H.26.01.12〜15
12:15羽田発のNH823便に乗り、約40分のフライトで、八丈島に着いた。滑走路が短いので、前につんのめったあと、風の影響で左右に揺れるという歓迎を受けた。空港からは、八丈富士がよく見えた。今日は、ホテルに入るだけなので、ホテルの送迎バスに乗ってホテルに着いた。ホテルからは、白波のたった海がよく見える。階段を下っていくと、火山性の岩がごろごろした海岸に出た。八丈島は「日本のハワイ」といわれ、常夏のイメージがあるが、冬はさすがに寒い。今年は特に寒いようです。
この後、「クサヤ」の店に行き、試食をして、「クサヤ」を買い求めた。
垂れ下がった不定根
服部屋敷
黄八丈とは、草木染、手織りの絹織物である。島に自生する植物の煮汁で黄色、鳶色、黒に染められた糸を平織り、または綾織に織り、縞模様や格子模様を作った反物である。黄色はコブナグサというイネ科の植物から取れ、椿などの灰で「灰汁付け」する。鳶色はタブノキで、何度もつけては乾燥させ、赤みがかった濃い茶色に染める。黒色は、泥染めで得る。スダジイの樹皮で染めた糸を天然の沼で「泥付け」し、泥の鉄分とスダジイのタンニンとを結合させる。見本を見せて、説明してくれた。
(服部家の初代は下田の出身であるが、二代目から代々八丈島の官船のうち、小舟方のお舟預かりを務めて莫大な資産を築いた。しかし、船方さんの一生を図で示すがごとく、その歴史は波乱にとみ、悲劇的な色彩を帯び、豪勢を誇った家屋敷も今では、観光客に郷土芸能を披露する名所になっている。屋敷入り口の石垣は流人近藤富蔵が築城形式によって築いたものである。)と説明板に書かれていた。
八丈島は、「伊豆諸島の島」で、行政区分は「東京都八丈町」である。東京の南方海上287km、御蔵島の南南東方約75kmにあり、東山(三原山標高701m)西山(八丈富士標高854m)の二つの火山が接合したひょうたん型をした島。富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、カルデラを形成した。 考古学的には、縄文時代から人が住んでいて、勾玉が出土している。平安時代に、伊豆大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害したという伝説が残っている。公式な流人第一号は、慶長5年、関が原の戦いで西軍石田三成方に属した宇喜多秀家である。秀家の子孫は、正室豪姫の実家である加賀前田家の援助を受けながら数家に分かれて存続し、明治維新後赦免された。最後の流人は、近藤富蔵で、1826年に遠島になり、50年以上流人の生活をおくった。
町営のバスに乗り、逢坂(大坂)橋で、「八丈富士の絶景」を見る。八丈小島は今は無人島である。
宇喜多秀家は、関が原の戦いに敗れ、1606年に、八丈島に流罪となる。息子2人、従者などと13人で八丈島に渡った。1655年、八丈島で没する。関が原で戦った大名中、最後の死であったという。豪姫や長男より長生きをした。 生活は、妻・豪姫の実家の前田家から2年に1度、白米70俵、金子35両、衣類・雑貨・薬品などが、明治2年まで送られ続けた。 秀家の流人生活は50年におよんだが、磯辺に釣り糸をたれ、詩歌を詠むのみで、全くの凡俗に徹した。
あそこ鮨で「島鮨」をいただく。
三原川が人家に近づいて、中之郷の水田用水路と交叉する時、三原川は滝となって落下し、用水路とそれに沿った道は滝の裏側を通るため、流れ落ちる滝の簾を内側から見ることになる。今日は、用水に水が流れていなかったので、滝は数本の水が流れ落ちているだけだった。
旧幕時代のお船預り服部家の屋敷跡で、流人近藤富蔵の築いた玉石垣に囲まれ、庭にある蘇鉄は樹齢数百年といわれている。当時の豪勢さが偲ばれる屋敷跡である。
樹齢数百年の蘇鉄
大きなガジュマルの木があり、枝にブランコがぶら下っていて、久しぶりにブランコをした。
ヘゴ
黄八丈染元(ゆめ工房)
麦雑炊は、麦、サトイモ、海苔、明日葉、椎茸などをいれ、味噌で煮込む。ご飯にかけて食べた。
名古の展望台
八丈島は、西山(八丈富士)と東山(三原山)の二つの火山が接合した島である。それぞれの噴火活動期が違うため、山の植生が大きく異なっている。広いさ70ku余りの島に二つの相違する自然景観が存在する島は他に類を見ない。今回は小さなハイキングだったが、色々なコースがあるようです。
四脚高倉(高温多湿の気候に対応するためこの形状がとられた。)
母屋
閑所(昔のお手洗い)
マヤ(牛小屋)
宇喜多秀家公と豪姫の像
空港にあった「為朝凧」
