H.28.2.1~2

下呂温泉・水明館

旧大戸家住宅は、切妻合掌造り茅葺屋根、間口21m、奥行き12.3m、高さ13mと合掌造りでは最大級のものです。棟板には、「この大戸家の建築は、天保4年(1833)から弘化3年(1846)までの13年間という長い年月を費やした。」と記されている。

下呂温泉は、岐阜県下呂市にある温泉で、林羅山が有馬温泉、草津温泉と共に日本三名泉に数えたことから、「日本三名泉」と称された。

水明館は、昭和7年創業の老舗旅館である。4つの館と3つの大浴場があり、客室は240部屋ある。お風呂に入ってくつろいた後、番頭さんによる「館内ツアー」があった。

合掌村には、国指定重要有形民俗文化財の「旧大戸家住宅」をはじめ、白川郷などから移築した10棟の合掌造りの集落を再現した、往時の生活を知る貴重な野外博物館である。村内には、国登録有形文化財の旧岩崎家(民俗資料館旧遠山家(板倉)もあり、内部を公開している。

水明館

バスの時間がちょうどなかったので、駅まで歩いた。途中「林羅山」の銅像がある。下呂の中心部・白鷺橋の上で、猿と戯れている。江戸時代初期の儒学者で、日本三名泉の名付け親である。

円空館(円空は岐阜県で生まれ、生涯にわたり、行く先々で約12万体の仏像を彫りあげたという僧侶。人びとに微笑みかけるような仏像は多くの民衆に親しまれた。64歳で、自ら食をたち、即身仏入定している。)館内には下呂に残る300の仏像を展示している。

大戸家は衆議院議員・平沢勝栄氏の生家でもある。旧大戸家に付随する板倉は、御母衣遠山家の者を同時期に移築したものである。

(現在の白川郷集落から約10km南の御母衣字上洞にあり、御母衣ダム建設の際に解体移築した。造営時の家族は19名で、そのうち女性は3分の2で、養蚕を営むには好都合であった。)

竹原文楽記念館は、百体以上もの人形を一人で操ったという人形歌舞伎「竹原文楽」と、その演者であった洞奥一郎氏に関する品々を展示している。

土雛が飾ってあった。(この地方の雛人形は、殆んどの家では、絵付けされた素焼きの土人形が飾られていた。節句が近くなると、東濃地方や、尾張・三河から行商人が村を訪れ、各家々では、子供が生まれるたびに、ひとつ、ふたつと買いそろえ、人形を増やしていった。明治時代から昭和までの人形を展示しています。)

旧岩崎家住宅(民俗資料館)は、江戸中期の建物で、本を伏せたような屋根の形の切妻造り茅葺屋根。世界遺産の五箇山から、1968年に移築した。白川郷の合掌造りは、屋根の三角部分が側面になる「平入」であるが、この建物は三角部分が家の正面になる「妻入り」であり、五箇山の伝統的な合掌造りと言われている。

市倉で、ぜんざいを頂き、合掌茶屋(旧伊並家)でみたらし団子を食べ、合掌村を後にした。

JR東海ツアーズの旅で、下呂温泉に行ってきました。下呂の駅から、バスで、「合掌村」に向かった。

下呂駅、ホームからは水明館が見える。

影絵昔話館・しらさぎ座、冬季は休館中であった。

菊花石

合掌村

今回の旅は、「水明館」に泊まるという旅だった。きれいな飛騨川を見れたし、合掌村も見学できた。昨年、高山祭りで来た時に下呂で泊まったが、泊まっただけだったので、今回来ることができて良かったです。それにしても、中国人が多い。聞いた方は台湾の方だったが、最近は、日本中の観光地が中国人で持っているような気がします。

部屋の窓から見た下呂の街並み

館内には、お参りできる場所が4か所あり、玄関前には「薬師如来」が祀ってあった。

他にもいろいろあり、全部で55分かけて館内を案内してもらった。

500畳の春秋の間

中島千波画伯 「臥竜桜」

河合玉堂書「 千古一昏暁」

ケイカボクの化石

能舞台 石橋(せっきょう)の間

西村西望作 「自由之女神」

駅でロッカーに入れた荷物をとり、ホテルに電話して迎えに来てもらう。

板倉(旧遠山家)は穀物や農機具を保管する倉庫である。文化7年造営の3間、4面の総釿ばつりの板倉である。板で壁を2重にしているため板倉と言われている。

10時27分の特急「ひだ」号に乗り、帰途についた。飛騨川はエメラルド・グリーンできれいだった。途中飛水峡があり、行の電車では車内放送があり、見ることができた。