まる得沖縄3日間

H.22.5.29〜31

東西40m、南北44mに赤、白の敷き瓦が敷きつめられている。  正殿は二層三階建てで、正面の八の字階段や、龍柱は琉球独自の形式。  龍は国王の象徴で、国の守護神として建物や工芸品に多く使われている。戦火や失火で四度の焼失復元を繰り返している。現在の建物は、1712年に建立され、その後大修理を繰り返し、戦前まで存在した正殿をモデルに復元されたものである。

AM.4:18の東名静鉄バスに乗り中部国際空港へ。8:45の日航機で11:00に那覇空港に着いた。ジャンボ機は予想に反してほぼ満席だった。再建中のJALは、飲み物が出ただけで、キャンデーも出なかった。  沖縄はすでに、梅雨入りしていて、雨が降っていた。  昼食は自由だったので、予定には入っていなかったが、国際通りを散策した。国際通りは県庁北口交差点から安里三叉路にかけて約1.6km続き、おみやげ物屋、食べ物屋が並んでいる、那覇最大の繁華街で、雨にもかかわらず、大勢の人で賑わっていた。特に修学旅行の生徒が多かった。   旅行社に入ってお勧めのお店を聞くと、「ゆうなんぎい」を教えてくれた。沖縄郷土料理のお店で、お店の人が、こちらが旅行者と分かると、2800円のA定を二人でひとつ食べると少しづつ料理が楽しめると教えてくれた。

守礼門は、首里城への入り口。門は4本の柱で支えられ、扁額が掲げられている。三門牌楼形式と呼ばれ中国にはよくある。扁額には、「守礼之邦」と書かれている。二千円札のデザインに採用されていて、ここで買い物をすると、お釣りに二千円札が入っているらしい。16世紀中期に建立。1958年復元。

龍桶(リュウヒ)は、1523年、中国からもたらされる。龍の口から湧水が湧き出している。

沖縄のお墓は、亀甲墓、破風墓、屋形墓などがあるが、みな6〜8畳ほどの広さがある。 門中墓と呼ばれ、一族(門中)で所有する。4月の清明祭や旧盆には一族のものが集まって、持ち寄った料理をひろげる。ガイドさんによると、最近は少し変って来て、個人の小さな墓もあるし、昔は料理も決まっていたが、時代に合わせて変って来ているらしい。

首里城公園

ハブのショウを見ていたので、4時からのパレード(今日は雨なので会館内のチャンプルー劇場で行なわれた。)はもう始まっていた。

広福門は福を行き渡らせるという意味で建物そのものが門の機能を持っている。1992年復元。 王朝時代、神社仏閣を管理する「寺社座」、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座」(おおくみ)という役所が置かれていた。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は国王が出御の時道中の安泰をこの門の前で祈願した。 1519年創建。1957年復元。

今日は、バスで105kmを走行して、17:30ホテルに着いた。

オキちゃん劇場

リャマ(アンデス地方にいるラクダ科の動物。怒るとつばをかける。)

亜熱帯地方の動植物を飼育している。入り口のガジュマルにはヒスイカズラがつい最近まで咲いていたとガイドが教えてくれたが、3〜5月頃に咲く青い花でもうなかった。

名護自然動植物公園

パイナップルパーク

万座毛

他にも、花城家、西石垣家、大城家などがあったが、時間と雨でまわれなかった。

旧比嘉家は1800年代に、玉城村百名に建築される。沖縄の稲の発祥地であり、「受水送水」の管理をまかされて、18代、500年続いた名家。

歓会門は城郭に入る第一の正門。アーチ型の門の上に木造の櫓がつけられている。王朝時代、中国の公式の使者が招かれた。この使者を歓迎すると言う意味。1477〜1526年創建。1974年復元。

琉球王国の栄華を物語る真紅の世界遺産
琉球の島々を治め、中国、日本、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、王とその家族が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間である。

ガンチョウギー(モンパの木)

首里城は琉球王国の王城で、沖縄県最大の城(グスク)で、戦前は正殿などが国宝であったが、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊された。  本格的な復元は、1980年代末からで、1992年旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。世界遺産は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。  ガイドさんによると、復元前は、本当に「がっかりな遺跡で、お客さんにしかられていた。」そうです。そういえば、トルコのトロイ遺跡や、チュニジアのカルタゴ遺跡もがっかりな遺跡でした。

正殿の遺構。首里城は、創建以来、四度の焼失復元を繰り返した。この石積みは焼失再建を繰り返した遺構である。

首里城正殿と御庭(ウナー)

役人の服装

漏刻門。漏刻とは水時計のことで、この楼の上に水時計が設置されていた。高官でもここで駕篭を降りたので、「かご居せ御門」とも呼ばれる。1992年復元。

瑞泉門はめでたい泉と言う意味で、門の手前にある湧水「りゅうひ」にちなんで名づけられる。1470年頃創建。1902年復元。

王朝時代の門番の服装。

バスで走っていると、お寺もないのに、このようなお墓が現れる。

ホテルの窓からの風景。海がエメラルド色だった。

3日目

プルメリア

オキナワキョウチクトウ

世界最大の魚、ジンベイザメの繁殖に世界ではじめて成功した。ジンベイザメやマンタ(オニイトマキエイ)の餌付けが見られる。

沖縄海洋博記念公園本部町

このコースを選んだ理由はこのヤンバルクイナを見るためです。沖縄本島固有の無飛力のクイナ科の鳥類。 1981年に新種として発見されるが、マングースや野良猫による捕食で絶滅が心配されている。本島北がヤンバル(山原)と呼ばれることからこの名前が付いた。クチバシ、目、足が赤い。

