2021.4.25
氷室神社を後にして、富士川町役場付近まで戻り、小学校の手前を左に入り、進むと天満宮がある。中世、ここは大井荘に属していた。大井荘内を南条、北条などと呼び分けたうちの中条にあたる。隣の加賀美(鏡)荘にも中条があり、そちらを加賀美中条、こちらを鎮守名を冠して天神中條と呼んだ。
身延町 久遠寺のスギ、大聖寺のケヤキ 八日市場町 八幡神社のケヤキ、 富士川町 氷室神社の大スギ 天神中條天満宮の五本杉 ケヤキ 中央町 山宮の大ケヤキ
本殿
山梨県中央市大鳥居のある山宮・浅間愛鷹神社に向かう。中央町の南西部、旧豊富村の大鳥居地区にある。
拝殿右のスギ
神楽殿後のスギ
身延町八日市場にある大聖寺に向かう。八日市場に入り、民家の前にいた方に道を聞いた。寺は分かったが、もうケヤキは切られてしまってないと言う。そのそばの八幡様にケヤキがあるということで向った。
久遠寺参道のスギ
藤枝・岡部ICから新東名に入り、中部横断道を走り、南部ICででる。山梨県南巨摩郡身延町身延にある久遠寺に向かう。 日蓮宗総本山身延山久遠寺の山門と287段の石段「菩提梯」の間、男坂、女坂の入り口付近に参道のスギが立つ。 参道両側には立派なスギが並んでいるが、このスギは特別大きく、姿もよく、樹勢も良い。前回桜を見に来た時に上にエレベーターで登ったので、菩提梯はのぼらなかった。ここが本来の参道である。
境内の隅に、倉庫やら、アスファルトに囲まれた窮屈なところに立っている。幹は大きな空洞ができていているが、下に向かって根を伸ばし、枝を茂らせている。この洞のおかげで、太平洋戦争の時、木材として役に立たないということで、切られる事無く、現在に至った。市指定天然記念物にしては、保存状態が良くない。
樹高 40m
目通り幹囲 8.2m
樹齢 推定300年以上
鳥居をくぐると。参道両側に、ケヤキの老木と、スギの木が立っている。ケヤキの方には(この大ケヤキは樹齢800年で、近年急に樹勢が衰え、樹木医の診断によると、手当をしないと枯死するといわれこのケヤキの再生に全力を尽くす。)と書かれていた。
境内には、ヒイラギとやぶ椿があり、富士川流域では自生の北限で、小さいが北限としては大きい。
随神門
樹高 40m
目通り幹囲 8.2m
樹齢 300年以上(伝承1200年)
山梨県指定天然記念物
氷室神社は宝亀年間(770~781)に、儀丹行円により創建された。武田家の篤い信仰により、手厚い保護を受けた。参道入り口までは車で行けるが、そこから575段(標識は519段だった。)の石段を15分余りかけて上る。本殿の後ろに大スギが聳えている。
樹高 42m
目通り幹囲 6.9m
樹齢 伝承590年
天神中條天満宮の五本杉
山宮のケヤキ
八日市場八幡神社のケヤキ
大聖寺のケヤキ
五本杉は社殿のすぐ手前の左手にある。融合木のようである。掌が地面から突き出している様と書いている方もいました。
手前がカヤノキ、その後ろが境内にもう一本あるケヤキ、その後ろに天然記念物のケヤキがある。
社殿の右手には、以前は大きなケヤキが立っていた。現在は覆い屋の下に枯れた幹が残るのみである。落雷によるもののようで、御神木と書かれていた。
一の鳥居
赤鳥居
拝殿
大聖寺のケヤキから北東に100m程のところにある八幡神社にはケヤキが2本あった。鳥居のところのケヤキは昭和41年の台風で主幹が折れ、2004年の撮影では辛うじて枝を茂らせているが、今回はもう切られてしまっていた。
2004年撮影のケヤキは石段の下に立つと書かれているが、切株だけが残っていた。大聖寺は真言宗の密寺。伝承では、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光を開祖としている。洞はあるが2本の枝の勢いは悪くないので、まだしばらくは長生きしそうとネットでは案内されていたが、もう切られてしまっていた。
櫛形山登山口 櫛形山は甲府盆地の西に位置し、櫛を伏せたような形をしている。標高2052mの山で、登山口は4ルートある。
氷室神社のクロベ
(クロベはヒノキ科の常緑高木で、材は柔らかく、建築、器具用に工作しやすい。イヌサワラ オオサワラの俗名がある。県内でもクロベの大木は少ない。木曽五木のひとつ。)
氷室神社の大スギ
樹高 30m
目通り周囲 6.5m
樹齢 推定300年以上
中富町指定天然記念物
拝殿の横にあるケヤキも昭和62年の突風の被害を受け、主幹を失っている。
樹高 20m
目通り幹囲 7.95m
樹齢 推定700年
中央市天然記念物
519段の石段
カヤノキには沢山の実がついていた。