鬼島温泉からバスで、福江港に行き、チャーター船(水上タクシー)で赤島に行く。20分くらいで島に着き、着くと島人が船が着岸するを当たり前のように手伝ってくれた。島の人口は10人あまりだが、NHKの鶴瓶の番組を見て移住してきた人もいて増えたそうです。ボランティアのおばさん(だと思う)がガイドをしてくれて、島を散策した。島は溶岩で出来ていて、月に一回巡回診療所が開設され、集会場などもあった。
H.24.04.08〜10
若松島
3日目
龍馬ゆかりの地
(島では珍しい温泉宿と民宿に泊まり、島の雰囲気を味わうこだわりの味覚と絶景の連続!)
若松島
ハリノメンド
若松島の神戸港に上陸する。港の近くの民宿に歩いて向かう。もう一組は違う港から他の民宿に分宿になった。 近くを散策していると、極楽寺というお寺があり、国指定重文の金銅仏があると書いてある。寺はしまっていたので諦めて宿に帰った。女将さんにそのことを言うと、「頼めば見せてくれる。」と言うので、もう一度行って、頼むと拝観の時間は過ぎてしまったが、いいですよ。と言うことで、見せていただいた。36,4cmの銅造如来立像で、統一新羅時代のもので、渡来小金銅仏中にあって、注目すべき逸品であると書いてあった。
頭ヶ島大島を渡って頭ヶ島教会に行く。幕末まで無人島であったが、鯉の浦のキリシタンが迫害を苦れて住みついた。全国でも珍しい石造りの教会で、鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により建てられた。船底天井と、五島の椿を模した花装飾と青を基調とした華やかな雰囲気が美しい。「花の御堂」とも呼ばれている。ガイドさんの通った教会だそうで、丁寧に説明してくれた。敷地には、拷問に使った抱かせ石などが展示されている。海岸にはキリシタンの墓が並んでいる、此の地方は、日本式の石柱に十字架を刻んだり、上に十字架をつけたりした墓が多い。
1866年遭難したワイル・ウエフ号で亡くなった同士を悼むため坂本龍馬が訪れた。2年前に龍馬の銅像が建った。遭難した潮合岬のほうを向いて拝んでいる。
奈留島の南東海岸にひろがる、千畳敷きは、大きな岩が、小島と連なっていて、畳が千枚敷けるくらい広いと言う意味で、小島の緑、海の碧とあいまって美しい。小島の向こうは良い釣り場で、釣り人が岩を乗り越えて向こう側に行くそうです。隣接する舅ヶ島海水浴場は、美しく磨かれた玉砂利を敷き詰めた海水浴場です。
若松島から北は上五島町である。バスで漁生浦島、有福島に渡る。漁生浦橋で渡り、有福島は橋ではなく防波堤が島を繋いでいる。有福島と日ノ島も防波堤でつながっている。
羽田空港8時10分の集合に間に合わないので、前の日に三島のホテルに泊まり、9時羽田空港を出発する。途中静岡あたりで、富士山が綺麗に見えた。 10時45分福岡空港に着き、バスで長崎港まで走る。参加人員は42名で、満席だった。長崎空港からジェットフォイルで福江島の福江港に4時過ぎに着いた。
奈留港から奈留島に上陸する。ボランティアガイドのおじさんを乗せて、2台の定期バスに分乗して、成島高校に行く。ここは、小・中・高が一緒になった学校で、ユーミンの歌碑がある。生徒の投書により、荒井由美だった頃に作詞作曲したもので、校歌にはならなかったが、愛唱歌として歌い継がれている。観光客がくると、男子生徒がこの前で歌ってくれるらしいが、今日は入学式と言うことで、それはなかった。
奈留港に戻り、ガイドのおじさんと別れ、キリシタン・クルーズに出発。海上からしか見られないキリスト像とキリシタン洞窟。幸い海が穏やかだったので、上陸する。右側の岩の裂け目から入り奥に進むと少し広いところに出る。ここにキリシタンが隠れていたのだが、油断して火をたいたところ役人に見つかってしまい掴まってしまった。洞窟は奥行き50m、高さ5m、幅5mのT字形洞窟で、その入り口はかなり広い海蝕台場の背後にある岩壁の裏側にあり、格好の隠れ場である。明治元年の迫害(五島崩れ)といい、昭和42年、平和キリスト像を建てた。 近くには、「ハリノメンド」がある。激しい波で岩が針の穴のように侵食されているところで、釣のポイントになっている。
毎回出る五島うどん、あごだしのお汁が美味しい、
伊勢えびの生き造り
鯛の姿造り
日ノ島曲古墳群 人口70人ほど島で、鹿のほうが多く生息している。防波堤の整備をしている時掘り出された、大量の古い墓石で、東シナ海を見渡す場所にある。ここは、朝鮮半島との貿易の本拠地として栄えた島で、日ノ島の名前も、かって、烽火によって異国船が来たのを知らせる監視所があったことにより、「火ノ島」が「日ノ島」になったと言われている。古い石塔は鎌倉期から室町時代のものである。倭寇は此の石塔に関与していると言う説もある。
若松大橋を渡って、中通島に渡る。
五島列島の約中央に当たる若松島と中通島の間の南北11kmにわた若松瀬戸は、多島海で、典型的な沈降海岸と言われる。平成3年若松大橋が完成した。総延長522m、三径間連続トラス橋である。
中通島
