5日目

タオルミーナは、シチリアの他の都市と同様、古代ギリシャ、ローマの支配下にあり、当時の神殿や遺跡を今に伝えている。

マルトラーナ教会はゲルマン・バロック様式でぺりーニ広場に面して建つ。修復中だった。

サン・カダルト教会は赤い丸屋根を持つイスラム様式の教会。1160年建造。

イタリア人と結婚してここに住んでいるガイドのヨウコさん。すっかりイタリア人でした。

7日目

周りを囲んだだけの場所で、紙コップでワインを飲み、ウニ、タコ、生カキ、ムール貝をいただく。 ウニが日本のウニのように身が沢山入っていなくて、赤いスジみたいなものが卵巣です。生カキもムール貝も美味しかった。イアリアの食を堪能しました。

ゼウス神殿 今は瓦礫の山になっているが、ギリシャ時代に建てられた最も大きな神殿です。ギリシャ神話の最高神ゼウスに捧げられた神殿は、ヒラメの戦いの戦勝記念に建てられた。紀元前480年に建てはじめましたが、規模が大きすぎて、紀元前406年にカルタゴがせめて来た時、未完成のまま破壊された。

柱の中に鉛が入っていた跡

石を引っ張った轍のあと。その後、水路として使った。

コンコルディア神殿はドリア式ギリシャ建築で、日本の唐招提寺と同じ。紀元前460年から440年頃のもの。前面6本、側面13本の柱がほぼ完全な形で残っているのは、6世紀末初期キリスト教会として使われていたためと言われている。壁のアーチはビザンチン様式なので、後で付け加えられたもの。1788年十字架は取り外された。

ネクロポリス(墓地)初期カトリック(ビザンチン)時代の墓地。

アグリジェントはシチリア島南岸の丘陵斜面にある都市である。町の周囲の小高い丘には神殿があり、その中でも名高い神殿の谷がある。1997年に世界遺産に登録された。谷というのは不正確で、アグリジェントの郊外の尾根に存在する。

今年は暖冬で、アーモンドの花が満開でした。

1日目からずっとバスを運転してくれる運転手さん。途中、トラックのストライキで高速の入り口が封鎖されたりしていたが、冷静に判断、運転してくれた。

回廊の面積は、2200kuでひし形模様が施された尖頭アーチを支えるのは、2本の柱が1組になった脚で、216本の白大理石柱が使用されている。未装飾の対と、彩色模様が施された柱が交互に並んでいる。回廊の一角には、僧侶のトイレとして大理石の噴水が設けられた四角の区域があり、その様式から製作はムスリムの彫刻家と考えられる。

ヌオーヴァ門は16世紀に造られた門で、ハプスブルグ家出身のカール5世がチュニスに勝利した記念の凱旋門で、ここから旧市街が始まる。

クワトロカウンティの隣にあるプレトーリオ広場

旧市街の基点となるクワトロカウンティ四つ角に4つの建物が建ち、1階は四季の女神、2階はスペイン王、3階はギリシャの女神が立つ。

新市街の代表的建築 リバティ様式のマッシモ劇場

バスから振り返ったチェファールの街。遠くからでも大聖堂の塔が見える。

大聖堂は1131年にルジェーロ2世(パレルモのパラティーナ礼拝堂を建てた人物)の命により建設されたノルマン時代のシチリア建築の優れた作例。大聖堂を象徴的に表しているファサードは1240年の製作で、両脇にある塔もその時に建てられた。嵐にあったルジェーロ2世を助けた神様への感謝をこめて建てられた。

チェファルーはギリシャ起源の都市で、海の突き出した険しい突端をなす、非常に高い絶壁の岩の上にあることからこの名がついた。ルジェーロ2世の大聖堂と映画「ニュウシネマパラダイス」の舞台になった所で有名です。

チェファルで昼食。うにのパスタとカジキマグロのソテー。デザートはアイスクリームのような、ヨーグルトのような飲み物だった。

サンタゴスティーノ教会

コルソ通りの建物

カッテドラーレ

サンジュベッゼ教会

ギリシャ劇場は紀元前3世紀に造られ、ローマ時代の2世紀に円形闘技場として改修された。直径120mで、正面の舞台には、円柱がそびえ、その間から見えるエーゲ海やイオニア海が背景になっている。夏の間は、この背景をバックに、演劇や、バレー、コンサートなどの催しが行なわれる。

メッシーナ門

エトナ山(3300m)

パレルモに帰り、昨夜と同じホテルで夕食。パスタが美味しかったが、今日は屋台に行く予定なので、控えめに食べました。

ディオスクリ神殿が、 はるかむこうに見えます。ゼウスの双子の息子カルトスとボルクスに捧げられた。紀元前5世紀末に建造された小規模な周柱式ドーリア式神殿。この神殿も瓦礫の山だったが、19世紀前半に復元された。

