春香伝        


春香伝(チュンヒャンジョン)

チュンヒャンジョン春香伝は有名な古典愛情小説です.人気の面から見て日本での忠臣蔵と匹敵するでしょう.時代の設定も17世紀後半、元禄時代であるのも面白いです.
忠臣蔵が武士が主役であるのに反して春香伝は女性が主人公です.
 厳しい儒教倫理の社会にも恋愛はあったのですね.
 原著者は不明ですが春香伝の原版と認められている全州「完西渓書舗」の木版本「烈女春香守節歌」を台本にしました.

用語凡例 : サート=府使(地方長官)を府使様とは言わずにサートと呼ぶ
       トリョン=未婚の青年の尊称、若様又は若と呼ぶのと同じ
       バンジャ=房子、部屋付きの小使いの少年のこと、
       (官に所属した職名で官属は名前の代わりに職名で呼ぶのが通例.   
さあ、前置きはそのくらいにして、
韓国女性の貞節の象徴、ソンチュンヒャン(成春香)と会って見ましょう.

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妓女から貴婦人に

 時は李朝19代粛宗(1674~1720)の初期 
王は徳が高く国には平和が続き社会は安定して天下は泰平だし、人民は安らかであった.朝廷には忠臣が行政に励み、勇猛な武将は国を守り、家々には孝子烈婦が家系を守り、雨順風調して豊年を謳歌し上下が満ち足りた世の中であった.
 封建制度は身分社会であるから戸籍が身分によって分かれていた.貴族(ヤンバン)、常民、賎民、(下卑など)で妓女には妓籍が有った.全羅道南原府に月梅と言う妓女(芸者)が居てその艶名が三南地方になりわたったが早く成なにがしと言う次官出身のヤンバン豪族の寵を受け妓籍から引かれ成氏の側室になって優しく裕福な旦那の愛情を受けて幸福に暮らした.側室も奥方には違いない.月梅は玉の輿に乗ったわけである.
  然し齢四十を越えても子供が出来ないのでそれを悩み溜め息吐息の日々を送った.或る日月梅は思い切って旦那に、
『わたしは旦那のおかげで妓女から良家の婦人になり礼儀作法から機織り、裁縫、刺繍と淑女のたしなみを身につけ下僕も置いて何不自由なく幸せですが前世の罪ですか子供が出来ません、やがては天涯孤独祖先の香火も絶やし、死んでも弔ってくれるものさえ居ない有り様です.旦那どうしましょう、名山大刹に祈りを上げて男女にかかわらず一子だけ授かれば生涯の望みを遂げると言うものです、旦那様お許しくださいませ.』
『うーむ、お前の気持ちはわかるし哀れにも思うが祈って子供が出来るなら子の無い人が居ないはず無用のことじゃよ.』と気乗りしない様子.
『でも旦那、天下の大聖孔子さまも尼岳山にお祈りして生まれたし、熊川の朱天儀も老年まで子が無かったが最高峰にお祈りして大明の天子様を生んだそうですよ.わが国の山々は美しいので有名なだけにきっとご利益が有るはずですわ.誠を尽くせば天にも通ずると言います.ねえ旦那お願い、お祈りさせてぇ.』
月梅はせっぱ詰まって旦那にとり縋った.
『うーむ、お前はかなり思いつめているなあ、まあ良かろう、やってみろ.』
『有り難うございます、旦那様はお優しい.』月梅は嬉しいあまり旦那に抱きついて愛嬌を振りまいて甘えた.

 仙女月梅に宿り娘誕生

 この日から月梅は沐浴斎戒心身を清め名山勝地を尋ね女卑一人を連れて家を出た.烏鵲橋(オジャッキョウ)を渡り左右の山川を見回りながら進む.西北には蛟龍山が聳え東は林が続く中に禪院寺が朧に見え隠れする.南には智異山(チリサン)が勇壮な姿で鎮座し其処から流れ出る清らかな水は川幅を広めながら東南方に悠々と流れる.これぞ正に別有天地かなである、長いチマがまとわりつかぬよう折上げて腰に結わえ、谷間の小道をたどり躓き、転び、喘ぎ、手足で這いながら千辛萬苦頂上の般若峰にたどり着き四方を眺めれば一望万里、山川と平野が美しい.心身の汚れが清らかになるようである.
 頂上の岩の上に祭壇をしつらえ幔幕をめぐらして祭器に供え物を盛り蝋燭を灯し跪いて一心不乱に祈りを上げた.月梅は無我の境であった.疲れが出たのか祈りに憑かれたのか跪いたままその場に倒れて眠りについてしまった.
 天空から清雅な鶴の鳴き声が聞こえ顔を上げてみれば一人の仙女が羽衣をなびかせて乗って来て月梅の前に降り立った.驚いてみれば仙女は頭には花冠を頂き手には桂花の枝を持って五色の後光に包まれて月梅の前まで来て、腰をかがめ丁寧にお辞儀をして静かに口を開いた.
『小女は洛水の女神、洛浦の娘ですが天界で桃を摘んで玉皇上帝に差し上げに行く途中赤松子仙人に会い一目惚れをして時の経つのも忘れて愛をささやいていましたので上帝のお怒りを受け人間世界に追いやられました.行き場を知らず途方にくれていると此処チリサン智異山の神様が奥様のお宅に行けと教えてくださいました.どうぞ小女をお受け下さいませ.』と言って月梅の懐に飛び込むのを月梅はとっさに抱え込んだ.
 驚いて目を覚ませば南柯一夢であった.目を覚ましてぼんやりしている間何か芳しい香りが漂い鶴の清雅な鳴き声が耳にこだまするようであった.
 家に帰った月梅はその夜旦那に夢の話をし、情のこもった交わりをした.果たして月梅は身ごもり子を孕んだ.
 月梅はひそかに男の子であればと望んだが分娩の時五色の瑞気と、えもいわれぬ芳香の漂う中に女の子が生まれた.子が欲しかった月梅にしては嬉しいことこの上ない.名をチュンヒャン(春香)とつけ、金枝玉葉の如く育てた.娘は育つにつれ益々美しく聡明であった.7,8歳のときからは学習を好み礼儀貞淑な美徳の賞賛が遠近に広く喧伝された.

 このとき漢陽の王宮の近く三清洞に李翰林というヤンバンが住んでいたが忠臣を多く輩出した名門であった.王は忠孝録を点検してその子孫を地方官に任命したが李翰林には果川県の県監、錦山郡の郡守を経る間善政を施した実績を認められ南原府の府使に昇進発令した.李翰林は王命を頓首拝受し早速家卒を引き連れて全羅道南原府に赴任した.漢陽から南原までは千里の道のりである.
ちなみに朝鮮の封建制度は中央集権制で世襲の王は国王一人であり地方の方伯は国王が任命した.地方の長官は就任中は王を代理して行政、司法権を行使するが職を離れると全ての権限を返上する近代的制度である.
 李府使は着任早々任地の自然と民情を調べたが山川は美しく農地は広く産物が豊富であり、民心また純朴で各々家業に励み親には孝行、家族はむつまじく、隣近所とは義理深く親切で実に住み良い土地であった.
 時は正に百花爛漫の春もたけなわでツバメはせわしく飛び交い、しだれ柳には鶯が連れを呼び、百鳥は双を成して飛び交う、山野は色とりどりの花が咲き競い暖かい春光に絢爛と輝いた.これぞ"春三月佳時節"なるかなであった.

バンジャ房子の説明
 このとき新しく赴任された李サートの子息李夢龍(以下、イトリョン)は歳は二八青春(ニハ16、16歳)、風采は背だけがすらりと高く、魅力溢れる美男子であり、性格は闊達で文章は李太白、書は王義之の如きて多才でハンサムな秀才であった.
或る日イトリョンはバンジャを呼んで聞いた.
『此処で景色のいいところはどこか?』
『勉強する書生が景色の良い所を聞いても余計なことでしょうが.』
『お前はわからないなあ、古より文章に優れた才士は自然の景色を鑑賞して文章と詩を修めたものだ.神仙も名山大川をあまねく見て回るのだ.何が悪いと申すか.司馬長卿のような人は江淮の河にあそんでいたが河を遡るときに荒れ狂う波と陰風の吹きすさぶさまを詩に残して危険を戒めた.世の中の異なこと、美麗なこと、全てが文章でないのが無い.詩中天子李太白は采石江であそび、赤壁江では秋夜の月下に蘇東坡が遊んでいるし、新陽江名月の下では白楽天が遊んだし、俗離山文章台には世宗大王が遊んでおわした.文士たるもの自然に親しまずには居られまい.』
バンジャはやむなくイトリョンに四方の景色を説明する.
『都の漢陽なら紫霞門を出て七星庵、青蓮庵、洗剣亭だし.平壌の練光亭、大同楼、牡丹峰、襄壌の楽山寺、報恩俗離の文章台、安義の捜勝台、晋州の矗石楼、密陽の嶺南楼がどうかは知りませんが全羅道なら泰仁の平壌亭、戊州の寒風楼、全州の寒碧楼が良いですが南原の景色と申しますと東門の外に出れば関王廟に千古英雄の威風を感じますし、南門の外には広寒楼、烏鵲橋、瀛州閣が良いですし北門の外に出れば青空に金の芙蓉が聳え立ったような奇岩怪石の蛟龍山城が良いですから気の向くままにしなさいな.』
『お前の話を聞いてみれば広寒楼と烏鵲橋が絶景のようだなあ.』 イトリョンは府使の父の前に行き恭しく一礼して
『本日天気うららかですので外に出て詩情を興じ詩韻でも考えながら城内を一回りし様かと存じます.』サートも大いに賛成し
『そうじゃ、若い者が閉じこもってばかりいても良くない、南方の風景を見物しながら詩題を考えて帰れ.』
『はい、さようにいたします.』イトリョン、殿の前を下がり
『おい、バンジャ.馬に鞍を乗せて参れ.』と勢い良く命じた.

 春香伝(チュンヒャンジョン) 2

華麗な初の外出

バンジャ命を受けて驢馬の準備をする.
バンジャ、整理された馬具のうちもっとも上等のものを選んで元気な驢馬につけた.珠絡象毛の下敷きに鞍を載せその上に虎皮の敷物を置いた、青紅の絹糸で織った手綱に金の轡、銀の鐙、数珠繋ぎの銀の鈴、普段はサートが使う最高の装具をつけた.バンジャも実は官府内の息詰まる雰囲気から同年輩のイトリョンとの外出が嬉しかった.
『驢馬の準備が出来ましたよ.』
 初の外出にうきうきしたイトリョン、眉目秀麗、仙風道骨、すらりと背も高い色は白く目鼻たちが整った素敵な好男児、おまけにサートのお子息、現地最高のお身分である.
艶やかで豊かな黒髪を結わえ下ろし先には絹のリボンで締め括り、成川水紬織りの細麻の上下、極上細木綿の足袋を履き足首のところでツボンと一緒に男結びに結わえた.上着にはチョコリ、チョッキ、ベジャ(ハッピノヨウナモノ)、影紹?の帯をきりりと締めくくり、毛紹?の巾着を腰に吊り下げ、長い羽織に黒紗の帯紐を胸のところに結わえて、紐には赤、青、金糸の房がたれている.足には唐鞋を履いて『驢馬を捕れ』と声をかけ鐙に足を掛けひらりと鞍にまたがった.左手で手綱を取り、右手には柄を金でまぶせた扇子で日光を遮り大通りを進んだ.その風采、さながらにその昔、ほろ酔いの気分で楊州に向かう杜牧之の再臨か,時時誤払した周郎の顧音なるや、通り過ぎる街がぱっと明るくなり、芳香が漂うようである.仰ぎ見る人、目を見張り憧れない者が居ない.
広寒楼に上り四方を見れば実に眺めが良い.赤城には朝霧が立ち込めているし、春盛りの花柳が四方を取り巻く中に東風が爽やかに心を清めるようである.
朝日は赤い楼閣の柱を照らし楼の壁面の鳥居には此処を訪れた名だたる詩人文士の珠玉のような詩文の額が隙間無くならべ掛けられている.大地には春花爛漫に咲き乱れる中、鸚鵡、孔雀があそび、遠くを眺めれば新禄が鮮やかに風になびき、渓流のほとりにはほころびかけた蕾が微笑みかける.鬱蒼たる松林は屏風を成しているし、桂樹、紫檀、牡丹の木、碧桃が蓼川の蒼い水に逆さに映っている.又目を移せばある女の人が春情を抑えられぬのか、花を手折り髪に挿したり、芍薬の花を折っては口にくわえてみたり、袖を半ばたくし上げ、透き通るような清らかな川水に手を洗い、足も洗い、両手にすくって口に含みうがいをしたり、小石を拾っては柳に止まった鶯に投げてみたりしてはしやいたかと思えば柳の葉を毟り取り川に流しては喜んだりしている.雄の蜂、雌の胡蝶は花々に戯れひらひらと舞い踊る.黄金色の鶯は森の間を飛び交う.

鵲橋の風流

広寒楼の景色も良いがオジャッキョウ烏鵲橋はなお良い.正に湖南第一景と言えよう.烏鵲橋が確かなら牽牛・織女は何処に居るのだろうか.こういう絶景を眺めたらおのずから詩情が沸くと言うものである.イトリョンは即座に詩を詠じた.

