ホテルを出て、2時間かけてペンシルバニア州・フィラデルフィアへ。 バスの中で、ガイドさんがフィラデルフィアについて話をしてくれた。

5日目

ガイドさんの指示で、像の左後ろにまわって、リンカーンの頭部を見上げると、頭の後ろにもう一つ顔があるように見えるし、角度によっては、頭の上部にお面をかぶっているように見える不思議な構図だった。右側ではその様なことな起きていない。

フィラデルフィアは、ギリシャ語で「兄弟愛」を意味する。1682年、この地に町を築いたクエーカー教徒のウイリアム・ベンがつけた名前である。1776年植民地だったアメリカがイギリスのから独立を宣言し、13州からなる新しい国家が誕生した。その日、町中に独立宣言の採択を知らせる自由の鐘「リバティベル」が響き渡った。ワシントンDCが首都として完成するまでの間、今日の政府の原型がフィラデルフィアでつくられ、憲法の制定がこの地で行われた。

ナショナル・ギャラリーをガイドさんと一緒に見る。

予定にはなかったが、ガイドさんがフィラデルフィア美術館に連れて行ってくれた。

海兵隊員が通った。

ホワイトハウスはアメリカ大統領の官邸で、初代大統領ジョージ・ワシントンを除く第2代ジョン・アダムスからバラク・オバマまで200年以上にわたって歴代大統領がここに住み、数々の歴史的決断がされてきたところでもある。現在、132の部屋があるそうです。

昨日スーパーで用意した簡単な朝食をとり、午前8時にバスでホテルを出て、ロナルド・レーガン・ナショナル空港に向けて出発する。渋滞もあったが10時32分の国内線でジョン・F・ケネディ国際空港に向けて出発するはずだった。しかし、この飛行機が出なかった。それから延々と待たされて、結局今日は帰れないことになった。あまりにもかわいそうということで、再びワシントン観光をすることになった。   昨日見ることができなかった場所を選んで連れて行ってくれた。

威勢のいいお兄さんが華麗な包丁さばきで、野菜、海老、ホタテ、牛肉を焼き、焼き飯をつくり取り分けてくれた。アメリカに来て初めての牛肉で美味しかった。

アルバの聖母子(ラファエロ・サンティ)

建物の真ん中にはリンカーンの像が。

アーリントン墓地は、ポトマック川を渡った西のバージニア州側にある、約250万㎡の国立の墓地。国民的英雄や、アメリカ建国以来30万人以上の人がここに埋葬されている。   無名戦士の墓もある。

丘の上にあるアーリントンハウスは、南北戦争で南軍の総司令官だったリー将軍の住居。

ワシントンの正式名称は、「Washington District of Columbia」である。日本語では、「ワシントン・コロンビア特別行政区」という。全米50州のどの州にも属さない、連邦政府直轄の地区として出来上がった町である。連邦政府の立法、行政、司法の機能だけが存在し、住民のほとんどが公務員か弁護士であるといわれている。

バスで、J.F.ケネディが眠るアーリントン国立墓地へ。

ガイドさんと別れ、ワシントンDCに向けてバスで約3時間走り、ホテルに入り、魚料理の夕食をとる。アメリカといえば、わらじステーキと思っていたが今のところまだお目にかかっていない。

ロッキーが駆け上がった美術館の階段は「ロッキー・ステップ」と言われている。ロッキーの銅像

ガイドさんと

独立記念館 トーマス・ジェファーソンが起草した独立宣言が採択され、国会が開催された合衆国誕生の場所。1787年の憲法制定会議もここで行われた。

リバティベル・センターに入って鐘を見る予定だったが、待っている人が多く、建物の外からの見学となった。鐘は独立を宣言する際に鳴らされたが、その後大きな亀裂が入り、音色を聞くことはできなくなった。内に入れば、亀裂を修理した跡を見ることができた。

