2025.4.12
茅野市玉川粟沢にある粟沢観音に向かう。茅野市役所から歩いて20分ほどの上川の左岸の高台にある。平安時代から続いた館・粟沢城の跡地。粟沢一族の慰霊のために戦国時代に建立された。馬頭観音が祀られている。提灯が吊るされ、桜祭りの準備がしてあったが、桜はまだつぼみだった。
粟沢観音の桜
諏訪善光寺のシダレザクラ
諏訪市湖南南真志野にある諏訪善光寺に向かう。本田善光の開基と伝えられ、飯田市の元善光寺から長野の善光寺に本尊が遷座する途中、ここに7年間留まったと伝わる。シダレザクラは背後の墓地の最高部にある。桜の後ろを中央自動車道は通っている。他の何本かあるシダレザクラは咲いていたが、この桜だけ蕾だった。
下諏訪町高木に向かう。諏訪湖北東部の湖畔の集落。細い坂道を上っていくと、老人保健施設「グレイスフル下諏訪」がある。その先の坂の途中にシダレ桜が立っている。案内板によると(諏訪藩初代藩主頼水が大坂夏の陣に出陣して、帰藩するときに持ち帰った苗を藩士に分けたと言われる)老健施設の駐車場の下に「殿村遺跡」がある。竪穴式住居が復元されていた。
高木のシダレザクラ
岡谷市湊にある船魂社に向かう。中央自動車道花岡トンネルの南東、諏訪湖を見下ろす高台に鎮座する。社殿に向かって左手にシダレザクラが立つ。樹齢100年弱というが、幹は太く立派な木である。2006年撮影の写真と比べると、花付きが少ないように感じる。
岡谷市山手町にある育恩堂に向かう。山手町は塩尻峠、勝弦峠、小野峠と続く稜線の東側斜面山腹に広がる町である。山手町では最も標高の低い所に日蓮宗の育恩堂教会がある。シダレザクラは石垣を築いて境内を平面にした道路側の縁に立っている。道路から見上げるようにシダレザクラが立つ。
諏訪市岡村の貞松院に向かう。墓地には松平忠輝の墓がある。本堂前にシダレザクラが立つ。細い枝が地面に着くほど垂れて、満開であった。
樹種 エドヒガン
樹高 13m
目通り幹囲 3.1m
推定樹齢 約100年
南側のシダレザクラ
樹齢 330年
目通り幹囲 2.83m
火災のあと高島城から山門、藥医門、能舞台が移築された。
忠恒桜・この老木は、桜大門として植えた内の1本で、明治3年の温泉寺火災で損傷し、樹勢が衰えていたが、樹勢回復の処置をした。
貞松院のシダレザクラ
北側のシダレザクラ(A樹)
樹齢 330年
目通り幹囲 3.65m
樹種 エドヒガン
樹高 7m
樹齢 不明
標柱の案内によると(平成18年7月19日諏訪地方は豪雨に見舞われ、小田井沢川上流で発生した土石流は一気に沢を下り、船魂社の森を直撃した後、南北に分かれ住宅を押し流し、犠牲者が7名出た。船魂社も本殿、灯籠、鳥居、玉垣も押し流され、社叢も被害を受けた。桜は樹皮の多くをはぎとられながらも地域住民の懸命な手当により樹勢を取り戻した。)2006年に撮影された写真はその前にとられたものだろう。
樹種 エドヒガン
樹高 18m
目通り幹囲 3.3m
推定樹齢 100年
岡谷市指定天然記念物
育恩堂のシダレザクラ
樹種 エドヒガン
目通り幹囲 4.1m
推定樹齢 300年
高島藩の墓所
カタクリ
貞松院の裏手に正願寺がある。鐘楼の横にシダレザクラが立っている。
裏手の墓地には、松尾芭蕉の弟子の河合曽良の墓がある。作家の新田次郎氏の墓もあるということだった。
駐車場の桜 電車で来て桜を見て回っているという夫人と
庭園と墓地の間にも樹齢300年のシダレザクラが立っている。堺のブロック塀を壊し、両方に跨って幹が伸びている。
船魂社のシダレザクラ
和泉式部の墓
法光寺のシダレザクラ
貞松院の並びに法光寺がある。法光寺のシダレザクラは、くの字に曲がった幹から大きく枝を伸ばし、特異な姿を見せる。樹齢約300年をへて、花を咲かせている。
温泉寺のシダレザクラ
諏訪市湯の脇にある温泉寺に向かう。温泉寺の右横の道は、古図によると道の両側にシダレザクラの並木があり、伝承では、2代高島藩主忠恒が大坂夏の陣に出陣した時に持ち帰った桜で、この2本はその名残であるという。この道は桜大門と呼ばれ上り詰めた所に高島藩歴代藩主の廟所がある。市の天然記念物に指定されている。
正願寺のシダレザクラ