H.31.4.6~7
東海道線を乗り継ぎ、名鉄に乗り換えて9:22名鉄犬山駅に着いた。ホテルに荷物を預け、早速犬山の町に繰り出す。
今日は、神社の前に集まった車山は一台ずつ鳥居の前で祝詞を挙げてもらい、からくりを奉納する。昨日は立ったまま見物したので腰が痛くなったが、今日は鳥居の後ろの石段で座って見学する。高山祭りや古川祭りで山車を見ているが、13ものからくりを見たのは初めてです。 鳥居の前に回り、どんでんを見る。そばにいた人が「昔は漁師など力自慢の男体がいたので、180度回転した後、1000mくらい山車を持ち上げていったよ。」と言っていた。今は10mくらいで下ろしてしまう。 でも皆で山車を担ぐ様は勇壮でした。
犬山祭りはユネスコ無形文化遺産&国指定重要無形民俗文化財に指定されている。今回は第385回目の祭りである。犬山城の麓に鎮座する針綱神社の祭礼である。祭りの起源は1635年まで遡る。江戸中期までには今の犬山祭りの原型がほぼ出来上がっていた。犬山城築城後、町屋中心の城下町であったが、成瀬氏入城後は町屋を取り込むように武家屋敷が形成され、現在の町となった。全部で13輌の車山(犬山ではやまと呼んでいる。)と三つの練り物があり、町単位で管理、運営されている。現在は4月の第一土、日で開催されている。
土曜日は「試楽」で、各町内から針綱神社まで車山の引きまわしが始まっていた。
魚屋町・真先(まつさき)明治初年まで一番車山であったためこの名がつけられた。
乱杭渡り(日蓮上人星下りの図)日蓮人形が首を垂れると星が割れて天女が現れる。天女の唐子が浮島にある乱杭を渡り、梅の木にかかるギリに飛び移って遊ぶ「離れからくり」と呼ばれている。
お天気が心配だったが、今日もどうやら晴れそうです。各町内から針綱神社に向けて車山が出発する。13輌の車山が神社に集結する。
本町通りには、高札場跡、と札の辻跡がある。(本町通りは犬山城正面通りで、町を賑やかにする呉服屋や酒屋などを多く配置し、城下町の中心とした。上本町には高札場や問屋があり享保17年(1732)には同地に火の見櫓ができた。)
練屋町・国香欄(こっこうらん)
唯一上山の欄干が朱塗りになっている。からくりは能楽の石橋を元にしており、文殊人形は742年に作られたものを今も使用している。 文殊人形と唐子人形を楽とともに繰り始める。唐子人形が牡丹の花を手に踊る。ボタンを花代台に挿すと中から獅子が飛び出す。最後に文殊人形が軍配を片手に唐子をほめる。その表情が実に楽しい。
鍛冶屋町・壽老臺(じゅろうだい)
総白木造りで、漆、装飾金具をほとんど使用していない。石橋(しゃっきょう)楽に合わせて文殊人形が舞う。左手にある箱を正面に持ち出し割ると、中から唐子人形が飛び出す。文殊人形は獅子の面を冠って、牡丹の花に狂い戯れ、踊る.変身の妙が見どころ。
10:40から一台ずつ前に出てからくりを始める。
熊野町・住吉台 犬山祭りの車山は三層構造で大きいが、その中でも最大規模を誇る。高さ8.52m、横幅3.1m 梶棒の長さは6.1mとなっている。
住吉・白楽天 笛の合図で住吉人形と白楽天人形が舞いながら問答を始める。そのうち住吉人形は神橋に、白楽天人形はお社頭に変わる。その変身の速さが見どころ。
下本町・慶合子(おうごうし)屋根の上に梵天をつけていないのが特徴。大人形が小人形を肩車に乗せて、竹につかまらせて下がる。小人形が鉄棒を2回転する。大人形が小人形を方に乗せて戻る。大人形と小人形の合体や離れ業が見どころ。
中本町・西王母(せいおうぼ)からくり「綾渡り」を有する車山。離れからくりの一種で、魚屋町と双璧を成す竹田藤吉の傑作。大人形の西王母が、唐子に桃をとってくるように扇で指図すると、唐子は桃木の枝から枝へ渡り、最後にギりにつかまって降りると、「瑶台」の額が上がってくる。
寺内町・老松(ろうまつ)
淡路嶋 古事記の神話によるイザナギ、イザナミの物語。巫女が舞い始め、神から託宣を受けて鳥居に変身。それを見て神人は三回転して社殿に変わる。そしてまた元の巫女と神人の姿に戻る。
