最後塚のエドヒガン

桜丸御殿址のヒガザクラ

古川家の桜

久米八幡社の枝垂れ桜

飯田市

田市座光寺にある最後塚のエドヒガンに向かう。座光寺の麻績の石塚桜、舞台桜を抜けて、最後塚にたどり着い。円墳の最後塚古墳は、武田氏と知久氏が戦った時、戦死した人人々を葬った塚であったと言われている。円墳の上に二本のエドヒガンが立つ。樹齢は300年。

2024.4.5~6

飯田市上郷飯沼にある飯沼諏訪神社に向かう。最初ナビで、神社の石段の上にある神社の境内に着いた。石段は300段ほどあり、見下ろすと恐ろしい。下に道があるようなので、ぐるっと回って下の道に出た。石段の両側に30本あまりの桜が植栽されている。エドヒガン、シダレザクラ、ソメイヨシノ等が混じり独特の桜模様を見せている。平成21年に「飯沼桜保存会」が発足し、「飯沼石段桜」と命名された。樹齢は120年~150年位である。

さらに奥に道を進む。農作業の方に桜を聞くと、その先の道を右に行くとあると教えてくれた。畑の真ん中にシダレザクラが立っている。周囲はそば畑だそうだ。幹周は2.5m、高さ8mほど。

下伊那郡下條村陽皐に向かう。国道151号吉岡城南大橋から良く見えるというが桜ばかりで分からない。151号を右折し、婦人に聞いた。細い道を上がっていくと山の斜面にエドヒガンが立つ。根元にある墓を守るように立っている。墓の所有者の屋号を取って「手塚原家の桜」と呼ばれている。

三石のしだれ桜

飯田市下久堅知久平三石に向かう。天竜川に架かる国道256号水神橋東詰の南方250mのところに日吉神社がある。三石の地名のもとになった三石が境内にある。大きな石が3部分に割れたもので、後の岩の間に石仏が祀られている。

3日目

美術館前の坂を下りていくと、左手の高台に桜丸御殿址があり、桜の木が2本聳えている。桜丸は飯田城主・脇坂氏初代が二代目を養子に向かえるために御殿を建てた曲輪で、庭園には多くの桜が植栽され、桜丸と呼ばれた。
 中央の桜は2本の桜(ヒガンサクラとシダレザクラ)が根元で合体している。夫婦ザクラと呼ばれている。

飯田市追手町にある飯田市美術博物館に向かう。美術館まえに「長姫の江戸彼」があり、以前訪れたことがある。樹齢450年以上、樹高20m、目通り幹囲6.4mの有名な木である。

飯田市江戸町3丁目にある黄梅院に向かう。柳通りと県道22号に挟まれた所に、東から黄梅院、正永寺、専照寺と並んでいる。シダレザクラの古木が1本づつ立っているが、黄梅院の桜が最も大きく、元気が良い。大きく枝を広げ、見事な花の冠を支えている。

大雄寺

八高諏訪神社の殿様三本桜

樹高 1.5m
目通り幹囲 5m
樹齢 推定350年以上

松尾小学校のエドヒガン

飯田市松尾城にある松尾小学校に向かう。明治5年に開校された140年の歴史のある小学校である。校門近くにあるエドヒガンは南校舎完成記念に明治44年に植えられた。樹齢100年。雨が降り、暗くて
桜の花が良く見えなかった。

旧・小笠原書院の紅彼岸

小松原の桜

松現寺から西へ400m程の民家のそばに樹高20mを越えるエドヒガンの大木が立っている。なかなか見つからず、棚田がヒントになって細い道を下りていって見つけた。幹は4分岐して見ごたえのある桜だった。

