2020.10.3
藤枝・岡部ICから新東名に入り、御殿場ICで出て、東富士五湖道路を走り、山中湖から中央道に入り、大月ICで出る。甲府方面へ国道20号を走る。(JR中央線笹子駅の手前に「みどりや」という「笹子餅」の店がある。笹子峠の麓で「峠の力餅」として売られていた。明治38年当時、中央線の笹子トンネルで、旅客サービスに「笹子餅「として売られた。) 5個500円を買い、県道212号に入り、笹子峠に向かう。
(三奇祭は、島田の帯祭り、愛知県国府宮の裸祭り)
石段の最上部に社殿がある。
明神神輿
拝殿に向かって右手前に「夫婦ヒノキ」が立ってる。2本の融合体のように見える。途中から2本の太い幹に分かれ、真っすぐ上に伸び、地上12mのところで再び交差している。そのため「富士夫婦檜」と呼ばれている。
笹子峠の矢立スギ 稲村神社の大スギ 熊野神社の大スギ 富士吉田市 北口本宮浅間神社の大スギ 小室浅間神社のカツラ
矢立のスギに入る入り口に「看板」が立っている。(出陣の武者がこのスギに矢を射立て武運長久を祈った。)
甲州街道を歩いた時は、山道を歩いて、このスギにたどり着いた。車でくれば、道から2,3分で杉を見ることができる。
「神馬舎」では4頭の馬、木曽馬、ポニーが飼われていた。
熊野神社の大スギ
神社の左側にあるカツラ
樹高 23m
目通り幹囲 9.4m
樹齢 推定300年以上
市指定天然記念物
都留市鹿留(ししどめ)にある「熊野神社の大スギ」に向かう。細い道をはいったが、それらしい神社は見つからず、付近にいた方に聞くと、「そこにある石段の上に神社があるが、途中に害獣除けの扉があるので、開けて入れる。」と教えてくれた。神社の名前もない。石段を登っていくと右側に大杉が現れた。
日本三奇祭といわれる「吉田の火祭り」は8月26日、本殿祭、諏訪神社祭が斎行され、明神神輿、赤富士を模した御影神輿が参詣者で賑わう氏子中へ神幸する。高さ3米の筍形に結い上げられた大松明に一斉に点火され、街中火の海と化し、深夜までにぎわう。今年はコロナの影響で,開催されなかったが、夫はぜひ見に来たいと思っているに違いない。
境内には「摂社・諏訪神社」があり、その拝殿の前両側に「上吉田諏訪神社の大杉」が聳えている。左の大スギは主幹が根元付近から2本に分かれている。
浅間神社には、古くは御神木が4本あり、そのうち3本が現存する。その第一神木が「富士太郎杉」である。
樹高 30m
目通り幹囲 8.2m
樹齢 推定1000年
市指定天然記念物
北口本宮浅間神社の大スギ
菅野の大カツラ
国道20号に戻り、旧道に面しているという「稲村神社」を探す。甲州街道を歩いた時に寄った神社であるが、車では入る道が良く分からず、人に聞いて違う神社を教えられたりして、やっとたどり着く。大月市笹子町吉久保にある「稲村神社のスギ」は3本の融合体と思われる。1本づつ見れば、それほど太くなく、300年は経っていないのではないか?根際の土の流出がはなはだしい。
樹高 24m
目通り幹囲 9.4m
樹齢 伝承1000年
県指定天然記念物
笹子峠の矢立スギ
傍に大きな木があったが、何の木か分からない。
本殿右奥にある「大カツラ」根元から10幹に分岐し、最大の幹は幹周4.42mである。
カツラの木は、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良(もりなが)親王の首級を雛鶴姫が鎌倉から負って落ち延び、この樹の根元に葬ったという伝説があり、「大塔宮桂の古蹟」の木柱が立っている
樹高 28.5m
目通り幹囲 13.3m
樹齢 推定600年
富士吉田市下吉田にある「小室浅間神社」に向かう。富士吉田には浅間神社が数か所あり、違う神社に行ってしまったりして、ようやくたどり着いた時は午後5時近くになっていた。
社伝によると、延暦2年(803)征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折、この地で秀麗なる富士の山容を拝して戦勝を祈願し、4年後にその神護を謝し社殿を創建したという。
拝殿の左前には「富士太郎杉」が聳えている。根の張りが著しく発達し、漏斗をかぶせたよになっている。拝殿側の幹が傷んでいて、杉皮を張り付けたように修復した跡がある。
山梨県都留市大野(菅野)に向かう。 大月ICから都留ICまで走り、河口湖方面に走る。県道24号を道志村に向かうと菅野集落を過ぎた所で、ヘアピンカーブがあり、2本の大カツラがそのすぐ外側に立っている。「瑞乃木神社」の両脇後ろに2本のカツラが立っている。
今日も昼食を食べそこなって、サービスエリアで買った「信玄餅」と先ほどの「笹子餅」を食べた。
樹高 25m
目通り幹囲 8m
樹齢 300年以上
指定 なし
東宮 重文
樹高 30m
目通り幹囲 7.8m
市指定天然記念物
神社の右側にあるカツラ
樹高 20m
目通り幹囲 7.2m
樹齢 推定300年以上
市指定天然記念物
山梨県大月市笹子町黒野田字笹子にある「笹子峠の矢立のスギ」は、現在の姿は、上半身がもぎ取られ、火災の影響で、完全に中空のまま立っている。下を笹子川が流れる急な崖上にあり、大雨の時などに地滑りが起きると、この木もろとも流れ落ちそうな状態である。街道を歩いた時は、ロープは張られていなかったが、今は張られ、「延命と、保護にため、穴に入らないように」とあった。
赤富士神輿
鎮火大祭
本殿裏に残る「富士山溶岩流原形」かっては富士北麓各所で見られたが、開発などのため、現在ではここが唯一残っている。
今まで見たカツラの木は、谷筋や川の傍が多かったが、ここには川も谷もない。
主幹が腐り、小さな祠が祀られている。
小室浅間神社のカツラ
富士えびす
富士登山道吉田口
稲荷大明神
拝殿裏の東角には「富士次郎杉」が聳えている。第二神木とされている。
右 樹高 36m
目通り幹囲 5.4m
左 樹高 41m
目通り幹囲 9.4m
樹高 33m
目通り幹囲 7.7m
樹齢 推定300年以上
市指定天然記念物
大鳥居
随身門 (重文)
舞殿
拝殿(重文)
樹高 35m
目通り幹囲 7.4m
樹齢 推定300年以上
市指定天然記念物
案内板にカツラの由来伝承が記されている。(弘法大師が諸国巡錫の折、このカツラで箸を作り食事をした。食後、箸の一本を正常に、もう一本を逆さに土に挿し、ふくべの水を注ぎながら立派な木になるように念じて立ち去った。この木は生長して、「水の木」ふくべに汲んだ流れは「ふくべの水」と呼ばれるようになった。)ちょっとおかしな話だが、伝承である。
神社の向かい側に「親鸞上人念仏供養塚」や石仏石塔群がある。(親鸞聖人が毒蛇になった娘を成仏させたという。)また近くには「葦ヶ池跡」があり、毒蛇になった娘が棲みついた池があり、葦草が群生し、低地であったため、「葦ヶ窪」の地名の由来ともなった。
合体道祖神
稲村神社の杉