神殿の中央には、装飾だけでなく、円柱を支えていた巨人の柱像のコピーが横たわっていましたが、最近もう1体発掘されここに置かれています。

城壁の跡が断続的に続き、はるかむこうにコンコルディア宮殿が見える。

バスで上った道をロープウエイで降り、バスに乗り換えて、チェファルへ210km走る。

メッシーナ門から入り、ヴィットリオエマヌエル2世広場コルソ通りを歩き、エトナ山が見える4月9日広場へ。今日は快晴で、雪を被ったエトナ山がよく見えた。広場の周りには、15世紀に建てられたサンタゴスティーノ教会、17世紀に建てられたバロック調のサンジュベッセ教会がある。

ヘラクレス神殿は残っている円柱の力強さは、シチリアの英雄ヘラクレスの力を象徴するようだ。柱は年代が新しくなると、細くエレガントになる。ドリア式ギリシャ神殿。当時は正面6本、側面15本あったが、今では9本残っているだけ。

アグリジェントへ140km走る途中、シチリア名物アランチーニの昼食。シチリアへの船で食べた、ライスコロッケです。鰯の酢漬けも美味しかったが、どうみてもワカサギのようだった。

モンレアーレ大聖堂は、1174年グリエル2世により、被昇天の聖母にささげる教会として建設が開始され、1182年の完成した。教会内部のガラスモザイクは、総面積6500uにも及ぶ大規模なものである。中央アルプの丸天井には、巨大なキリストの上半身像が。  身廊のモザイク絵は、旧約聖書、新約聖書に基ずく挿話が描かれている。祭壇後方には、大司教様の玉座が、北側前方には王が使用する同様の玉座が置かれている。

30分走って、モンレアーレへ。モンレアーレはシチリア州パレルモ県のコムーネの一つで、県都から南に約2km離れている。12世紀のムーア・ビザンチンのドゥオモは有名である。

ノルマン王宮は12世紀にノルマン人により建てられた。2階にパラティーナ礼拝堂がある。今は州会議堂として使われている。

パレルモシチリア島西岸に位置し、シチリア州の州都で、島で一番大きな都市です。かってギリシア人に「バルノモス」(すべてが港という意味)と呼ばれたのがパレルモの語源。やしの木がそよぎ、アラブ・ノルマン様式のエキゾチックな建物が建つ街は、異国情緒が満点で、イタリアであるのにイタリアでない・・独特の街です。

6日目

イタリアは、大皿で持ってきた料理を分ける時、一人前の分量が適当で、多い人、少ない人、お皿に置くのも位置など適当で、魚、肉も大小様々で気にしない。夜、元気な人たちは添乗員と近くの屋台に行った。私は、行きたいと思ったが、部屋に帰って休んだ。

その後、47km走ってパレルモのホテルに入った。ピッツァマルゲリータが美味しかった。デザートはカンノートと呼ばれるカリッと揚げた筒状のビスケットのようなものにシチリア独特のリコッタチーズクリームを詰めたもので、美味しかった。羊飼いがカンナ(サトウキビ)の筒にリコッタチーズを保存したことから始まった。 ピッツァ職人がウンベルト1世とマルゲリータ王妃を迎えるためにイタリア国旗の赤・白・緑を表現したピツァを作った。

アラブの」洗濯場 大雨で砂が流れ込み本来の姿ではなかった。

トリナクリアと呼ばれるシチリアの象徴。三本の足は、三角形で三ヶ所の岬をもつシチリア島を表す。真ん中の顔はペルセウスに倒された魔女メドゥーサで、髪の毛がヘビになっている。豊穣の女神ともされている。町中にあり、お土産にもなっている。

もう帰国の日になってしまいました。パレルモ空港からローマに飛び、ローマから成田空港へ。 12時間15分のフライトは大変でした。今回は、添乗員が人気添乗員ということで、さすがだ!と思うことが何回かありました。用意周到で、それをさらっとしていると言う姿は、さすがに選ばれるだけのことはある。と思いました。南イタリアは、北イタリアと趣が違い、遺跡なども、ギリシャ的というか、イスラムの影響もあり、楽しめました。

最後の晩餐

ヘラ神殿(ジュノー神殿)は、神殿の谷の東の端の標高120mの丘の上に建っている。ヘラに捧げたれた神殿で、婚礼の儀式が行なわれていた。紀元前460年、カルタゴの侵攻で炎上、その後の地震で倒壊した。前に祭壇がある。ドーリス式神殿である。