H.21.12.18〜21
今日でツアーが終わる。一軒おみやげ物やさんによってから、北京南駅に着いた。天津から3時間かけてバスで来たが、帰りは新幹線で30分で天津駅に着いた。
さまざまな太湖石を積み重ねた堆秀山と山頂にある御景亭
午門 故宮の正門
北門 神武門から見た景山公園の万春亭
北門 神武門
山西麺料理の昼食
太極拳をする人
北京京劇観賞
4日目
ホテルのロビーでガイドの楊さんと
東横インに前泊し、18日の朝、中部国際空港に集合し、AM.9:40のJALは25分遅れで出発した。約3時間30分で天津空港に着いた。中国との時差は1時間遅れで、中国国内では時差はない。 現地のガイドが空港で待っていて、バスで北京に移動した。 北京は、日本の秋田と同じ緯度で、温帯大陸季節風気候で、冬は平均−3℃で、最低では−22.8℃になったこともある。雪はあまりふらない。歴史は3000年前に燕国の首都、燕京として始まる。12世紀には明、清の都となる。50万年前の北京原人も発見されている。
仁寿殿 東宮内にあり、西太后や光緒帝が政務を執り行ったり、外国の使節との会見などの外交に使われた。
麒麟 竜の頭、牛の尻尾、馬の蹄、鹿の角、体はうろこと甲羅に覆われた伝説の生き物。悪を鎮め、魔よけの作用がある。
前門(チェンメン) 大柵欄(ダーシャンラン)
編みぐるみを編んで売っている。
トランプに興じる市民
天壇公園 皇帝が五穀豊穣を祈願し、天帝に報告した場所
「天」は中国人にとって昔から至上のもので、万物を支配する最高権威。皇帝はその「天命」を受けた「天子」であり、天を祭る特権を持っていた。日壇、月壇、地壇など北京にある「壇(皇帝の祈祷所)」の中で天壇はもっとも重要で、総面積は270万u、故宮の約4倍、中国最大の壇廟建築物。世界遺産
山西省はミネラル豊富な湧き水と小麦を用いた麺文化が発達し山西省に伝わる麺料理は100種類以上ある。
太湖石
乾清宮 明代の皇帝と皇后の正宮で寝室として利用された。清代は政務室。
雲龍階石(龍のレリーフ)
保和殿北側にある石段の中央にある。城内では最大の石造物で2トンある。一枚の大理石から出来ている。
養心殿の西側には、皇帝が読書をしたり、休憩する場所があり、三つの珍しい宝書が所蔵されていたので三希堂といわれた部屋がある。
養心殿の東側には、西太后が「垂廉の政」を行なった部屋がある。西太后は45年も国家を統治した。
屋根飾りが多いほど身分の高い人しか入れない場所を表している。一番多いのが11個だそうだ。右側が鳥の背に乗った仙人、龍、鳳凰、獅子、天馬、海馬、そのあと伝説の生き物が5匹続く。
北京故宮には150万点の宝物があるといわれているが、清王朝が崩壊した時に流失したり、蒋介石が台湾に持っていってしまった。台湾の故宮博物院のほうが展示物がたくさんあると思った。
ゴミを拾っている。
「全聚徳」で北京ダックなどの北京料理の夕食。 北京料理は、北京より北方、黄河を境に北側の地方でたべられている料理。宮廷料理であるため、手の込んだ繊細な見栄えのする料理が多い。 北京ダック、饅頭(まんとう)、餃子、ぴーたんなど。
1日目
仏香閣 八閣三層、高さ41m、基壇の高さ20m。内部には「南無大悲観世音菩薩」がある。
玉蘭堂 光緒帝が10年間軟禁された場所
110m(100mと書いてある物もある)おきに狼煙台(角台 トンダイ)があり、敵の知らせを都に知らせた。字の通り狼の糞が使われた。狼の糞の煙はまっすぐに上がるので、煙の本数により敵の数を知らせたそうだ。
今回は激安ツアーだったためか、おみやげ物屋さんに随分と連れて行かれた。また、車内販売もあった。行く前に旅行社から中国での買い物について注意されていたので、買わないつもりで行ったが、国営の翡翠店で帯止めにもなるようなベンダントを買ってもらった。 街には漢字が溢れていたが、日本より激しく略字になっていて、元の漢字が分からない字が結構あった。また、日本のようにカタカナやひらがながないため、外来語の表記がなるほどと感心したり、笑ってしまうようなものもあった。
ガイドさんの日本語が上手で、この点はどこの国に行っても、感心することです。日本に住んだこともないのに、上手です。日本の外国語教育を何とかしなくてはと思います。一つ一つの場所をしっかり見学するには一箇所一日くらいほしいし、紫禁城もしっかり見るには二日はかかるそうです。 今回は北京をほんの少し覗いてきたというべきかもしれません。
1908年、3歳で即位した宣統帝(愛新覚羅溥儀)は1911年の辛亥革命によって、清王朝は滅亡し翌年退位する。その後も1924年まで紫禁城の北半分で生活することが許された。