源為朝は、平安時代の武将で、為義の八男。弓の名手で、鎮西を名目に九州で暴れまわり、鎮西八郎と称する。保元の乱では、父、為義とともに、崇徳上方に属して、暴れまわるが敗れ、伊豆大島に流される。そこでも暴れて、国司に従わず、伊豆諸国を支配し追捕を受けて、自害した。伝説によると、為朝は、三宅島から黒潮に乗って八丈にやってきた。 昔、八丈島は「女護ヶ島」と呼ばれ、美人ばかりが住む住む島だった。女達は、年に一度、南風が吹く日に、それぞれの作ったわら草履を南の浜に並べた。南風に乗って男達が青島から渡ってきて、草履をはくと、草履には女達の名前がついていて、女は自分の草履をはいた男を一夜夫に迎えた。男達は、男島といわれた青ヶ島に帰っていった。昔、島に漂着した祖先たちが、海神の祟りを恐れて男女別々の島に住んだ。
保元の乱に敗れた為朝は、追っ手を逃れ、八丈島に着いた。為朝は、島の女と結婚して男子の双子が生まれた。この時から、男女の同棲が始まった。まもなく追っ手が来ると、八丈小島に渡った。八丈実記によると、敵を待つ間に為朝が卯の花を折り挿した地を宇津木といい、鳥を礫打ちした地を鳥打ち島という。為朝は、この地で壮絶な最期をとげ、宇津木村の八郎大明神に祀られた。
スイートポテト
大坂夕照(大坂は島交通の難所で、ここを境に大賀郷、三根は坂下、樫立、中之郷、末吉は坂上と呼ばれている。)
「樫立踊り」は、江戸時代に流人や漂流者、江戸と八丈を往復した御用船の乗組員たちによって伝えられた各地の唄や踊りを、島人たちが八丈島ならではの盆踊りに綴りあわせたものである。樫立手踊り、ショメ節、八丈太鼓を見学し、最後にショメ節を一緒に踊った。出演者は、黄八丈の着物を着ていた。
途中「為朝神社石宮」の鳥居があり上り始めたが、ガイドさんが「参道が玉石で滑るから」と止めたので、引き返した。(この石宮は、島内産のカンラン石を用い、流人の石工仙次郎が1840年に造ったものである。)と書かれていた。
黄八丈の反物は高値で買えないので、帯締めを買いもとめた。
「庚申塔」庚申待ちは、江戸時代に全国を風靡した民間信仰で、庚申塔も各地に残されている。塔には、青面金剛を掘り出した像塔と庚申塔と掘り出した文字塔がある。八丈島には、樫立に文字塔が二基、像塔が二基残され、三根矢崎にも像塔が一基残されている。と書かれていた。
祠
金比羅宮
原生林ウオーク
標高238mの地点から、島のガイドさんと一緒にハイキングに出かける。
古い葉が落ちた後が、竜の鱗のようになるので、この名前がついた。
リュウビンタイ
モンステラが木に巻きついている。
ジュラの森 恐竜がいた時代の森のような景観をかもし出す木生シダヘゴの森。大小さまざまなシダ植物が群生し、本土では見られない種類も沢山ある。
ヘゴは湿度の高い林中を好む。茎から出る無数の不定根に覆われ、太くなる。
ビロウヤシの葉っぱを持って説明するガイド
ヒカゲヘゴ
照葉樹の森
マンリョウ
名古秋月」(末吉の洞輪沢一帯を名古という。洞輪沢は小さな漁港に過ぎないが、汐間温泉が湧出し、名古の滝があり、人家の周辺を清水が取り巻いていて、まさに、仙郷ともいうべき所である。八丈の最南端に位置し、名月観賞の場所として、八丈八景に選ばれている。)
やすらぎの湯で、ハイキングの汗と疲れを流した。八丈には、温泉が多く、他に、ふれあいの湯、ブルーボート・スパ、みはらし湯、裏見ヶ滝温泉、洞輪沢温泉などがある。塩分でしょっぱかったが、疲れがとれました。
夕食は、ホテルで、「八丈創作会席」でした。ホテルの方が「ショメ節」を唄ってくれた。
3日目
陣屋跡(玉石垣)
陣屋を巡らしているのは、玉石垣である。大里の集落には玉石の石垣が多い。玉石は横間の浜から運んだといわれる。真偽の程は分からないが、玉石一個を流人がお結び一個で運んだといわれる。上部が反り返った石垣の組み方は陣屋の石垣のみである。
入り口で、鉤型になっている。
陣屋の説明板には(八丈島に陣屋が設置されたのは、享保元年(1528年)で、明治41年に向里に庁舎が移転するまで、80年間、ここが島の政治の中心であった。)と書かれていた。宇喜多秀家の長男の妻は代官の娘だったそうです。
南原千畳敷(八丈富士は慶長10年(1605年)の噴火を最後に火山活動を休止している。それ以前、悠久の昔から火山活動が繰り返され、そのつど吐き出された莫大な溶岩が裾野を覆い、海にせり出して、このような広大な景観を作り出した。陸側の溶岩層を見ると、何段にも重なっているのがよく分かる。)
島鮨は、八丈の郷土料理で、鮨種を醤油ベースのたれにつけ、砂糖で甘みを強くした酢飯で握る。島で水揚げされた白身の魚を使う。
クサヤとは、水揚げされた新鮮な魚(ムロアジなど)を開き、発酵した秘伝の「クサヤ液」に約8時間〜20時間漬け込み、水に浸し、網に干す。(現在は、機械で干しあげるそうです。)
八丈中腹にある「ふれあい牧場」や亜熱帯植物の花の「植物園」に行く予定だったが、雨、風がひどくなり、5時20分の飛行機が欠航すると帰れなくなるので、2時10分の飛行機で、帰ることになった。
帰れなくなったことはあるが、予定を切り上げて帰ってきたことははじめての経験だった。
八丈島目鯛のサラダ仕立て
八丈野菜のミネストローネ
八丈産シイラのポアレ
筑波産もち豚フィレ肉の生ハム巻き
2日目
裏見ヶ滝