輪島にある「キリコ会館」で展示されているキリコを見学する。江戸時代から続く「能登のキリコ祭り」はキリコが主役となる。七尾市と志賀市以北の能登一円で約200の「キリコ祭り」が行われ、たくさんのキリコが担ぎ出される。大きなものは4階建てビルに相当する。高さ15m、重さ2トンあり、担がずに曳くものでは4トンに及ぶものもある。高さ4~6m、担ぎ手20人程度のものが主流である。地域独自の進化を遂げ、総輪島塗金箔彫刻を施したものや袖型の袖キリコ等大きさも華やかさも多種多様である。7月の「あばれ祭り」を皮切りに9月末まで29のキリコ祭りが能登のどこかで行われている。

2019.7.6~7

キリコ祭り 能登あばれ祭り2日間

2日目

ホテルから歩いて「輪島朝市」に出かける。まだ早いからか閑散としていて、人はまばらだった。海産物の店が多く出ていた。タコの干物、甘えびの干物、小豆、棚田の米などを買った。

輪島漆器工房」を見学する。きれいな作品が並んでいたが、実用的な箸を二ゼン買った。

能登あばれ祭りのツアーに参加した。羽田空港から能登里山空港に着いた。飛行機のマスコットキャラクターが出迎えてくれた。キリコの模型が飾られている。7月5日、6日は能登あばれ祭りが開催され今日は2日目である。

総持寺祖院を案内付きで見学する。約700年前1321年に創建された。明治31年の大火で境内は焼失し、本山は明治41年に鶴見市に移り、祖院となった。

輪島キリコ会館

松本清張歌碑

のと鉄道

ツアーに参加したため、祭りのすべてを見ることはできなかった。能登ではこれから9月にかけてどこかで「キリコ祭り」が行われていることになる。正月に帰省しなくても祭りには帰ってきて祭りに参加する人が多いという。勤め先でも祭りのための休暇は認められているそうです。勇壮な、またきれいな祭りでした。

キリコに先導されて神輿が登場し、暴れまくる。10時で帰ったが、祭りは26時ころまで続き、この後川や海に落としたり、火の中に入れたりして、八坂神社に奉納される。

正面には大漁や方策を願った縁起のいい言葉(吉祥文字)、背面には観音菩薩などの神仏や勇壮な武者絵が描かれる。

最大のキリコ

渚ハイウェイを走り、小松空港に着いた。18時35分の飛行機で羽田空港へ、京急、新幹線、東海道線を乗り継いて藤枝に無事戻ってきた。

能登中島駅から穴水駅まで「のと鉄道」に乗る。中島駅には郵便車が展示されている。昭和32年から46年までに72両が製造された。北海道から九州まで、郵便物を社内で仕分けしながら活躍していた車両。鉄道郵便が廃止になり、昭和61年に全車両が引退した。現在ではこの車両を含め2両が保存されている。

鷹の巣岩

巌門

宇出津会場」に移動し、いよいよ「あばれ神輿見物」が午後9時に始まる。宇出津八幡神社の祭礼で、能登のキリコ祭りの先陣を切って行われる。1日目は約40基のキリコが火の粉を浴びて進む。今日は2日目で、神輿も登場する。

8月15,16日に行われる「輪島大祭」の大松明が飾られている。輪島大祭で燃やされる松明神事の御柱である。

350年前に、悪病が流行したために、京都の祇園社から牛頭天王を招請して盛大な祭礼を始めたところ、精霊化した青蜂が悪疫病者をすくった。喜んだ地元の人は、キリコを担いで八坂神社へ詣でたのが始まり。高さ7mの43基のキリコが大松明の火の粉の中を乱舞し、2基の神輿を川や海、火の中に投げ込んで暴れる勇壮な祭りである。時間の関係ですべて見ることはできなかった。

経蔵 加賀藩主吉徳公より寄進された。寬保3年(1743)に建立された。経典を納めた輪蔵があり、経典が納められている。今でも動き、一回回すと全ての経典を読んだことになる。

海岸沿いをバスで走り珠洲市に入る。古民家レストラン典座(てんぞ)で夕食をとる。庄屋さんだった古民家をそのまま利用している。季節の野菜を中心とした「ヨバレ御膳」の料理が並ぶ。 床の間にはお祭りの日に掛ける八福神の掛け軸が飾られている。日本に来るときは八人だったが一人船を降りることができなかったとか。モズクのお汁が美味しかった。

ドラマ「まれ」で有名になった「えがらまんじゅう」を買い、食べながら歩く。餅粉で作った饅頭にこし餡を包み、クチナシで染めたもち米をまぶし蒸しあげたもの。栗のイガに似ていることからこの名前が付いた。

總持寺祖院

仏殿 大正元年に再建。間口120m、奥行き16.3mの大きなもので正面に釈迦牟尼如来、右に大権修理菩薩、左に達磨大師を配している。相見の間の襖の書は山岡鉄舟の作である。

巌門 羽咋市志賀町にある巌門は能登金剛を代表する。海に突き出た岩盤にある浸食によりぽっかりとあいた洞門は幅6m、高さ15m、奥行き60mもある。遊覧船が出ているが時間がなくて乗ることはできなかった。

またこの街には「能登演劇堂」があり、仲代達矢の無名塾の公演が行われている。

松本清張「ゼロの焦点」の舞台となった断崖絶壁

山門 総檜造りで、高さ17,4m、間口20m、奥行き14.4m、昭和7年に完成し,楼上に観音、五百羅漢の古仏を祀っている。正面の畳1枚もある「諸嶽山」の扁額は前田年為公の筆による。

堂(大祖堂総檜造りの大伽藍で正面に開祖宝山禅師、左右に道元禅師、二祖峨山禅師を祀り、左殿に本山守護神、三宝大荒神と總持寺の前身・諸嶽寺住職定賢律師を祀っている。欄間には宝山禅師の誕生から諸国行脚の一代記が彫刻されている。

伝燈院 開祖宝山禅師の御霊を祀る。元禄6年(1693)再建されたものの、2度の火災で一部は焼失したが、殆ど原型をとどめ、朝夕に厳かに僧侶の奉仕が為されている貴重な建物である。