ゴーヤハウスで昼食

ショウジョウトキ

ベニフラミンゴ、ベニヘラサギなどの鳥

ソーセイジの木

ゲットウ(月桃)

ナゴラン(植物に下向きに着生する。)

ホウオウボク

ガジュマル

サンゴパインや姫パインのうような食用ではない、観賞用パインも育てています。中は熱帯植物で一杯です。  パインワインや生パインやパインで作ったカステラなどのお菓子の試食でお腹が一杯になりました。

森のガラス館、伝統工芸の琉球ガラス工場の見学。グラスを作る体験が出来るようになっていて、何人かの人たちが教えられてガラスを吹き、作っていた。

OPでかりゆしビーチで船に乗る。船底がガラスになっていて魚が見えるようになっている。昨日の雨で海水が濁り綺麗な魚は見ることが出来なかった。

エーサーを指導するバスガイド。

恩納(おんな)集落の西側に位置し、新生代第4紀の琉球石灰岩からなる平坦地はコウライシバやタイワンカモノハシが茂る広場。崖の斜面には、沖縄スミレ、沖縄マツバボタン、イソギクなど、厳しい環境に耐える植物が自生する。
 1726年琉球王尚敬が「万人を座するにたる。」と言ったところからこの名前が付いた。高さ20mの隆起サンゴの断崖絶壁で、象の鼻のような奇岩がある。

イソギク

どんよりとした空だが、雨はあがっていた。ホテルの玄関前には、たくさんの色々な格好のシーサーが飾られていた。

2日目

19時、沖縄市内のホテルに入った。今日の走行距離は70kmだった。

黒糖工場を見学、買い物をして、サムズレストランで、ステーキかシーフードを選んだ。1800円でイセエビがつくと言うので、頼んだ。アメリカンスタイルのこってりしたうにソースを塗られ焼かれたイセエビはくどかった。

道じゅねー(沖縄風パレード)古代から伝わる神祭り行事が年中行事として行なわれる。その年中行事を道じゅねーに凝縮して取り入れている。

シーサーとは、門や屋根に備えつけられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔よけをいう。獅子(しし)の沖縄方言。

砂糖車は牛や馬に引かせてサトウキビを搾る装置。実演もあるようで、近くには水牛も繋がれていた。

ハブ館では、ハブとマングースのショウ。今は実際にはやらず、3Dメガネをかけてフィルムで見る。

旧島袋家は1861年、名護市羽地に建築された。王朝時代、地頭屋敷として使用された名家。

旧中曽根家は1800年代、読谷村座喜味に建築された。離れでは、機織の実演が行なわれていた。

琉球村に着く頃から、土砂降りの雨になり、園内の古民家を見てまわるのも大変だった。

琉球村(古きよき琉球王国のテーマパーク)読谷村

ODFSギャリア沖縄(国内最大の大型免税店)二階は有名ブランド店が並び、一階はお土産屋さんが入っている。琉球絣に、紅型の着物を着た御酒売り場の人が写真をお願いすると、サンシンを抱えて弾いてくれた。

クーブイリチー ・ 昆布料理  ジーマミ豆腐 ・  落花生の豆腐  ミミガー ・  豚の耳皮 軟骨  カラスドーフ ・アイゴの稚魚の塩漬けと島豆腐  フーイリチー ・ クルマ麩と野菜の卵炒め  ラフテー ・  豚肉の角煮(味噌味)   

沖縄ソバ定食。

夫婦岩

万座毛

ラフテー

カラスドーフ フーイリチー 

グルクンの唐揚げ

中央広場からは、遠くに伊江島が見える。

クーブイリチー ジーマミー豆腐 ミミガー

今日の走行距離は80kmで、那覇空港まで送ってもらい、お弁当を受け取って、那覇を後にした。

いるかのオキちゃん。ミナミバンドウイルカ、オキゴンドウ、カマイルカのショウが見られる。

沖縄チュら海水族館(オプション)

ヤンバルクイナ

ほろほろ琉飯(具をのせてだしをかけて食べる)

トックリヤシモドキ

カエンボク

アンスリウム

パイン畑

クワズイモ

サーターアニダー(砂糖テンプラ)のお店

万座毛石灰岩植物群

アダン

かりゆしビーチ

カエンボク、ホウオウボク、ジャカランダは世界三大花木と言われている。

沖縄は、歴史的には明治時代の琉球処分まで日清両属の琉球王国であった。
戦後のアメリカ統治時代に根ずく食文化が深く浸透している。太平洋戦争では地上戦の末、米軍が占拠したことから、1972年まで施政下に置かれた。復帰後の現在でも多くの米軍基地が存在しており、重要な政治問題となっている。ケンタッキーフライドチキンをおかずにして食べ、残った骨から、煮出してスープを取るという話を聞いたことがあります。
 49の有人島と多数の無人島からなり、160島からなっている。
一級河川がなく、いつも慢性的な水不足に悩まされている。島の人たちはお風呂も殆どシャワーで済ませているそうです。
 普天間問題もあり、一日も早く基地のない島になって欲しいです。