「高明烏鵲船 広寒玉階楼 借問天上誰織女 至興今日我牽牛」
 
高い夜空に烏鵲の船 広寒玉石の階段の楼閣
 聞こう天上の織女なる星は誰か. 絶景に興ずる今日の我こそが牽牛だ.
 
このとき役所から酒肴が運ばれてきた.イトリョンは2〜3杯を飲み残りはバンジャと従者に下げてやった.いい機嫌になったイトリョンは煙管にタバコを詰めさせ口にくわえて吸いながらその辺をぶらりと歩きながら思う、
忠清道の熊山、水営の宝蓮庵が美しいと言うが此処の景色には勝てぬはず、あかい丹、あおい青、しろの白、くれないの紅、丹青紅白いろとりどりに丹青が行き届いた楼閣、柳には鶯の連れを呼ぶ泣き声が春の興趣を昂ぶらせる.褐色の蜜蜂、白蝶、黄蝶、胡蝶が花の香りに誘われて花芯にくちづけする。
さながらにここは天上の瀛州、流れは銀河だ.月宮なら仙女が居るはず.
この日は端午の佳節、まさに季節の女王、寒からず暑からず、百花爛漫な上新禄が瑞々しい一年中一番良い時節である.
このとき月梅の娘、ちゅんひゃん春香も詩書音律に通じた教養豊かな令嬢であった.
天中節(端午)にあたりブランコ遊びをするため女卑の香丹をつれて来ていた.

《5月5日の端午節の主な遊びは男の子は相撲を取り、女の子はブランコに乗る、ブランコは100尺の高い柱を二本立て、てっ辺に横木を結び付けそこえ下まで届くよう長い綱で結んでいる.下は人が一人座れるくらいの幅で二本の横木を縄でぐるぐる巻いてブランコの綱を挟んで安定させる.その座木の上に腰掛けて乗る.サーカスのブランコを想像すると間違いないが、人が地上で簡単に座れるような低さに吊ってある.座るとあまり高くまで上がらないから立って乗るのが普通だ.初めは付き添いの人がブランコを2〜3歩押して離すと前後に動くようになる.その後は乗り手が自分で振動をつけて高く上がるようにする.それが技術だ、上手な人はブランコがほとんど水平になるまで昇るがそれはチャンピオン級である.》

春香は椿の油を塗って漆黒に光る黒髪を真ん中で端正に梳き上げ後ろで編み結わえ腰まで垂らした先に赤い絹のテンギで結び付けてすらりとした背だけに細い腰をくねらせ歩く時豊かなお尻が左右に振れるのがなまめかしい.黄のチョコリ、足首まで届く真紅のチマ、帯には翡翠の飾りをぶら下げ、髪には白玉のかんざしがまぶしい.春香はブランコまで来て長いチマを腰のところで折曲げ下腹あたりに紐で結んで風に吹かれてもチマがはだけないようにし、花草履を脱いで細木綿の白い足袋のままブランコに乗っては、
『香丹や、ブランコを押しなさい.』香丹はブランコを頭のところになるまで押してから飛びのいた.
春香は両手でブランコの綱をしっかりと掴みブランコが下がる時には腰をかがめ重みをつけ、ブランコが上がるときには体を上に持ち上げる動作でブランコの動きを大きくさせていった.
ブランコの振れる範囲が大きくなると速度も増える、禄陰芳草酣の間に赤いチマのすそが風に激しくなびく、九万里長天、白雲の中にいなずまが煌く如く前にあると思えばいつのまにか後ろに行っている.さながらに仙女が雲に乗って戯れる如きだ.見ている者も目がくらくらするようだ.遠くの山々や林まで天地が揺れ動き風は着物をはげしくはだける.衆人環視の中だ、春香は心臓がときめき顔が上気してきた.ブランコが45度くらいになった時.
『香丹やブランコを止めて』と命じた. 動くブランコの綱をつかんで止めるのも容易ではない.香丹が3度目にようやく綱をつかんだ瞬間春香の体が衝撃を受けた拍子に髪に挿していた簪が飛んで川辺に落ちた.
『あ、簪が落ちたわ.』
春香が思わず叫んだ.とっさの間にも落ち着いたその態度,透き通るようなその声はこの世のものとは思えないほどの美しさだった.

春香伝3

 物には主がある

春の陽気は暖かく二八青春の胸は熱い、イトリョンはもやもやした気持ちを抑えきレズに居る時ブランコに乗って空を行き来する春香のあでやかな姿を見て独り言をつぶやいた.
『五湖に舟を浮かべ范小伯の後を追った西施が来るはずもなく、垓城の月夜に哀歌もて項羽と別れた虞美人が来るはずもなく、丹鳳宮を退いて白龍堆にいった後、青塚に篭もった王昭君が来るはずもなく、長信宮に閉じこもり白頭吟を詠じた班貼女が来るはずもなく、昭陽宮に勤めを終えて朝帰りの趙飛燕が来るはずもない.あれは洛浦の仙女か巫山の仙女か』元気旺盛のイトリョンは魂が空を飛んで春香の周りを彷徨った.イトリョンもチョンガーなのだ.
『おい、通人』(通人はサートの言葉を取り次ぐ役目の官属である)
『はい.トリョン』と通人は神妙に答えた.
『あそこの林間にちらちら見えるあれは何か見て参れ.』
『はい.あれは他では御座いません,この南原の芸妓であった月梅の娘、春香と言うお嬢で御座います.』したりと思ったイトリョン思わず
『それは良い,はなはだ結構だ』と口走り上機嫌になった.通人が言う
『母は芸妓でしたが春香は理想が高くてキーさんになるのを拒み学問に励み手芸などにも長けて良家のお嬢として遜色が御座いません.』いとりょん、からからと笑い.バンジャを呼んで
『おい、キーサンの娘だそうだ.速く呼んで参れ.』と言いつけた.
バンジャメ動かずに.例の饒舌で応ずる
『白雪のような肌,芙蓉の花のような顔で南方随一の美人でして、全羅道の長官をはじめ、軍の司令官、郡守など権力のある色好きのお偉方や地方の豪族などが各種の手練手管で誘い込みましたが荘姜の才色、任似の徳行、李杜の文筆、太似の和順、二妃の貞節を兼ね備えた女君子でして、みな撥ね付けてしまいました.恐れながらおろそかには扱えぬ娘ですよ.』イトリョンはははと大笑し
『バンジャや、お前は物にはそれぞれ主が有るのを知らぬのか.荊山の白玉、麗水の黄金が皆主が有るのだ.つまらぬことを言わずに呼んで参れ.』

 青鳥伝信

 仰せに従い春香を招きに行く時のバンジャメの足取りも軽い.美人の春香と話すチャンスが来たからだ.まるで西王母の搖池の宴会に手紙を伝えた青鳥の如しだ.バンジャ春香の前に行っていきなり大声で
『おい 春香や.』と呼んだ.
春香もバンジャも同じく身分が低い常人なので言葉に遠慮がない.
『びっくりするじゃないの.何でそんなに大きな声を出すのかね.』
バンジャ大きな声を出した手前照れ隠しに続けて言う.
『春香お前大変なことになったぞ.』
『何がそんなに大変なの?』
『いや、サーとのご子息イトリョンが広寒楼に遊びにきてお前のブランコ乗りの姿を見てお前を呼んで来いと言うのだ.』春香眉をしかめて
『お前がどうかしたのか.お前のトリョンが一面識もない私を呼ぶはずがなかろう.お前が私のことをひばりが囀るようにべちゃくちゃ喋り散らしたのだろう.』バンジャ躍起となって
『イヤ違うんだ.俺がお前のことを言うはずがない.お前が悪いからだ.そのわけを聞いてみろ.お尻が大きい娘がブランコに乗りたかったらお前の家の裏庭で人が見ないように乗るのが道理と言うものだ.此処は広寒楼も近いし禄陰芳草花にも勝る季節で人出の多い広場でブランコを乗るから赤いチマの裾が風になびき真っ白いバチがちらほら白足袋の足を上げたり下げたり,腰を曲げたり伸ばしたりしてこれ見てくれじゃないか.そのお前の姿を見てお呼びになるのに俺がどうすると言うのだ.文句言わずに一緒に行こう』
バンジャはしゃべり屋の癖が出てまくし立てた.しかし、バンジャに言いくるまれる春香でもない.
『お前の話にも一理は有るが今日は端午節だよ。外の家のおなご(女子)たちも此処で大勢がブランコに乗っているし,私を名指ししたとしても私が今妓籍の者でもないし良家の女子をみだりの呼びつけるわけもないし,又呼ばれたからといって行くわけもないわよ.お前が何か聞き違えたのだろう.』とけんもほろろだ.流石のバンジャも仕方無しに引き返してトリョンに報告した.
イトリョンは話を聞いて
『しっかりしてる人だね.彼女の言うのが当たってはいるがもう一度引き返して行ってしかじかといたせ.』と作戦を言い含めた.

 花容月態

  バンジャがブランコ場に引き返してみれば春香はすでに家に帰った後だったので春香の家を訪れた.そのときには月梅の母娘が昼飯を食べていたがバンジャが入ってくるのを見て春香が
『どうして又来たの?』と無愛想に聞いた.
『これは恐れ入ったなあ、トリョンが言付けたのだ.「お前を決してキーサン扱いにしたのではない.聞くところによるとお前が詩書の教養が深いというので招待するのだから良家のおなご(女子)を呼び出して悪いがしばらく来て貰いたい.」と仰せられたのだ.』因縁があったのか春香も娘こころが動いたが母の手前なので何も言わずに居たら,聞いていた月梅が人膝乗り出して
『夢がまるっきり当てにならないのでもないらしいわね.ゆうべ(昨夜)夢を見たら青い龍が碧桃池に浮かんで遊んでいるのを見たので何か良いことでも起きるのかなと思ったわ.そうそうたしかサーとのお子様の名前が李夢龍だったわね.夢龍、夢の中の龍って妙に当たっているじゃないの.それはそうとしてヤンバンがお呼びになるのに無碍に断るわけにもいけないじゃないの、しばらく行って来なさい.』母がそう言うのでしかたがないようなそぶりで立ち上がりバンジャに付いて行った.春香が広寒楼に向かう時大明殿の大梁の上を燕が歩く如く,楊氏の庭に雌鶏が歩くように,白砂の上を金亀が歩くようにゆっくりと腰をたわわに揺らしながら小股で静かに足を進めた.さながらに越の国の西施が土城習歩する魅力溢れるあるきかただ.
 李トリョンは楼の欄干に半腰に凭れ腰を曲げて上半身を外に出したり腰を伸ばして真っ直ぐに立ったりしながら首を長くして待っていた.
ついにバンジャと春香が近づいて来た.李トリョン大喜びでよく見れば妖妖貞静して月態花容がたとえ様がないほど美しく清江に遊ぶ鶴が雪月に照らされる如く微笑む時にチラッと見える丹唇皓歯は星の如く玉の如しだ.すらりとした体の曲線が薄もやが夕陽に映えるようだし青いチマが目に付く,その紋は銀河の漣のようである.春香は楼に登り両手を前にそろえて淑やかに立った.
李トリョンは通人に
『座るように申せ』と命じた.
男女7歳にして席を同じぅせず、の時代で初めての話は直接しない慣わしだ.
春香は静かに正座した.よく見れば清江に雨が降った後みずあみ(水浴)した燕が人を見て驚いたような風情、お化粧もしていないのに自然そのままの国色である。近くで見ると雲間から顔を出した明月の如く,赤い唇を半開にすれば水中の蓮花のように見える.神仙はよく知らないが叡州に居た仙女が南原の地に降りたのに違いない.ああ、月宮の仙女は友を一人失っただろう.なれ(汝)の顔と姿は人世のものではないようだ.

