苔むした庭園と参道  利常公が植樹された、小松から那谷寺にいたる御幸街道杉の一部であった古杉が林立している。

粟津温泉法師2連泊

那谷寺参拝を終わり、11時に迎えに来てくれるという時間には、間に合わず、門前の食堂で、蕎麦を食べる。歩いても帰れると思ったが、雨も降ってくるし、宿に電話してみた。30分位で、迎えに来てくれるというので、待った。まだ、時間も早いので、温泉街を散策する。冷たい雨が降っている。

H.25.02.13〜15

JR名古屋駅で、11時48分の「特急しらさぎ」に乗り、加賀温泉駅に、14時25分に着いた。だだん雪景色になってくる。駅前はさすがに雪はなかった。旅館の送迎バスで旅館に着いた。 粟津温泉は、奈良時代の高僧・泰澄により開かれた北陸最古の温泉。どの宿も自家源泉を有する贅沢な温泉地です。近くには、紅葉で有名な那谷寺があります。法師温泉は、今より1300年前、養老2年、元正天皇の御代に、泰澄大師が、白山巡錫の折、白山権現の夢のお告げにより、この地にお湯が湧き出る事をしらされたと伝えられている。

雪景色の宿の前で

蟹尽くしを堪能した。

傍には、足湯があり、若い子が足湯をしていた。45度もあると書いてあり、「熱い!!」と言って脚を真っ赤にしていた。

芭蕉句碑  「石山の 石より白し 秋の風」元禄2年8月5日、那谷寺を参拝された俳聖芭蕉は、奥の細道の記にこの名句を残した。 風化して、書いてある字が読めなかった。

楓月橋・鎮守堂  展望台に至る橋、楓月橋から奇岩遊仙境の展望は最も美しい。白山妙裡大権現を祀る山上鎮守堂からの展望は境内一の絶景である。またこの上には、西国三十三ヶ所の御本尊を祀った石仏があり、遊歩道になっている。雪が多く少しの区間歩いた。

三重塔(重文)  大慈閣西南の山上にあり、方三間三層で、扇垂木を使用。四方の壁画には、唐獅子の二十の行態や牡丹の彫刻が施されている。元金堂にあった鎌倉時代の作、胎蔵界大日如来を安置してある。

2日目

法師旅館の前の道路の真ん中に、黄門杉がある。加賀藩三代藩主利常公が那谷寺参拝の途中、この地に立ち寄られ、お手植えになった。以来黄門杉といわれている。(利常=大納言=黄門)

総湯 粟津温泉の共同浴場
廃業した宿を買い取り、2008年にオープンした。

大王寺は、本尊が薬師如来で、鎌倉期初期のものであろうといわれている。無住の寺であったが、尼さんが寺を守るようになって、町の人にも喜ばれているようです。寺の中を案内説明していただいた。

昔、粟津の湯宿にお末という下女が奉公していた。同じ湯宿の下男と竹松と相思相愛の末、目出度く結ばれその主人公の名前がなまり、「おっしょべ おっしょべ」と呼ばれるようになり、「おっしょべ節」が作られた。この滝は二人がデートを重ねたところで、おっしょべ滝と名づけられた。愛染明王像不空羂索観音が祀られている。

谷汲山華厳寺 御本尊 十一面観世音菩薩

泰澄大師像  泰澄は、越前の国に生まれ、文武天皇により、鎮護国家の法師に任命された高僧です。白山に登っての修行中に、夢枕に立った白山大権現のお告げにより、粟津村に霊泉を掘って以来、1300年、今日まで絶えることなく温泉地として続いている。この道を上がっていくと、至岳山のほうに行くが、分岐まで戻る。

傍の八幡神社

夜から雪になり、断続的に雪が降っている。チェックアウトまで、時間があるので、まだ行っていないところに出かけた。本広寺を見た後、宿の人は歩きでは無理と言っていた牧姫塚の五輪塔を目指した。

3日目

おっしょべ橋には、「菊理媛」と「泰澄大師」が描かれている。

その向こう側には、「お末、竹松」の像があり、その奥には、噴水と池があり、「水の広場」になっていて「恋人の聖地」の看板があった。

粟津演舞場  昭和8年に建築され、地元の芸妓の公演やイベントが行なわれていた。僅か10年で軍需工場に転用され、芝居小屋として使われることはなかった。最近は旅館金閣の社員寮になっていた。演舞場を再生し、7月には、「平成のこけら落とし」が行なわれた。

