H.21.11.22
初山宝林寺
1664年(寛文4年),旗本金指近藤家二代目当主、登之助貞用の招きに応じた明国の僧独湛禅師により開創された、黄檗宗の寺院です。 創建当時は七堂伽藍も整い、遠州地方の黄檗文化の中心として栄えた。 仏殿、方丈は中国明朝風の建築様式で牛様文化財に指定されている。叩くと澄んだ音が鳴る「金鳴石」があり、金がなる金運成就石として有名。
臨済宗方広寺派の大本山。建徳2年(1371)御醍醐天皇の皇子、満良親王である無文元選禅師により開創された禅寺で深奥山方広萬寿寺といいう。 六十ヘクタールの境内には、本堂、半僧坊真殿、三重の塔など六十余棟の伽藍を擁する古刹である。明治14年の山林大火で類焼するも半僧坊仮殿が焼け残ったことから方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰が全国に広まった。
(浜松市北区引佐町奥山)
大本山方広寺奥山半僧坊
近藤家の墓所
庭園(鎌倉時代初期)中世庭園を代表する庭園といわれている。大自然に囲まれたなかに精神的な別世界を構築しようとしている。池の地割りや築山構造、石組み群が美しい。蓬莱神仙の幽玄境に誘う。
不動明王(国指定)重文
平安時代初期の作。海上安全のお不動様
仁王門
開山堂
近藤家は愛知県宇利の出身で徳川普代の旗本である。 江戸時代は五家にわかれ、五近藤といわれた。宝林寺は、金指、気賀近藤家の帰依篤く、菩提寺となっている。特に金指二代貞用は宝林寺開祖であり、気賀近藤二代用治とともに黄檗文化の普及に寄与した。
寺を出て、山のほうに上がっていくと墓地がある。
阿弥陀立像と五如来
隠元禅師の書
釈迦三尊像 釈迦如来を中心に右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が並ぶ院派の代表的な作品。 銘文により観応3年(1352)に造られたことが分かる。 茨城県の清音寺に祀られていたものが、水戸の黄門様の参拝の砌、傷んでいるのを修復されたことが光背裏に銘記されている。明治36年こちらの寺にお迎えされた。 お釈迦様が宝冠を被っている姿は大変珍しい。
丈六の釈迦牟尼仏
廃物希釈のおりに付けられた痕跡を残す)
左甚五郎作の龍の彫刻。江戸時代古堂に使用した蛙股
萬松稲荷
山門 四脚門造りの総門。巴瓦に室町期の古瓦を見る。
(浜松市北区引佐町井伊谷)
もと境内西方に安置されていたが、今は旧永思堂前の谷間に安置されている。 奥浜名にはたくさんの石仏が点在している。これらは初山系石仏と呼ばれている。
今回はナビに助けられて周ったので、効率的に一日で五山を参詣することが出来ました。
合掌桜と本殿
五百羅漢 宝歴年中、三河の石匠親子二代により作られた。あちこちにらかんさんがたたずんでいます。
梵音堂跡
宝物館には、普賢十羅刹女像、金銅装笈の国指定重文や、宗偏愛用の茶道具などが収められている。庭園は室町時代の京都風の築庭で観賞と廻遊を兼ねた池泉である。江戸時代初期に茶租 山田宗偏が滞在中に茶風に庭池の組み手を加えたので宗偏好みの庭園として有名。
仏殿
少し離れた所に山門がある。平成16年に改修したので、全体に新しく綺麗で、新旧の木鼻が混在している。 木鼻とは、木端ともいわれ「木の端」を意味する。複数の縦柱を横に貫いている柱の端に付けられた彫刻。獅子鼻、獏鼻 象鼻などの装飾性が高いものになった。
天平5年(733)行基菩薩開創の八幡山地蔵寺に始まる。 井伊氏の菩提寺である。境内一万余坪は、御朱印地九十六万石の由緒を残し、そこに立つ堂塔六棟は、江戸時代の建造物として、県の有形文化財に指定されている。本堂の鴬張りの廊下は歩くと鶯の笹鳴きが聞こえる。
方丈
阿弥陀三石仏と金鳴石
龍文堂
報恩堂
大銀杏は樹齢250年で客殿焼失の際の残り木である。
宗偏の茶道具
(浜松市北区三ケ日町)
三ケ日みかん
本堂
山門
高野山真言宗の寺で、神亀3年行基菩薩開創。 その創め、引佐町奥山の山中にあって、真萱堂(まかやどう)と称し、平安初期本町字志の千頭峯(せんとうみね)に移された。
本堂は明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので、間口32m、奥行き27mの東海屈指の建物で、中央の大額「深奥山」は山岡鉄舟の書である。今回は本堂の改修が行なわれていて、みる事は出来なかった。
三重の塔 大正12年、故間宮英宗管長の発願で京都の山口氏の寄進により建立された。
勝海舟書
工匠岩五郎作 向拝の上り龍 下り龍
半僧坊真殿 鎮守半僧坊大権現を祀る。明治14年の大火直後に建てられた権現造りである。
七尊菩薩堂 七尊菩薩を合祀した鎮守堂で応永8年(1401)建立。間口90cm、奥行き150cmのこけら葺き流造で県下最古の建物
勅使門の中に開山堂が建っている。
内側からの勅使門
ダイモンジソウ
小堀遠州作の庭園は、江戸時代初期に造られた池泉観賞式庭園である。本堂北庭に築かている。中央に守護石、左右に二王石、正面に礼拝石(座禅石)が配置され、池の形は心字になっている。 今回は本堂改修のため、池の中まで鉄骨が組まれていたので、縁側に座って池を眺めるということは出来なかった。
元禄6年(1693)建立。七堂伽藍の一つで、境内に入る最初の門。木割の太い柱を用いて一間1戸四脚の門で、屋根は?葺き(こけらぶき)。正面の初山の扁額は隠元禅師の書で、裏面に元禄6年の刻がある。
山門
住職の起居堂として、正徳6年(1716)に建立された。中央仏間に独湛禅師の等身大の木像を祀る。 国指定重要文化財。扁額は禅師の書である。
水琴窟
蔵経所 仏殿の裏側から
猿猴杉
「鎮守龍文坊大権現」を祀る、祈祷と座禅のお堂
中国人の作といわれ、台石に初山宝林寺志略と浄土文が刻まれてる。 「支那金鳴石初山永宝」と掘り込まれ叩くと澄んだ音が鳴る。商売繁盛の(金がなる)石としておまいりが絶えないそうだ。
すべての恩に報いるため独湛禅師が建てたお堂。正面に禅師の等身大の木像を祀り、近藤家代々のお位牌や、禅師の両親のお位牌が安置されている。
摩訶耶寺
(浜松市北区三ケ日町摩訶耶)
千手観音(国指定重文)
藤原時代初期の作 子育て観音として信仰されている。
阿弥陀如来(県指定重文)
平安時代初期の作
大福寺
獅子鼻
象鼻