H.28.09.22~24
小浜に移動し。「蘇洞門(そとも)めぐり」をする。若狭フィッシャーマンズ・ワーフから長さ6kmの断崖美と奇岩、洞門を約50分で巡る。
早朝家を出て、始発の新幹線で東京まで。集合場所に集まり、午前8時44分の北陸新幹線・はくたか555号に乗り込んだ。金沢駅に午前11時52分に着いた。雨がパラパラしだした。ガイドさんに連れられて、昨年できたという駅前の「鼓門」を見る。北陸新幹線開業と共に造られた物で、ガラスのもてなしドームとの伝統と近代建築の融合した駅舎になっている。
寺院の建物を伽藍と言い、特に7つのお堂を「七堂伽藍」という。「山門」「仏殿」「庫院」「東司」「浴室」「法堂」で、特に僧堂、東司、浴室は三黙道場と言って一切の私語は禁止されている。 順路に沿って伽藍を巡った。
永平寺は約770年前に、道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小70余りの建物が並んでいる。現在は曹洞宗の大本山として僧侶の育成と檀家信徒の信仰の源となっている。
勝山駅に移動し、「えちぜん鉄道」に乗る。青龍や田園を望むローカル線の旅を「永平寺口」まで楽しむ。電車の中で、「焼鯖寿司」をいただいた。
坂井市丸岡に移動し、「丸岡城」を見学する。丸岡城は、小高い丘陵に造られた平山城である。安土桃山時代に造られたと推定される天守は国の重要文化財に指定されている。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を乗せた古式の外観から現存最古の天守と言われている。昭和23年の福井大震災で倒壊し、昭和30年に修理復元された。屋根瓦には石瓦が葺かれている。
バスで「東尋坊」に着いた。東尋坊は40数年前に来たことがある。東尋坊は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖である。海食によって、海岸の岩肌が削られ、高さ25mの岸壁が続く。輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模のものは、世界に三か所だけである。地名の由来は、乱暴者の平泉寺の僧がここから突き落とされたことによる。
3日間の若狭・越前の旅は終わり、米原駅から新幹線に乗り、途中静岡で下り、家に帰った。
三方五湖レインボーライン山頂公園で景色を楽しむ。ここは以前来ている。(日向湖、久々子湖、菅庫、水月湖 三方湖)を一望出来る。
3日目
宿は東尋坊温泉に泊まった。午後6時3分の日の入りです。
一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、朝倉氏の城下町がそっくり埋もれていた。遺跡の発掘が昭和42年から進められ、一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定された。平成19年には出土品のうち2343点が重要文化財に指定された。 復元町並みをガイドさんの説明を聞きながら歩いた。堀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成された様子が復元されている。発掘された堀の石垣や建物礎石をそのまま使い柱や壁、建具なども出土した遺跡に基づいて忠実に復元されている。
一乗谷朝倉氏遺跡に移動する。朝倉氏は、現在の兵庫県養父市八鹿の豪族で、南北朝時代に広景が主家の斯波高経に従って越前に入国した。孝景の時代に一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定した。北陸の小京都とも呼ばれた。1573年、織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も灰塵に帰した。
大すりこぎ と大数珠
平泉寺白山神社は北陸の苔寺と言われている。福井県勝山市に鎮座する。717年泰澄によって開かれた。朝倉氏の庇護を受けていた室町時代後半には、48社,36堂、6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成していた。
新堀清水(しょうず)夏冷たく、冬暖かい地下水が湧き出ている。別名殿様清水ともいわれる。手を洗い、清水をいただいた。
帰りは整備された「百閒坂」を下ります。大野藩の侍たちが城の本丸に行くのに使った道です。
曇り空のなか「越前大野城」を訪れる。ガイドさんと一緒に「柳廻社」の横から亀山に上る。頂上まで約20分で、織田信長の家来である金森長近が築城した城に着いた。
2日目
雨のなか観光を終えて、ホテルに入る。夕食は冷凍ものだったが蟹がいっぱい出た。ホテルの近くには「三国龍翔館」がある。オランダ人エッセルによりデザインされた木造五階建て八角形の小学校を模して造られ、今は博物館となっている。
遠くに「雄島」が見える。
越前クラゲ
民俗資料館・明治22年に裁判所として建てられた。
バスに乗って、雄島に移動する。雄島の周囲は2kmで海食崖になっている。島全体が流紋岩で出来ており、柱状節理が発達し、板状節理も見られる。安島漁港から朱塗りの雄島橋がかかっている。 石段を上っていくと、大湊神社の社殿がある。