御花園(ぎょかえん) 皇帝たちが植物観賞、月見、山登りなどをして遊んだ庭園。外朝は敵が隠れるような樹木は一本も植えられていない。ここに来て初めて植物は植わっていた。
養心門
養心殿 皇帝が居住して執務活動を行なう場所。
内右門 後に角楼が見える。
道義門
保和殿 皇后と皇太子を冊立する儀式の前に礼服に着替える場所。
中和殿 太和殿に向かう前に、役人の上奏を聞いた。春分などの節目の祭事前日に農具や祭文を皇帝自身が確認した。
故宮博物院 世界遺産
毛沢東紀念堂
棺には中国国旗に包まれた遺体が安置されている。今日も大勢の人が入場を待っていた。
人民大会堂
日本の国会に該当し、全国人民代表大会や重要会議が開催される。
人民英雄記念碑
新中国設立に殉死した人々を追悼する記念碑。正面は毛沢東、裏面は周恩来の文字
天安門と国旗掲揚台。1949年10月1日に毛沢東が中華人民共和国の成立を世界に向けて宣言した。門の前には国旗掲揚台があり、国旗掲揚や降揚式が日の出、日の入り時刻に実施される。警護の兵士は2時間直立不動の姿勢を崩せない。
天安門広場
4日目
周の時代、北方の異民族の侵入を防ぐ目的で建造された。後に秦の始皇帝が長城を連結して、西方に延長した。東西全長6000kmの堅牢な長城だが、元や清王朝を築いた民族は簡単に乗り越えて中国国内に侵入し、前王朝を滅ぼした。私達は八達嶺に行ったが、北京からいける長城は、金山嶺・司馬台(明時代からの姿をそのまま残す。)、居庸関(八達嶺より険しい。北方民族にここを通過され明は滅びた。) 慕田峪(自然の風景画すばらしく北京十六景に選定されている。)などがある。 八達嶺は海抜1000mで、平均の高さは7.8m、頂上平均の幅は5.8mである。長城上部外側にでこぼことなっている歯型の小能は弓射口という。 ロープウェイが風で動かなかったので、歩いて通称「女坂」を北4楼から北9楼まで行って引き返した。 時間があったので、南4楼まで、男坂を登っていってきた。風がなければ長城に入たかったが、寒くて下のお店に入った。
万里の長城 世界遺産
スタジアムの中に雪を入れて、市民が雪遊びを楽しんでいた。
2日目
氷の張った前海
荷花市場入り口(前海西沿への入り口)
大柵欄にある老舗の薬屋 同仁堂
「飛ぶものは飛行機以外、四足は机以外、泳ぐものは潜水艦以外」といわれるように何でも食材にしている。燕の巣、フカひれ、蛇、センザンコウ、ゲンゴロウなどが市場に売られている。飲茶も広東料理の一種である。日本人の舌によくあう。
北京国家スタジアム・「鳥の巣」
サンザシの実をお団子のようにくしに刺してある。
国営中国中央TV局に付属する高層ビルが火災により焼失する。2009年2月9日、春節を祝う爆竹が原因。打ち上げ花火がビルの屋上に落下出火したと見られている。
代表的刀削麺の実演
今回のツアーには、カンフーショー3500円、雑技観賞3900円、京劇観賞3900円のオプションがついていた。折角来たので、全部申し込んだら10000円だった。雑技観賞が一番良かった。
ロシアのプーチン元大統領が絶賛したというカンフーショーは、大入り満員だった。北京市民はこういうものが好きらしい。 物語仕立てのカンフーショーで、頭で鉄の棒を割ったり、剣が曲がったりした。劇場を出た所で焼き栗売りがいた。1袋10元(150円)買った。暖かくて美味しかった。食べやすいように割ってあった。
北京カンフーショー
男坂を南4楼まで上がって、北を見渡した。
「肖江南」で四川料理の夕食。四川料理とは、中国四川省の郷土料理。 唐辛子、花胡椒などの香辛料ををきかせたから伊料理が多い。 麻婆豆腐、担担麺、回鍋肉、などは陳建民のレシピによって、日本に広まった。
前門は天安門広場から南の正陽門と箭楼からはじまる大街。食堂や衣料品店などさまざまなお店が並んでいる。
かって紫禁城と呼ばれた明・清時代の宮殿
「紫禁城」は天帝に代わって地上を治める皇帝の住む宮殿の意味で明の永楽帝が14年間かけて完成した。(日本の室町時代) 明・清代の約五百年間、24人の皇帝が中国全土を統治した場所である。1947年、皇帝溥儀の退去とともに紫禁城を「故宮博物院」となずけ、歴代皇帝の収集文物を管理し、1987年世界遺産に登録された。 面積は72万uで、殿堂・楼閣は8707室、最も有名な宮殿は太和殿です。故宮の赤い外壁の周囲は、城を守るための人工河が作られている。
「大宅門盈科店」で広東料理の夕食
