日光~新橋
2025.10.28

久しぶりに少し残っていた日光街道を歩くことになった。5時40分に藤枝駅に付いたが、切符窓口がいつの間にか6時からになっている。予定の電車には乗れず、10時30分に日光駅に着いた。江にを出て、少し歩き街道に出る。

街道に戻る。右手に龍蔵寺がある。建保元年(1213)源頼朝の忠臣畠山重忠の子・重慶の創建。境内に戊辰戦役で戦死した芸州藩士の墓がある。
交差点の奥に「日光杉並木碑」が立っている。薄暗い並木を歩くと、右側に東武日光線の日光駅がある。こちらの方が賑わっている。

現さんフィールドが「高野本陣跡」であるが、何もない。


稲荷町の角を右に入ると、稲荷神社がある。稲荷町の鎮守で、境内に「西行戻石」がある。西行が石の上にいる童に「どこに行く」と聞くと見事な歌で返され、この地での「歌比べ」は無理だと悟り引き返した。

ながむながむ散りなむことをきみも思え くろ髪山に 花さきにけり(黒髪山は男体山のこと)



湯波御膳の昼食をとる。





日光道中を完歩して、駅まで歩いて戻る途中団子屋さんで「阿佐ヶ谷姉妹」がロケをしていた。団子の歌を歌ったり、団子を食べたりしていた。
行きには見つけられなかった「鉢石」が観音寺の向かいを入った所にあった。鉢を伏せたような石で地名の由来になっ霊石というが、どうもそのようには見えなかった。岩盤の一部が鉢を伏せたな形をしている。と書かれていた。

日光線で宇都宮に戻り、駅前のホテルに入り、夕食はホテル前の店で宇都宮餃子を食べた。




橋の向こう側には「深沙王堂」があり、その傍らに太郎杉が聳える。樹齢550年、樹高43m、目通り幹周囲5.75mの大杉である。





観光客で賑わう街道を歩いていくと、左手に板垣退助銅像、右手に天海大僧正銅像が聳える。板垣は日光廟に立てこもった大鳥啓介等の旧幕軍を説得して日光を戦火から守った。天海は比叡山で天台宗の奥義を極め、家康に仕え日光山の貫主となった。



その先の左側の坂を上ると「観音寺」がある。公人弘仁11年(820)弘法大師空海の開基。観音堂には自刻の千手観音を安置している。


左手に「日光のおいしい水」と書かれた東屋があり、その奥にお城のような「旧日光市庁舎」があり、その手前が整備され、「旧市役所記念公園」になっている。ホテルとして建てられたが、ホテルとして使用されたことは無く、旧日光市庁舎として使用され、平成30年にその役目を終えたとあった。


その先に「入り江本陣跡」現手打ちそば魚要があるというが、団子屋になっている。傍を通った方が蕎麦屋は廃業して、今はお団子屋だ。と教えてくれた。本陣跡の看板を残す気もない様だ。
日光郷土センターの向かいに「綿半」がある。創業天明7年(1787)練り羊羹の老舗。日光輪王寺御用で寺紋章「鎹山」を揚げている。その先に日光湯波の店があり、出てきた人が「おいしいよ。」というので、300円でさしみゆばを食した。