H.28.1.24
9時30分、菊川の土手に出る。土手の下にある公園でトイレを済ませ歩き始める。晴天だが、山の方角は雪でも降っているのか、雲がかかっていた。菊川は、掛川市の粟が岳周辺から流れ出て、遠州灘に注ぐ。24の支流がある。
JR菊川駅~菊川街並み~菊川~小笠公民館~高松神社~芋切干~浜岡車庫~バスで菊川駅
路地をでて、水路に沿って歩くと11時3分、「小笠公民館」に着いた。そこでトイレ休憩をとる。公民館には東田原遺跡の大型建物の柱」が飾られていた。紀元前40年頃の弥生時代後期の高床式建物の堀立柱の根元の部分である。と書かれていた。
駅を出発して、菊川の整備された街並みを通る。外灯には「菊川中央商店街」と書かれ、茶摘み娘が「ようこそ 菊川へ」というエンブレムが下がっていた。まだ朝早いので、店は開いていなくて、人通りも無かった。
ひたすら歩き、14時50分に浜岡車庫に着いた。14時55分のバスに乗り、15時40分に菊川駅に着いた。ちょうど15時42分の電車があったので、それに乗れて、16時藤枝駅に着いた。藤枝では今日、雪がちらついたようです。強風だったが、24kmを完歩できて良かった。ひたすら歩くのが目的のクラブのようでした。
新加茂橋を渡り、川から離れて、歩いていく。10時30分に、大鹿池に出る。大きな池で、数人が釣りをしていた。池のほとりを歩くと、「水神宮」と刻まれた石碑が立っている。
どこを歩いているか分からないが、リーダーについて歩き、坂を上ると「菊川南稜高校」や広大な土地に太陽光発電のパネルが敷き詰められたところを過ぎ12時32分「静岡カントリー浜岡コース」の脇に出る。落ち葉を踏みしめて細い山道を行くと「石橋様」と書かれた立札があり、そばに小さな社があった。(以前奥沢川には小さな一枚板の橋が架かってた。この橋を関橋と呼び、橋の手前の土手に小さな祠が建っており、「関橋様」と呼んでいた。慶長の頃今川義元の遠縁の関口のいうものが、江戸への旅の途中、大水で当地まで馬と共に流された。この地に霊神を祀り、毎年の水の氾濫の鎮静を願った。御堂の中には「飛龍高仙霊神」と書かれたお札が祀ってある。昭和46年の浜岡ゴルフ場の開発に伴い、現在の地にお堂が建て替えられた。)と記されていた。
暫く牛淵川に沿って歩くと「左 塩の道」道標がある。角には「秋葉道・塩の道」の道標がある。角を曲がって入っていくと、「堤城跡」と書かれた標柱が立っている。細い路地を入っていくと「春日神社」がひっそりとあった。堤城は今川氏の家臣松井氏が遠江進出の一環として築いた城である。
日本中を寒波が襲った24日、静岡ウオーキングクラブのウオーキングに参加した。菊川駅に8時30分に集合し、受付、体操をして、8時50分に出発した。 参加人数は、クラブの方もいれて、21名だった。強風に中を出発する。
14時5分、「ニンジン芋切干」の生産直売に寄り、蒸かしたてのニンジン芋をいただき、土産に切干芋を買った。寒さで冷たくなった体に温かさが染みた。
ここでは、サツマイモを育て、収穫し、蒸かし、皮をむき、天日で干す。という作業をすべてしているそうです。
12時50分、急な坂を登っていくと、「高松神社」中腹に出た。ここで13時30分まで休憩し、中食をとった。上から遠州灘を眺めた。強風で白波が立っている。 (高松神社は、海抜60mの高松山に鎮座し、大宝元年(701)文武天皇の勅願により、紀州の熊野三社権現から勧請された。眼下に広がる遠州灘や社殿まで続く急峻な石段は、古くから「笠原荘一宮」として広く信仰を集めた。)