法現坂の枝垂桜

経蔵寺の桜

専照寺のシダレザクラ

樹齢 300年
目通り幹囲 3.5~4m
樹齢 300年

飯田市久米にある光明寺に向かう。久米の山間部の高台に光明寺がある。白壁の外側法面に、しだれ桜が立っている。中に入ると、幹は壁にくっつき、苔むし、空洞があった。

飯田市大瀬木にある光治稲荷神社に向かう。個人の敷地内に立つ稲荷神社は明治10年に風越山の山中から移されたという。境内には3本のしだれ桜があるが、まだ蕾で咲いていなかった。

増泉寺の天蓋桜

光明寺の枝垂れ桜

長野県飯田市大瀬木にある増泉寺に向かう。境内にあるシダレザクラは正面から見ると、花笠が境内全体を覆うように見えることから「天蓋桜」と名付けられた。山門の先、前庭の立っている。良寛和尚ゆかりの寺で「散る桜 残る桜も 散る桜」の句碑があった。

鎮西家の清浜桜

龍巌寺の入り口に鎮西家がある。この家は源為朝の流れをくむ家柄と伝えられ、、京から持ち帰った清浜桜の1本がある。現在のサクラは2代目である。家の方に声をかけ裏庭に入らせていただいた。桜の根元にカエデの木が絡みついて、「春は桜、秋は紅葉」とご主人が言う。カタクリ、、いわかがみが咲いていた。

下伊那郡下條村陽皐にある龍巌寺に向かう。国道151号ひさわ交差点手前を右折する。下條氏の菩提寺で伊那地方の名刹。裏山のサクラは、この地の鎮西清浜が官位を授かりに京へ上った下り、苗3本を持ち帰り、植えたとされる。樹齢300年の江戸彼岸清浜桜と呼ばれる。

樹高 11m
目通り幹囲 4.2m
樹齢 推定400年
飯田市指定天然記念物

樹高 20m
目通り幹囲 4m
樹齢 350年

知久平城後梶曲輪の桜

飯田市下久堅知久平に向かう。下久堅小学校の玄関前に咲くエドヒガンは、樹齢約700年と推定され県の天然記念物に指定された。この地を治めた知久氏が鎌倉時代中期に植えたと言われている。知久平城址の梶曲輪に位置することから「梶曲輪の桜」と命名された。傷みが激しく、根元は養生にくるまれ、若い枝も伸びている様である。

川手家から坂を下って戻ると、道路脇の小高い丘の上に背の高い枝垂桜が立つ。後藤家氏神様が祀ってある小屋や墓地がある。

飯田市上郷別府にある経蔵寺に向かう。境内にエドヒガンの古木が3本立つ。最大の個体は山門の横にあるエドヒガン、他の2本はシダレザクラである。山門は、初め飯田城の桜丸の門として築造された。宝暦年間に現在の赤門に付け替えられた際に、家老の家に移築され、その後二転三転して今ここにあるという。

博物館の裏側にも樹齢200年のエドヒガンの巨木があるが、訪れる人はよほどの桜マニアと言われている。庭の斜面に立っているため、根元が見えない。

大雄寺の前に風越公園があり、かってこの地に飯田風越高等学校があった。このシダレ桜の古木は、その前身である下伊那高等女学校の校舎が、明治35年に竣工した時に植栽された物かもしれないそうです。2017年撮影の写真では手前にもう1本枝があるが、無くなって寂しくなっている。

飯田市松尾水木にある「水佐代(みさしろ)獅子塚」に向かう。大きなコブと空洞を持って古墳上に立つ老桜は淡い紅色を咲かせるエドヒガンである。桜は前方向円墳の前方部に立っている。後方には石碑群が立つが、雨に降られ、早々に立ち去った。市内で最も早く咲くエドヒガンである。案内には、「オタチュウ桜」と書かれている。「お立符」で、古墳上には疫病退散を願い津島神社の御神符が祀られ、柱の上の鞘にお符だが納められていたことから「お立符」と言われ、オタチュ~と呼ばれてきた。

寺の枝垂桜

下伊那郡下條村睦沢にある松現寺に向かう。国道151号沿いの道の駅「信濃路下條」から飯田よりに650mほどを左に入ると松現寺がある。狭い境内中央にエドヒガンが立っている。樹齢100年ほど。

