1回目は草津節
H.28.03.06~07
一度ホテルに戻り朝食をいただく。そのあと、湯滝通りの「せがい出し梁造り」を見に行った。(せがい出し梁造りとは、深い軒先を作るため、本桁から梁を突き出して梁をのせ、この部分に天井を張る工法で、軒を長くすることで、強い風雨や日差しを遮る効果がある。)
日本三名湯のひとつ草津温泉のツアーに行ってきました。この地区の申し込み人数がなく、藤枝駅からタクシーで日本坂サービスエリアに行き、そこで、浜松から来たバスに合流した。バスは、東名自動車道を富士で出て、中央自動車道に入り、草津を目指した。
内湯巡り 延寿の湯
草津穴守稲荷神社は明治40年に、東京の染物店の主人が草津に湯治に通い病気平癒の記念に常々信仰していた穴守稲荷神社をこの場所に分霊した。境内の砂は「招福の砂」といわれ、持ち帰って蒔くとご利益があるといわれている。貰ってきて蒔きました。
「熱乃湯」で4時からの「湯もみと踊りショー」を見学する。湯もみとは、高温の草津の湯の成分を薄めずに温度を下げる手法。実演の後、観光客による体験も行われた。
石段を上って「光泉寺」をお参りする。茅葺屋根のお堂があり「遅咲き如来」と書かれている。(元禄時代、東大寺の公慶上人の作と伝えられた釈迦如来で、平成17年に証明された。300年を経て世に出た「遅咲き如来」として信仰を集めている。)
草津には15時過ぎに着き、ホテルに入った。ホテルの前には「湯畑」がある。約3年かけて再生整備事業が終了し、江戸時代の湯治場を再現した「御座の湯」、大正ロマン風の「熱の湯」、昭和レトロをテーマにした「温路広場」など、3つの時代を楽しめるように整備された。
13時に善光寺に着いて、お店のガイドさんの案内で寺を巡る。回向柱が並んでいる。7年に一度の御開帳の時に本堂の前に建てられた回向柱と御本を綱で繋ぎ、その柱を触ることで御本尊と結縁出来るという。御開帳が済むとここに建てられ、順に掘り起こし埋め戻され、だんだん土に帰って行くということです。
古くから大名や高貴な方のために造られた浴場を内湯と呼んでいた。当時旅人は日本三大薬師と言われた泉光寺の薬師堂にお参りし、開運と健康を祈願した。草津に湧き出す源泉は白旗、地蔵、湯畑、西の河原、万代、自噴泉とそれぞれに特徴があり効能も違っている。内湯開きは15軒の宿主が丹精込めた名湯を皆に楽しんでいただこうと開かれた。泉光寺の寺務所で「湯巡り手形」を買って巡ります。人力車もあります。
地蔵の湯の道案内に従って坂を上っていくと地蔵堂と、湯畑(源泉)があり、新しく改葬された地蔵の湯があった。昔は湯治場だったようで、今でも「時間湯」が行われているが、一般の人は参加できない。 草津温泉でも、地蔵の湯や千代の湯の源泉は強力な殺菌作用のある温泉で、皮膚病や免疫力の低下した人でも入浴感染しにくいといわれている。
参道を歩いていくと「仁王門」がある。(現在の仁王門は大正7年に再建された。間口13m、奥行き約7m、高さ約14m、屋根は銅瓦葺である。仁王像、背面の三宝荒神像、三面大国像は高村光雲と米原雲海の合作である。
山門は江戸時代中期(1750年)に建立された。間口20m、奥行き8m、高さ20mの楼門である。屋根のには約18万枚のサワラの板が使用され、日本に現存する最大級の栩葺(とちぶき)建造物である。門にかけられた「善光寺」の額には5羽の鳩が隠されていることから「鳩字の額」とも呼ばれている。門の上に上がれるというので、上がった。参道が良く見えた。
10時に草津温泉を後にして、浅間酒造観光センターによる。店の前に「大釜」が置いてあり説明書きによると(従来の酒蔵には大小の釜が置いてあった。大きな方は米を蒸すため、小さな方は湯沸しように使用していた。この釜は2t以上蒸せる能力があった。)店の中には、雛飾りが飾られていた。「ひもかわうどん」と「奈良漬け」を買った。
草津温泉街の西方にあるので「西の河原」と呼んでいる。昔は「鬼の泉水」といい今も「鬼の茶釜」「鬼の相撲場」などがある。
西の河原は各所から温泉が湧きだしている。温泉が湧く周囲は「賽の河原」のように荒涼としている。滝のように湯が流れ出す上には「西の河原露天風呂」がある。浴場面積は約500㎡と日本有数の広さを誇り、一度に100人以上が利用できる。ここは有料です。滝の所では、数人の男女が宝塚のような扮装をして写真を撮っていた。
左は「ヴェルツ博士」(、ドイツ人の医学者で、明治12年に草津を訪れ、草津温泉の優れた効能と環境に魅せられ、高温入浴法の「時間湯」は博士のテーマとなり、学会で「時間湯」の治療効果を発表した。)ベルツ゚通りと言う名前の通りがある。
双体道祖神
温泉卵
上から見た「湯畑」
白旗源泉(旧源泉は、この湯畑に沈んでいる小さな湯枠の中と考えられる。草津温泉の開湯伝承、温泉信仰につらなる歴史的な遺跡である。)
「湯畑」は、巨大な源泉で、大量の高温の湯が湧きだしている。木の桶が何本も出ている。この桶は各旅館に温泉を分けるとともに、適度に温度を下げるためでもある。湯畑の桶には湯花が沈殿する。土産物屋さんで売られている。
(本堂は創建以来十数度の火災にあったが、その都度信徒により再建されてきた。現在の本堂は宝永4年(1707)の再建で国宝に指定されている。間口24m、奥行き約54m、高さ約26mの木造建築物で、T字型の棟の形が撞木に似ていることから「撞木造り」と言われている。屋根は総檜皮葺である。)
内湯めぐり 薬師の湯
内湯めぐり 玉すだれの湯
朝食前に温泉街を散策する。草津温泉は湯畑を中心に盆地状になっているので、どこに行くにも坂を上る。「ちちや」で温泉まんじゅうを買い、湯滝通りを歩く。急な階段を上ると、「白根神社」がある。 参道にはまだ咲いていないシャクナゲの花があり、脇には、雪が残っていた。社殿を掃除している女性が「今年は雪が少ない。」と言っていた。残雪の脇道に入ると「芭蕉句碑」がある。「夏の夜や 谺(こだま)にあくる 下駄の音」
鬼の茶釜「湧き出る湯口は われもおそろしや 鬼の茶釜の湯土産噺」
白旗の湯由来(源頼朝が1193年8月3日、浅間山山麓で巻狩りをしたときに、偶々湧き出る温泉を発見し入浴したと伝えられる。当時は「御座の湯」と称していたが、明治20年に源氏の白旗に因んで「白旗の湯」と改称された。)無料の共同浴場のなかでは最も大きい。
ロビーに飾られたお雛様
宿に帰り、お風呂に入って夕食をとる。泊まった旅館「一井」は創業320年と言う老舗で女将は12代目で、娘さんが若女将の修行をしているとのことでした。湯は、大浴場は、湯畑前白旗源泉から、露天風呂は白根山万代源泉から引いているということでした。
西の河原通りをぶらぶらして、「西の河原公園」に着いた。
2回目は草津湯もみ唄
2日目
白旗の湯
熱の湯