2020.1.14~15

新野の雪祭り

南信州観光公社が企画した「新野の雪祭り」に参加した。飯田市にある「りんごの里」集合だったが、飯田線の特急伊那路が12時40分に着くので、昼食をとるそば処「しみず」で待ち合わせをして、ツアーに合流した。総勢8名の小人数だった。「鴨汁そば」をいただく。店でくじ引きがあり、清酒「喜久水」が当たった。バスで新野に移動し、「阿南町農村文化伝承センター」で雪まつりの由来や内容、夜を徹して行われる雪祭りの見どころを地元の方に話してもらう。

伊豆神社で行われる「新野の雪祭り」は、雪を吉兆と見て田畑の実りを願う祭りで、1月14日の夜から15日の朝まで夜を徹して行われる。田楽、舞楽、神楽、猿楽、田遊びなどの日本芸能が繰り広げられる。民俗学者「折口信夫」はこの祭りを「雪祭り」と名付け、「日本の芸能を学ぶ者は、一度は見る必要がある祭り」として全国に紹介した。

6回目以降はホッチョウと呼ばれる棒を女性の頬に摺り付ける。9度目は点火されたばかりの庭火の前で行う。「餅炙り」は松枝の立杭の丸餅を挿してあぶる狂言的な演目である。7回目と9回目は本座のササラ舞が伴い、舞の終わりに「大雪でござりまする」と2回唱える。

庭開き・御舟渡し 宮司が御舟の舳先に小松明を差し、御舟に通した綱を引いて大松明の「港」へ渡す。この際「三々九度」に引く。御舟が6往復したところで「本座(東)」のササラ8人が庭に飛び出す。「ヤーヤー ランジョウ ランジョウ」と叫びながら3周する。

伊豆神社に向かい、祭りの準備がされている境内を見た後、「お上り」を見学するためにセンター前に向かう。伊豆神社の神様が前日2km離れた諏訪神社に「お下り」になり、祭り当日の夕方に諏訪神社から伊豆神社にお戻りになる行列「お上り」が到着すると雪祭りの本番を迎える。

午後9時になると「大松明起こし」が始まる。祝儀締めの後消防の人々により大松明が立てられる。庭の南東隅に柱状の巨大な松明が立てられる。かっては長さ5間、直径5尺もあった。現在は長さ3間半、直径3尺である。消防団ははしごで松明を押し上げる。

お牛 かっては伊藤家の当主が務めたが、現在は宮司が務める。黒牛の作り物を腰につけ、弓矢をもって登場する。本殿屋根に向かって矢を放つ「うわざしの矢」御坂に向かって矢を放つ「的掛かり」の後、3本目の矢を背後に投げて退出する。「うわざしの矢」はその影が近江の湖に映るという。今年は屋根にひかかってしまった。

お牛が終わったのが午前5時30分で、次は「翁」が始まったが、次の「松影」「正直切」と同じような老人の面をつけた翁が登場し、詞を述べる。見ていたかったが寒くて、境内にある休憩所の向かう。中は人が多く休憩するスペースはないので、私は雪道を歩いて仮眠所に戻った。

この後、神社では「海道下り」「神婆(かんば」「天狗(てんごう」「八幡」「志津目(しずめ」「鍛冶」「田遊び)」と続くが集合が午前8時30分なので、夫は7時頃、他の参加者も8時には戻ってきた。

風越山 標高1535m

雪祭りの歴史  雪祭りの歴史は、それを支えてきた伊豆神社とその神官を明治5年まで勤めてきた伊東氏の歴史と不可分である。伊豆出身で諸国を流浪し奈良の春日大社の神職を務めた伊東和泉守が村松氏を頼って新野に定着した。伊藤和泉守は生国から伊豆権現を迎え、その祭礼に「奈良の薪能」をまねて庭火を焚く祭りを始めた。その後関氏によって向方にあった二善寺観音を迎え合祀し、生国・伊勢の国関郷の「田の神祭り」をまねて「田楽祭り」と呼んだ。この二つが合体し神仏混合の「田楽祭り」となった。 
 別の説では、伊豆の工藤小次郎(後の伊東氏)が定着し、遅れて弟の工藤禅師坊が定着し伊豆権現を迎えたという。
 静岡県から兵越峠を越え、愛知県から新野峠をこえると千石平という開けたところが新野高原である。長野県の最南端900m余の山に囲まれた標高800mの高原の盆地である。昔から交通の要衝であった。
 新栄山山頂には諸国行脚の末即身仏になった「行人様」が鎮座しており、現在も300年続く祭りが春と秋に行われている。また8月には「新野の盆踊り」が夜を徹して行われる。

茂登喜(もどき) 衣装は幸法と共通するが、面形の表情は険しく舞い方も荒い。足のけり方、踏み方も幸法とは対照的である。庁屋からの出入りは7回で、7回目にササラを伴い、「松明あおり」「庭火あぶり」「餅あぶり」「冠ほめ」「刀ほめ」「火ばつ献上」を行う。

大松明が点火すると、新座(西)のササラ8人が庭に飛び出し,ランジョウと叫びながら本座と一緒になって9周する。松明の前に並んで「幸法」の出を待つ。幸法は最初に登場する面形舞で、最も重要な舞で、古くは伊藤家の当主が務めた。ひし形の扇と若松を持ち、五穀の入った紙包みを先端に着けた藁製の「烏帽子」をかぶる。庁屋と庭の出入りを9度繰り返す。

近くの「道の駅」で「五平餅定食」と馬刺しの夕食をとり、祭り会場に向かう。「神楽殿の祭り」が始まっていて、神楽殿では舞手が舞を奉納している。

9時過ぎにいったん仮眠所のある公民館に帰り、シュラフに入って仮眠する。11時50分に起きてバスで神社に送ってもらう。降り出した雪で境内は真っ白になっていた。

乱声~面開き  午前1時過ぎに消防団員が庁屋の板壁を松の若木でたたきながら「らんじょう らんじょう」と叫ぶ。これは大松明が点火されるまでつづく。

御船の準備は禰宜が行う。御船の帆に稲穂を取り付け、恵比寿・大黒の神像に白紙の衣を着せる。

競馬(きょうまん)白馬の作り物を腰につけて競馬を模した素面の舞で、最初に日輪がシンボルの「一の馬」遅れて三日月がシンボルの「二の馬」が登場する。舞い方は3歩ずつ前進・後退を繰り返す「拝み上げ」矢を番えて弓を引く「的掛かり」がある。的掛かりは2本ずつ御坂に向けて矢を放つ。

道の駅「千石平」で朝食をとり、下條温泉郷「コスモスの湯」に入って温まり、天竜川沿いの明治創業の割烹旅館「福梅」のカフェで地元産の食材の創作フレンチをいただく。リンゴの里で解散し、3時間近く待って15時58分の「伊那路」で豊橋に出て東海道線で藤枝に帰った。
 今回は酒が当たるというラッキーなことと、カメラが動かなくなるというアンラッキーがあった。夫の撮影による画像を借りた。