 

春香伝4

 李成之合

 このとき春香がちょっと秋波を上げ李トリョンを見ればこの世の豪傑であり塵世の奇男児であった.額が広く少年功名の運勢であり、目鼻たちが整いこめかみも目立たず調和しているから報国の忠臣になるはずで憧れてきた.胸はどきどき、顔もほてる.膝をそろえ心持ち顔を下げて心の動揺を隠した.李トリョンは
『聖賢も姓が同じければ結婚を避けると言われた.お前の姓は何で歳はいくつかね.』
『姓は成氏ですし歳は16で御座います.』李トリョン喜んで
『はっはは、その言葉嬉しいな.歳は俺と相年だし姓もまた縁起がいい.天の定めた良縁に違いない「李成之合」よき因縁で生涯をともに楽しもう.父母がお揃いか?』
『偏母膝下です.』
『兄弟は?』
『60当年の母に一人娘です.』
『お前も一家の大事な娘だなあ.天の定めた因縁で会ったのだ万年楽を成し遂げてみようじゃないか.』
春香のしぐさをご覧じろ.眉をややしかめ赤い唇を半開きにして細い玉声で話す.
『忠臣は二君に仕えず烈女は二夫に奉仕し無いと言います.トリョンは貴公子ですし、少女は卑しい身分です.一度情を通じてその後、捨てられれば一片丹心の私の心、独守空房身を横たえむせび泣く私の悲しさだれが知りましょう.さような話は二度となさらないで下さい.』
『お前の話はもっともだ.我ら二人が因縁を結ぶ時金石の契りを立てよう.お前の家はどこか?』
『バンジャにお聞きなされませ』李トリョンハハハと笑って
『俺がお前に聞いたのがおかしいな.バンジャや、春香の家を教えろ.』
バンジャ日が暮れかかった外の或る所を指差し
『あのあそこの向こうの丘は鬱々と樹が茂り池の水は清く養魚生風し奇花瑤草が爛漫に咲き乱れ木々に止まる鳥どもは羽色と美声を誇り岩の上の曲がりくねった松ノ木は風にゆれるさまが老いた龍がのたうつようであり柳の樹にしだれ柳は有糸無糸の枝を垂らし児ノ手柏、黒豆の木、樅の木、銀杏の木は陰陽の樹が向かい合っているし門前には桐の木、棗の木に、トネリコの木もあるし、深い山奥に見えるサルナシ蔦が塀の外までもつれ伸びていますし、松と竹林の間に建っているのが春香の家です.』李トリョン、バンジャの話を辛抱強く聞いてから
『墻苑が清浄だし松竹が茂るを見ても女子の貞節を推して知るべしだ.』と褒めた.春香は立ち上がりはにかみながら
『人目もありますのでこのくらいで帰らせて頂きます.』
『そうだね.今宵退庁した後お前の家に行くから冷たくはするなよ.』春香は
『私は知りません』と小さく答える.
『お前が知らねばどうする.用心して帰れ.夜に会おう.』
春香は帰った.春香母出迎えて、
『お帰り.李トリョンがなんと言ってたの?』
『別に何も、少し居て帰ろうとしたら今夜家に訪ねてくると言ってましたよ.』
『それでなんて答えたの?』
『知りませんと答えました.』
『よく答えたね.』

冊室朗読

李トリョンは春香をやむなく帰した後、やるせない気持ちを抑えきれず怱々と帰り書室に入っていったが何もする気が無くなりひたすらに春香の思いで一杯であった.
春香の顔が目にちらつき、その声が耳に蘇えりやるせない気持ちを抱いて夜が来るのを待つのみだった.恋煩いにかかったのである.焦燥のあまりバンジャを呼んで
『ひ(太陽)はどの辺に行ってるのか.』バンジャメ憎らしくも
『今東の空に差し掛かったところです.』李トリョン大いに怒り
『こら、けしからん奴だな.西に傾いた太陽が急に東に戻るものか.もう一度見直して来い.』バンジャこれ以上からかったらいけないと思い
『はい、日は落ちて東の空に月が昇っています.』と神妙に答えた.
夕飯が出たが食欲が無くて食べられない.輾転反側どうしようもなく退庁を待つが時間が止まったようだ.時を潰すつもりで机に向かい本を読む.中庸、大学、論語、 孟子、書伝、周易、古文真宝、通史略と李白、杜詩、千字文まで出して書を読む.まず詩伝だ.
"関々雎鳩 在河之州 窈窕淑女 君子好逑"
◎「鳥は川辺にて囁き合い、窈窕の淑女は君子のよき連れ合いだ.」
これは読みたくない、 大学を読んでみるか.
「"大学の道は明々たる徳にあり新民に有り春香にも有り"これも読めない.」
周易を読む
「"元は亨デ、貞デ(デは鼻と似た音)春香デ、春香の鼻はかっこ良い."之も読めない」
「藤王閣か、南昌は古都なり、紅都は新府なり、これは良いこれは読める.」孟子を読む、「孟子が梁の恵王を相対した.王いわくおきなが千里の道を遠しとせず来たとおっしゃるのは春香を迎えにおいでですか」駄目だ.史略を読む
「太古に天皇氏もスクトク(よもぎの餅)で王になり歳起攝提して国を平和に治め兄弟十一人が各々一万八千歳を享受した.」側で聴いていたバンジャが
『天皇氏がモクトク(木徳)(徳は餅と同音・木徳=木の餅)で王になったとは聴きましたがスクトク(蓬餅)で王になったとは初耳ですよ.』
『こ奴メ、おまえに何がわかる.天皇氏は一万八千歳を生きたお方だから歯が丈夫で木の餅を食べたが凡人には出来ない.孔子様が後代のためにやわらかい蓬の餅にしろと言い、360州の郷校に通文して蓬の餅に直したのだ.』
イトリョンは痛いところを差されて屁理屈で押し通した.バンジャは
『神様がお聞きになれば吃驚仰天するような話も聴くものですね.』と呆れる.
赤壁賦をとりあげ
『壬戌の秋十四日の夜に蘇氏が客とともに舟を浮かべ赤壁の下に遊ぶとき、清風はそぞろに吹き波立たず…ああ、止めよう之も読めない.』

 奇解千文

 千字文を取り上げて読む.
『天はあまそらにして地は大地なり.』バンジャ側で又口を挟む
『ヨボ、トリョン四書三経に通達した人が千字文は又何の酔狂ですか.』
『千字文が七書(四書三経)の本文だ.梁の國の周捨奉、周興嗣が一夜の中に之を書き上げて髪の毛が真っ白になったので白首文とも言うのだ.詳しく解釈してみれば感しん嘆しん、股を濡らし糞をたらすことも多いのだぞ.』
『私メも千字文くらいは知ってます.』
『おまえが千字文を知ってるのか』
『知ってますとも』バンジャ舐めてくれるなと言わんばかりに肩を張る.
『じゃ読んでみろ』
『はい、読みますよ、高くて高い大空の'天'、深くて広い'地'フェフェチンチン黒い'玄'燃えて黄色の'黄'…』
『こら、常民はしょうがないなあ、どこかで乞食ともが歌うジャン打令(ジャンは広場=広場節)を聴いてきたのか』 
ちなみに乞食どもが物乞いの時、門前でうたうのをジャン打令と言う、数字、文字、尻取り言葉などを滑稽に作って笑わせる.
『俺が読むから良く聞いてみろ』李トリョンは千字文を解釈して読んだ.
『天が子のときに開いて空を生む、広大なり、アマ'天'.
土が丑のときに開闢して五行と八卦で、タイチ'地'.
三十三天そらは亦空にて人心を指示する、クロ'玄'.
二十八宿、金木水火土の正色、キイロ'黄'
宇宙日月は重華し玉宇諍エ、イエ'宇'.
年代国都興盛衰、古きは往き今は来る、イエ'宙'.
禹治洪水、飢者は醜に洪範九疇、ヒロイ'洪'.
三皇五帝崩去の後乱臣賊子の、アライ'荒'.
東方が明るくなり煌煌天辺日輪紅、ヒニチ'日'.
億兆創生撃壌歌に康衢煙月の ツキ'月'.
寒心微月時に膨らみて三五日夜に、ミチル'盈'.(三五日夜=十五夜)
世の万事思うほどに月色に似て十五夜の明月が既望より、カタムク'昃'.
二十八宿より河圖洛書までの法、日月星辰の ホシ'辰'.
可憐今夜宿娼家だ鴛鴦衾枕 ヤドル'宿'.
絶対佳人よき風流羅列春秋 レツ'列'.
依依月色夜三更に万端の情を ハル'張'.
今日冷たい風が吹いてきた寝床に入れ サムイ'寒'.
枕高ければ腕枕をしに寄って クル'来'.
ままよひき寄せ胸に抱けば雪寒風にも アツイ'暑'.
寝室が熱ければ陰風に吹かれに ユク'往'.
寒からず暑からず時はいつか桐の葉落ちて アキ'秋'.
白髪が増えて立ち小便の癖を オサメル'収'.
落木冷たい風、白雪江山、フユ'冬'.
糧食柴炭冬越えの貯え納屋に シマウ'蔵'.
芙蓉が昨夜の春雨に光潤有態 ウルウ'潤'.
このような麗しい姿態生涯を見ても アマル'余'.
百年佳約深い誓いを立てて成立 ナル'成'.
何時の間にやら白髪が、日月の過ぎるのも知らず トシ'歳'.
糟糠の妻横着でも疎かには出来ず大典通編の律、ホウリツ'律'.
女子は君子の好逑だ、春香と唇を合わせたや、口と口で'呂'の字じゃないか.
おお、早く春香に会いたいわ."春香や"と思わず大きな声で叫んでしまった.
■(千字文の一部………天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃  辰宿列張
寒來暑往 秋收冬藏 閏餘成歳 律呂調陽 雲騰致雨  露結爲霜)
■(韓国では漢字を音読みしますが一つの文字を指すときには訓と音を同時に言います."例"アマ天、 ギシキ典、 テン点、 コロブ転、等)
 
 

春香伝5

 筆才絶等

 大きな叫び声が聞こえた.このときサートは晩飯に満腹して食困症が生じて横になりうつらうつらと眠っていたが叫び声に驚いて起き上がり、
『誰か居らぬか』と人を呼んだ.
『はい、お呼びですか』控えの間に居た通人が直ちに答えた.
『倅の書室の方で叫び声が聞こえたようだ.誰か大鍼を打っているのか、挫いた足でも揉んでいるのか見て参れ.』
『ははっ、かしこまりました.』通人サートの命を受け李トリョンの書室に来て.
『トリョンどうして大きな叫びを上げましたか?サート殿が驚かれて調べて来いと仰せられましたよ.』ヤバイことになってしまった.李トリョン頭を掻きながら、
『よわったなあ、よその家の年寄りは耳聾症で耳が遠いと言うのに耳利い(ミミトイ)のも問題だなあ.』と苦し紛れに言い訳をした.
『なあ通人、サートには俺の言う通りにもうしあげてくれ.「俺が論語を読んでいたが"悲しい哉、私のどう(道)が永くなり夢に主公を見えず"のくだりを見て感動し吾知らず大声を出してしまいました.」と申し上げろ.』
通人がサートにそのまま復命した.それを聞いてサートはトリョンが負けず嫌いで学問に集中していると思い上機嫌になった.通人に
『冊房に行って睦郎廳にお越しになるように言え.』と命じた.睦郎廳はサートの古い友人であるがいかにも貧相で風采が上がらない上に軽率で横柄な性格であった.郎廳は品の無い歩き方でサーとの部屋に入りどっかと胡座をかいて座った.
『サート、退屈ですかいな.』
『ウウン、そうじゃない.わしらはお互いに幼友達だから一つの教室で勉強をしたなあ、あの頃には本を読むのが嫌いだったなあ.それなのに倅の奴は本を読み始めたら昼夜をいとわないのだ.』
『そうですよね.』
『特別に教えても居ないのに筆力もまた凄いのだ.』
『そうですね.』サートの息子自慢に郎廳は相槌を打つしかない.
『点を一つちょんと打っても高峰投石の如く、一の字を書けば千里陳雲だし、かんむりは雀頭添だし、筆法を論ずれば風浪雷電であり、縦棒を引けば老松倒掛絶壁であり、喩えて言えば藤の幹が真っ直ぐに伸びているようだ.筆が殻竿を打ち下ろす如き時には怒れる孫愚のようだし、もしも力が足りない時には足で蹴り上げても劃を成すからね.』
『字を見てみますと劃は劃で申し分が有りません.』
『まあ聞いてみろ、あの児が九歳のときソウル本家の庭に古い梅の樹があったのだ.その梅の木を題に文章を書いてみろといったのだ.しばらくして書いて来たのを見たら全体に要領がよく要点だけを強調しているし、まるで深く推敲したようであったのを思い出したよ.あの児は一度見たこと、聞いたことを忘れなかった.政府に出仕すれば出世をするはずだ.目を南に向けていながら北を顧み春秋の一節を口ずさんだものだよ.』
『将来三公になるでしょう.』サート感激して(三公は宰相、左丞相、右丞相)
『三公は望まれないまでも俺の生きてるうちに科挙には及第してくれるだろうし、及第さえすれば六品の役位は頂くだろう。』
『いや、そうおっしゃいますな.丞相になれなかったら長丞にでもなるでしょう.』(長丞は村の入り口に立てる木の人形である.)
サーとは血相を変えて怒鳴った.
『おまえ、誰のことをそんなに貶すのか』
郎廳はサートのお怒りを受け首をすくめて頭を掻きながら
『お答えはしましたが誰のことでしたかね.最近トンと物覚えが悪くなって』と、しらっぱくれて苦しい弁解をした.


