H.28.12.25~27
送迎付きのツアーに出かけた。朝早く藤枝駅でバスに乗りこみ、各地で参加者を拾って、羽田空港に着いた。午前10時50分のANA575便で石見空港に向けて離陸する。静岡空港くらいの規模の石見空港(今は萩・石見空港という言う。)に12時35分に着いた。
待っていたバスに乗りこみ、宮島口まで走る。フェリーで宮島に渡る。
(厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命、淵津姫命の三女神である。御社殿の創建は推古元年(593)で、仁安3年(1168)平清盛公が現在の規模に造営した。宮島は昔から神の島として崇められていたので御神殿を海水のさしひきする場所に建てた。)今日は、干潮を少し過ぎた時間だったので、潮が引いて神殿は砂の上に建っていた。
雨の中、「太鼓谷稲成神社」に上った。朱塗りの鳥居を抜けて上ること10分。山頂の神社にたどり着いた。安永2年、津和野7台藩主亀井矩貞が城山の太鼓谷に京都伏見稲荷を勧請した。約1000本の鳥居がトンネルを作っている。ふもとの食堂で「おいなりさん」を買い求めた。
五重塔は1442年頃に完成した。京都の醍醐寺、奈良の法隆寺とともに日本三名塔のひとつ。高さ31.2m、檜皮葺、二層にのみ回縁がついている。
毛利家墓所
西の京と言われる山口にある「瑠璃光寺」に移動する。本尊は薬師如来で、五重塔は国宝である。境内は香山公園と呼ばれ大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院で、香山墓所は、毛利家墓所のひとつである。奇数藩主は東光寺に祀られている。
3日目
大正8年に「鹿足郡役所」として建てられた津和野町役場は、宇治平等院をイメージして建てられたそうです。
木戸孝允旧宅
高杉晋作誕生地
萩温泉の宿に入り、「ふぐ長州会席」をいただく。
旧津和野藩家老多胡家表門
殿町通りに移動する。先ほどのガイドさんと散策し説明を受ける。あいにくの雨で堀が濁り、「名物の鯉の姿が見えないときは、自分の顔を映して、人面魚」などのダジャレを連発する。
萩窯元に立ち寄り、「維新の町・萩」を散策する。重要文化財「菊屋家住宅」を案内してもらう。主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵が国の重要文化財に指定されている。菊屋横丁で、「高杉晋作誕生地」を見て、伊勢屋横丁を通り、初めに通った江戸屋横で「木戸孝允旧宅」を見てバスに戻った。
秋吉洞の黒谷入口から下りコースに入る。巌窟王、黄金柱、千畳敷、千町田、百枚皿など地下水によって作り出された洞内を説明を聞きながら30分ほどで通り抜けた。外は雨で霧も出ていたが、秋吉台のカルスト展望に向かう。草もみじのカルスト台地を走り、展望台へ行くが、霧で何も見えない。
山口名物「瓦蕎麦」をいただく。茶そばの上に錦糸卵、細切り牛肉、ノリを乗せ、もみじおろしの汁でいただく。西南戦争の際に薩摩軍の兵士が瓦に野草や肉を乗せて焼いて食べたのが始まりと言われる。
防府天満宮に移動する。山口県防府にある神社で、菅原道真を学問の神として祀った天満宮である。北野天満宮、大宰府天満宮ともに日本三大天神として有名である。境内には、春風楼があり、長州藩10代藩主が五重塔建設に着手したが、完成しなかった。春風楼に上がると、防府市内が一望できる。
岩国城に行くロープウエイの前には、「白蛇観覧所」がある。白蛇は突然変異で生まれた体が白いアオダイショウで、岩国だけに集中して生息する生き物。昔から岩国にはシロヘビにまつわる出来事や伝承が各地にある。
錦帯橋を渡り、吉香公園に入る。右側に「香川家長屋門」がある。岩国藩家老香川氏の表門で、江戸時代の武家門造りの典型としされる。 その先には旧目加田家がある。目加田家は、天正年間、吉川元春に仕え、岩国に移封された時に藩主広家に従い、この地に居を構えた。中流武士の屋敷跡である。
錦帯橋は岩国市の錦川に架かる木造のアーチ橋で、五連のアーチからなる。全長193.3m、幅員5mで、木組みの技術により、釘を1本も使わずに造られている。昭和25年の台風で流失し、現在の橋は昭和28年に復元したもの。
案内人(お店の人)ともに境内を一周する。厳島神社は2度目である。前回はロープウェイで上まで上がった。「ぶらたもり」で厳島のことをやっている回を見た。フェリーで宮島口に戻り、バスで岩国に移動する。市内のホテルに入る。
これで、すべての行程を終え、石見空港に着いた。悪天候で飛行機が羽田から飛んでくるのが遅れるという。その後、来ないかもしれないといわれ、結局1時間遅れで飛行機は飛んだ。羽田到着は遅れたが、バスで藤枝に向かう途中で、取り戻し、結局計画通りの時間に藤枝に着いた。家に着いたら日付が変わっていた。
何回も訪れた所もあったが、雨の中観光を済ませ、帰郷できました。
津和野町役場
津和野に移動する。「津和野鮨と石州そば」の昼食をとる。ガイド(実はお土産物屋の人)と「森鴎外の家」を見学する。鴎外が幼少期に過ごした家で、4畳半の勉強部屋や藩医の家らしく調剤室も残っている。
予報どおりの雨のなか、蒲鉾店により、松陰神社・松下村塾に行く。3回目の訪問だが、原田伊織の「維新」の本を読んだ後なので、なんとなく微妙な感じがする。
境内にある「枕流亭」は元々山口の旧家安倍家の離れで、一の板川の河畔にあったため、こう呼ばれた。薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛が山口を訪れた際にここで長州方と面会した。
2日目