秋葉山

H.18.11.26

秋葉山は明治以前は秋葉大権現の名の元に、秋葉社と秋葉寺があったが、神仏分離、廃仏毀釈で秋葉神社と秋葉寺に分かれた。秋葉社は下社と頂上にある本宮の上社からなり、頂上から800Mほど下ったところに秋葉寺はある。秋葉寺は奈良時代、僧行基によって開かれ、その後、三尺坊が飛来し、守護神となる。火坊の神として絶大な信仰を集め、遠州における天狗の総元締めである。白狐に直立し、背に鳥の両翼をつけ、飛行自在の神通力をもっている。

15時下山、15時20分、三尺坊、16時20分、下社。急坂を下りてきた足には下社の石段がつらかった。軽い気持ちでのぼりはじめたが、のぼりが急で、結構きつい山歩きとなった。でも、お礼参りができて、肩の荷がおりた。息子は運動不足だといっていたが、若いだけあって、どんどん歩いていた。

皇太子ご成婚記念の幸福の鳥居(黄金の鳥居)

30丁目の子安地蔵を過ぎると、秋葉寺の仁王門が見えた。45丁目の秋葉寺三尺坊には、14時5分に着いた。静かなたたずまいだ。右手に回り込んで、表参道を行く。驚くほどの大杉の間を急登する。 やっと、随身門がみえた。昭和13年この門を残して社殿のすべてを消失した。14時47分、再建された上社に到着した。せめて木造にして欲しかったという意見がHPに載っていたが、落雷やらの火事を考えたら仕方がないのかもしれない。秋葉山の山頂は885Mです。

9時30分、家を出て、駅で息子を乗せて、一路西にむかう。袋井から48号線を北上し、下社に着いた。気田川の河原でおむすびを食べ、12時20分下社をあとにする。朱塗りの栗橋をわたる。ここは掛川宿から9里、浜松宿から9里ということらしい。石を敷き詰めた領家坂下の集落をすぎ、苔むした敷石の参道を行く。常夜灯が次々と現れる急坂を登って行く。

おばばころがしの領家坂下の集落