余坂・宝袋(ほうてい)純白木造りで、彫物も白木でできている。中山に人形を乗せている。これは「摩振り人形」と言われるもので、「余坂のベロ出し」と呼ばれ、異様な面相で真っ赤な長い舌を出し入れする。
二福神 大黒人形が宝袋を前に左右に動く。正面を向いた大黒が早笛とともに槌振り下す。日達の割れた宝袋より小舟に乗った恵比寿が舞い上がり、扇を大きくあおぐ。
名栗町・縫英 上山の欄干は朱塗りであり、中山の欄干は白木という点が特徴。車山の名前は縫物が優れているという意味。
菅原伝授手習鑑 時平人形は正面奥に座り、頭と手を動かして前面にすえてある梅鉢の切り花を散らす。管相人形は右手に持った軍配を投げ捨て梅鉢の枝を折り取って指し上げると、残った花が開花する。童子が喜び梅鉢を抱き上げ舞う。
外町・梅梢戯(ばいしょうぎ)1827年に「梅渡り」のからくりが三代目玉屋庄兵衛に発注され現在の唐子人形のからくりが誕生した。
梅梢戯 中唐子は梅の木のそばで遊ぶ。小唐子は台に乗り、梅の木の中段に左手魚を置いて逆立ちし、枝に掛けてある太鼓を首を振りながら叩く。小唐子の逆立ちの妙技が見どころ。
2日目
時間があったので、どんでん館、城と町ミュージアム、からくり展示館に入る。からくりの仕掛けをビデオで見てなるほどと思った。一体の人形を何人もの人で操る。車山では中に人が入って操っている。
高木邸は昭和10年頃まで酒造業を営んでいた、大正初期の建築。1階の格子は木太く、無双窓。木造2階建て、切妻、平入、桟瓦葺。
本町を駅方面に曲がる角で(どんでん)が行われる。てこ(曳き手)達が力を合わせて一気に車山の方向転換をする。そのあと車山を担いでしばらく進む。
からくり展示館では「玉屋庄兵衛工房」が再現されていた。
針綱神社の前には13輌の車山が勢ぞろいしている。
派手な衣装のふたり。
山車とともに駅前まで行き、ホテルで荷物を受け取って、駅に向かった。帰りは新幹線で家に帰った。
本町・感英(かんえい)13両中最も豪華と言われる車山で、中山の欄干は紫檀で作られている。唐子遊び・人形三体のうち一体は蓮台の上に片手で逆立ちをし(鯱)右手にて小太鼓を打ちながら首を振る。
新町・浦島 犬山祭りで唯一の船形車山である。船首に鶏の首が刻まれていることから「鶏車山」とも呼ばれる。 浦島がかめに乗って貝のところへ進む。貝は割れて姫人形が出る。玉手箱を渡して貝の中に姿を隠す。太郎は玉手箱を開けると煙が出て翁に変身する。面冠りの早業が見どころ。
3時過ぎにからくり披露が終わり、からくりが終わった車山から順次駅に向かって車山を動かす。7輌の山車はその場にとどまって、365個の提灯をつけて点灯を待つ。一旦ホテルに帰って休み、6時過ぎに神社に向かう。6時30分に夜車山が始まる。365個の提灯に灯がともり、ろうそくの炎がゆらめく絢爛さである。
山車の下には4人から6人の手子が入り、山車を押している。普通は綱がついていて人が引っ張るのだが、ここのは独特である。
旧米清邸、小川家は江戸時代末期の豪商。犬山城下の米を専売していたことから米清の屋号を掲げた。明治期には繊維業を生業とし、納屋で繭を乾燥していた。明治期中期に建てられた豪商町屋建築遺構として、国登録有形文化財に指定されている。
枝町・遊漁神(ゆうぎょしん)恵比寿人形が荒磯の岩上のに腰を下ろし、鯛釣りに興じている。唐子人形は餌を撒いて魚を追い寄せる。やがて見事な鯛を釣り上げる。唐子が鯛を抱えて喜ぶ。
子供連の金襦袢の衣装
「犬山祭りは二度より三度・・・」と言われるふるい言い伝えがある。一度だけでは味わいきれない多くの見どころを有している。第一に13台の山車が全て「からくり」を設けていること。第二に夜山車(よやま)のお練りがあること。365個の提灯に火が入り、桜並木に練りだすのはまさに絵巻のようです。第三に「どんでん 車切」曳山の巡幸には手子の力自慢の技を見ることができる。今回は見ることができなかったが、練り物「小母衣」や以前は山車を持っていた町内(鵜飼町)が山車に代わって大母衣武者5人の練り物となり、1998年に岐阜県加子母村の協力により復元されたという大母衣のお練りなどを見たいです。
名鉄犬山駅から本町交差点まで出て、右折し本町通りを歩く。ここには町屋が残っている。