青紗燈篭

 このとき李トリョンは退庁令だけを待っていたが
『おい、バンジャ』
『へい、』
『退庁令が出たか見て参れ』
『まだ出ていません』しばらく後又.
『通人を呼べ』このとき退庁の知らせが長く尾を引いて聞こえた.
『良いわ、良いわ、善し、善し、バンジャやちょうちんに火を灯せ.』
バンジャ一人を伴ない春香の家に行く時人にきずかれぬよう忍び足で出て
『バンジャや親の部屋に提灯の灯がもれるぞ横手に隠せ.
 正門を出れば路地に月光が明るい、 絢爛たる花の間に柳の枝までも月光に映え賭け事を好む若者どもは青楼に入っている時だ、ぐずぐずしないで早く行こう.そうこうする内に春香の家にたどり着いた.家の回りは静寂して月色は三更だ水中の魚は跳ね、大きな金魚は君を慕いてか口をバクバクあけている.月下に鶴も興に酔い連れを呼ぶ.
このとき春香は七弦琴を斜めに抱いて南風詩を弄ずるうち眠気が差してうとうとと居眠りをして居たらバンジャが家に入り犬でも吠えて騒がれるか気遣い
忍び足で春香の部屋の窓の下まで来て、
『おい、春香や、寝ているのか?』春香驚いて、
『おまえがどうして来たの?』
『トリョンがお出でだよ.』それを聞いた春香は胸の中で早鐘を打つように興奮し、恥ずかしさに顔を染めながら部屋を出て母の寝室に入り
『もう寝てるの母さん』と揺り起こした.春香母目を覚まして
『何が欲しくて寝てる人を起こすの.』
『何も欲しいものは無いわよ.』
『じゃ、何で起こすの.』咄嗟に言うのに
『トリョンがバンジャのお供で来たのよ.』
春香母眠気が完全に覚めていない.障子を開けてバンジャを呼び
『誰が来たって?』バンジャ答えて
『サートのご子息李トリョンがお出でです.』それを聞いて春香母
『香丹や.』(香丹は召し使いの小女)
『はーい』
『裏の草堂に座席と燭台やら書卓を準備し、お客さんを迎える支度をしなさい.』と言いつけて春香母が出てきた.世人が皆春香母を褒めていたがそれなりのわけが有った.
春香も母親似で立派なお嬢に育ったのだ.春香母出てくる容姿、半百は過ぎていて気さくな様子、優しい物腰が飄逸し皮膚がきめ細かく潤いがあってゆとりを持つ者のみが備える鷹揚さが有った.静かに歩いてくる後をバンジャが後に付いた.                                                                                       



春香伝 6

 含情無語
 このとき李トリョンはブラブラと歩いたり、あたりを見回したりして待っていたが、
『この人が春香の母親です.』とバンジャが声をかけた.
春香母は李トリョンの前で拱手の礼をし、
『その間トリョンはお元気でしたか.』李トリョン半分愛想笑いして
『春香の母親だと? 達者かね.』
『はい、何とか暮らしております.お越しになるのを知りませんでお迎えが粗相です.』
『なんの、なんの.』
■ 身分社会では年齢に関係なく身分が高い者には敬語を、低い者には卑語を使うのが法.
 春香母が先立って案内する.中庭を通って裏に回れば古めかしい草堂に灯火がともっているが柳の枝が垂れ暖簾を下げたようだし右手の青梧桐は露のしずくを落して鶴の眠りを覚ますようだし、左の盤松は清風が吹けば年老いた龍が蠢くようだし、窓際に植えた芭蕉の若葉は鳳凰の尾のように華やかだし、池には新しい蓮の葉に水玉が真珠の如き光を放ち大きな皿ほどの金魚は龍に変わるためか時に水しぶきを上げる.石を丹念に積み上げた仮山があり鶴が人の足音に驚いて長いあしでひょいひょい遠下がりチルルチルルと鳴いて、葵の花の下では子犬が吠える.そのうちでも嬉しいのは池の中に壱番(ヒトツガイ)の家鴨が悠々とならんで浮かんでいるのが静かな憩いの雰囲気をかもし出している.
 軒先まで来た時、母の呼び声に部屋の戸を開けて春香が出てきた.その姿が一輪の明月が雲の間から出るように恍惚なものだった.恥じらいながら庭に降りて母の側に侍立する様は魅力に溢れていた.李トリョンは微笑しながら春香に 
『お疲れだろうご飯は美味しく食べたの?』
春香は恥ずかしくて返事が出来ずにもぞもぞとしていたら春香母が先に座敷に上がり李トリョンを上座に座らせてお茶を注いで勧め煙管にタバコを詰めてあげた.李トリョンタバコに火をつけて一服吸い込んだが初めてなので喉がつまりゴホンゴホン咳きをして涙までこぼした.李トリョンきまりわるくて顔を赤らめた.春香の家に押しかけて来たのは良かったがいざ来てみると緊張して話が浮かばない.来るまではいろいろと話したいことがあったようだが部屋に入って面と向かったとたん話の種が無くなってしまった.黙々と部屋を見回している.何もわざわざ春香の家具調度を見に来たわけではなく、春香との佳縁を結びたくて来たのだが何を話せば良いのかわからないのだ.部屋の調度は相当華やかだ.龍を彫刻した箪笥、鳳凰を彫刻した箪笥やらその他の調度が手際よく並べられてあるし、壁には絵がかけられている.まだ嫁入り前の娘だし、勉強をしている女の子に高級な家具調度が要るのではないが春香母が名妓だったので娘に遺そうと集めたのである.朝鮮でも有名な名筆の書が掛かってあり、名画も有ったが月仙図と言う絵が貼ってあったがその画題が"皇帝が龍床に座して諸臣の朝会をうける(上帝高絳降朝節)"であり、青年居士李太白が黄鶴殿に跪いて黄庭經を読む絵、白玉楼を建てて上梁文を作る絵、七月七日の七夕に烏鵲橋で牽牛織女が逢う絵、広寒殿月光の明るい夜、薬剤を搗く?娥の絵等が掛けられているが何れも燦爛たる名画で目が眩むほどであった.又一箇所に目を移せば富春山厳子陵が諌議大夫の職をも辞退して白鴎を友にし遠鶴を隣として羊皮の上掛けを纏い秋桐江七里灘で釣り糸を垂らしている模様が描かれていた.
これぞ正に仙境ではないか(方可謂之).又相愛の夫婦(めおと)が住みたいところではなかろうか.春香が一片丹心、一夫に仕える覚悟の程を一行の詩にしたためたのが書卓の上に有った.
 帯音春風竹 焚香夜読書
(韻音を帯びたのは春風の竹であり 香を焚いたのは夜に読書のためである.)
『殊勝だなこの文章の意味は、木蘭の節概である』と褒める時、春香母は
『尊いご身分の若様が陋屋にお越しいただき恐れ多い次第で御座います.』と挨拶をした.

探花蜂蝶

李トリョンはその言葉を聞いて話のきっかけを得た.
『そんなことは無い.偶然広寒楼で春香に逢い恋い慕う心、花を探る蜂蝶の如きで今宵こちらに参ったのは春香の母に会いに来たのです.そなたの娘、春香と百年の契りを結びたい.そなたのご意向は如何かな.』単刀直入に申し込んだ.
『お話は恐れ入りますがお聞きなされませ.ソウル紫霞村の成参判殿が側近に任命する前に経験を積ませるため地方の行政官に派遣する慣わしによってここ南原の長官に赴任された時、そばめ(側女)を勤めろと仰せられサートの命を断りきれずにお勤めをいたしましたが三月目に内職に任命され上京されましたが意外にもみごもりまして生んだのがこれです.そのわけを成参判に申し上げましたところ"離乳をすれば連れて行く"との仰せがありましたが、その前に不幸にも殿が世を捨てられやむなく私が育てましたが、ててなしごが病も多かったです.7歳に小学を読ませ、修身斎家、和順心を教えました.胤がよいおかげか万事に通達し三綱の行い誰がはしたない私の娘と思いましょう.家財が乏しく宰相家にはあたりませんし士、庶人上下につりあわず婚期が遅れて悩んでいますが若様の仰せは春香と百年の契りを結びたいとのことですが、そんなことは言わないでしばらく遊んでいってください.』と応じなかった.
月梅とて心中はいやではないが李トリョンが一介の書生で先先が思い遣られての話に違いなかった.李トリョン呆れて
『好事魔多しだなあ.春香は婚前の処女、私も嫁を娶らないチョンガーですから言葉の約束のみで六礼をそろえる事は出来なくともヤンバンの子が一つの口で二言はいたすまい.』春香母それを聞いて
『又私の話をお聞きなされ."古書に曰く「臣下を知るは主君の如くなく、息子を知るは父の如くなく、娘を知るはその母の如くなし」と言うでしょう.私の娘は私が良く知っています.幼い時より確かな志があり、若し悲運に遭うか心配です.生涯一夫に仕えようとし、日常の行いを見ましても鉄石の堅い志、蒼い松緑の竹、四季に変わらず、桑田が碧海に変わろうともこの娘の心は変わらないでしょう.金銀宝貨が山ほど積まれでも目もくれないでしょう.白玉のように清い娘の心、清風と言えども動かすまじく、古からの女の道を守ろうとするのみですのにトリョンが欲を出して因縁を結び、婚前のトリョンが父母に内緒で愛に深く嵌まり金石の契りを交わして噂が広まり捨てられてもしたら玉のように清いわが娘の身の上真珠の玉が割れたようになり、清江に遊ぶ一番の鴛鴦が連れを失ったとしても如何にわが娘の惨めさに比べられましょうか.トリョンの心がお話のようであれば深く考えてなさいませ.』と春香母は釘をさした.

 
春香伝7

酒盤等待
李トリョンは真面目な調子で言った.
『それは二度と心配しなさるな.私の心は確実です.彼女と私が生涯の契りを結ぶ時、奠雁納幣(結納―婚礼儀式の一つ)が無くとも蒼波の如く深い覚悟に聊かも変わる筈が御座りません.』ときっぱりと言い切った.青糸赤糸をグルグル重ねた形式の物より、六礼を備えた儀式を行ったとてこれより確かだとは言えまい.より大事なのは心であるからである.李トリョンは又付け加えた.
『私は春香を正妻の如く思いますから父母の膝下に有るからとて、又婚前の者だとて心配しなさるな.いったん決めた男の心、揺るぐものでは御座らぬ.粗末には扱いますまい.お許しくだされ.』と真剣に頼んだ.
 春香母話を聞いてしばらく沈思したが龍の夢を見たこともあるし李トリョンの態度にも真面目さが有ったので天の定めた因縁と思い快く承諾して曰く
『鳳が生まれれば凰が生まれ、将軍が生まれれば龍馬も生まれるとやら、南原に春香生まれて李夢龍と巡り会ったのだ.李花春風香りも高い、香丹や酒肴の準備は出来たか.』
『はい』やがて酒肴の膳が運ばれた.見れば大膳一杯に山海の珍味が載せられ眩しいほどだ.大皿には蒸しカルビ、中皿には豚肉蒸し、今にも跳ね上がりそうな鯛料理、羽ばたきするような鶉の汁物、東莱・蔚山の大鮑を切れ味の良い包丁で孟嘗君の眉毛の形に切ってあり、串焼き、内臓の炒め物、春稚自鳴幼い雉と鶏の料理、赤壁大椀に冷麺が盛られ、生栗、蒸し栗、松の実、胡桃、棗、石榴、柚子、干し柿、梅桃まであり、青い梨をお椀の形に盛ってある.酒瓶は是又如何に、清浄無垢な白玉瓶と蒼い珊瑚瓶に葉落金井の鳥銅瓶、首が長い鶴瓶、鼈甲瓶、蘇湘洞庭湖の竹節瓶、銀製酒煎子(やかん)、赤銅酒煎子、碎金酒煎子等名品は皆揃えている.酒はと言えば李謫仙の葡萄酒、安期生の紫霞酒、山林処士の松葉酒、過夏酒、文方酒、千日酒、百日酒、金露酒、沸騰するような火酒、薬酒、その多くの酒の中で香りも高い蓮葉酒を選び卵型の丸い酒煎子に一杯注いて青銅火鉢の白炭の火に載せた鍋の湯に下ろして熱くも冷たくも無いほど良い燗をして金杯、玉杯、鸚鵡の嘴のような杯を湯に浮かべたのは玉京の蓮花さくいけにて太乙仙女が船を浮かべた如く、大匡輔国の宰相が芭蕉扇を浮かべた如くに浮かべて勧酒歌をひとふし歌い一杯、又一杯、さすがは昔年の名妓月梅のもてなしである.李トリョン感嘆して曰く
『ここが役所でもないのにどうしてこんなにも揃えましたか.』と驚いた.

一喜一悲

春香の母が言う.
『私の娘春香を窈窕淑女に大事に育て君子の連れ合いにし琴瑟よく生涯を共に楽しく暮らすとき客間に集い遊ぶ英雄豪傑、文章家、竹馬の友と昼夜に談笑する時下僕を呼び内堂に食事やら酒盛りの仕度を命じた時、自ら習っておかずにどうして主人が満足する御もてなしが出来ましょうか、奥の者が敏捷に動かねば旦那の沽券を損なうものと存じ私が勤めて教えましたし金が入るたびに器物を買い集め手馴れするようにし、普段から自ら包丁を取って料理を習わせた甲斐で作った春香の手料理でありますので遠慮なくお上がりください.』と言い
鸚鵡杯にいっぱい酒を注いであげた.李トリョン杯を手に持って嘆息して曰く
『私の思うとおり出来れば六礼を立派に整えるべきだがそれは叶わず、裏口出入りの亭主とは恥ずかしい限りだけれど、おい春香やこれを三々九度の杯だと思って飲もうや.』李トリョン盃を手に取り
『初めの盃はお目見えの酒だし次のは合歓酒だ.この酒は他ならぬ吾らが誓いの酒だ.舜王の時代娥皇と如英が尊くまみえた因縁が貴重だとしたが月老の我が因縁、三世の佳約を結びし因縁、 千万年とも変わらざる因縁、代代とも三台・六卿の子孫繁栄して曾孫・高孫まで膝に乗せハハホホと楽しく百歳まで生きて同じ日、同じ時間に向かい合わせて死んで逝けば天下最高の因縁ではないか』数杯を重ねた後
『香丹や、お前の奥方に注いで上げろ』
『母上(義母)も嬉しい酒です、一杯お飲みなされ』
春香の母、嬉しくもあり悲しくもある心情で言う
『今日がわが娘の百年苦楽を結ぶ日だね.嬉しい日であるのにこのこ(娘)を育てる時、てて(父)無しで育てましたので旦那が思い出されてかなしくもあります.』悄然と呟いた.李トリョン
『過去の思い出に浸かっても始まりません.私が幸せにさせます.さあ、飲みましょう.』
春香母、数3杯飲んだ頃李トリョンが通人を呼んでお膳を下げ与えて
『お祝いのご馳走だ、お前も食べてバンジャにも食わせろ.』と言った.
 《この時代は下僕たちは主人の食べ残りを食べる慣わしであった.》
通人とバンジャが食べ終わった後改めて戸締まりをして春香母は香丹を呼び寝床の準備をさせた.鴛鴦の襟寝、二人用の長い枕、尿壷、洗面器まで用意し
『とりょんニム、お休みなさいませ.』と香丹が挨拶を述べ
『香丹や出なさい、 私と一緒に行こう.』
李トリョンと春香を残し皆去って行った.



