R.1.9.13~14

母畑温泉・八幡屋と袋田の滝

早朝、家をでて、駅前から迎えのバスに乗る。焼津駅、静岡駅、東静岡駅、清水駅、富士川SA,富士インターバス停、御殿場駅に寄り、参加者を乗せて、やっと東名高速道路で母畑温泉に向かった。途中「お菓子の城ハートランド」でわっぱめしの昼食をとる。「那須の月」という「萩の月」のようなお菓子を機械で作る工程を見せている。

水戸市にはいり、「偕楽園」による。「萩祭り」が行われていて、野点の会場には暑いのに着物姿の方が多くいた。萩は地味な花なので、梅にはかなわない。「好文亭」に入る。藩主水戸斉昭がその位置から、建築意匠まで定めたという。「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き学問を廃すれば開かなかった。」という故事に基づいて名付けられた。昭和20年に全焼したが、昭和30年に復元された。

白河の関跡」に寄った。福島県白河市旗宿にある関跡で、鼠ヶ関勿来の関とともに奥州三関のひとつで、都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた。設置時期は明らかでない。平安中期には関としての機能は解消したものと考えられている。1800年、白川藩主松平定信は、文献による考証を行い、白河神社が建つ場所を白河関跡とした。1960年代の発掘調査で、土塁や空堀を設けた古代の防禦施設を検出した。

「お菓子夢工房」に寄り、全ての行程をおえて、帰途についた。バスの旅は体が大変で、特に帰りは時間がかかり藤枝に着いたのは11時を回っていた。初日は雨が降ったりしたが、涼しく、母幡温泉も評判通りで温泉も楽しめた。二日目は気温が上がったが、袋田の滝は西行法師が言うように見てみないと分からないすごさでした。今回は水量も多く、立派な滝でした。

母畑温泉とは、八幡太郎義家が奥州征伐の途中、馬の傷を谷間の清水で洗ったところ、たちまち傷が治ったという伝説の温泉。

釣り橋で対岸に渡り滝の上に出る垂直の階段を登ったが、10分ほど登って「天狗岩」にでた。横に滝が見える。夫はその上まで行ったが引き返してきた。まだ上のほうまで行けるようだが出発時間が迫ってきたので、渓流散策コースを歩いてバスに戻った。天狗の鼻のように突き出した岩で、夜な夜な天狗のうちわをあおぐ音がしたというが、ムササビの羽ばたきだったという。

朝食後、稲荷山に登る。山頂からは宿の全景が見える。(明治13年宿の創業・渡辺忠兵衛は旅籠・八幡屋の成功を祈願し、伏見稲荷から正一位という最高のお札を頂き、宿の向かいの山に祠を建設した。宿の増築の際に山頂に祠を移設し、伏見大社から宮司を招き、遷都式をした。八幡屋はこの稲荷神社に守られている。)

三階楽寿楼からは、千波湖や庭園が見渡せる。梅の季節には素晴らしいだろうなと思った。

母畑温泉・八幡屋に1時間遅れで到着する。加賀屋を抜いて一番になったという宿屋です。 温泉が充実していて、巨石くり抜き風呂などがある。

7月には帰郷邸がオープンして、そこの温泉も素晴らしかった。

十二位の杉 樹齢800年

白河神社参道入り口

白河神社

空堀跡

邸内には「大日本史完成の地碑」がある。水戸光圀公によってはじめられ、歴代の藩主がその意志を継承され250年を経て明治39年、397巻の完成を見た。)駐車場になっている公園には「水戸光圀公」の銅像がたっている。

松平定信による古跡蹟

土塁跡

茨城県に入り、太子町の国の名勝「袋田の滝」に向かう。日本三大名瀑のひとつで、高さ120m、幅73mある。四段に落下することから「四度の滝」ともいわれている。西行法師がこの地を訪れた際に「この滝は四季に一度づつ来てみなければ、真の風趣は味わえない」と絶賛した。

トンネル入り口を入り第一観瀑台に出る。一番下の滝が目の前に迫り、壮観でした。

エレベーターで第2観瀑台にでる。滝の最上段を見る事ができる。

昭和54年に完成したトンネルは長さ276m、高さ8m、幅4mある。

エレベーター入り口

観瀑台にある西行法師や水戸光圀公の歌碑に滝が映っている。

吊り橋

芭蕉奥の細道碑