H.29.8.23~24

甲府 湯村温泉 常盤ホテル

タクシーで勝沼駅に戻り、東山梨駅まで電車に乗る。無人駅で、駅前には何もない。ラーメン屋さんに入り、ラーメンを食べながら「清白寺」のことを聞くが台湾人の店主は日本語が良く分からない。2人の婦人が知人に携帯で場所を聞いてくれた。お礼を言って出かけようとすると、寺まで乗せてくれるという。駅から徒歩5~10分ということだったがすぐに見つかって、お礼を言って下りた。

PM.8:17発の富士川1号に間に合うように家を出て、静岡で富士川号に乗りこむ。甲府駅に10:28分に着いた。中央線で勝沼まで戻る。勝沼駅は平成5年に「勝沼ぶどう郷」と改名した。高台にある駅舎を出ると、目の前にブドウ畑が広がる。駅前でタクシーに乗り、「大善寺」に向かう。

庭園を見ながら麦茶をいただいて、寺を後にする。桜、アジサイや藤の花など季節の花が咲くころに来ればきれいな花を見ることができる。今は暑いばかりです。

大善寺は「ぶどう寺」ともいわれている。開創は養老2年(718)で、行基菩薩が日川渓谷岩上で霊夢により感得された像(右手に葡萄を持ち、左手で結印した薬師三尊)を刻み安置して開かれたと伝えられている。往時の堂宇は平安初期に焼失した。天禄2年(971)三枝守国が再建して以来、時の為政者と大衆の信仰のもとに歴史を重ねている。山門をくぐると「甲州勝沼・柏尾坂の戦い」の図があり、(甲陽鎮撫隊の近藤勇が大善寺境内で官軍と戦った様子が描かれている。)

雨がぱらつて来たので、加牟那古墳に行くのはあきらめて、戻ると、「松元寺」がある。「志摩の湯」の説明板がある。(湯村温泉は志摩の湯と呼ばれ、弘法大師によって開かれた。信玄公がここで労咳のため再三、長逗留をしている。江戸時代には温泉は村が管理していた。)

山門

仏殿国宝に指定されている。身舎(もや)組物の墨書銘によれば、応永22年(1415)の建立。入母屋造り、檜皮葺小形の方三間裳階付き形式で、大規模仏殿に用いられる意匠をそのまま小型化した建築である。

石段を上ると「湯谷神社」がある。湯権現を祀り、湯村温泉の守り神である。山の上には遊歩道がある。

中央本線で甲府に戻り、バスで湯村温泉常盤ホテル」にむかう。開湯1200年の「武田信玄の隠し湯」と言われた湯村温泉の歴史あるホテルである。豪華な夕食をとり、休んだ。

行者堂は元禄13年(1700)に建立された。堂内の木造役行者椅像は鎌倉時代の作である。毎年5月に行われる「藤切り祭り」はこの前で行われる。役小角が大蛇を退治し人々を救ったと1300年前から伝わる御祭り。大蛇を形どった藤の根を修験者が切り落とし、持ち帰ると果実豊作、魔除けに御利益があるといわれ、壮絶な奪い合いが繰り広げられる。

朝食の後、常盤ホテルの三千坪の庭園を散歩する。庭園の周りを本館や、離れがとり囲んでいる。天皇皇后、皇族方もこの離れに泊まったのか。バスで、甲府駅まで行き、10:44の富士川6号で帰って来た。常盤ホテルに泊まることがメインの旅だったが、よいホテルだった。

翌日は早く起きたので早朝の散歩に出かける。細い路地を歩き「塩沢寺」がある。「鶴舞の松」があり、東に14m枝を伸ばし、西に15m枝をのばす。鶴が両翼を伸ばして飛び上がる姿に似ている。地蔵堂は江戸期の建物で、国指定重要文化財である。

本堂の背後には池があってハスの花が咲いているとあったが、午後になっていたので、花は閉じていた。

本堂仏殿の背後に位置し、元禄6年~正徳3年(1693~1713)に建立された。方丈型本堂と呼ばれ、入母屋造りで、もとは茅葺であったが、桟瓦葺に変えている。

甲斐国では元徳2年(1330)に夢窓疎石により開創された恵林寺長禅寺をはじめ夢窓派による禅宗寺院が多い。清白寺は観応2年(1351)の創建。開祖は足利尊氏で、国家安泰戦勝祈願所として創立。総門ー放生池ー山門ー仏殿ー本堂が一直線に禅宗形式に沿った配置となっている。

稚児堂

楽堂

諏訪盆地を見渡す。

薬師堂は昭和29年の大解体修理で旧観に復され、厨子ともに国宝に指定された。堂に中には「秘仏・薬師三尊日光・月光菩薩像十二神将の重要文化財指定の諸仏が並んでいる。 ツアーの方が来ていて、護摩を焚いていた。係の説明を聞いて、内陣に入って仏様を拝ませていただく。秘仏は写真と前立仏で、写真撮影はできなかった。今年の10月に御開帳があるようです。

湯村八蹟・鷲の湯跡」の説明板がある。(怪我をした鷲が傷を治すのを見て村人が発見したと言われている。「鷲の湯」「杖の湯」「谷の湯」と呼ばれたこれらの湧泉は808年に発見されたと伝えられ「島の湯」または「湯島」となずけられ、湯の出る村湯村温泉になった。)

その先には「太宰治の宿・明治」の看板がある。太宰治など多くの文人が逗留していたことで湯村温泉は知られている。その先に「史跡・良純法親王謫居跡」がある。後陽成天皇の第八皇子で、甲斐国に配流されたのは、徳川幕府の関防に因るらしい。

境内には「無縫塔」が三基並ぶ。その横には「阿弥陀種子板碑」があり、中央に「阿弥陀種子」が大書きされている。

参拝をおえて駅までの途中に「史跡 連方屋敷」があり、中に入っていくと竹垣で囲われた広場があり、その向こうに土塁がみえる。連方屋敷は清白寺と密接なかかわりを持った権力者の屋敷で、足利尊氏の姪を室とした南北朝の甲斐守護・武田信武やその子孫の居館と推定している。

庫裡は重要文化財に指定されている。元禄2~6年(1689~1693)の再建された。江戸時代中期の禅宗寺院の庫裡として貴重なものである。