花背の秘寺「峰定寺」特別公開と南山城と当尾の石仏

その後、京都府相楽郡精華町祝園にある、「常念寺」に向かう。重要文化財の「菩薩形立像」を拝観した。案内によると、(一本彫りで、高さは台座共2,03m、製作年代は810~869年で、作者は春日仏師と伝えられている。室町・南北朝の頃に再三の戦乱にあい、戦火を逃れるため当地に移したと思われる。寺宝調書によると、当寺北方500mの若の森祝園「ほうその」神社奥の院極楽寺境内の小さな堂を仮堂と定め安置した。明治11年、その極楽寺も廃寺になったため、当寺に合併したことが記録されている。) お上人さんの話によると、この辺りは、付近を流れる木津川が大変な暴れ川で、江戸時代には、35回も洪水の被害が記録されていて、寺を残して付近の住民は皆高台に引っ越したそうです。

H.26.05.21~22

常照皇寺

東京発のツアーに京都駅で合流し、バスに乗り、昼食場所の「江戸川」に着いた。店の前にある説明によると、江戸川は、明治初期建造の呉服商家で、繊維を商う商家独特の糸や格子が趣き深い旧家である。と書かれていた。薄味の京料理をおいしくいただいた。

木津川市内東南部の加茂町当尾(とおの)地区は、南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が隠遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられている。草庵が寺院になり、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、何時しか「当尾」と呼ばれるようになった。浄瑠璃寺までの間を歩きました。

本堂には、普賢菩薩騎象像が厨子に入って安置されているが、像は京都国立博博物館に出展されていて留守だった。厨子の後壁は、法花曼荼羅を描いた南北朝時代のものであるが、像がないため、よく見ることができた。

十六羅漢図

711年、聖武天皇の勅願で、行基によって創られ、当時は弓削寺と呼ばれていた。その後、1579年、明智光秀が周山城を築いた時、寺を壊して城の用材としたため廃絶した。現在の建物は、江戸時代になって再興されたもの。収蔵庫には、重要文化財・藤原時代の木造薬師如坐像持国天立像増長天立像が安置されている。

福徳寺

収蔵庫には、本尊・千手観音坐像、脇侍の不動明王二童子像、毘沙門天像、金剛力士像が収められている。

本堂は、1350年頃建立された。寄棟造り、杮葺き。京都の清水寺と同様、断崖に迫り出した舞台造り(懸造)の仏堂。舞台造建築としては日本最古のものと言われる。建物は、時代の違う3層からなり、本尊は、千手観音であるが、下の収蔵庫に収められている。

仁王門

山の上にある本堂まで400段の石段を歩くのであるが、カメラなど世俗のものは持ち込み禁止で、お寺で、小さな袋を貸してもらいその中に、財布などを入れ杖をもって、石段を登る。先頭はほら貝を吹くお上人さんで、「六根清浄」と唱えながら歩く。

クリンソウ

峰定寺

鞍馬寺

貴船神社

浄瑠璃寺の寺名は、薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。本堂に九体の阿弥陀如来像を安置することから「九体寺」ともいわれる。池を中心とした浄土式庭園、平安末期の本堂と三重塔が残る。平安末期を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。

岩船寺

岩船寺は、木津川市賀茂郡岩船上ノ門にある。奈良県境付近の小田原の東側に位置する古刹。天平元年、聖武天皇の勅願によって開基したと伝え、平安時代の本尊、阿弥陀如来坐像普賢菩薩坐像、鎌倉時代の十三重石塔や五輪塔、室町時代の三重塔(いずれも重要文化財)がある。アジサイ寺としても知られているが、まだ咲いていなかった。

大僧正弓削禅師御慰霊供養塔

この寺は、南北朝時代に北朝の天皇となった光厳上皇が出家した後、1352年にこの地を訪れて庵を結んだのに始まるとされる。重要文化財の「木造阿弥陀如来及び両脇侍像」天然記念物の九重桜が有名である。

三重塔は、1442年頃つくられたもので、中央に須弥壇を設けて、二本の来迎柱を配置する構造で、室町時代の特徴を示している。初層内部には、壁画が描かれているが、近年の修理の際、扉絵も含めて復元された。復元された扉絵が色鮮やかで、きれいだった。

常念寺

2日目

京都国立博物館夜間貸切拝観ということで、時間が迫っていて、円成寺の浄土式庭園も見ずに、バスで走ってきたのに、バスを止めるところが分からず、博物館が見えるのにバスの中で足止めされ、やっと館内に入ったのは、6時30分をまわっていた。おまけに、夜間特別拝観というのに、7時までということで、正味30分、館内を走り回った。
 「南山城の古寺巡礼」展を開催している。ポスターの仏像は、「禅定寺・十一面観音」で、今日訪れた「浄瑠璃寺・多聞天」や「岩船寺・普賢菩薩騎象像」なども展示されていた。

カスミ桜の愛称で親しまれているこの桜は、一重のヒガンシダレで、380年前に移植されたとの伝説を持っている。

扇之芝・1180年、源頼政は、高倉宮以人王を奉じて平家追悼の兵を挙げた。宇治川にて、平知盛の大軍に追撃され、傷ついた頼政は、軍扇を開き、「埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ悲しかりける」と辞世の一首を残し、この地で自刃した。 