南のほうには、園丘壇 天心石、皇穹宇などまだ見所は沢山あるが、行かなかった。広い園内は市民であふれ、ダンスをしたり、トランプに興じたり、カラオケや太極拳をしている。 また、空には凧が上がっていた。
祈念殿 皇帝が正月に五穀豊穣を祈った場所。屋根は瑠璃色に覆われ、その建物は釘を使用せず、柱のみで支える。
竜井柱 内部の4本の柱。春夏秋冬の四季を、取り囲む12本の柱は時刻の表現と言われている。
天井と柱
内部の天井と柱の図を併設する部屋で見た。
城を守るためにつくられた人工河 筒子河
城の四隅にある角楼
延和門
保和殿では、科挙の最終試験と皇帝の面接が行なわれた。
海缸 防火用水
午門から神武門まで一直線に伸びる真ん中の道は皇帝だけが通ることが出来る。例外として科挙で一番になった優秀なものが生涯に一回だけ通ることが許されるそうだ。
太和殿 皇帝の即位、出兵等国事発令などの儀式の場。「ラストエンペラー」で溥儀が即位した舞台。
2m以上ある香炉
雌雄一対の唐獅子
邪悪なものを退け、国家鎮護を祈念する。
太和門 外朝の正門。明の皇帝が政務や大臣の上奏を聞き(朝拝)、決定を下していた。
毛沢東が新中国建設宣言した国の象徴
面積40万u、50万人が集合可能な世界最大の広場。1919年日本の「対華二十一ヶ条要求」に不満を持つ学生抗議デモ(五・四運動)、1989年民主化を要求する学生、労働者と政府との衝突(六・四天安門事件)が世界中に報道され、国際社会から非難を浴びた。
ライトアップされた紫禁城
ガイド助手のシ(施)さん。
長城に行く途中のドライブインで、飲茶料理の昼食。 飲茶とは、中国広東省、香港、マカオ中心の習慣。 中国茶を飲みながら、点心を食べる。のだが、普通の中華料理だった。
「鳥の巣」
竜の形のビルディング
文昌閣が見える。
壁には内部からでも外が見えるようにいろいろな形の明り取りがある。
西太后が好んだ井戸
長廊 万寿山と昆明湖の間にある728mの回廊。回廊の柱の梁には、歴史や神話をテーマにした絵が描かれている。
寿星石 再建された時現北京大学構内から移された。寿星(寿老人)のような形の石。
仁寿門と寿星石
北京市の西北10kmにあり、清代の乾隆帝が自らの思想や趣向で1570年に造園した。「皇帝権力至上の思想」「長寿不老の神仙思想」「享楽の思想」。1860年の英仏連合により破壊されたが、西太后が再建した。西太后が巨額を投じた中国皇室庭園。昆明湖を掘った土で万寿山を作った。
頤和園(いわえん) 世界遺産
マルコポーロパークサイドホテル北京での朝 食。中国らしい、おかゆやワンタン、饅頭などを中心にいただいた。
サンザシはバラ科の植物で、生薬、健康食品、ドライフルーツなどになる。粉にしてお団子状に丸め、竹串にさして飴をかけたリンゴ飴のようなもの。(ビンタンフール)
フートンとは、北京の町を網の目の様に走る細い路地のことを言う。 先日、TVでオリンピック前の北京のフートンのことをやっていた。鳩の背に笛を付けて飛ばしその音を楽しむはと笛があるというのを見た。今日、音がするので空を見上げると、数羽の鳩の群が音を立てて飛んでいた。
前三海(中海、南海、北海)とつながり、後三海とも呼ばれ、前海、后海、西海を合わせて什刹海と呼んでいる。池に沿って四合院(中国北部の伝統的な住居)がもうけられ、胡同(フートン)横町が網の目のように張り巡らされた煙袋斜街がある。 フートンとは、蒙古の言葉で、井戸という意味で、井戸をみてフートンといったものが、通りをフートンというようになった。小さな路地にはさまざまなお店が両脇に立ち並ぶ。オリンピックによる整備により姿を消したフートンは沢山あるようだ。
什刹海 煙袋斜街
北京の街は、自転車というイメージだったが、自転車は殆ど走っていなくて、自動車、トロリーバス、2両連結のバスはひっきりなしに走っている。オリンピックの時は、渋滞をなくすためナンバーの最後の数字が奇数日、偶数日と分けて効果があったようだ。その後規制をやめたら、また渋滞がすごいので、最近は、曜日によって走れない末尾ナンバーを決めている。道路の開発も進んでいるが、やはり渋滞していた。
前門
前門大街に店を持つのがステータスだった。北京ダックの全聚徳、お茶の長一元、漢方の同仁堂などがある。 大柵欄は大街を西に折れ曲がっていく横町で、昔は悪所だったが、今は整備されてそんなことはない。
木に消毒薬を塗っている。
前門
別料金25元の杏仁豆腐
玉座
保和殿に内部。乾隆帝の書
太和殿の内部。皇帝の玉座が見える。
太和殿から見た大和門
雑技観賞
スターバックスコーヒー
観光用の路面電車
街路にある鳥かご
ケンタッキー
マクドナルド
玉座
新幹線の車掌さん」