念じて植えられた。1560年当時の井伊家は、22代直盛の戦死、23代直親が暗殺され、受難の時期だった。直政親子は龍潭寺に身を寄せ、お地蔵様を祀り、その傍らに梛の木を植えた。「なぎ」は昔から風や波が穏やかになるたとえで、昔から厄除け、災難が収まるといわれている。
龍潭寺に戻る。
シイの木
宗良(むねなが)親王御陵墓
井伊家の墓所
本堂
旧鐘楼堂 一番古い建物(1631年)
小堀遠州作龍潭寺庭園は、江戸期に造られた池泉観賞式庭園である。小堀遠州は、滋賀・長浜の出身で、「遠州流」の茶道を輿し、二条城二ノ丸庭園の作庭をした当代一の文化人である。
守護石
開山堂
御霊屋 井伊家40代のお位牌を祀る。
一刀彫の龍。伝・左甚五郎作。今はなき大仏殿の蟇股の装飾。
龍潭寺は、千年余り、40代の祖霊を祀る井伊家の菩提寺として、彦根龍潭寺とともに、その歴史を今日に伝えている。