高森町大島山にある瑠璃寺に向かう。
瑠璃寺の枝垂れ桜
2021.4.2~3
島田金谷ICから新東名に入り、東海環状道を走り、中央道と走って、飯田ICから出る。高森町下市場にある「松源寺」に向かう。
松源寺の桜
大洲七椙神社
校庭を囲んで樹齢60年を超えるソメイヨシノの大木が約60本植えられている。「日本一の学校桜」として名高い。どの木も大木で、満開の桜のトンネルができていた。
高森町下市田流田に向かう。JR飯田線下市田駅の東、旧家の庭に立つというヒイラギを探す。軽トラが通ったので、聞くと、その家の方だった。その方がお嫁に来た時は立派な木だったが、今は小さくなってしまった。ということだった。 案内板によると(所有者の祖は但馬國豊岡城主細川清成の後裔といい、2代目清家は応仁の乱の後、信濃国で浪人、下條の陣で松岡氏に加勢し、客分として迎えられた。3代目清俊は市田郷に居を構え、所有地の境界木として3ヶ所にヒイラギを植えた。) 支幹の1本が途中で折れているが、周りの土部分に竹筒を挿して、養生している。
樹高22mのエドヒガンで、目通り幹囲は5.5m、樹齢は不明。立ち上がってすぐに2幹に分かれ、ひとつの大きな樹冠をつくっていたが、2013年の台風で、西側の1本が途中から折れてしまった。
高森南小学校の桜
桜堂の桜
シダレサクラは瑠璃寺の本坊から少し離れた道路わきに立っている。
道を隔てた向かい側に「萩山神社」があり、神社の境内にも江戸彼岸桜が何本も咲いていた。
新田原の桜
登山者駐車場まで戻り、陣馬形山(1445m)登山道を走る。歩く山道もあるが、山頂近くまで車で行ける。3㎞ほど走ると「ブナの木入り口」の看板がある。夫は登山靴にはき替え、私は軽登山靴だったので、落ち葉でふかふかの山道に入る。ツズラ折れの山道を100m程上るとブナの木が現れる。
丸尾のブナ
樹高 7m
目通り幹囲 5.1m
樹齢 推定560年
県指定天然記念物
中川村望岳荘の「いろりなかがわ亭」で蕎麦を食べ、西丸尾の桜と丸尾のブナへの道を教えてもらう。
陣馬形山の登山者用駐車場まで行き、左の道に入る。陣馬形山麓の個人宅敷地にある一本桜で、小池邸にあることから「小池の桜」とも呼ばれている。下の道路沿いに車を止めて、坂道を上ると、小池邸に入る手前の斜面に桜が立っている。今は住んでいないようで、桜の周りは荒れていて、後ろに回り込むことはできなかった。
エドヒガン
樹高 22m
目通り幹囲 6.45m
樹齢 800年
上伊那郡中川村片桐にある中西のサクラに向かう。行き過ぎて、片桐西小学校近くの民家で道を聞く。親切な老婦人が丁寧に教えてくれた。近くに車を止めて、狭い坂道を下がっていくと、桜が聳えている。
松川町元大島にある原田の桜に向かう。道を行き過ぎて、野菜を売っている店で聞いて、探しながら戻ると、左手の奥に桜があった。
二の杉
三の杉
四の杉
六の杉
五の杉
樹高 20m
目通り幹囲 4.5m
樹冷 推定400年以上
松川町指定天然記念物
「地主桜縁起」碑によると、建久8年、瑠璃寺は源頼朝から幕府の祈願寺とされ、750石の寺領と3株の「地主桜」の苗が寄進された。そのうちの1株が枝垂れ桜だという。伝承樹齢800年を超える桜は、見事に咲いていた。
名産・市田柿の木が植えられている。
円満坊のコヒガンザクラ
松川町生田に向かう。天竜川左岸、河岸の福沢集落から、標高で100m以上も高低差がある段丘上面の部奈(べな)に向かう道をも上ると円満坊がある。軽トラのおじさんに道を聞くと「ついてきて」と案内してくれた。
2本のコヒガンザクラは円満坊の先の路の斜面に咲いている。
2日目
