秋の「くしろ湿原ノロッコ号」と北海道!うまいもんめぐり3日間

トドワラとは、砂嘴上のトドマツ林が、海水面上昇ないし、地盤沈下に伴う海水の浸食により枯死したものとみられ、1954年の洞爺丸台風が枯死を加速したとも言われる。殆どは樹齢100年程のトドマツであるが、それより古いトドマツも混じる。年々、腐朽したトドマツの枯れ木が風化・消滅しつつあり、いずれはなにもない湿原と化すと予想される。トドワラパークキングエリアから30分ほど歩き、帰りは馬車に乗って帰ってきた。夏は花が咲いて綺麗だそうだが、今は咲き残ったハマナスが少しあっただけだった。

H.24.10.25〜27

風連湖

風連湖のほとりにある道の駅「スワン44ねむろ」で昼食をとる。窓からは風連湖が見渡せる。風連湖は、淡水と海水が混じりあう汽水湖で、面積約56kuで、北海道で6番目の大きさです。ここでは日本で見ることが出来る野鳥の半数以上の約350種以上が確認され、屈指の野鳥の楽園として知られている。また、湖と海を仕切るように位置する春国岱は堆積した砂の陸地であり、中でも砂丘上に出来た世界で2例しかないアカエゾマツの樹林が有名である。   湖名の由来は、アイヌ語で「フーレ・ベツ」(赤い川)これは流入川である風連川をさした地名であり、湿原由来の赤い水が流れこんだことにちなむ。湖はトー(沼)と呼ばれていた。白鳥の飛来地としても有名である。

早朝家を出て、東名で浜松西インターeウイング駐車場へ。車を預けて、バスで中部国際空港へ。12時20分発のANA327便で女満別空港に14時15分に着いた。  現地添乗員、バスガイドさんと合流し、旅行が始まった。

ノロッコ号釧路駅を発車して、釧路川に沿って走ります。遠矢駅を過ぎると、湿原が見えてきます。釧路川と新釧路川が分かれる岩保木地区では、昭和5年に作られた旧水門と、平成2年に完成した新水門が並んでいる。   釧路湿原駅の上のほうには、細岡展望台があり、通称「大展望」と呼ばれている。広大な釧路湿原とそこを流れる釧路川、阿寒の山々も一望できるそうです。40分ほどで、塘路駅に到着します。バスで、女満別空港を目指します。車窓からは、塘路湖が見えます。周囲18kmの湿原最大の海跡湖で、沢山の水鳥が羽を休める姿が観測できます。私達は塘路駅で降りましたが、このノロッコ号は終点川湯温泉まで行きます。

ミズナラの木とナラワラ(ミズナラが立ち枯れた)

東根室駅は、根室市にある根室本線(花咲線)の駅で、日本最東端にある駅である。駅は無人駅で、単線である。

納沙布岬

3日目

釧路駅から塘路駅まで釧路湿原の中を走る。釧路湿原は東西25km、南北36knの国内最大の湿原である。丹頂鶴やエゾシカなどの野生動物の宝庫である。

涙岬、岩肌が乙女の横顔で、目から涙が出ているように見えることから、この名前が付いた。バスから撮ったので、良く撮れていないが、角度によっては、そのように見えるようだ。

阿寒湖は、釧路の西北部にある火山性の湖水。周囲26km、最大深度44.8m、水面標高420m。阿寒カルデラ中心部に雄阿寒岳(1370m)が噴出した後、周辺部の沈降、火山噴出物の堰きとめによって生まれた。南東隅から阿寒川が流出する。北東部のチウルイ川、キネタンベ川河口付近の水中にマリモが生息し、特別天然記念物に指定されている。東方に雄阿寒岳、南西部に雌阿寒岳(1499m)がそびえる。南岸に阿寒湖畔温泉が湧出し、集落が開ける。

ガイドさんと

天都山展望台 流氷館

貝殻島にある灯台
(展示されたパネルより)

朝、湖畔を散歩する。アイヌコタンまで歩きたかったが、時間がなく、途中で戻った。 紅葉が綺麗だった。

天都山網走市の南西にある標高207mの山で、網走国定公園に属している。山頂には展望台が設置され、網走湖や能取湖、オホーツク海、知床半島、斜里岳、海別岳などの知床連山を望むことが出来る。   オホーツク流氷館がある。流氷とオホーツクの海をテーマとする科学館。流氷を展示しその発生の仕組みを紹介する。流氷の海に生息する流氷の天使「クリオネ」や「フウセンウオ」などを飼育している。

野付半島は、標津町から海別町にある細長い半島である。延長28kmにわたる砂嘴で、規模としては日本最大である。砂嘴によって囲まれた湾部は、野付湾と呼ばれ、アマモ場や干潟が分布している。そこには多様な底生生物が生息し、それらを餌とするキアジシギ、オオハクチョウ、コクガンなどの渡り鳥も多く飛来し、その数は毎年2万羽以上にもなる。ラムサール条約登録湿地にも登録されている。トドワラ(とど松の立ち枯れ)サンゴ草も分布する。  アマモとは、甘藻で、水深1〜数メートルの沿岸砂泥地に生息する海草の一種で、地下茎を噛むと甘いことからこの名がある。英名は「ウナギ草」と言う意味で、細長い葉に由来する。そういえば、ドロワラに枯れた細長い草が沢山積み重なっていた。