久堅神社の枝垂桜

松源寺の桜

樹高  20m
目通り幹囲 3.0m
樹齢 200年

前沢家墓地のシダレ桜

飯田市上久堅にある玉川寺に向かう。国道256号秋葉街道の上久支所前を左に折れ600m程、川の向こうにある。山門脇にかなり古い枝垂桜が立っている。まだ5分咲きほどだった。境内には是より古い古木があるが、新しい枝に花がついている。

飯田市羽場権現にある本山白山神社に向かう。ナビで神社の裏手に出てしまい、本殿から石段が下に続いている。総代さんに会い、桜は下から行った方が分かりやすいと教えていただいて、正面にまわる。左手の参道を案内され、しばらく行くと、左手の斜面にエドヒガンが立っている。

樹高 9m
目通り幹囲 3.7m
樹齢 推定400年

飯田市上郷飯沼にある雲彩寺に向かう。国道153号線、高屋交差点の西、50mほどのところにあるが、たどり着くのが難しかった。境内に樹齢150年のしだれ桜がある。また、飯沼天神塚古墳は、前方後円墳で、円部の上は墓地になっている。ぐるっと回ってみると、石室の入り口があった。

樹高 17m
目通り幹囲 3.3m
樹齢 200年

飯田市東栄町にある加賀沢のエドヒガンに向かう。加賀沢橋交差点と書くの石垣の上に加賀沢白山大神があり、その境内にエドヒガンの木がある。

県天然記念物のイスノキ

樹高 15m
目通り幹囲 3.5m
樹齢 200年

天下の糸平邸跡

樹高 16m
目通り幹囲 5.1m
樹齢 推定400年
飯田市指定天然記念物

普門院址の糸桜

飯田市仲町にある普門院址に向かう。飯田藩主、堀氏の祈願所・普門院があり、ここに初代糸桜(シダレザクラ)があったが、明治41年の暴風雨で倒壊してしまった。その実生から二代目が育ち、現在の桜は三代目。道路を挟んで普門院天満宮が残されている。

飯田創造館の枝垂桜

善勝寺のしだれ桜

飯田市鼎下山にある八(矢)高諏訪神社に向かう。矢高中央公園から境内を通って、神社の石段まで行くと、石段の両脇に三本の江戸彼岸の桜が立つ。出世殿として知られる第12代堀親(ちかしげ)公が立派にできた石段を見て、「桜の木を植えよ。」と金一封をあたえた。

2日目

樹高 12m
目通り幹囲 3m
樹齢 300年

飯田市伊豆木(久留輪)にある小笠原書院に向かう。久留輪集落の北側高台に国指定重要文化財「旧・小笠原書院」がある。小笠原氏の住宅で、明治初年に取り壊されたが、懸造りの書院のみが残され、た。この書院は昭和45年に解体修理された際に、寛永初年(1624)頃に建立したことが分かった。書院の横に色の濃いエドヒガンが立つ。立て札には「紅彼岸」と書かれている。

近くの八幡社枝垂れ桜が立っている。神社への急な参道を登り切ったところにある。曇り空で、背の高い桜の花が良く見えなかった。

飯田市久米にある久米寺の枝垂れ桜に向かう。手前にある土壁の煙草葉の乾燥倉庫を目印に探したが、倉庫は取り壊されていた。高台に「久米寺記念堂」があり、その斜面に桜が立つ。満開だった。

光治稲荷神社のしだれ桜

柏原のシダレザクラ

飯田市伝馬町2丁目にある専照寺に向かう。JR飯田線桜町駅の南400mの市街地に専照寺がある。本堂の手前にシダレザクラの巨木がある。樹下の石仏はお釈迦様である。シダレ桜は天蓋のようにも光輪の用にも見える。幹はかなり傷んでいて、修復されている。