春香伝8

緑水鴛鴦

いよいよ春香と李トリョン、二人だけになった.
斜陽を受けながら三角山第一峰に鳳凰が降りて舞う如くおもむろに腕を伸ばし春香の手を優しく握り合わせてから巧みに着物を脱がしていく.春香の細い腰を腕に巻いて引き寄せてから
『チマを脱げよ』言いながらチマを締め括っている帯紐の結びを引っ張って解きチマを脱がしていった.春香は男の前でチマを脱ぐのは初めてでも有るし恥ずかしくて頭を下げて身体をよじりモジャモジャ捻らせて協力する.あだかも緑水の紅蓮花がそよ風にゆれるようである.李トリョンチマを脱がして側に置き、いよいよ襦袢とバチを脱がしに掛かった.それを脱がしたら素肌が現れる.春香はバチの帯紐と裾の端を握って離さず脱がせまいと身をよじり避ける.
まるで東海の青龍が身をくねらせるようだ.
『これ離してよ、ちょっと離してよ』
『いや、お前こそ離せ』李トリョン結び目を解いて引っ張った.姿勢が不安定だった春香の体が半回りまわった.春香が驚いた拍子に手を離し下着がはらりと床に落ちた.荊山の白玉だとて春香の肌に比べられようか.
『あらまあ!』と驚きの声を発し慌てて布団の中に逃げる.
李トリョン素早く春香を捕まえてチョコリ(上衣)を脱がした.そして自分も着物をぬいてすっぱたかになり春香が着ていた着物ともあわせてグルグルとまとめそこらに放り投げた後布団の中に入る.春香は布団の端を握って捲くれないようにしたがしばらく競り合いの後"あっ"と低く叫んで離し李トリョンを迎え入れた.いよいよ二人の青春男女が生まれたままの姿で向かい合って抱き合った.相思相愛の男女が新婚初夜に長い夜を何もしないで眠るはずが無い.
分厚い布団が盛り上がったりへこんだり、白銅の尿壷が揺らぎ蓋がチャリンチャリンと演奏を奏で、ドアの捕り手がガタンゴトン、燭台の蝋燭はユラリユラリ踊り明るくなったり暗くなったり、'フウフウハアハア''アアッ''オオッ'うめき、喘ぎ、奇声、悲鳴、春香の別堂が地震に遭ったのか揺らぎざわめいたが明け方にようやく静かになった.歴史は夜作られるとか、李トリョンと春香のゆるぎない歴史が築かれていった.一日二日過ぎる間、情は深まり恥ずかしさは薄れていって心にも余裕が出来て愛の歌を楽しむようになった.

♪♪ 愛よ、愛よ、わが愛よ.ホラショウ ホイノホイ ♪♪
洞底七百里の月のした、巫山の如く高い愛.
目断無辺の海、空海の如く果てしなく深い愛.
五山顛月は明るく、秋山千峰明月の愛.
曽経学舞するとき、何問吹蕭した愛.

悠々落日月簾間に、桃李花開映りし愛.
纖々初月粉白の中、含笑含態多様な愛.
月下に三生の因縁、お前と俺が会った愛.
憚りの無い、夫婦愛.

花雨東山、牡丹の如く豊かで美しい愛.
延坪海の漁網の如く、互いに縺れ結び合う愛.
青楼美女の衾枕の如く、ひと針ごとに縫いし愛.
川辺のしだれ柳の如く、広がり伸びた愛.

南倉北倉米俵の如く、うずたかく積もりし愛.
銀蔵玉蔵装飾の如く、秘めやかに蔵されし愛.
映山紅緑春風に誘われる黄蜂白蝶、花に吸い付いて離れぬ愛.
緑水清江鴛鴦の如く、向かい浮かんで楽しむ愛.

年々七月七日七夕の夜に、牽牛織女が逢う愛.
六観大師性真(九雲夢の主人公)が、八仙女と遊ぶ愛.
力抜山楚覇王が、虞美人と出会いし愛.
唐の明王が、楊貴妃と出会いし愛.
明沙十里海棠花の如く、娟々と美しき愛.

お前の全てが愛ではないか、ホラショウドッコイ私の愛.
ホイホイ私の愛だ、ホラショウドッコイ
おい、春香や.あっち向いて歩いてみろ.歩く姿態を見よう.
にっこり笑ってチョコチョコ歩け、歩くざまを見よう.
お前と俺が出会いし愛.
因縁売ろうとも、売るところあるまじ.
生前の愛がこうなのに、如何に死後の約束が無かろうか.
お前が死んで成ることがある.
お前が死んだら文字に成るのだ.
大地の地の字、陰の陰の字、妻の妻の字、女偏の女の字になり. 
俺も死んだら文字になり
アマの天の字、乾くの乾の字、夫の夫の字、男の男の字、子の子の字になり
女偏に子の字を合わせれば 「好」の字になって逢おうじゃないか.
又お前が死んで成ることが有る.
お前は死んで水になるが
銀河の水、滝の水、玉渓の水、一帯長江の水、さしおいて
七年大旱、日照りにも日常深々溢れ出る陰陽水の水になり
俺は死んで鳥になるが
杜鵑でもなく、瑶池日月 青島、青鶴、白鶴、大鵬にならないで
双去、双来離れない鴛鴦の鳥になり、浮かび戯れれば俺だと思えよ.
♪♪ 愛よ、愛よ、わが愛よ.ホイノホイノ ホイホイ わが愛よ.♪♪



春香伝9

情字打令(情の字ぶし)

『いやです、それに成りたくありません.』
『それならお前が死んで成るものがある.』
『慶州の大鐘にも成ろうとせず
全州の大鐘にも成ろうとせず
松都の大鐘にもなろうとせず
ソウル鐘路の大鐘になり
俺は死んで撞木(シュモク)に成り
三十三天、二十八宿に響かせ
ジルマ峰に烽火(ノロシ)三本消え
南山に烽火二本消えれば
大鐘初めに打つ音
ぼーん、ぼーん、打つ度に
他の人には鐘の音にしか聞こえぬが
吾らが間には
春香ぼーん、トリョンぼーんで逢えるのだ.
♪♪ 愛よ、愛よ、わが愛よ.ホイノホイノ ホイホイ わが愛よ.♪♪

『いや、私はそれもいやです.』
『それならお前死んで成るものがある.』
『お前は臼に成り
 俺は杵になって
 庚申年庚申月庚申日庚申時に太公望作りし臼機械
 ベッタンコ、ベッタンコ搗いたなら俺だと思えば良い
♪♪ 愛よ、愛よ、わが愛よ.ホイノホイノ ホイホイ わが愛よ.♪♪

 春香の言うには
 『いやです、それも成りたくありません.』
 『どうしていやなのか』
『私はいつも、現世でも来世でも下にばかり成るって法がありますか.面白くないからいやです』
『それじゃお前が死んで上になるようにしよう.お前は死んで碾き臼の上の石に成り、俺は下の石になって二八青春紅顔の娘らが捕り手を取って回せば天円地方の如くぐるぐる回れば俺だと思え』
『いやです、それにも成りたくありません、上の石の形が良くありません上の臼石中央の穴に下の石の辛抱がしっかり刺さっているのに又大きな穴があっていろんな者が出入りするのは絶対いやです.』
『それならお前が死んで成るものがある』
『お前は死んで明沙十里海棠花になり、俺は死んで蝶々に成りおれはお前の花芯を咥えお前は俺のひげを咥えて海辺にそよ風が吹けばふわりふわり舞いながら楽しもうではないか. 愛よ、愛よ、わが愛よ、ホイナホイ わが愛よ、こちらから見てもわが愛、あちらから見てもわが愛、皆が皆わが愛の如くなら愛に埋もれてしまうだろ.ホワホワ わが愛よ、
 おまえ美しきわが愛よ、にっこりと微笑む時には花中の王牡丹花が一夜の細雨の後に半開きになった如くいくら見てもわが愛、ホイナホイだね.
 『お前と俺が有情だから情の字で遊んでみよう.』
 『声を同じくして情の字で歌ってみよう』
 『はい、聞いてみますわ』
 『わが愛よ、聞きたまえよ.お前と俺が有情だのに如何に多情でなかろうか.
 澹澹長江水 悠々遠来情
 河橋不相送 江水遠含情
 
送君南浦不勝情 無人不見送我情
 漢太祖喜雨亭 三台六卿 百官朝廷(情と同音)
 道場(情と同音) 清浄(情と同音) 新嫁の実家(情と同音) 
親故通情 乱世平定(情と同音)
  
我が二人 千年の人情
 月明星稀 瀟湘洞庭(情と同音) 世上万物造化定(情と同音)
 憂い心配(情と同音) 所志原情
 周囲の人情、食べ物の妬み(情と同音)
 オッチョコチョイの軽薄さ(情と同音)
訟庭(情と同音)官庭(情と同音)内情 外定(情と同音)
愛松亭(情と同音)穿楊亭(情と同音)沈香亭(情と同音)
二妃の瀟湘亭(情と同音)
寒松亭(情と同音)好春亭(情と同音)白雲亭(情と同音)
お前と俺が逢いし情
一情、実情、論じてみれば
我が心は元亨利貞(純真、正直)(情と同音)
お前の心は 一片拓情
こんなに多情したが
万が一にも破情すれば、腹痛、絶情が心配(情と同音)だから
真情で原情をしようとの、その情の字だ.




春香伝10

 宮の字雑談
春香嬉しそうに言うには
『情の字はわかりましたわ.我が家に幸運があるように安宅経でも読んで下さいな.』トリョンからからと笑い
『それだけじゃないぞ.又あるよ、宮の字の歌を聴いてみろ.』
『まあ!妙でおかしいわ.宮の字の歌って何なの?』
『まあ、聞いてみろ.いい言葉が多いぞ.』
『狭い天地の開胎宮、雷声霹靂、暴雨の中に
瑞気三光立ち込めて荘厳なる哉創合宮.
聖徳あまねく御照臨あそばすは如何なることやら.

酒池客雲盛なりし殷王の大庭宮.
秦始皇の阿房宮.天下を得るを問わしところ.
漢太祖の咸陽宮.
その隣の長楽宮.
班捷汝の長信宮.
唐明王の賞春宮.
ここえ来れば離宮.
あちらに行けば別宮.
龍宮には水晶宮.
月宮の中には広寒宮.
お前と合宮(ひとつになって)して
一生涯無窮(宮と同音)だよ.
この宮、あの宮みな捨てて、
お前の両脚の間の水龍宮、
俺の筋棒で路を開こうや.
春香半ば笑って
『そんないやらしい雑談はお止しなさい』
『それは雑談ではないのだぞ.春香や二人でおんぶごっこでもしてみよう.』
『まあ、いやらしいわね.おんぶごっこってどうするの.』
おんぶごっこは今李トリョンが考え出したのだが馴れているような口ぶりだ.
『おんぶごっこはたやすくて面白いものだ.お前と俺が素裸になっておんぶして遊び、抱っこして遊ぶのがおんぶごっこだよ.』
『まあ、私は恥ずかしくて裸にはなれませんわ.』
『おい、女子の勝手は許さないぞ.俺が先に脱ぐからな.』
■ 韓国の足袋は男女とも足首まで覆うようになっている.女は長いチマで隠すが男はバチ(ツボン)を足首のところで折りたたんでテニムという紐で括っておく.
李トリョンはチョコリを脱ぎテニムを解いて足袋とバチをぬいて裸になった.
ぬいた着物を隅のほうに投げておき春香の前にたった.春香笑いながら後ずさりして
『まあ怖い、お化けが真昼に出てきたようですわ.』
『うん、お前の言葉に間違いが無い.二人のお化けが楽しんでみよう.』
『それでは部屋を暗くして遊びましょう.』
『暗くして何も見えなければ何の楽しみがあるのだ.早く脱げ、早く脱げ.』
『アイゴー、私は出来ませんわ.』
李トリョン春香の着物を脱がそうといたぶっていく.まるで青山の老いた虎が肥えた雌犬を捕らえて歯が抜けているので食べられずウォンウォンと吼え立てたり、北海の黒龍が如意珠を口に含み彩雲の間に見え隠れする如く、丹山の鳳凰が竹の実を咥えて碧梧桐の林を飛び交う如く、池のほとりで青鶴が蘭の花を咥えて梧松の間に遊ぶ如く春香の細い腰を腕で絡め抱き背伸びを一度してから耳、頬、唇にチュウチュウ口付けをし紅の舌も吸い、五色に丹精した巣に出入りする鳩のようにククククと喉声を発しながらぐるりと回して今度は後ろから抱きしめ乳房を揉みながらチョコリ、チマ、バチまで全部脱がした.春香は恥ずかしくて崩れるように座り込んだ.李トリョン春香の顔を覗けば頬を真っ赤に染めて汗を流している.

