毛無山

H.21.5.3

連休初日の今日は、毛無山に出かけた。8時9分、登山口を出発する。 連休中ということもあり、3台しか置けない駐車場はもう2台の車がとまっていた。芽吹きの始まった山道をゆっくりと登っていく。

土間をあがると和室が7部屋ある。

10時56分、富士見台からの富士山。

中山金山遺跡の大名屋敷跡などを通って10時:21分地蔵峠のパノラマ台に着いた。本当の地蔵峠はここから麓側に10分ほど歩いた所にある 雲の上に少しだけ顔を出した富士山。

平成8年に山梨県指定有形文化財になった旧市川家は、下部温泉から、南部の湯に行く道に看板があり、気になっていたが、今日よって見た。 住んでいた方々は、隣に家を建ててそちらに住んでおられる。この民家は資料館として開放されていて、見学は無料である。近隣の小学生達の勉強の場にもなっているようだ。よく保存されていた。

仏間

2階の養蚕部屋を覗く。空間と茅により、一定した室温に保たれた蚕室。

大土間と富士川水運の帆掛け船

市川家は富士川の東岸の身延町和田平にある。代々大荘屋、交替名主を務めた家柄である。 古文書によると、享和2年に焼失したことが記録され、また同家の棟札に享和3年(1,803年)上棟の記録がある。

しばらく、山頂にいて、雨がぽつぽつしだしたので、山頂を後に下山した。

急登を登りきると、だらだらした道を歩く。ここは夏はマルバタケブキ、秋にはトリカブトなどが咲くが今はまだ何も無い。 11時50分、山頂に着いた。沢山の登山者で賑わっていた。霧が出てきて、富士山の姿をみることが出来なかった。

9時29分、山ノ神に着いた。

南側。かぶと造りはこのように側面(2階の妻)に採光、換気、排気などの目的で窓を作る屋根様式を表現する呼称です。

屋根はかぶと造り、萱葺き。市川家の場合は妻が小さい入母屋形式のかぶと造りであることが、建築年代を明らかにしている。

旧市川家(民族資料館)