フィレンツェでの唯一の心残りは前回行った時見て心に残っていたサン・マルコ修道院にある、フラ・アンジェリコの「受胎告知」が見られなかったことです。閉館がPM2時ということで行く時間が取れませんでした。  14世紀に建造されたドメニコ派の修道院で、15世紀にコジモ・デ・メディチの命で大改築された。ドメニコ派の修道僧、フラ・アンジェリコの壁画がたくさん残されている。「受胎告知」は一階から二階へ上がる階段正面で見ることが出来る。

絵葉書より

美味しいミラノ料理のレストラン

アーケード中央の床にあるトリノの雄牛のモザイク。雄牛のシンボルにかかとを付けて片足で一回転すると、願い事が叶うと言われ、私もやって見ました。皆がやるので穴があいています。

1836年、ミラノ公ジャン・ガレアッツオ・ヴイスコンティの命により着工され、完成までに500年かかったイタリアのゴシック建築を代表する大聖堂。ローマのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ規模を誇る。ステンドグラスや2245体の聖者像や135本の小尖塔に飾られた外装などです。  現在、ファサードは修復中。イタリアはいろいろな所で修復作業をしているが、ガイドさんに言わせるとまじめにやっているのかと思うほど遅々として進まず、もう何十年もかかっている所もあるそうです。

ミラノの紋章はヴィスコンティ家の紋章

黄色のペンキは公用車用
青のペンキは有料駐車場

会社で

フレスコ画ではなく、セッコといわれる、乾いて固くなった壁の上にテンペラ絵の具で描かれた。生卵を含む心象の下地塗りを用いたため、彼の在世中にすでにひび割れや剥落が生じて手直しをしなければならなかった。ナポレオンの革命軍はこの部屋を馬屋や倉庫代わりに使い、第二次世界大戦では建物が爆撃で吹き飛んだが、鉄材の支えと砂袋に守られ奇跡的に助かった。

金色に輝くマリア様 鍍金ブロンズ像

お店に飾られた大きなかぼちゃ イタリア人はかぼちゃは食べないそうです。そういえば、一回も出ませんでした。

「そこのティッシュをとって」と言う時も、「あなたのかわいい白い手で取って」と歯の浮くようなことを言うらしい。でもそれは普通で、おじさん同士が別れるときも「じゃあまた、いい男」 と言っているのを聞いたそうだ。そういうのが好きな人はイタリア人と結婚するといいが、そうでない人はわずらわしくなるかも。

ほめ上手

ナルシスト

サッカー

中央の尖塔は108mで、尖塔の上に4,16Mのマリア様(マドンアーニ)が。

連絡

駐車場は道に書かれた白ペンキの中なので、駐車スペースを捜すのが大変で、遅れると遠くに駐車しなければならない。遅刻しても悪びれず、昨日の出来事を話、サッカーの話で盛り上がり、コーヒーをレストランからとって、話に興じる。やっと仕事をするが、1時になると近くのレストランで昼食。最近は一皿目、二皿目と食べることはなくなったが。私たちが昼食をとっていると、ビジネスマンらしい人たちが4、5人ずつやってきて昼食をとる場面を何回も目撃した。  ある時、交通ストライキで社員が半分くらい出社しなかったが(そんなときでも日本人は何とかして出てくる。)仕事は済んでしまったので、他の半分は何のためにいるの?ということになったらしい。

埋められた濠には大砲の弾が残っている。

スフォルツェスコ城

ドゥオーモ ゴシック聖堂

7日目

フィレンツェ〜310KM〜ミラノ   

完成度の高い遠近法・ キリストの左目に釘の跡がありそこから四方に糸を張って描いた。
 型破りな構図・ 画面中央の人物が三角形におさまる「三角形の構図」 13人の人物を3人づつ4グループに分けて左右対称にした構図。
臨場感溢れる豊かな表情・ 「この中に私を裏切るものがいる」とキリストが予言した、まさにその時を、登場人物それぞれの一瞬をとらえた表情。