 非金非玉

『おい、春香やこちらに来て俺に負ぶされ.』とかがんでいる.
春香は恥じらいもぞもぞしている.
『何が恥ずかしいのだ先刻ご承知の身体じゃないか.早く来て負ぶされ.』
春香を負ぶって立ちながら
『このおなごお腹に糞が溜まっているのかな、重いぞ.ハハハハ』と笑い
『お前が俺に負ぶさった気持ちはどうじゃな.』
『最高に気持ち良いわ』
『良いか』
『良いです』
『俺も愉快だ.良い話をするからお前は答えだけしろ.』
『お答えしますから話してください』
『お前は金だろう』
『金とはもってのほかです、8年の風塵楚漢のときに六出奇計の陣平が范亜父を捕らえようと黄金4万両をばら撒いたのに金が残っているはずがありません』
『なれば真の玉か』
『玉とは当たっていません.秦の始皇帝が荊山の玉を得て李斯の名筆で「受命于天 既受永昌」の玉璽を作り遺していますから玉であるはずがありません』
『それではお前は何か,海棠花か.』
『海棠花とはもってのほかですわ.明沙十里でないのに海棠花が有る筈がありません』
『それではお前の正体は何か、密花か、錦貝か、琥珀か、真珠か、』
『いいえそれも違います、三宰相、六判書、大臣、貴族、長官、知事様の冠の紐、風簪に皆使い、残ったのは長安名妓の指輪にしていますから琥珀、真珠は当たりません.』
『それではお前は代瑁珊瑚か』
『いいえ、それでもありません.玳瑁磨いた大きな屏風を作り、珊瑚で欄干をしつらえ、廣利王の上梁文の水宮寶物となったので、玳瑁、珊瑚は當たりません』
『お前はそれなら半月か』
『半月とは当たりません、今宵上弦でもないのに大空に明るく照らす月を私がどうして変えられましょう』
『お前がそれでは何か、俺を惑した狐狸の類いか.お前の母親はお前を生んで大事に育でたが俺を溺れさすために生まれ出たのか.愛よ、愛よ、我が愛よ、ホイホイ、わが愛よ.おまえ何が食べたいか、生栗、蒸し栗が食べたいか、大きな西瓜を包丁で切って蜂蜜を入れて銀の匙で掬い取って食べたいか.』
『嫌です欲しくありません』
『それでは何が食べたいか、酸っぱい杏を上げようか.』
『いいえ、それも嫌です.』
『それでは何が欲しいか.豚を屠してやろうか、犬を殺してやろうか.俺の身体を丸ごと食べたいか.』
『まあ、トリョンニム私は人食いでは有りませんわよ.』

 


春香伝11

如此壮観

『おい春香、埒があかんなあ.ホイホイ我が愛よ.ホイナホイもう降りろよ.
世の中にはお返しと言うのがあるのだ.俺が負ぶってやったから、今度はお前が俺を負ぶってくれ.』
春香は李トリョンと数日を共にしているが恥ずかしくてどうしても"あなた"とか、"旦那様"とか言う言葉が出ない.
『まあ、トリョンニムはちからがつよいから私をおんぶしましたが、私は力が無いからおんぶできませんわ.』
『姿勢を低くして俺を負ぶってから腰を曲げて俺の足がようやく地面を離れるくらいにすればおぶれるのだ.』
李トリョンを負ぶって落ちないようにお尻を掴んで持ち上げるが重くて中心が取れない.ふらふら、よろよろ脚を突っ張って耐えている.
『俺を負ぶっている気持ちはどうか、俺はお前をおぶって良い話をしてやったからお前も話を聞かせてくれ.』
『はい、お話します.お聞きなされませ』
『 傅説(殷の宰相)を負ぶった如く、
  呂尚(太公望)を負ぶった如く、
胸中に大略を抱いて
名満一国の大臣に成り
柱石の臣、輔国忠臣、偲んでみるに
死六臣を負ぶった如く
生六臣を負ぶった如く
日先生、月先生、孤雲先生を負ぶった如く
霽峰を負ぶった如く
遼東伯を負ぶった如く
鄭松江を負ぶった如く
忠武公を負ぶった如く
尤庵 退溪 沙渓 明斎を負ぶった如く
我が君だよ、いとしい我が君、ホイホイ 我が旦那.
小科、大科皆合格して直傅注書、翰林学士になられた後
副承旨、左承旨、都承旨と官職が上がり
八道方伯を経て内職に入り、閣臣、待教、卜相、
大提学、大司成、判書、左相、右相、領相、奎章閣された後
内三千、外八百、柱石の臣
我が主、我が夫 愛おしや ホイホイ 我が夫よ』

『春香や、馬遊び(言葉遊びと同音)をしてみよう』
『まあ、馬遊びとは何なの』馬遊びは誰でもしてるような口振りで
『至極簡単なものさ.二人とも裸のついでにお前が四つんばいで部屋中を這い回るのだ、俺も四つんばいになってお前の腰をしっかり捕まえて付いて行きながらお尻を'ぱしっ'と叩いて"ドウドウ 行け"と言えば、お前は"ヒヒーン"と嘶きながら足で地面を蹴って前に進むのだ.
そうすると乗るの字の歌があるのだ.
 『乗って遊ぼう、乗って遊ぼう.
 軒猿氏は干戈を使いて濃霧をつくり
 蚩尤を琢鹿野で生け捕りにし
 勝戦鼓を鳴らしながら指南車に高く乗り
 夏禹氏は9年の治水をするとき
 陸行乗車に乗り
 赤松子雲に乗り
    呂東賓白鷺に乘り
    李太白鯨に乗り
    孟浩然驢馬に乘り
    太乙仙人鶴に乗り
    大国天子鶯に乗り
    我が王様は輦に乗り
    三宰相は平轎子に乗り 
 六判書は二人轎子に乗り
 訓練大将は戦車に乗り
 各邑首領は獨轎に乗り 
 南原府使は別輦に乗り
 日暮長江の漁翁達は一葉片舟波に乗り
 吾は乗り物がないから、今夜三更夜ふけに
 春香の腹(船と同音)に乗り、
 敷布で帆を作り、我が棹で櫓を漕ぎ
 凹の入り江に入れば順風に陰陽水を渡るとき
 馬を走らせるごときに乗るなれば
 歩調も合わせよう、馬夫もおれがなり
 お前の高まりも調整してやろう
 騎聡馬の如く走れ.』
 男女が裸であらゆる遊戯に耽る.
 二八、二八、青春の二人、時の経つのも忘れたようだ.

 

春香伝 12

 興尽悲来(興は尽きて悲しみが来る)

 この時外でいきなりバンジャの大きな声がした、走って来たのか息をきらしている.
『トリョンニム.サート殿がお呼びですよ.』
数日家を空けた引け目があるイトリョン、そそくさと帰り父の前に出たら
『おい、夢龍か、都からのう、同副承旨の教旨が降りたのだ.俺も事務引継ぎの準備をして行くからお前は今日家族を連れて先に出発しろ.』 イトリョン、父が昇進したのは歓ばしくはあるが春香と別れると思えば悲しみがこみ上げて胸がつまり熱い涙があふれ頬をつたった.サートそのざまを見て
『お前なぜ泣くのか.おれが南原で一生暮すとでも思っていたのか.内職に昇進したのだから未練を置くことはない.今日からすぐに準備をして明日の午前中には出発するようにしろ.』しかたなしに『はい』と答えて引き下がり内堂に入った.
 父は厳しいが母には気安くなんでも話せるものである.イトリョンは母に涙ながらに春香のことを打ち明け連れて行くように頼んだが厳重に叱られ且つ説教をされた.取り付くしまもなくすごすごと引き下がり春香の家に向かったが胸が張り裂けるようだし涙はとめどなく流れる.街行く人の目があるので辛うじて耐え忍んだが春香の家の門前に至って悲しみが爆発しワアワア大声で泣き出した.春香その声に驚いて飛び出して
『アイゴー、如何なされましたか.お屋敷でお叱りを受けましたか.往来で誰かに襲われましたか。都で便りがあったそうでしたがお悔やみでもありましたか.威厳あるとリョンニムがその格好が何ですの?』
春香はイトリョンの首に抱きついてチマの裾をまくり涙を拭いてあげながら
『泣きなさるな,泣きなさるな.』春香がなだめればなだめるほどますます激しく嗚咽した.恋しい春香になだめられ悲しみがなおさらにこみ上げるのである.
春香腹を立てるふりをして 
『トリョンニム見苦しいですぞ、涙を収めてわけを話して御覧なさい.』
『サートがな、同副承旨(王の秘書官で正三品の役)に昇進したのだ.』
春香はうれしそうに
『それはお家の喜びですのになぜ泣くの?』
『お前と分かれて俺も行くから悲しいのだ』
『都のお役人が地方の任地にいつまでも居ると思いましたか.どうして私も一緒に行けると思いましょうか.トリョンニムが先に発たれれば私も家財道具やら整理して追いかけて行きますから心配しなさるな。私の思う通りにすれば困ることはないはずです.私が上京しましてもご本宅には入れないでしょうから近くの小さい家、部屋が二つもあれば良いでしょうから見ておいてくださいませ.
実家の家族が移りましても食いつぶしはしませんからご心配なさいますな.またとリョンニムはいづれ婚礼も挙げられるでしょうから名門宰相家の窈窕淑女を娶られて昏定晨省(新婚夫婦が父母に朝夕のご挨拶)なされても忘れないでくださいませ.トリョンニムが科挙に合格され品位が上がり外地の長官に任命されれば新来奥方としてお供すれば誰にも異存はありますまい。左様に精進なさりませ。』
『そんなのは後の話だ.そういう事情でサートには申し上げられず母上に申したところ大変なお叱りを受けただけなのだ。「ヤンバンの息子が親に随行して地方に参り勉学に励むべき書生でありながら勝手に妾を作り連れて行くとはもっ
てのほかだ.お前の将来にも障害になるのだ.蕩児の烙印が押され出世もおぼつかないぞ.」とおっしゃるのだ.だからやむなく一時別れるしかないのだ. お前がついて来てもいけないのだ.』

 悲歌自嘆

 春香がこの話を聞いて顔色が変わり赤くなったり青くなったり、目は細く鋭くなり眉を逆立てきりきりと歯軋りをし、体をわなわなと震わせていたが、「どうしてこんなことが、、」と叫びながら着ているチマを引き裂いて捨て、髪の毛をつかんでむちゃくちゃにし髪飾りをむしりとりイトリョンの前に放り投げ「なんですって、なにがどうしたんですって、こんなものいらない.」と手鏡、珊瑚の櫛など手当たり次第に投げ散らして髪を振り乱し、足をじたばたして手で床を打ちながら涙をほろほろと流し自嘆の愚痴を述べて言った.
『主に捨てられた春香が世帯道具があって何になろう、 おめかしをして誰に見られるの.悪運の女の定め(運命)か、二八青春若い娘がこうなろうとは誰が知ろう、卑しいこの体虚しいお言葉にうつつをぬかし人生を台無しにしたのね。 アイゴーアイゴー 悲しいわが運命よ 』凄然と向き直り
『ねえとリョンニム、今のお話本当なの、嘘なの、私たちが始めて逢って百年の誓りを結ぶときサートや大奥様のお許しがあっての事でしたか、大奥様を楯に言い訳とは何事ですか.広寒楼でしばらくお会いしたのち夜更けに私の家を訪れあなたはそちらに座り私はここに座って居た時、私に話したお話"固い固い誓い揺ぎ無い"と前年5月端午節の夜、私の手をとり外に出て満天に星は輝き煌々と明るい月を千遍も指差し万遍も誓いを立てたので私は本当に信じましたのに行くときは捨てて行くのですか.二八青春の若さで愛する人に捨てられ如何に生きていかれましょうか.冷ややかな空き部屋で秋夜長、長い夜をどうして耐えられましょう.アイゴー 悲しいわが身の上よ、冷酷だよ残酷だよ、ソウルのヤンバン冷酷だよ.恨めしいです.仇です。尊卑貴賎仇です.天下に多情なのが夫婦の情なのにこんなに冷酷な人が又と有りましょうか.
トリョンニムあなた春香が卑しい身分だとて勝手に捨てても良いとは思いなさるな.悲運の春香、食欲なくて食べられず悩みで眠れずに何日ほど生きられると思いますの.』

 