岩保木水門

釧路湿原駅

細岡駅

納沙布岬は、日本本土最東端にあり、北方領土の島が見える。地名の由来は、アイヌ語で、「ノッサム」(岬の傍ら)からで、本来は岬の傍らの村の名前であった。   「北方館」と「望郷の家」があり、望遠鏡で島の様子を見ることが出来ます。

牧場の牛達を見ながら、琵琶瀬展望台を目指す。琵琶瀬展望台は、厚岸郡浜中町にある。海岸線の絶景が続く北太平洋シーサイドライン(道道123号)にある。霧多布湿原の南側にあたり、太平洋にも近い高台に位置し、太平洋と湿原を間近に一望できる。湿原には、蛇行する琵琶瀬川、海岸には「窓岩」と呼ばれる奇岩がある。残念なことに窓岩は、平成6年の釧路地方を襲った東方沖地震によって、形が崩れてしまった。

今日の宿は、阿寒湖温泉郷です。阿寒湖のほとりにあるホテルで、温泉街は賑わっていた。

雄阿寒岳

温泉郷をでて、紅葉を楽しみながら、北斗展望台へ向かう。釧路湿原公園は、昭和10年に「釧路丹頂鶴繁殖地」として国の天然記念物に指定され、昭和33年、「釧路湿原」と名づけられ、昭和55年、日本で最初のラムサール条約登録湿地として指定された。

美幌峠からは、屈斜路湖が見えた。美幌峠は、網走郡美幌町と川上郡弟子屈町の境にある峠で、標高490m、大正9年に開通した。峠付近は笹原が広がっており、屈斜路湖から吹き上げる風をさえぎるものがないことから、パラグライダーの発着ポイントとして知られている。私達の通った時もパラグライダーがいた。    屈斜路湖は、謎の生物クッシーの棲む湖として一時期話題になった。藻琴山、サマッカリヌプリなどを外輪山とする屈斜路カルデラに出来た日本最大のカルデラ湖である。周囲から小河川が流入し、南端から釧路川として流れ出す。湖中心部には日本最大の湖中島である中島がある。

バスは美幌峠を越して、川湯温泉に向かって走ります。今は、ビートの収穫期で、収穫された石ころのようなビートが山積みにされてる。刈り取られたトウモロコシ畑や植えられた麦畑が広がる。

流氷の説明

四島のかけはし

崩れてしまった窓岩

蛇行する琵琶瀬川と霧多布湿原

窓からの阿寒湖

塘路湖

塘路駅

釧路川

湿原

硫黄山

今年は紅葉が遅く、例年ならもう終わっている紅葉が、まだ美しい。川湯温泉から3kmの所に硫黄山がある。アイヌ語でアサト(裸)ヌプリ(山)と呼ばれ、現在でも硫黄の噴煙があちこちから上がっている。この辺りは牧場がずっと連なり、牛や馬が草を食べている。また、牧草地も広がる。

2日目

今日の宿 川湯温泉に着いた。川湯温泉は、弟子屈町にある温泉で、川湯の名前は、アイヌ語で熱い川(セセキベツ)を意訳したものである。高温の湯が流れる温泉川の源流を中心に温泉街を形成している。温泉は、硫黄泉で、すべての施設がかけ流しになっている。弟子屈は、相撲の横綱大鵬の出身地で、前に来た時には、大鵬相撲記念館に行った記憶がある。

北方四島とは、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島で、一番近い歯舞群島の貝殻島までは3.7kmで、遠い択捉島までは、144.5kmである。隣のお土産物屋さんのおじさんは、択捉生まれで、5歳の時の本土に来たそうです。

坂口尚政巡査殉職慰霊碑もある。坂口巡査は、明治16年2月15日、囚人を護送すべく、厚岸警察署を後にし、琵琶瀬の山道に差し掛かる頃、猛吹雪に会い、おそいかかる寒さに二人はこの凍土に帰した。毎年慰霊祭が行なわれているようです。

くしろ湿原ノロッコ号

女満別空港14:50の飛行機で、中部国際空港に飛び、バスで浜松西インターまで行き、車で、藤枝に帰ってきた。北海道は、4度目ですが、釧路や弟子屈までは、来たことがありますが、野付半島や、納沙布岬には来た事がなかったので、参加しました。  思っていなかった綺麗な紅葉も見ることが出来て感激でした。

サンゴ草

野付半島・トドワラ

斜里岳

網走湖

流氷館 ぬれたタオルが凍ってパリパリになった。

クリオネ

吸盤をもつフウセンウオ

東根室駅