北杜市須玉町江草にある勝手子安神社に向かう。塩川に沿って県道23号を北上し、大渡集落のところを右に折れ、支流の小森川左岸を東に向かう。道を聞いた方が、車についてきてといい、道案内をしてくれた。神社の上にある墓所に用があったようだ。

2022.7.31

北杜市5

東漸寺のシラカシ群

モミは旧参道石段の上部、鳥居の近くに立っている。モミ独特の力強い根張りで、石段の石がめくれあがっている。猿が社殿を横切り、走り回っている。参道下の石段を下りると、民家が見えて、下の方に通じているようだ。先ほどの方に聞くと「下の車が通れない様な細い道に通じている。」とのことでした。

仁王門から下に通じる石段を夫が歩くというので、私たちは車で石段が通じているところまで、走った。道が分からず、うろうろしていると夫の声がした。石段が途中から崩れたりして通れなくなっている。見ると右の方に石段が見えるので、そこが旧参道だったようだ。そこにモミの巨木が2本立っている。目通り幹囲5m級のモミである。

諏訪神社のヒメバラモミ

樹高 33m
目通り幹囲 5.2m
樹齢 300年以上

海岸寺は養老年間に行基が開いたとされる古刹である。天平10年には聖武天皇の祈願所として「光明殿」の勅願を賜ったとされる。天正10年には、織田信長の兵火にかかって全焼した。慶長4年、徳川家康の寺領寄進を得て再建された。仁王門の背後に、3又に分かれた大杉が立っている。海岸寺がは禅寺であるので、「静かに参詣して」という掲示板があった。

海岸寺仁王門のスギ

樹高 39m、36m
目通り幹囲 5.8m、5.6m
樹齢 推定300年以上

樹高 29m
目通り幹囲 2.9m
県指定天然記念物

金毘羅神社のヒメコマツ

北杜市須玉町穴平にある天津名神社に向かう。須玉大橋を渡り、道なりに1㎞ほど行くと右手に大杉が立っている。境内には小さな神社があるが、天津神社のようだ。大杉は注連縄をつけている。

穴平諏訪神社のスギ、カエデ

樹高 24m
目通り幹囲 5.2m
樹齢 300年以上

北杜市須玉町若神子にある東漸寺に向かう。シラカシ群があるということで、寺の裏側に入らせていただく。大きなシラカシが3本聳えている。

本殿の側面の彫刻

海岸寺から下りてくる途中「諏訪神社のヒメバラモミ」の看板を見つけ、車を止める。神社には、ヒメバラモミはなく、社殿の前に切株が手て掛けられていたので、切られてしまったようだ。

海岸寺参道のスギ

北杜市高根町箕輪新町にある金毘羅神社に向かう。鬱蒼鬱蒼とした境内の社殿の後ろ側にヒメコマツが立つ。ヒメコマツとは五葉松のことで、枝が水平に出て、針状の葉が5枚づつ束になる。

北杜市高根町箕輪にある養福寺に向かう。フジは中心の幹はすでに枯れ、5本ほどに分かれた幹が、近くのシラカシ、ホオノキ、スギなどに絡みつき、不思議な光景である。初夏には藤色一色に染まるそうで、その頃来たいと思う。根回り4.85mで、県下最大級のフジである。

養福寺のフジ

天津名神社のスギ

北斗市須玉町穴平にある遠照寺に向かう。須玉川右岸の河岸段丘、須玉大橋西詰近くにある。参道近くの入り口に左右一対のアカマツが立つ右(東)は高く立ち、左(西)は低く伏している。この姿から「鶴亀の松」「夫婦松」とも呼ばれている。幹は布でぐるぐる巻きにされ、多くの支柱で支えられているが、今のところ、樹勢も良く、松くい虫にやられないようにしてもらいたい。

遠照寺の松、

山梨県北杜市須玉町穴平にある穴平諏訪神社に向かう。須玉川の右岸、二日市場集落の北側に諏訪神社が鎮座する。水田に浮かぶ小さな鎮守の森にスギが立っている。県道619号からも良く見える。社殿の後ろに、杉、鳥居の横には樹皮だけになってしまって、支柱に支えられたの木が立っている。

勝手子安神社のモミ

急な石段を上ると「観音堂」がある。諏訪の名工・立川和四郎の手による「アワとうずら」の彫刻がある。江戸期の代表的な彫刻であるとあった。

北杜市須玉町上津金にある海岸寺に向かう。海岸寺の700m手前の旧参道に2本のスギが立っている。昔はこの道も寺の参道で、もっと多くのスギがあったが、県道の拡幅工事などできられてしまったそうだ。どちらも地上5m程で7~8本に幹が分かれている。

樹高 9m、5m
目通り幹囲 3.5m、2,5m
山梨県指定天然記念物

樹高 33m
目通り幹囲 5.4m
樹齢 300年以上

樹高 40m
目通り幹囲 5.1m
樹齢300年以上