    
春香伝13

 義母悪態

 『相思の心が病になり哀れにも死んでいけば悲しくも悔しいこの怨霊、成仏せずに宙に彷徨うは必定、怨魂が付きまとえば尊いトリョンニムにはそれも災いになるはずじゃないの、人に酷い仕打ちをするものじゃないわ.死んでしまいたいわ、エゴー エゴー 悲しや、恨めしや』
春香は悲しみに耐えられず悲哀をイトリョンにぶちまけている時、 春香母は何も知らずに
『まあ、あの子らはまた痴話喧嘩を始めたかな、仲が良いのもいいけど妬ましいわね、しょっちゅう見せ付けられると私も堪らないわよ』あら、なんだか違うみたいわよ.普段とは違う雰囲気を感じ取り、していた針物をよけて置いて離れの春香の部屋の前に行って聞き耳を立てたら、別れ話に違いない.
「ホー これは一大事だ」春香母ショックを受け顔を真っ赤にし拳を握り締め、体をわなわなと震わせながら大声を張り上げた.
『隣近所の方々聞いてください.今日私の家に死人が二人出ますよ.』
二間縁側を一気に上がり障子戸をがらがらっと開け放ち春香をめがけて拳を振り上げ
『このあま、このあまっ子メ、死んでしまえ.生きてる値打ちがないぞ.お前が死んでその骸(ムクロ)でもあのヤンバン様に持って行かせろ.
あの色男ヤンバンが上京してしまえばどれだけ人を悩ませ苦しませるつもりか.
この尼っ子メ、日頃からお前に言っていただろう、後悔する羽目になるから理想を高く持つなって.家柄も身分もお前につりあい、器量も人物もお前と同じくらいの普通の人を選んで私の前でむつましく戯れるのを見ればそれが私の本望だし、お前にも幸せだのにお前は自分の身のほどもわきまえず高い理想に憧れほかの人とは違う考えと行いをしてきたが一年も足らずして捨てられてしまったのか、ざまあをみろだ.』両手をパンパン叩きながらイトリョンの前に詰め寄り、
『私とちょっと話をして見ましょうや、私の娘を捨てていくそうだが一体全体何の罪を犯したの? 春香があなたと連れ添って一年になりますが行儀が悪かったですか? 礼儀がなかったのですか? 針仕事が出来なかったですか? 言葉使いが悪かったですか? いやらしく淫乱でしたか? 何処が悪かったのですか? どうしてこんな事があり得ますか? 君子が淑女を捨てるのは「七去之悪」以外にないのをご存知でないのですか? 
(七去之悪=不孝の悪、不妊の悪、淫行の悪、嫉妬の悪、悪疾の悪、多辯の悪、窃盗の悪.以上が妻を追い出し得る条件であった。)
私はこの子を一人で育てるとき昼夜を問わず慈しみ、よもや病に冒されるか、心に影でも差しはしないかと気を揉みながら神仏に祈る気持ちで女の嗜みを教えてきました.娘をあなたに差し上げるとき百年、三万六千日を離れずに暮らすことを祈りましたのに無情に放り出して去ってしまうとはあまりのことではありませぬか.枝垂れ柳、枝が多いといえども吹き行く春風を如何に防ぎましょう、花散り葉が落ちれば訪れる胡蝶がありましょうか.春香の花の青春も過ぎ行く歳月に顔には皺が出来、頭に霜が降りるとき、嗚呼! 時は再び戻らざるもの何の罪が有って百年を虚しく過ごしましょうか.
 トリョンニム行かれた後、娘春香が愛しい君に恋焦がれ月の光も明るい夜に積もりに積もった君恋しさに胸を焦がした若いおなごが居たたまれず庭先に下りて煙管にタバコを詰めて咥え彷徨うが、こみ上げてくる君恋しさにいかんともし難くあふれる涙を手の甲でぬぐい深い溜め息をついて北方を眺めソウルの都におわすトリョンニムも私のことを想って下さるか、無情にもすっかり忘れて手紙一本も下さらぬのかと、夜な夜な溜め息と涙で心をさいなみ着物も脱がずに横になり眠りを誘うがヤオヨロヅ(八百万)の悩みに苛まれ眠りにつけず徒に枕を濡らす日々が続いて終には患いになりましょう.相思の病は薬もありません.
治してあげられず悔しく死んでいけば古希を目の前にした婆が一人娘を亡くし婿を失い、広い天地の間に頼りのない一人身どうして生きていけましょう.不義理なことするものじゃありません.血も涙もありませんか.連れて行かないのはわれら母娘を殺すことです.トリョンニムは頭が二つの怪物ですか.心臓が鉄で出来ていますか?』

 千愁蛮恨

 イトリョン春香を連れて行きたい気持ちは山々だがこの話が若しも父サートの耳にでも入ったら大騒ぎになり何もかもぶち壊れるに違いない.
『ねえ、義母!春香を連れて行ったら良いでしょう』
『そうよ.連れて行かずには居られないでしょう.』
『あまり焦らないでそこに座って私の言うことを聞いてみなさい.春香を連れて行くとしても堂々と駕籠に乗せて行けばすぐにばれてしまうから駄目だよ.それで知恵を出したんだが然しね、もし此れがばれるとヤンバンの恥かきになるのみならず先祖代々の恥になるだろう.』
『そううまい話はどんなことですか』
『明日奥方の行列が出るとき先祖の位牌を奉ったお神輿が後に続くが俺が陪行をするのだ、』
『それがどうしたと言うのですか』
『そこまで言えば判るだろう』
『いいえ、判りません』
『位牌は俺が懐に入れて隠し、お神輿には春香を乗せて行くしかないのだ.心配しなさんなよ.』と春香母を安心させた。
この時、イトリョンの話を聞いていた春香がイトリョンを見つめていたが話に割り込んだ.
『お止めなさい、お母さんトリョンニムをあまり責めないでください.われら母娘は生涯の運命をトリョンニムに任せているのですからよろしくお頼みするに留めなさい.このたびは一旦お別れするしかなさそうです.どうせお別れするなら気持ちよくお送りするべきですがあまりにもやるせないのでつい迫りましたがもう良いです、お母さんも母屋にお引き取りください.』と言い続けて
『明日はお別れですね.エゴー エゴー 悲しい私の運命、断腸の思いをどうしましょう ねえあなた.』
『うん、なんだ』
『本当にお別れになるの?』蝋燭の芯を切って明るくし向かい合って別れて行く気持ち、別れて送る気持ちを思い、溜め息をつき涙を流し、手を握り合い顔を擦り合い抱き合って背中をさすりあい、むせび泣きながら
『今宵が最後なのね.哀恨の話を聞いてください.還暦のわが母、一家親戚一人もなく一人娘の私だけなのでトリョンニムに頼っていましたが神の妬みか夜叉の妨げか糸の切れた紙凧になりましたね、エゴーエゴー トリョンニム上京した後に私は誰を頼りにしましょうか.昼夜にこみ上げる恋しい面影をどうしましょう、梨の花桃の花咲くとき人々が花見行楽に楽しむとき私はどうしましょう、黄菊、紅葉満山を彩るとき孤独な寂しさを如何にしましょう、秋夜長ながい夜を輾転反側如何に耐えましょう、出るのは溜め息溢れるは涙.寂寞江山月光明るい夜に杜鵑の鳴き声を如何に防ぎましょう、春夏秋冬変わり行く風景見るのも悲しみ聞くのも哀しみです.』




 春香伝14

 青娥惜別

 エゴーエゴー 悲しく泣くとき、イトリョン口を開いて慰める
『春香や泣くなよ.夫戌蕭関妾在呉(夫は戌蕭の関守に行き妻は呉に残っている)で出征した夫と東西に分かれていたし、征客関山路幾重(戦場に出た者妻とどれほど離れているだろ.)緑水芙蓉蓮根を採る女子、メオトの新情も篤かりしに月光も明るい秋の夜ひとしお君恋しさに浸るとか、俺が上京した後でも月の光が窓に差したら千里想思はするなよ.お前を残していくけど一日一時たりとも無心に居られようか.泣くなよ泣くなよ』
イトリョんの優しい言葉に春香はなおさらに悲しみがこみ上げしゃくりあげる
『トリョンニムが上京すれば桃梨の花咲き春風がそよ吹けば街々に美人と歌舞が溢れ人の心を浮き浮きさせるとき好色なトリョンニムが昼夜に溺れ、私ごとき田舎の卑しいおなごを爪の垢ほどにも思いましょうか.エゴーエゴー』
『春香や泣くなよ、漢陽城南北村に玉のごとく美しい女子が多いといえども閨中深処深い情を交わしたのはお前しか居ない.俺如何に男伊達といえども一時なりと忘れられようか.』互いに相愛の情振り切れず別れられないのであった. 
このとき行列の護衛に当たっていた一人の兵卒が息を切らせながら駆け入り
『トリョンニム早く行きなさい、家で大騒ぎですよ.サート殿が「夢竜は何処
に行ったのか」と仰せられ小人メが「友人とお別れの言葉を交わしにちょっと外にでられました」と申し上げましたから早く行きましょう.』
『馬の用意は出来ているのか』
『はい、待っています』
白馬は主人が乗るのを促して長く嘶き青娥は別れを惜しみ掴んだ着物を離さない.馬は出発を促し蹄を踏み鳴らすが春香はイトリョんの足に抱きつき
『行くなら私を殺していきなされ、生かしたままでは行かれませぬ』と叫ぶと気を失って倒れた.春公母は急いで駆け寄り
『香丹や早く水を持ってきなさい.このいけないおなごが、年老いた母はどうしろと言うの』春香ようやく気を戻して
『ああ、胸が詰まるわ』春香母見るに忍びず
『トリョンニム人の大事な娘をこんなにしてしまって、わが春香、哀痛極まり死んでいけば身寄りのない私は誰に頼って生きますか.』
イトリョンも難儀な顔して
『おい春香、お前どうしたのだ、俺と又と顔を合わせぬつもりか.
河梁落日に愁雲起きるは蘇通国の母子の別れ、
征客関山路幾ばくは呉姫越女の夫婦の別れ、
編挿須?正一人は渭城の朋友の別れ、そんな別れが多くても便りを聞くときもまた会うときもあるものだ.俺が上京して科挙に壮元及第し出世してお前を迎えて行くから泣かないで達者で暮らせ.石も望頭石は千万年過ぎても元の岩には戻らず、木も相思木は窓の外に立ち尽くし年が過ぎても芽を出さないものだし、病も心の病は昼夜に心を苛み終には死んでいくのだ.俺に会いたくば悲しまないで達者で暮らせ。』

 狂風片雲

 春香仕方無しに
『あなた、トリョンニム別れのお酒でも一杯召し上がれ.私が上げる重箱を持っていってお休みのときに私だと思って開けて召し上がれ.香丹や重箱と酒瓶を持ってきなさい.』春香は杯にいっぱい酒を注ぎ涙を落として両手で捧げて
『漢陽に行かれる路々川辺の樹々の緑には私の悲しみの心が滲んでいると思い私を想いだしてください.細い雨が降り出したら路行く人々の胸も寂しくなるでしょう.馬上の長旅に疲れてお体の調子でも悪くなるか心配ですから日が暮れかけたら早めに宿を取って休み朝もゆっくりお発ちなさいませ.なにも千里馬に鞭打ち突っ走ることもありませんからのろのろと進みなさいませ.蒼い並木の茂る道をご安泰に行かれませ.そして一字音信を頂とうございます.』
『書信は心配するな、瑤池の西王母も周の穆王を会うべく一双の青い鳥を飛ばして数千里向こうまで便りを送ったし、漢武帝の中郎将は上林苑におわす君夫に一尺の錦書を送ったではないか.俺には白い鳩も青い鳥もないが南原への人便も無かろうか.悲しまないで達者で暮らせ.』と馬に乗り出発を命じた.
『私のトリョンニムが行くのね、行くよ行くよと言ってもまさかと思ったのに、
本当に行くのね』春香は馬子を呼んで
『ちょっと待ってね.トリョンニムに一言お話があるの.』馬上のイトリョんに近寄り
『今行けばいつまた会えるの.
 便りが絶えて絶(ゼツ)
 若しや永絶 (ゼツ) 
 伯夷叔斎万古の忠節(セツ)
(訳注*ハングルでは絶と節が同音、ここでは(セツ)にします.)
 千山に飛鳥絶 (セツ)
 人事絶(セツ)
 竹節(セツ)、松節(セツ)、春夏秋冬四季節(セツ)、
 絶えて断絶(セツ)、そこねて毀絶(セツ)、
 トリョンニム私を捨てて行かれる、残された私の貞節(セツ)、
 独守空房守節(セツ)、するとき
 いつの日か破節(セツ)するは、
 妾の寃情悲しい曲絶、(セツ)
 昼夜に想いは未絶(セツ)して、
 あなたの便り頓絶(セツ)なさいますな.』
正門前の地面に倒れ、か弱い拳で地面を打ちながら
『エゴー エゴー 私はどうしよう』エゴー 一声のどを絞って離別歌を詠む.
『黄塵散漫  黄色の塵り飛び散らし
 風蕭索   風はそぞろに吹くのに
 旌旗無光  旌旗に光無く
 日色薄』  日は暮れていく』
別れを惜しむもきりが無いもの、一日を費やしてもしまいには辛さが残るだけ.
イトリョんも涙を振り払いながら後を頼み出発した.雲が流れるように去って行った.