ガイドさんの説明付で、「鳳翔館」を見学する。屋根の上にあった、本物の鳳凰、雲中供養菩薩像が26体、復元された9通りの来迎を描いた壁扉画などが展示されていた。

12世紀に開創された修験道系の山岳寺院である。京都盆地の北に位置する鞍馬山のさらに北方、花背峠を越えた先の山間地に位置する山寺である。大悲山中には、「鐘掛岩」「蟻の戸渡り」などの行場が点在し、古くから修行者の修行の場であった・。

貴船神社、鞍馬寺などを通り、山村交流センターで山菜の昼食をとる。

雲上供養菩薩のレプリカ

宇治市宇治蓮華にある、平等院鳳凰堂は、1053年に建立された阿弥陀堂である。鳳凰堂は建造物としては、中堂、北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟からなる。中堂は石積の基壇の上に建つ。中堂は、2階建てのように見えるが、一重裳階(もこし)付で、もこしとは、身舎(もや、建物の主要部)の周囲に仕掛けられた屋根の部分を指す。身舎は入母屋造、本瓦葺。棟上に一対の銅製鳳凰を置く。(保存の観点から、1968年以降はレプリカの鳳凰が置いてある。)

平等院鳳凰堂

後で聞いた話だが、博物館の石段で、転び、救急車で運ばれた方がいたということでした。、目の上を切ったそうで、翌日には元気な姿で、ツアーに参加していました。

重文・大日如来は、多宝塔の本尊である。1176年、運慶25歳の頃の第1作。桧材の寄木造りで、玉眼を嵌入し、漆箔仕上げとする。

国宝・春日堂、白山堂  1228年、奈良春日大社御造営の際に、当時の大社神主・藤原時定が、旧社殿を寄進した。全国でもっとも古い春日造社殿。表は、入母屋、裏は切妻、檜皮葺で、棟木、千木、堅魚木を乗せ、蟇股、懸魚、勾欄、斗栱などは、鎌倉初期社殿の特色を現している。

円成寺は、奈良市忍辱山町にある。忍辱とは、仏教の菩薩行六波羅蜜のひとつで、いかなる心身の苦悩をも耐え忍ぶという仏道修行の上の大切な徳目である。

木造阿弥陀如来坐像は、西安時代後期の作で、9体とも寄木造り。中尊は、像高224.5cm。左右に4体づつ安置される残りの8体は像高140cm。中尊は、来迎印、8体は定印を結ぶ。

本堂は、国宝で、1107年の建立。9体の阿弥陀像を横一列に安置するため、横に長いお堂である。
 三重塔は、1178年に京都の一条大宮から移建された。移築された後、初層内部に仏壇を置き、その上に薬師如来(重文・秘仏)が安置された。

あたご燈籠は、高さ約2mの細長い自然石を使用した灯籠です。愛宕神は、火の神様(ひぶせ)を司って、当尾では、お正月にここからおけら火を採り、雑煮を炊く習慣があった。

藪の中三尊摩崖仏・藪の中の岩に舟形の光背を彫りくぼめ、中央に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する珍しい配置の石仏です。作者は、橘安縄、当尾の石仏中最古の1262年彫刻とあります。

カラスの壺二尊(一つの岩に阿弥陀如来坐像を面を変えて、地蔵菩薩立像が彫られている。阿弥陀の横の線彫灯篭は火袋を彫りこみ、そこに燈明が供えられる珍しいものである。)、

(阿弥陀三尊像で、蓮台を捧げた観音、合唱した勢至の両菩薩を従え浄土への来迎を示すお姿の阿弥陀如来です。)三像とも微笑んでいるお姿で、「笑い仏」と呼ばれている。

(この石仏は、長い間土の中で休んでおられます。いつの間にか「眠り仏」という名がついた。)お顔だけ出して、眠っているようです。

五大明王像

ジャンボタクシーは、5時前に京都駅に着いた。また来るのも大変なので、京都国立博物館に行きたいというと、タクシーの運転手さんが皆を下したあと、博物館まで走ってくれた。
 閉館までの1時間ゆっくり見ることができました。私はこのポスターの「千手観音立像」(寿宝寺)が一番のお気に入りです。千手観音と言っても省略されて千本あるのはほとんどないのですが、この仏様は、忠実に千本あります。いろいろとハプニングがありましたが、楽しい旅でした。

紫式部墓所

京都市左京区花背原地町にある峰定寺にむかい、細い山道をくねくねと走る。今日は、大型バスではなく、ジャンボタクシー7台に分乗しました。

平等院 旧南門

修復中の尾廊

源三位頼政公の墓、宝篋印塔

木造四天王立像は、平安時代後期の作。当初の彩色文様がよく残っている。広目天は、東京国立博物館、多聞天は、京都国立博物館に寄託。持国天、増長天は本堂に安置されている。

カラスの壺(道が交差する分岐点で、カラスの壺と呼ばれている。)

岩風呂

京都国立博物館

円成寺

浄瑠璃寺

平等院鳳凰堂・早朝貸切特別拝観ということで、朝7時にホテルを出る。