有川港近くのおすし屋さんで昼食をとり、五島うどんの里で買い物をして、鯨賓館で、鯨の展示を見た。2階は、有川が生んだ横綱佐田の山の記念館になっていた。有川港を14時30分に出航し、高速船で佐世保港に15時50分着いた。 佐世保港が、軍港でもあり、また、世間をにぎわしている北朝鮮の人工衛星のための配備か、沢山の軍の船が停泊していた。福岡空港までバスで移動し19時45分の飛行機で羽田に21時25分着いた。31分の品川行き京浜急行に乗らないと藤枝に帰れない。無理だと諦めて、最終の新幹線で三島まで行き、前泊したホテルに泊まった。翌朝、一番のJRで、藤枝に帰ってきた。 前泊、後泊したのは初めてです。
黄島(おうしま)
福江の町をバスで走る。武家屋敷通りでは、石積みの塀の上に小石を載せた屋敷がある。賊や敵が乗り越えようとすると石が落ちて音がするようになっている。 福江城(石田城)は三方が海に臨み、我が国唯一の海城で、今は城跡に五島高校がある。外国船の襲来に備えて江戸時代に日本で最後に築城された城である。
一度、福江港に戻り、ガイドさんと別れ、福江島の北東方向にある久賀島に向かう。島の東側の五輪港に上陸し、旧五輪教会を見学する。
久賀島(ひさか)
五島列島は九州の最西端で、、長崎港から100km西に位置する。大小129の島々が連なる。ほぼ全域が西海国立公園指定され、多くのカトリック教会が点在し、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す取り組みが進められている。
お刺身と郷土名物すりかまぼこの昼食。
江上教会は、大正7年、鉄川与助氏により再建された天主堂は、白亜の教会である。当時は信者190人、世帯数、40〜50世帯であった。建築資金は2万円で、割り当てに耐え切れず出て行った信者もいたようです。
若松島と中通島のあいだの若松瀬戸を通る。桐ノ小島のエメラルドグリーンに輝く桐湾を見る。
海童神社 鯨の骨が飾ってある。
明治14年に、浜脇教会として建てられた聖堂を、昭和6年に、この地に移築した。昭和60年老朽化した教会の隣に新しい聖堂を建立し、献堂した。五輪教会に所属する信徒は、50数世帯あったが、今では、減少し10世帯に満たない。五輪は久賀島でも、最も不便な所で、現在でも車で入る道がなく、漁業で生計を立てる住民は、山を歩いて越えるか、漁船を利用するしかない。久賀崩れの迫害を生き抜いた祖先を持つ信徒の生活は素朴で、信仰に篤い。旧五輪聖堂は、外観は和風で、内部はゴシック様式という明治初期の教会建築の貴重な遺構として県の文化財に指定されている。
木造建築の旧五輪教会と内部聖ヨセフとマリア様が祀られる。
新五輪教会
五輪港
船に乗り、10分くらいで、隣の黄島へ上陸。ここも、溶岩で出来た島で、家のまわりは石垣が積まれている。ここにも平山家という御大尽がいて、ひときわ大きな石が積まれている。遠くに、先ほどの赤島が見える。島には、海水から真水を作る施設があり、水に関しては、ずっと楽になったそうです。近くの黒島と合わせて、赤、黒,黄から、ベルギー諸島と呼ばれているらしい。(ベルギーの国旗と同じ)
海水淡水化施設
平山家
赤島
空き家になった家を「あかしまの家」として、民宿として借りられるようになっている。行った時も一人の男性が借りていた。 島の港に戻ると、おばさんガイドの仲間が、お店を開いていて、練り製品などを売っていた。また、貝を茹でたものを食べさせてもらった。(名前を聞いたが忘れた。)水は天水をためているが、電気は海底ケーブルで来ているそうです。
綺麗に手入れされた赤島神社があり、どこの家にも水をためたコンクリート製の貯水槽がある。一軒の家からおじさんが出てきた。京都から移住してきて、伊勢えび漁をしている。と言っていた。土地の人が漁に出てると、自分もでるが、出ていないときには出ないそうだ。家々には、漁のための網が干していた。 昔は、このあたりは鯨が採れて、鯨で大金持ちになった鯨御殿の跡もあり、佐野家の立派な石垣の跡がある。
赤島
2日目
今夜は、島の東にある鬼岳の中腹にある五島コンカナリゾートに宿泊した。
岬の手前には、井持浦教会ルルドがある。1895年に造られたが、1987年の台風で壊れたため、翌年再建した。信者が植えた花が見事に咲いていました。
福江島を横断し、西端に大瀬崎の断崖が続き、岬の先端に大瀬崎灯台がある。東シナ海を航行する船舶の標となっている。映画「悪人」のロケ地にもなった。市原悦子がTVのロケで来て、見とれたという断崖が150m続く。
五島列島は、釣をする人にとっては夢のような島だと思う。また、教会の島でもあり、もっとゆっくりまわれば、見所はもっとあったと思う。本土と同じようにができたおかげで、便利になった人もいれば、そのために人の流れが変わって、寂れてしまったところもある。海の色が印象的だった。 また、中通島を案内してくれたガイドさん、抱腹絶倒の面白さでした。ガイドが天職の年齢不詳のガイドさんでした。どうもありがとうございました。
福江島
奈留島