H.31.3.2~3

布川の花祭り

(愛知県の東北部、長野、静岡と県境を接し山々が折り重なる地で、鬼たちを神と敬う人々があらゆる神を里に招き、一夜を湯でもてなす祭がある。花祭は太鼓と笛と人々の声で、力強く鈴を鳴らし足を踏みしめて舞いつなぐことにより神々は里人と遊び興じ、厳冬の衰えた太陽と大地の生命力をよび覚ます。-愛知県東栄町花祭りパンフレットより)

午前1時30分に会場に向かう。鬼が出るとことだった。後ろのほうで見ていたが、鬼が見えないので、前のほうに向かって突撃する。人に押されて一番前に出られた。竈に火がいれられ、煙が充満している。「寒い、眠い、煙い」祭りです。山見鬼が大きな斧を振りかざし、踊っている。花祭りの原型と言われる大神楽では、生まれ清まりを期して白山(浄土)入りをする人々の先導役とされる。白山入り口の橋で改め役に対して「山見物の参って候」と答えたところからこの名がある。山を割る所作から「山割鬼」と呼ぶ地区もある。伴鬼2匹従えている。

午前7時になり、榊鬼も見たので帰ることになり、中設楽交差点のコンビ二に寄った。コーヒーを入れていると、おじさんに「布川の花祭りに行ってきたのか?」と声をかけられた。「中設楽の花祭りは広いところでやるので見やすいよ。12月になったら来てください。」また、コーヒーを飲んでいると隣の方に声をかけられた。「湯ばやし」を見たほうがいい。と言われ、会場に戻る。 中では子供が踊っているが観客が多くて何も見えない。そのうちに「おかめとひょっとこ」が味噌のついたすりこ木をもって現れる。この味噌を顔に塗られると縁起がいいといわれていて、わざわざ顔を差し出して塗ってもらう人もいる。またその味噌をなめている人もいる。

午後6時に祭事が始まる。花太夫の太鼓に合わせ、数人の笛に合わせて「歌ぐら」を歌い、「テーホへ・テホへ」の掛け声で踊る。「ばちの舞」「順の舞」「一の舞」「地固め、扇、やち、剣」「花の舞 扇、盆、湯桶、舞上げ」一人、二人、四人で竈の周りを舞い踊る。いつ終わるということはなく、フラフラになっている人もいた。8時まで見ていたが立っているのがつらくなり、集会所に戻り休んだ。23時30分に集会所をでた夫が帰ってきた。踊りが遅れていて、午前0時に出るはずの鬼は遅れているということだった。

愛知県出身の夫はこの辺りで花祭りがあるということは知っていたが、冬の雪の季節であるということで、見に来たことはなかった。新聞で「布川の花祭り」が今年で休止になるという記事を読んで、出かけてみようということになった。自宅からは2時間ほどで東栄町に着いた。布川の集会所に着くと、「花祭ロケ地」の看板がある。市川森一作で、大滝秀治や橋爪功などが出演している。

神事が始まったので、また集会所に戻る。先ほどの部屋は満員だったので、消防団が使っていた部屋が空いたのでそこで休ませてもらう。午前5時に榊鬼が出てくる予定だったが、2時間以上遅れていて、午前6時30分に舞庭に戻る。榊鬼は花祭りの主人公である。人間がこの地に住む以前の支配者で、改め役との問答により、この地を人間に明け渡すといわれている。榊鬼の行う「へんべの所作」には大地の精霊を呼び覚まし生命の復活をなすという大切な役割がある。伴鬼2匹とともに出てきた。へんべとは地面を踏みしめることで、陰陽道の歩行呪術で、精霊の復活を意味する。

(布川の花祭りは「振草系」に分類される。花宿となる集会所は神社の神域とあいまって独特の祭風情を醸し出している。「舞庭飾り」の「一力花」の数が多いのが特徴で、「さぜち」は文政初期の伝統を重んじた型紙に基づき制作されている。(吊るしてある切り絵)花祭りの一切を取り仕切る花太夫は世襲で受け継がれ、厳格に行われる神事は明治5年の廃仏毀釈の影響をあまり感じさせない。

舞庭には真ん中にがあり、周囲には注連縄と「ざぜち」と呼ばれる切り絵が飾られ、竈から四方に神道が張られている。天井にはたくさんの「一力花」が吊るされている。

びしょびしょになった舞庭に藁がまかれると、茂吉鬼が現れる。槌を採り物にして湯蓋の中の蜂の巣(宝物)を払い観衆に分け与えることから「収穫の神」と言われる。中設楽と河内両地区では花祭りを神道化したことから、山見鬼を須佐之男命、榊鬼を猿田彦命、茂吉鬼を大国主命としている。そういえばコンビニで会ったおじさんが「大国主命」もでる。と言っていた。槌で一力花を払うと、中の巾着が落ち、中からいろいろなものが出てきた。子供達が5円を拾ったと喜んでいた。

一力花を奉納した人に対して舞がお礼として舞われる。それが予定を遅らせる原因だったようです。お面を被ったが舞う。

寄付の金額を書いた紙が壁に張り出される。

午後1時頃から神事が始まる。「滝祓い」「高根祭」「辻固め」「神入り」「天の祭り」「惣しめおろし」「五方立」「惣がいむかえ」「釜祓い」「湯立て」「みかぐら」「さるこうばやし」「式ばやし」と続く。花太夫は御幣を背中にさし、数珠を持ち、印を結び柏手を打つ。神仏習合の姿である。

午後5時に神事は終わり、私達は上の集会所で休むことにした。車中泊をするつもりでシュラフを持って行ったが、集会所には炬燵があり、ここで休憩をとれそうで安心した。

この後も神事が続いているが、雨も降ってきたので帰ることにする。帰りは1時間30分で帰ることができた。

坂を下りていくと「天王八幡神社」がある。急な石段を下りると「花祭り会場」があり。その前では焚火が燃えている。受付で寄付(御見舞い)納め「お稲荷さん」と湯呑をお返しにいただく。花祭りの鬼が描かれたタオルを買った。

午前9時を過ぎると竈に火がたかれ、滝から汲んできた水と取り換え、湯を沸かす「湯ばやし」が始まった。少年4人が湯たぶさと言われる藁の束をもって舞い、舞の終盤に釜の湯に藁をつけ振り回す。舞庭方出てきて観客を追い回す。観客も舞手もびしょびしょになる。準備していった合羽を着ていたので、思う存分かけてもらった。

東栄町の花祭りは11月から3月まで11ヶ所で開催される。鎌倉・室町時代に山伏や修験者によって伝えられてきた神事芸能で、約700年もの間伝承されてきた。
 布川地区は現在14世帯で、独居が半数を占め、近年は近隣の助けを借りて開催してきたが、今年で休止が決まった。例年の2倍の500人が集まったということです。舞庭に長い時間いたので、役のおじさんたちにどこかで会ったら、挨拶しそうです。
全部を見ることはできなかったが、珍しいお祭りでした。
 花祭りの時期は厳冬期で、昔の人は冬になると太陽の力が衰え、万物の生命をつかさどる精霊たちが大地に沈み込んでしまうと考えた。その復活を願ったのが花祭りである。