6日目
対岸のストレーザの街
時間になっても、70代の男性が戻ってこない。皆でそのあたりを探したがいない。奥さんを置いてどこに行ってしまったのか。添乗は慌てて駆けずり回っていた。暫くすると、下の事務所から「いる。」と電話があった。本人から説明を聞いたがよく理解できなかった。とにかく見つかってよかった。舟に乗って戻った。
ホテルの前には、マッジョーレ湖が見える。8:30にホテルを出る。マッジョーレ湖はイタリアで2番目におおきな湖でベッラ島は、マードレー島と共に、ボッロメオ家所有であった。 マッジョーレ湖は北の一部がスイス領で、ボッロメオの島々が湖に散らばっている。面積は212.2㎢で最高水深372mである。
窓から見たプライベート庭園
窓から見た「漁師の島」(ペスカトーリ島)
ここまで水に浸かったという印
オルタ湖の駐車場にバスで着いて、オルタ・サン・ジュリオの街に向かって湖畔の細い道を歩く。途中で向こうから来た人に尋ねると「2kmくらいこの道を行く。」と答えてくれた。10分くらい歩いたところで、4人が戻ると言い出した。4人を置いて私たち4人と添乗があと30分くらい歩くと、町が現れた。そして目指すサン・ジュリオ島が見えた。サン・ジュリオ島は「緑に包まれた小さな宝石」と言われている。
サン・ジュリオ島
ベッラ島
マードレー島には、17世紀のボッロメオ家の宮殿と庭がある。船着き場から船で島に渡る。18世紀の宮殿と庭がある。
ここで、成田のアリタリア組は飛行機の時間があるので、お別れとなり、迎えのバスで空港に向かった。 残った8人で、魚料理の昼食をとり、オルタ湖に向かった。
オルタ湖
ストレーザから約400mの所にあるイゾラ・ベッラ(長さ320m、幅80m)1500年代までは小さな漁師の集落があるばかりでした。1632年ボッロメオ家の公爵カルロ3世が妻のイザベッラ・ダッダのために造らせた。バロック時代イタリア様式庭園に囲まれたボッロメオ宮殿が誕生した。
庭園は大小の彫刻や噴水によって飾られ、十段の階段状に広がり、その最上段にはボッロメオ家の紋章である「白い一角獣」がある。
船でベッラ島に渡る。17世紀の宮殿と庭。庭園はバロック様式で珍しい木々や植物が良く手入れされている。1797年には、ナポレオン・ボナパルトも滞在している。
宮殿
窓からの景色
最後の最後に、行方不明になった70代の夫妻を心配して、添乗Kさんはミラノから乗り継いで羽田に帰る二人に英語で書いたメモを渡し、乗務員に見せるように言い聞かせたそうです。「妻は足が悪く歩けません。乗り継ぎ便までお願いします。」飛行機から地上に電話で係員を付けるように手配してくれるように。無事にあの二人は家に帰れたでしょうか?心配です。
迎えに来たバスに乗って、ミラノの空港に向かった。22:00の大韓航空で仁川空港へ、乗り継ぎ便19:15の大韓航空機で時間通り20:55中部国際空港に着いた。 遅れたら乗れないと思っていたが、21:30のバスに乗れて、浜松西から車で帰って来た。前回の中国の時よりは30分早かったが、お疲れさまでした。
坂道を上がってバスの待っているところまで行くと、かわいい自動車が止まっていた。しばらくすると、観光客を乗せて走り去った。この自動車で世界遺産のある「サクロ・モンテ」に行けるのだそうです。ここには1591年から1770年にかけて建てられた20ほどの礼拝堂が残っている。ここは湖の西にあり、標高401mで湖の全景が見渡せるそうです。
島から戻り、古い街並みを散策し、ジェラードを食べ、教会などを見て時間を過ごしていると、バスに戻った4人がいる。近くまでバスで連れてきてもらったそうです。
サン・ジュリオ教会は、4世紀後半、ローマ帝国の迫害を逃れてこの島にたどり着いた聖・ジュリオによって建てられた。現存する建物は14世紀の物だが、内部には見事なフレスコ画が描かれている。現在修道院のシスターが住んでいる。教会は撮影禁止だった。その後、島内を一周する。
マリオ・モッタ広場から船で島に渡る。往復4ユーロだった。10分ほどで島に着いた。港には小学生の団体が先生の説明を聞いていた。島は紅葉が始まっていてとてもきれいだ。
プライベート教会
船着き場
クジャク
イタリアには、不要になった衣服を入れるこの様な黄色の箱が置いてある。