案内板によると、(桜堂は地名で、その昔、ここに御堂が存在し、付近に桜の大木が数本あったことから桜堂と呼ばれるようになった。この先に松岡城があり、天正16年(1588)松岡城が廃されたとき、家臣のひとり・羽生築後守が帰農し、ここに居を構えた。その時に数本の桜を植えた。そのうちの1本がこの桜と言い伝えられている。本当ならば樹齢は400年を超えていることになる。 みたところまだ若い勢いのあるエドヒガンの桜だ。
七椙神社の七本杉
松川町元大島にある七椙神社に向かう。
原田の桜
中西の桜
西丸尾のしだれ桜
樹高 15m
目通り幹囲 6.5m
樹齢推定 600年
案内板によると(鎌の形を伸ばし、鳥のように変形させて、目を描いた「薙鎌」が風を薙ぐ力を持つとされる諏訪大社の御神体。文明元年(1469)このブナを神木と定め、根元に祠を作って薙鎌を納めた。以来毎年3月最初の酉の日が祭日とされてきた。)という。
臨済宗松源寺の桜は推定樹齢300年。目通り幹囲 3.35m、樹高20m。エドヒガンで、松源寺門前サクラといわれる。 TVドラマ 「女城主直虎」で、主人公直虎の許婚井伊直親が幼少期に潜伏していた。
境内には、他にも立派な桜が咲いている。
古いヒイラギなので、葉の先端が丸くなっている。
標柱に(樹齢は不明であるが、古く安倍晴明の植えるものと伝えられ、徳川時代検地の際に、南向より片桐への目標にしたと言われる。)とあった。
エドヒガン
樹高 6.5m
目通り幹囲 5.5m
樹齢 400年以上
鎌倉時代に植えられたとされる古木である。道路の真ん中に立っている。この桜を残すように道がつくられたのでしょう。昔、山田家(屋号が原田)が土地の北方に魔除けとして植えたという。
大洲七椙神社では、今日と明日の祭礼のため、町の人が出て境内を掃き清め、、落葉を燃やし、社殿を掃除していた。細い注連縄をつけた7本のスギはどれもりっぱだが、そのほかにもこれらに比類する杉が数本ある。松川町指定天然記念物だが、大杉を含む境内林全体が指定されている。中でも一番手前の六、五のスギが立派であった。案内板によると樹齢1000年を越すと書かれていたが、不明ということだ。
樹高 30m
目通り幹囲 6.6m
樹齢 不明
松川町指定天然記念物
エドヒガン
樹高 21m
目通り幹囲 3.2m
樹齢 推定300年
昨日下市田で行くことができなかった「桜堂の桜」を高森町の役場で場所を聞いた。校庭を回り込むように走り、坂を下ると、下市田保育園にでる。その先を右折して進むと左手奥に桜の木が見える。
案内板によると、昔から円満坊の桜並木は有名で、阿島藩主知久氏の奥方が女中達と花見に来たという話も伝わっている。今はもう並木のていを成していない。
源頼朝が仏教の加護を念じ、1197年(建久8)に同寺を幕府の祈願寺に選定した時に植えられた。枯れては根元から再び新芽が出るといい、現在は4代目。県指定天然記念物。と言われているが、現在どこからも天然記念物の指定を受けていない。
瑠璃寺のエドヒガン
樹高 15m
目通り幹囲 2.55m
通称 アズマヒガン
クロマツ 樹齢200年
高森町山吹に向かう。このあたりの天竜川右岸は、何段もの河岸段丘からなり、車を走らせると、アップダウンが分かる。新田原が乗る段丘面のほぼ中央を北西から南北に向って道路が貫き、その路傍に桜がある。
七の杉
一の杉
樹高 16m
目通り幹囲 5m
樹齢 推定450年以上
下市田保育園の南側斜面にはエドヒガンザクラが咲いている。 園庭に入らせてもらって写真を撮った。
参道の桜
下市田保育園の桜
浄瑠璃寺のエドヒガン
樹高 18m
目通り幹囲 2.85m
通称地主桜
エドヒガン
樹高 13m
目通り幹囲 4.1m
樹齢 不明
下市田のヒイラギ
薬師堂