H.30.9.23~24
寺までの細い道は「京街道門前通り」と書かれていた。京街道は歩いているがこちらに来たことはない。角にある古い建物のお蕎麦屋さんには「有形文化財」と書かれていた。
彦根市に入り、彦根城の前にあるホテルに入る。自由夕食だったので、近くの蕎麦屋にはいる。以前大学の同窓会で泊まったホテルで、名前が変わっていたので気づかなかった。このお蕎麦屋さんでも食べたことがある。夜は彦根城のライトアップをラウンジで楽しんだ。
早朝家を出て、掛川から新幹線で京都に着いた。東京からのツアーと合流して、バスに乗りこみ、正法寺に向かう。
正法寺は滋賀県大津市と京都府宇治の境にある岩間山の中腹にある。西国三十三所大十二番札所で、ぼけ封じ近畿十楽 観音霊場第四番札所、びわ湖百八霊場,湖西二十七古刹第二番。加賀白山を開いた泰澄大師が元正天皇の33歳の大厄の病を法力により治した褒美として建したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。
真廣寺は滋賀県米原市にある寺院。薬師堂の奥にある収蔵庫に入っている。重文・木造薬師如来坐像はどっしりとした体躰から平安時代末期の作品といえる。伝説では、この薬師は霊仙の山中にあった霊仙寺の本尊であったが、天野川に流され上多良の岸にたどり着いたと伝えられている。慶長5年の関ヶ原の戦いの際に家康に兵糧を送り戦勝祈願をしたことに対して諸国勧進を免除したという文書がある。
長浜市の国民宿舎で昼食をとる。あまりおいしくなかったが「焼さばソーメン」が珍しかった。そのあと公園内にある長浜城歴史博物館を見に行く。時間が無くて中には入れなかった。浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は信長から浅井氏の領地の大部分を与えられ羽柴秀吉と名乗り城持の大名になった。今浜と言われていた現在の長浜に城を築いた。豊臣家が滅亡すると、城の石垣や木材が彦根城の建設に使われ、城は跡形も無く取り壊された。
園常寺は滋賀県彦根市にある。彦根城を完成させた2代井伊直孝が母のために建立した浄土宗の寺院で、彦根城下の旧外堀と内堀の間に位置する。本尊は快慶作の阿弥陀如来立像で、ほぞに快慶の名が刻まれている。お参りをした後、撮影禁止だが、パネルなら撮っていいとのことで、撮らせていただいた。写真を購入する。間もなく国の重要文化財に指定される予定であるそうです。
朝出発が9時30分と遅かったので、近くにある「護国神社」をお参りする。
2日目
願成就寺は滋賀県近江八幡市のある。推古27年聖徳太子48歳、勅を蒙り近江国内に48の寺を建立する。石段を上っていくと本堂、地蔵堂、不動堂、太子堂などが建っている。地蔵堂の重文・地蔵菩薩は。「木ノ中地蔵尊」と呼ばれている。鎌倉時代の作で、一本の木から三本切り出され、その真ん中の木で彫りだされた仏像である。前立の仏像は万願寺地蔵と呼ばれ、万願寺の本草であったが廃寺となったためこちらに安置されている平安仏である。本堂の十一面観音像は年に一度の御開帳で境内には芭蕉句碑が三本建てられている。「一声の江の横たうや ほととぎす」やぶ蚊がひどかった。
蓮海寺は滋賀県草津市にあり、延暦8年に最澄によって開かれたと伝えられている。本尊の木造地蔵菩薩立像は鎌倉時代の作で、重文に指定されている。境内に隣接する志那港は琵琶湖舟運の拠点のひとつだった。1月に訪れたことがあり、和尚さんの法話を聞き、この辺りまで琵琶湖だったという池には蓮の花が咲き残っていた。
快慶の文字が
大田寺は滋賀県長浜市木尾にある真言宗豊山派の寺院。薬師如来坐像は平安時代後期の作といわれ重要文化財に指定されている。近隣の瓜生薬師堂に安置されている薬師如来像と同じ時期に同じ木から作成されたという伝承が残っている。
寄木造りで、螺髪を彫り出し、椀を伏せたような肉髺、目鼻や口は小ぶりに表現している。衣紋は浅い彫り口で平安後期の作と考えられる。
珀青寺は滋賀県長浜市瓜生にある真宗大谷派の寺院。1628年、敬春が創建したとされる。寺宝の薬師如来坐像は像高151.9cmの一木造りで平安後期の作といわれ、国の重要文化財に指定されている。
ケヤキ材製。頭部体幹は一木から彫り出し、頭部、体部とも内刳りを施す。螺髪は切り付けとし、肉髺珠、白毫は水晶を嵌入する。半眼,閉口で耳朶は環状で中央を貫通し、鼻孔を穿つ。左手の掌を植えに向け薬壺を持つ。
鎌倉時代に仏師・快慶によって彫られた像高98.8cmの立像である。快慶は生涯にわたって多くの阿弥陀如来像を作っており、この仏像は法眼の地位にあった晩年の作である。
永昌寺は滋賀県甲賀郡水口町にある。寺伝によると綾野天満宮の別当寺で、その後比叡山の末寺になった。野洲川と杣川に挟まれた土地で昔は宇治川原村と呼ばれた。本尊の重文・地蔵菩薩立像は本堂裏の収蔵庫に安置されている。ヒノキ材の一木造りで、高さは154.9cm。
これですべての拝観を終えて、米原駅に向かった。東京組と別れ、17時30分のこだま号で掛川に向かい、東海道線に乗り換え、無事に藤枝に着いた。滋賀県湖南、湖北の仏様に会えた旅だった。
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薄暗い本堂に、本尊の千手観音と共に「重文・地蔵菩薩像」が安置されている。何も書かれていないのでこの小さな仏像が重文の地蔵菩薩なのかと思った。境内には芭蕉が「古池や 蛙とびこむ 水の音」と詠んだといわれる芭蕉池があり、句碑が建っていた。