鐘楼(重文)  入母屋造りの和様建築で、袴腰の上まで石造りです。内には、寛永時代、朝鮮より請来した名鐘を吊るしてある。

庚申様の横に、若宮白山神社がある。雪で埋もれた境内が静かでした。祭神は白山菊理姫神で、十一面観音が仮の姿で現れたものと考えられ、白山妙理権現とも呼ばれてきた。明治26年に現在地に遷座したもの。

岩屋本堂大悲閣(重文) 観世音菩薩の慈眼視衆生の大慈悲心の誓願より、大悲閣と名付けられた。岩窟中腹に建てられ、四棟舞台造り、四方欄間に浮き彫りが施され、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉などの花鳥が配されています。唐門は、岩窟入り口、本殿岩窟内にあり、厨子には、那谷寺御本尊十一面観音が安置されている。

中門

奇岩遊仙境  観音浄土補陀落山を思わせる天燃公園は、太古の噴火の跡と伝えられ、長い年月の間、波に洗われ今日の奇岩が形成された。

名勝那谷寺庫裏庭園 庫裏は修復中で見られなかった。寛永14年の建物。利常公自らこの書院に住し、諸堂の再興のあたった。建物裏には、別部卜斉の作による名勝指定の寺院茶庭園がある。

那谷寺は、養老元年に、泰澄法師が、越前江沼郡に、千手観音を安置したのが始まりといわれる。その後花山法王が行幸のおり、岩窟で輝く三十三身の姿を感じ、観音霊場三十三ケ所は全てこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の第一番「那智山」と三十三番「谷汲山」の山号から一字づつ取り、「自主山巖屋寺」から「那谷寺」に改名した。中世の戦乱により、境内の堂宇はことごとく焼失した。殆どの建物は、利常公が寄進したものである。

江戸時代のお雛様

那智山青岸渡寺 御本尊 如意輪観世音菩薩(第一番)

道を下りていくと、ちよろちょろと水が流れ、前には、お不動様が座っている。おちょぼ滝というらしい。

夕食まで、時間があったので、「祈りの小径」を散策した。白山神社から始まって、「西国三十三ヶ所観世音巡拝道」が続く。

途中であったおばあさんが、地図とは違う方向を指して、「あっちにあるよ。」と教えてくれたので、行ってみる。目指すものがあれかなと分かったが、田んぼのあぜ道になってしまい、迂回して、行ってみた。田んぼの真ん中に、たて看板があり、奥のほうに石塔がある。説明板によると、(平安末期に皇女牧姫が配流され、この地に居住され、没した。土地の人たちが哀れみ、手厚く葬り、五輪石塔を建てた。水輪部には、大日如来の浮き彫りが施されている。)室町末期の製作である。

護摩堂(重文)  壁面には沈思、柔和、昇天、凝視、観悦、雅戯、問答の八相唐獅子及び、牡丹の彫刻があり、内陣には、不動明王が安置されている。

金比羅社

庚申塚と庚申像  縁結びの神として信仰されている。「おっしょべ恋物語」の主人公も庚申様に願掛けしたかも知れません。

ここから、階段で奇岩の上に行けるのだが、今は雪があるので、立ち入り禁止になっていた。洞窟の中には、お地蔵様が立っている。

金堂、華厳殿  本尊は十一面観音、白山曼荼羅、泰澄神融禅師、中興花山法王を安置し、那谷寺の年中仏事祈祷を行なう。金堂は650年前に焼失したが、平成弐年に再び建立された。

おっしょべ滝

打ち捨てられた、「温泉記念碑」

白山神社は、奈良時代より、粟津町の総社であり、白山比盗_社と共に、三柱を祀り、粟津白山宮と号し、悪疫退散、五穀豊穣の霊験あらたかな社としても有名です。

宿のバスで、駅まで送ってもらった。時間があるので、駅前の「加賀市美術館」を見たが、地元の画家の絵が中心で、数も少なく、300円は高かった。14時12分の特急しらさぎで、名古屋へ。車窓から見える雪が段々少なくなった。新幹線、JRと乗り継ぎ、藤枝に帰った。雪も見られたし、蟹尽くしも堪能した。ゆっくり温泉に連泊する旅もいいなと思った。

長等山園城寺 御本尊如意輪観世音菩薩(第十四番)

相撲場跡

紀伊 三井寺(第二番

明星山三室戸寺 御本尊千手観世音菩薩(第十番)