今回のハイライト、ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」

キノコのリゾット

エレベーターで上まで行きます。階段を登って行くと聖堂の屋根にでて、その上にまた尖塔が現れます。どうやって造ったんだろうと不思議です。

ミラノ風カツレツ(第3位)

夫婦、恋人同士、年中携帯で連絡を取り合う。「何しているの?」「何食べたの?」と他愛の無いことを一日に何回もする。バスの運転手さんにもかかって来て、「何している?」って、バスを運転しているに決まっているでしょう。ちゃんと運転してね。と切れていた。

15世紀、聖ドメニコに捧げ建立された教会で、ミラノ公ルドヴイコ・イル・モーロの命を受け、1494年〜1497年にかけて教会付属の旧ドメニコ派修道院の食堂に描かれた。約20年修復され、1999年5月に完了し、一般公開された。今は完全予約制で25人15分の観賞時間で入れ替わらせている。普通15分観ていると長いものだが、あっという間の15分だった。

1778年に立てられた世界で最も有名なオペラ座のひとつ。第二次世界大戦で爆撃を受けたが、残っていた設計図に忠実に再現された。名称はサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会跡地に建てられたことに由来する。私たちが大聖堂に上がっている時ここの見学に来た人が前にいるとダフ屋が「今日はオーケストラのリハーサルがある。切符を買わないか?」ともちかけてきたそうだ。

このアーケードの看板は黒地に金色と決められていて、マクドナルドも黒地に金色だった。  イタリア人は食に対して保守的でマックなどもずっと許可が下りなかったが最近少しずつ下りはじめているようです。

1867年に建設された、十字型アーケード、 ガッレリアのモザイク装飾

聖堂の奥に三面の大きなステンドグラスがある。

聖堂の内部

 二日目の夕食にバスで出かける時、ちょうどローマとレアル・マドリッドの試合に行く車で渋滞していた。イタリア人はサッカーが大好きで、球場で試合を見るときも立ち上がって、大きな声で野次を飛ばし、そんなに言わなくてもというくらいに相手を罵倒する。

最後の晩餐の余韻を残しミラノ「マルペンサ空港」に着いた。ここは、ルーマニア旅行のときストライキがあり、乗り継ぎ機に乗れずミラノに一泊した因縁の空港です。今回は定刻に離陸できて11時間55分のフライトで無事帰国できました。  添乗員さん、各地のガイドさん、ご一緒した皆様お世話になりました。またひとつ思い出を作ることが出来ました。どうもありがとうございました。

この城の地図を見て説明するガイドさん。博物館は予定に入っていなかったが、ロンダニーニのピエタが見たいということで、足早に博物館を見学した。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

私立博物館にあるミケランジェロの未完の大作「ロンダニーニのピエタ」がある。死の直前まで手がけていた作品。作り直した手が見える。

14世紀にミラノを支配したヴィスコンティ家の居城を、15世紀半ばにスフォルツァ家が改築したミラノ最大の歴史的建造物。

スカラ座

ローマのホテルで、モーニングコールが、1日目は鳴らず、2日目は添乗員がきつく頼んだので鳴ったが、3日目は30分も遅れて鳴った。また、タオルなどの備品は二人分あるのに、歯ブラシだけは一人分しかなく、イタリアだからと諦めて、自分の歯ブラシを出した。ルーマニアのように最初から歯ブラシは置いてないなら話は分かるが。なにかあっても、イタリアだから仕方が無いと諦め、ミラノの昼食のように、早く着いたのに、手際よく出てくると、感激してしまうという不思議な国でした。

イタリア人は、ナルシストが多い。というのも、子供を大変かわいがって育てる。かわいいね!!きれいだね!!あらゆるほめ言葉を浴びせて育てるらしい。誘拐が多いので、小学生は学校まで保護者の送り迎えが必要になる。男の人はマザコンが多く、離婚の原因にもなっているらしい。 スキーのトンバ選手が滑降をしない理由を聞かれて「だって、ママが危ないって言うから」と言ったそうだ。

 

添乗員さんが見たイタリア人