2020.12.12
藤枝・岡部ICから新東名に入り、中部横断自動車道を通り、中央道に入り、小淵沢ICで出る。すぐに右に曲がれば、道の駅があり、観光協会に行けたのに、左に曲がってしまい、富士見町まで行ってしまった。道を戻り、観光協会で道を聞いて、「小淵沢のモミ」に向かう。湧水モミと呼ばれる。すずらん湖と呼ばれる小さな池があり、その池をまくように遊歩道を歩いていくと、湧水のある広い谷に出る、そこに立っている。
樹高 30m
目通り幹囲 4.2m
樹齢 300年以上
すずらん池と水の里 (ここにはすずらん池を中心としたエリアと、モミの木と井詰湧水がある。すずらん池は周囲400mの温水のため池で、すずらんが群生していた。上流にあるモミの木の根元からは湧水が湧き出ており、井詰湧水と言われている。)
小淵沢のモミ 高野八幡神社の祖神のバラ 岩窪諏訪神社のツガ
ツガは松科ツガ属の常緑針葉樹である。直立する大木になり、樹皮は灰色がかった赤茶色で、亀甲状に剥がれる。モミの葉に似ているが、葉の先端が丸まる。球果は小柄で楕円形。長さ2.5㎝程で、枝先に下向きにぶら下がる。モミは山腹に生育するが、ツガは尾根筋によく生育する。
「文字道祖神」があることから「祖神のバラ」と呼ばれる。下の穴は女性の胎内と言われている。
平田家は武田信玄の家臣但馬守の末裔といわれ、当主は代々長左衛門を襲名した。井戸時代には松向村の名主を勤めた旧家だった。 建物は、1988年に国の重要文化財に指定され、平田家より、小淵沢町に寄贈された。1992年に、現在地に移築・復元された。 全体の約6割を土間が占める。部屋は上座敷、下座敷を客間とし、イドコ、ナンド、ウラベヤを日常生活に使っていた。
小淵沢町岩窪にある「岩窪諏訪神社のツガ」に向かう。小淵沢ICに向かい、久保交差点を左折する。畑仕事をしている婦人に道を聞く。向こうの森が神社だと教えてくれた。八ヶ岳から釜無川に向かってなだらかに下る傾斜地にあり、周囲には耕作地が広がっているが、神社境内には大きな岩がゴロゴロしている。
小淵沢町高野にある「八幡神社の祖神のバラ」に向かう。農道のような細い道が縦横に通っているので、なかなか行きつけない。焚火をしていた住人に道を聞いて、やっと行きつけた。公民館の奥の道を歩くと「高野の八幡神社」がある。
モミは松科モミ属の常緑針葉樹である。付近はモミの木の林が広がっていた。このモミは、小井詰神社が天仁2年、神社本殿創建の折、御神木として植えたものである。
拝殿の上のほうにツガの木が立っている。山梨県第二の幹周を有するツガの木である。
バラは鳥居をくぐると、拝殿の右に立っている。塀で遮られているので、裏に回る。
幹は相当傷んでいるが、上空に大枝を広げている。ハリギリがなぜ「バラ」と呼ばれているのか?ハリギリの若芽をバラと呼ぶ地方があるらしい。ハリギリはウコギ科の落葉高木で広葉樹。幹の樹皮に縦に入った裂け目がこの木を特徴づける。
岩窪諏訪神社のツガ
小淵沢町誌によると(巨石累々古樹鬱蒼としたこの地に、諏訪明神の分霊を遷し、石宮明神と称し、その後諏訪神社に改称した。仮宮だった石宮明神は、永享元年(1429)茅葺の拝殿を建立し、安永3年(1774)総彫刻鱗葺欄干付き本殿を建立し、神社の尊厳を整えた。昭和28年拝殿及び本殿覆い屋を改築した。)
樹高 27m
目通り幹囲 5.0m
樹齢 300年以上
市指定天然記念物
樹高 50m(実測 40m)
目通り幹囲 5.8m(実測 6.14m)
樹齢 300年以上
観光協会で聞いて行ったのに、場所が分からず右往左往して時間を無駄にした。終わってみれば三つとも狭い範囲にあったことになり、もっと調べていかないと地元の人も知らないということがあるので、油断はできない。今日の走行距離は328kmだった。
鳥居に脇には特大のフジが絡まるケヤキ(幹周 4.6m)が聳え、フジの大きさには驚いた。上のほうまで、欅の木に絡まっている。
裏側には「双体道祖神」が祀られている。
平田家でいただいた「北杜市の巨樹・巨木」のパンフレットで、だいたいの場所が分かった。
観光協会の人に教えてもらった通りに車を走らせるが、次に向かう神社が分からない。気を取り直して、通りがかりにあった平田家住宅を見学することにした。江戸時代の名主の家で国重要文化財に指定されている。