クエーカー教徒の学校跡

昔の衣装のウエイター

エルフレスの小径は、オールドシティ地区にある静かな石畳の小径で、1720年~1830年代に建設されたアメリカ最古の住宅街である。道の両側に32軒の家が建ち並び、居住者がいて今も暮らしを続けている。

ジネヴェラ・デ・ベンチの肖像(レオナルド・ダ・ヴィンチ)(裏面にはオリーブとヤシの葉が描かれている。また、手が描かれた部分が切断されたのではという疑いもあるという。))

はかりを持つ女性(ヨハネス・フェルメール)

月の石

アメリカでは、結婚式の前にあちこちで記念撮影をするそうで、一組のカップルが列席者と共に記念撮影をしていた。

シバ ナタラージャ

日本のゼロ戦

ポトマック川の向こうにはアーリントン墓地が。

約14時間のフライトで、無事成田空港に着いた。こういうトラブルは2回目である。ルーマニアに行ったとき、ルーマニアからイタリア・ミラノの空港に向かったが、空港ストで降りられず、近郊の空港に降り、空港が開いたと聞いてミラノに飛んだが、成田行きのアリタリア航空機が出てしまったあとだった。空港に日本人の係員がいて、てきぱきやってくれたが、結局その日には帰れず、次の日に全員バラバラで日本に帰った。

ワシントン郊外の小さなホテルに入り、夕食をとり長い1日が終わった

モールの西側からワシントン記念塔国会議事堂を見つめているのは、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの像である。高さが5.8mで28個の白い大理石のブロックからできている。36本の大理石の円柱に支えられたギリシャ神殿風の建物は、1921年に完成した。この36という数字は、リンカーンが暗殺された1865年当時合衆国に加盟していた州の数を表している。  内部の壁には、ゲティスバーグでの演説「人民の人民による人民のための政治」など、大統領の歴史的な言葉が刻まれている。

早朝4時に起きて、空港へ。午前6時12分のアメリカン航空で、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に着いた。ここで、問題発生。せっかく「プレミアム・エコノミーで行く」とうたったツアーできたのに、席が3席しか用意できないという。じゃんけんで決めることになった。プレミアムの席はバラバラしか用意できないということで、じゃんけんをやめる人も出て、結局5人でじゃんけんした。私と夫は席を確保できた。なんだか後ろめたい気持ちだった。結局、キャンセルも出て、7人がプレミアムに座ることができた。

トーマス・ジェファーソン記念館 第3代大統領で、生誕100年を記念して1943年建てられた。中央にはジェファーソンの像が立っている。高さ5.8mのブロンズ像で、壁の内部には彼が起草した「合衆国の独立宣言」の一節をはじめ、彼の政治理念を表した言葉が刻まれている。館はダイタルベイスン(不忍池の4倍ほどの池)に面している。

池の向こうには、ワシントン記念塔がよく見える。初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業を称える記念塔である。169.2mの高さは石造建築物としては世界一を誇る。この塔がどこからでも見えるように、高い建物を建てることを禁ずる条例がある。南北戦争で工事が中断したため、下3分の1と上3分の2が微妙に石の色が違う。

航空博物館の前に集合し、スーパーマーケットに寄る。お土産を買うところがなかったので、ここでアメリカ土産を調達する。そのあと、不思議なお店で、鉄板焼きの夕食をとる。

19世紀のアメリカ絵画と中国、韓国、中近東、日本などの東洋美術専門の美術館。デトロイトの実業家チャールズ・ラング・フリーアのコレクションで、友人の画家ホイッスラーと共に東洋美術を中心に収集した美術品は約7500点に及ぶが、展示数はその一割にも満たない。葛飾北斎、安藤広重の浮世絵、尾形光琳、俵屋宗達の襖絵などもあるそうだが、飾られていなかった。

狭いエリアにひしめく博物館や美術館の多くはイギリス人科学者から寄贈された遺産をもとにつくられたスミソニアン博物館群に属す。それらのほとんどが入場無料である。まずは、ガイドさんと一緒に「国立航空博物館」に入る。

