R.1.9.7
かっての宿場町であった見附は、東木戸から西木戸までのやく1kmの間にあり、その中に「矢奈比売神社(見附天神)」がある。しっぺい太郎伝説で知られ、学問の神様として有名。秋には天下の奇祭「見附天神裸祭」が行われる。
見附地区から選ばれた舞姫(小学生)が「浦安の舞」を奉納する。今日は午前10時にも奉納され2回目なので、見物客は少なかった。
境内で先ほど買った「粟餅」を食べていると、「しっぺい太郎」の紙芝居が始まると呼びかけられた。(見付の里では毎年8月になると、ある家の屋根に白羽の矢が突き刺さり、娘をいけにえに差し出さねばならなかった。ある年、雲水が通りかかり、話を聞いて、祭りの夜こっそり見ていると、怪物が現れ「信濃の国の悉平太郎にしらせるな。今宵今晩このことは悉平太郎に知らせるな。」と悉平太郎を怖がっていた。信濃に行き光前寺の太郎を見つけ借りてくる。太郎を棺に入れて神社の前に置くと、怪物が現れ、太郎が退治する。けがを負った太郎は光前寺に帰る。見付の里人は感謝して「般若心経600巻」を写経して光前寺に奉納した。)先日訪れた光前寺にも「早太郎」の像があり、奉納された般若心経の土蔵がありました。
見付天神裸祭は、毎年旧暦8月10日直前の土曜、日曜にかけて行われる矢奈比売神社の大祭である。矢奈比売神社の神様が遠江国の総社である淡海国玉(おうみくにたま)神社へ神輿に移され渡御する際に行われる祭りで、渡御に先立ち、裸の群衆が町を練り歩き、拝殿で乱舞することから「裸祭り」と言われている。
午後9時まで時間があったので、屋台で埋まった通りに出て、食事をする。境内に帰り、「祭りのビデオ」を見る。(元天神社の祭事始、御所葉おろし、浜垢離、御池の清祓いと続き、大祭となる。)先日の新聞に浜垢離に約1500人が腰まで入って身を清めたと載っていたので、今日は1500人が参加していることになる。
夜21時になると、裸の男たちが、梯団と呼ばれる4っつの集団毎に旧東海道筋・見付の境内を練り歩き、順次神社の拝殿に向かう。
拝殿内に駆け込み「鬼踊り」を乱舞する。こんなに入るかと思える男たちが拝殿に走り込み、鈴を鳴らし、提灯を掲げて乱舞する。他の祭りのように札を奪い合うということはなく、ひたすら体をぶつけあって、もみ合う。上からは水が掛けられる。
真暗闇の中、神輿は総社に向かって疾駆する。神輿の後を追ってきた男たちは拝殿前で腰蓑納めの練をして、腰蓑を納め、「おいしょ オイショ」の掛け声とともに各町内に戻る。
神社の掲示板には「練・鬼踊りの正しい服装」が描かれている。(町しるしのてぬぐいの鉢巻き、さらしのはらまき・ふんどし、腰蓑、黒足袋、わらじ)この服装で、浜の水で潔斎をしたものが参加できると書かれていた。
午前零時少し前、拝殿奥では「神輿渡御奉告祭」が始まる。神官が榊を手に「山神社」に向かい、「山神社祭」が行われる。觸番の出発を終えた宮司は、二本の松明に先導され拝殿の石段の前まで神輿をお迎えする。
真っ暗な神社を出て、街道を歩いていると、街灯がついた。各町内に帰る男たちについて駐車場まで帰った。駐車場にはほとんど車がなかったので、殆どに人達は途中で切り上げて帰ったのだ。家に着いたのは午前2時を回っていた。
祭りは8日の「遷御」がある。遷御の巡行は、総社を出て西に順路をとる。輿番は神輿の周囲に付き、風輦車を曳く。今年は台風の影響で道順が短縮されたようです。拝殿前に到着した二百数十キロの神輿は、何十回も振り上げられ、拝殿を一周する。神輿は拝殿に納められる。拝殿ではこののち、御神霊移御の本殿祭が執行される。長い祭りが終わる。
今は浜垢離にバスで福田海岸まで行くが昔は川を舟で下ったという船が保存されていた。
しばらく時間があるので、車に戻り車中で休んだ。6時から子供連が出発し神社に向かう。晒の腹巻・ふんどし、腰蓑姿で、ダシ(万灯)を先頭に練りながら神社に向かい拝殿前で練って神社を一周し、練りながら総社に向かい、参拝の後各町内に帰る。
〆切 榊の枝で地面をたたく。
三番觸が到着の後、興番が拝殿中央の練を突き抜け、拝殿奥に乗り込む。〆切(元門車、富士見町)の一団が、各々榊の枝を手に拝殿に練り込む。
「神輿渡御・おわたり」全ての灯火が消え、暗闇の中、拝殿の鬼踊りは激しさを増し、最高潮に達する。乱舞の奥から中央を割って神輿が外に出る。神輿の後に裸の群が続く。裸の踊りが勢い余って神輿に近づくのを防ぐため〆切は榊の枝で地面をたたきながら裸の群を追い戻す。