樹高 10m
目通り幹囲 4.5m
樹齢 推定400年

龍嶽寺の清浜桜

手塚原家のエドヒガン

飯田市上久堅にある久堅神社に向う。鳥居の後に立つ枝垂桜は花色がきれいな桜である。境内では、地区の方が集会を開いていた。

川手家の枝垂桜

飯田市上久堅に向かう。川手家はこの地方の旧家。苔むした五輪塔が並ぶ墓地に枝垂桜がある。まだ蕾で咲いていなかった。すぐ近くにコブシがあり、背の高さを競っている。

飯沼石段桜

高松薬師堂のシダレザクラ

樹高 不明
目通り幹囲 3.6m
樹齢 推定250年

美術博物館のエドヒガン

黄梅院の紅しだれ桜

飯田市伝馬町2丁目にある勝寺に向かう。境内は幼稚園になっている。しだれ桜は昭和22年の飯田大火後に植えられた。寺の前は「大宮通りの桜並木」になっている。ここから大宮諏訪神社までの約700mの間に、約150本の桜並木が続く。昭和22年の「飯田の大火」の後に中央分離帯に防災帯を兼ねて復興された通りである。

樹高 15m
目通り幹囲 3.5m
樹齢 350年

国道256号の上久堅・下平から県道63に入り、原平集落センターを右に入ると、80mほどの左高台に覆いかぶさるように咲くシダレザクラが立つ。満開だった。江戸彼岸枝垂桜である。

飯田市丸山町にあ阿弥陀寺に向かう。門前のシダレ桜は、飯田城主・脇坂安政公お手植えと言われる。説明版によると「花色は、つぼみから開花当初は深紅色で、最盛期には淡紅色になる。」満開の時期に来られてよかった。境内には千体仏観音堂がある。

飯田市上郷黒田にある高松薬師堂に向かう。サクラは正命寺境内に立つ。安楽寺、善勝寺となり、飯田城下に移ったが、薬師堂のみ残され正命寺となった。濃い目の花を持ち、枝先は大きく下垂し、地面に届きそうである。

飯田市大王路にある大雄寺に向かう。途中生糸で財を成した「田中糸平」の碑がある。境内には5本のしだれ桜があり、今は満開で壮観である。犬の散歩の方が「桜の穴場だ。」と言っていた。

入野のシダレザクラ

境内の古木

飯田市桐林にある前沢家墓地に向かう。竜岡小学校の南斜面に石段があり、そこを上ると桜が見えた。小学校の裏手に当たる。樹齢は250~300年ともいわれるが、いつ植えられたか、家人もしらないということである。

目通り幹囲 5.0m
樹齢 350年

樹高 18m
目通り幹囲 4.0m
樹齢 300年

玉川寺の枝垂桜

元山白山神社の江戸彼岸

阿弥陀寺のシダレザクラ

雲彩寺のしだれ桜

樹高 122m
目通り幹囲 8.2m
樹齢 推定400年

加賀沢のエドヒガン

飯田市伊豆木にある古川家に向かう。三穂小学校の近くにある古川商店のエドヒガンは樹齢300年で、赤みがかった花を咲かせる。手前には「結婚記念に植えた枝垂桜」があり、樹齢50年で、金婚式を迎えたそうだ。

水佐代獅子塚のエドヒガン

惣教寺から少し戻る十字路脇に枝垂桜がある。杉林の前面に立ち、枝を大きく伸ばしている。足元に、秋葉神社の石碑が立つ。幹が大きく割れ、空洞ができていた。
 樹齢は200年。

田市中村にある惣教寺に向かう。県道491号を150mほど入ったところ。なまこ壁の山門を入ると、右側に枝垂桜がある。高台に朱塗りの鳥居があり、祠が祀られている。

中村秋葉様の枝垂桜

久米寺の枝垂れ桜

樹高 不明
目通り幹囲 3m
樹齢 推定300年

樹高 不明
目通り幹囲 3.5m
樹齢 300年