ロバート・ケネディの墓

J.F.ケネディ夫妻の墓

カーペンターズホール 1774年にイギリスの植民地弾圧政策に対抗するため、第一回大陸大会が開かれた。建物は大工組合の寄合場所だったが、独立戦争中は病院として利用されたりした。米国最古の職業組合Carpenters Coが現在も所有する。

インディペンデンス国立歴史公園を散策する。

昼食は、大統領も訪れたという歴史地区にある名門レストラン。4種類の地麦酒を頼み水野夫妻と4人で分け合った。デザートは今まで完食は4人しかいないという超甘いお菓子だった。完食はできませんでした。

ベッツィ・ロスの家 最初の星条旗を縫った女性として知られている。家の中には、裁縫道具、キッチン用具などが展示されている。星が13個の星条旗が飾られていた。

白い縁の着いた黄色の上着、宝石箱、リボンのついた真珠の首飾りなどほかの作品にも使われている。

ローゼンタールの「硫黄島の星条旗」は1945年のピューリッツアー賞写真部門を受賞した。1951年、この写真をもとに海兵隊記念碑として彫刻家フェリックス・ド・ウエルドンが彫像の製作に着手した。

フルートを持つ女
この作品は保存状態が悪いうえに、出来がよくない。「伝・フェルメール作」と表示している。

手紙を書く女性(ヨハネス・フェルメール)

エドガー・ドガ

ポール・ゴーギャン

じょうろを持つ少女(ピエール・オーギュスト・ルノワール)

ビント・アルトヴィティの肖像(ラファエロ)

(ラファエロ)

青いクッションの裸婦(モジリアーニ)

日傘をさす女(クロード・モネ)

ここでガイドさんと別れ自由行動になる。まだ見ていないところもあったが、日本のものを見たいと思い、フロントで聞いてみると、「フリーアギャラリー」にあるという。歩いて10分くらいのところにあるギャラリーに向かった。

8日目

その先には、ポトマック公園があり、日本から友好のあかしとして贈られた桜は大事に育てられ、今全米に広がっているそうです。。桜の老木の下で。

対岸に石のようなものがある。キング牧師の記念碑だった。2011年に完成した記念碑は、高さが9mで、腕を組んだ牧師が岩から浮き出ている。「私には夢がある。」と語った歴史的な演説からちょうど48年目となる年に完成した。

ライト兄弟が1903年に飛行に成功したライトフライアー号

リンドパーグが大西洋横断に成功したスピリット・オブ・セントルイス号

池の向こうにそびえるワシントン記念塔

建物の屋根の部分には、アメリカの州の名前が刻まれているが、その後、加わったアラスカとハワイの文字が階段に刻まれている。

階段にあるキング牧師が演説をした場所。

リンカーン記念館

6日目

火災保険に入っているという印。消防はこの印をつけた家から消すという。

添乗員・原田さんと

玄関に来た人を見る鏡

地下収納庫の扉

自転車に乗ったポリス

今回は、観光というより、美術館巡りの旅だった。ボストン美術館メトロポリタン美術館ワシントン・ナショナル・ギャラりー、フリック・コレクションを訪れた。 それぞれ大きな美術館で一日いても見きれないのではないかと思う。
 期待していた「フェルメール」の作品を見ることができた。ロブスターも食べることができたし、飛行機トラブルがなければ満点の旅だったのに、惜しいです。

加賀まりこ似のガイドさんと

火星探査機と月面探査機

アポロ11号の宇宙船指令室

国会議事堂は全州を統括する連邦政府の議会を行う議事堂。アメリカの政治の中枢であり、ワシントンDCはここを中心につくられた。白亜の巨大建造物には大ドームがあり、その上にブロンズ製の自由の女神像が据えられている。

女性の後ろの絵は、「最後の審判」、人間の魂がはかりにかけられ、天国と地獄に振り分けられる様を示している。

7日目

自画像(フィンセント・ファン・ゴッホ)

ラ・ムスメ(ゴッホ)