春香伝15

 独宿空房

 春香は無聊に居たが寝室に入り
『香丹や、寝具を敷いて戸を閉めてくれ.トリョンニムを現実では会えないから寝付いたら若しや夢で逢えるかもしれない、昔から夢に出てくる君には信が無いと言われてはいるが夢で無ければ会えないからね.夢よ夢よ来てくれ、愁心畳々恨みになり夢もならずばどうする.エゴー私のことよ、人間離別の中独宿空房をいかんせん.君恋しさに輾転反側眠れぬわが悩み誰が知ろう.狂わしくも悩ましさをはらりと振り払いたい.目が覚めたときは恋しいその顔が目にちらつき和やかなその声が耳にこだまする.ああ、見たさや君の顔、聞きたや君の声、』
『前世に何の仇有ってわれら二人生まれ来て恋しい相思の情で逢い、忘れまいと誓い死なずに共に暮らし百年の佳約を結ぶとき、千金の珠玉も何のその、世俗の万事我とは何の関わりがあったろう.源から流れ出た水が深い大海になり、愛が積もり積もって高い山になったのに其れが崩れるとは誰が知ろう.鬼の妨げか、神の妬みか.』
『一朝に君と別れて何時の日又逢えようか、よろずの愁いと恨みがこの身に満ちて玉顔雲鬢いたずらに老い行く恨み月日も無情なれ.梧桐秋夜月も明るい夜、どうして斯くも夜明けが遅いの、緑陰芳草豊かなとき日脚はどうして斯くものろいの.この恋に焦がれる心がわかるなら君も吾を想うはずなのに独宿空房独り身を横たえ溜息を友とする、九曲肝腸煮えたぎり溢れるは涙、涙流れて海となり溜息が清風と化せば一葉片舟に乗り漢陽の君を尋ねるのに、どうしてそんなに逢えぬのか.憂愁明月、月は明るく心を込めて君を祈るも所詮夢なるか.』
『興尽きれば悲しみ来り、苦難尽きれば甘美が来ると古より言われているのに待つのも少なからず恋焦がれても久しいのに一寸肝腸に隙間無くまとわりついた恨み君をおいて誰ぞ晴らしてくれよう、明天よ!お察しなされて速やかに逢わして下され.』
『尽きぬ人情、再会して共白髪まで別れなしに暮らしたや、訊きます緑水青山よ吾が君憔悴した身なり、別れた後便りとて無く、人木石に有らずば君も吾が心お判りの筈なのに、エゴーエゴー 私の運命よ.』
天を仰いて溜息し時を過ごしている春香であった.
一方イトリョンはやむなく春香と別れて上京するとき宿に入っても眠られず
『逢いたや吾が恋、逢いたし吾が春香、吾を送り如何に恋しさに焦がれているやら、如何に悩みもだえているやら、彼女の苦悩を解消し可愛い女に蘇らすみちは唯ひとつ科挙に及第して任官する方法のみだと悟り勉強に邁進すると決意を固めるのだった.

 新官威議

 其れから数ヶ月が過ぎて南原府使に漢陽北方紫霞村の卞学徒と言うヤンバンが任命されて赴任してきた.この人は文筆も優麗だし風采も堂々として性格も闊達で風流が好きで色事にも通じてまさに快男児の風貌があるが性格に偏狭な嫌いがあり邪症があってたまに失徳をする癖があり誤決をすることもあるので知っている人からは横紙破りの意地っ張りだとの評判を受けていた.
新官のサーとが赴任すると言うので南原府では主な官属が儀杖兵を連れて途中までお迎えに出た.
新任の府使(サート)をお迎えし部下の官吏が長官にお目見えする新延の儀式を路上で行い一人々々が現身(お目見えの挨拶)をした.
サートは椅子に座り官属どもは左右に分かれ並び立って畏まっている.
「使令どもの現身でーす」
伝令の掛け声に一人ずつサートの前に出てご挨拶を述べる.
「吏房でござーい」(六房官属の首席で行政担当)
「監嘗でござーい」(監嘗は調理の責任者)
「首陪でござーい」(付き添いのカシラ)
サートの一声……
『吏房を呼べ』
『はい、吏房です』
『その間管内に何か事件は無いか?』
『はい、何もございません』
『この府は官奴が三南随一だそうだな.』
『はい、使い甲斐があるかと存じます』
『其れに府内には春香と言う娘が美人だそうだな』
『はい、そうです』
『元気で居るのか』
『はい、さように思っております.』
『南原がここから何里か』
『六百三十里でございます』
『心が急ぐ早く行こう』
新現は終わった.引き下がった官属どもは"南原に一大事が起きるだろう"と予感して互いに顔を見合わせた.
『路を急げ、早く着きたい.』
行列の威儀も物々しい.王様の乗り物に似せて作った"別輦"を馬が引き、左右に旗幟槍剣も厳しく、五色の天翼、白苧、戦帯に着飾った従者が従い、先頭には先導稗将が「下がれ! 下がれ! 新官サートのお出ました.」と叫ぶ
別輦の左右には通人、首陪、吏房、監嘗、工房等の官属、兵卒らが従う.
奴子一双、使令一双が日傘を前後から捧げ持ち、静かな街道に笙、鉦、太鼓をけたたましく鳴らしながら行列が動き出した.
全州に到着し客舎の慶基殿に留まりサーとは上役の全羅監事に赴任の挨拶を述べて早速出発して萬馬関を越え任実を過ぎて?樹に至り昼食をとり直ちに出発して南原の五里亭に入った.
千?が先導し六房向引して清路道に入るとき清道の旗一双、紅門旗一双、朱雀南東角、西南角、紅鞘、藍紋、一双、青龍東南角、西南角、藍鞘一双、玄武北東角、北西角、黒鞘、紅門一双、童使巡視一双、執事一双、旗牌官一双、軍奴12双、左右に並び進み威儀も物々しい.行軍の吹打風楽城東に響き渡り三弦六角は遠近に轟いた.
廣寒楼に休憩してサートの礼服に着替え藍輿に乗り本営に乗り込むとき百姓どもにサートの威厳を見せるため目をくりくりと光らせながら東軒(サートが執務する政庁)に入り就任のお膳を受けた後サートの椅子に座った.
『行首、お目見え申し上げます。』行首から軍官の礼を受け、改めて六房官属の現身を受けた後
『首奴を呼んでキーサンの点考(点呼)を始めろ』このサート女に関心が多い.



春香伝16

 妓生(キーセン)点考

地域の長官、(サート)が新しく赴任してくると官に属している使令、官奴らが'お目見えの儀式'点考を行う.妓生はほとんどが官に属した官妓である.
中には退妓になり自立して独自に客を相手する者も居たが官妓も官に隷属したもので別途の点考を受けていた.
春香の母月梅は退妓ながら旦那から頂いた財産で商いをせず娘春香の養育に専念していた.

戸長が命を受け妓生の名簿を開き名前を呼んでいくとき前置の句がつく.
『雨降った後の裏山に"明月"』
明月が長い絹のチマの裾が地面に届かないくらいに折りたたんで細い腰に紐で結わいチョコチョコ歩みでサートの前に進んできてお辞儀をし.『わたしです』
『漁舟逐水愛山春で春色も酣、"桃紅"』
桃紅が左褄で歩み出てお辞儀をし、『わたしです』
『丹山のあの鳳が連れを失い碧梧桐に棲む、山水の神であり飛ぶものの精気、飢えるとも粟は食うまじ硬い節操、万寿門前、"彩鳳"』
彩鳳が出て来る.華やかに着飾り静かな足取りでサートの前にお辞儀する. 『わたしです』 まさに妓生のファッションショウである.
『清く美しい蓮花は節操が硬く花中の君子なり美しき姿態、花中の君子"蓮心"』
蓮心は煌びやかに着飾り刺繍を施した花鞋を履いてなまめかしく歩み出て
『わたしです』
『和氏のごとく明るい月か蒼い海か、荊山の白玉、"明玉"』
これまた女の艶かしさを漲らせて進み出て
『わたしです』
『雲は薄く風邪は軽い昼に近いとき、花を尋ねて柳の茂る川べりを飛ぶ、楊柳片金"鴬鴬"』
『わたしです』.サートじれったいのか
『早くしろ』と一声
『へい』 戸長が仰せを聞いて四つ文字に句を縮めて読み出す。
『広寒殿高い殿閣に桃を捧げる仙女、"桂香"』
『はい、控えております』
『松下の童子よ先生は何処か、青山の"雲深"』
『はい、控えております』
『月の殿に昇りて桂花を折る"愛折"』
『はい、控えております』
『借問酒家何処在、木洞瑤地 "杏花"』
『はい、控えております』
『峨眉山の月は峰に半分かかっているのに月の影は平羌水に映える."江仙"』
『はい、控えています』
『桐の木の琴を弾けば"弾琴"』
『はい、控えています』
『八月の芙蓉、君子の姿か満塘秋水"紅蓮"』
『はい、控えています』
『紅い絹糸の結びで下げる"錦嚢"』
『はい、控えています』 サートが催促する
『一遍に二・三人ずつまとめて呼べ』 戸長命を受けて
『"陽台仙" "月中仙" "花中仙"』 3人いっせいに
『はい、控えています』
『誰にすっぽかされたか"落春"』
『はい、おまちしています、今参ります』と答えて落春が場内に現れた.
最高におめかしをしたのが額から耳まで剃刀でそり上げ白粉を有り金全部出して買ったのか、顔一面にてかてかと塗り捲ってお面をかぶったようだ.村の入り口に立てているジャンスン(丸太人形)のごとくひょろ長い体をしてチマを膝まで捲くり上げ田圃の上を白鷺が歩く如く足を高く上げてヒョッコンヒョッコン歩いて来て
『わたしです』

 六房騒動

中には綺麗な妓生も多いのにサートは目もくれないで自分が聞いていた春香の美名を頭に浮かべて首奴に聞く
『妓生の点呼が終わったのに春香の名はなぜ読まないのか、退妓にでもなったのか』
首奴、困った顔をして申し上げる
『春香の母は妓生でしたが春香は妓生で御座いません』サートは又聞いた.
『春香が妓生でなければなぜ閨中の娘の名が世に知られているのか』
『根本が妓生の娘ですし色徳が高いので遠近の権門勢家のヤンバン達や才子、伊達男、管内のサート方が一度顔を見ようと申し込みましたが春香母が聞き入れませんのでヤンバンの社会はもちろん常民にいたるまで美女と同席をしてみようと手練手口を尽くして見ましたが一切断っていましたのに天が定めた因縁だったのか旧官サートのご令息李トリョンと百年の佳約を結びサート転勤の際イトリョンが漢陽に行く時科挙に及第して連れて行くと約束し、春香も承知して貞節を守っております.』と説明した.
サートが怒って怒鳴った
『こら、たわけもの!世間知らずの下種(ゲス)メが、それがどんな家柄のヤンバンか知らぬのか.厳父の膝下に居て婚礼もしていない書生が妓生の妾を置いて暮らせると思うか馬鹿者!もう一度さようなことを口に出せば厳罰に処するぞ.俺が彼女一人を想いながら来たのに逢わずに帰れるか、文句言わずに呼んで参れ.』と命じた.
サー大変だ、春香は妓生の娘とは言え良家の婦女である.しかもれっきとしたヤンバンの許婚であり、南原住民のアイドルでもある.それを新官のサートが妓生扱いにして慰め物にしようとしているのだ.
吏房と戸房が前に進み出て
『春香は妓生でもありませんし、前官サートのご子息と盟約を結んでおりますのも重要ですし、年齢の相違はありますが同官の誼も有りますので呼びつけるのはサートの沽券にかかわるかと存じます.』と申し上げた.
サーと大いに怒り
『万一春香を直ちに連れて来ねば吏房、刑房をはじめ各房のかしらを全部首を切って放逐するから直ちに連行しろ.』
新官サートのとんでもない強行命令に六房の官属ども騒然となり頭どもは呆然自失している.仕方なしにサート護衛役の番手どもが前に出た.
『金番手、李番手、出て来い、これは尋常なことじゃないぞ、サートの厳命だ、我等が行って連れてこよう、早く行こう.』
それにつづいて使令、官奴どもがわいわいと怖いサートの前から逃れるように付いて行った.
役所の使令らが群れを成して春香を強制連行するため春香の家を襲うとき何も知らない春香は昼夜にイトリョン恋しさに泣き暮れ、生気を失い食欲も減退して食べるのも少なく、眠れないから体が弱くなり、やつれて話し声も弱々しく凄惨な響きをおいていた.「行こうか、行こうか.千里の漢陽路、君を追って行こうか、風も休んで越える高い峰、鷹も羽を休めて越えるという峰峰を君を逢うためには休まず越えようぞ.漢陽のわが君、吾の如く恋しておわすやら、忘れて他に恋を移したやら.」独り言を言いながら悲しく泣くとき使令どもが窓の外で聞いて、もらい泣きをしていた.人間木石にあらずば可憐に想わざるを得ないだろう.六千節の骨の節毎に'落水春氷'氷が解けるように感傷して、
「哀れなことよ.女好きな男ども、あんな女を尊重しなければ人間とは言えない.」




 春香伝17

 一片丹心

このとき使令の頭が玄関先で"たのもう"と大声で呼びつけた.
その声に驚いて春香母が玄関に出て門の隙間から外をのぞけばサート護衛役の番手ども4-5人が来ている.先ず扉を大きく開けて
『これは、これは、番手の方々いらっしゃいませ.新官のサート殿が赴任されたそうですがご苦労様で御座います.お入りなさいませ.』と迎え入れた.
『番手の方々がお見えになるとは珍しい.新官のサート殿ご赴任の長い道のりご健勝ですか.旧官のお宅にも伺ったのでしょうか、もしやうちのトリョンニムから手紙でも預かっていないかな.以前はね、トリョンニムがうちに出入りされていたので人々の目に付かないように引っ込んでいましたが気持ちは昔のままなのよ.さーこちらへお上がりください.』と金番手、李番手を始め一々手を取って全員を座敷に上げ、香丹を呼んで『お膳をあげなさい』と指示した.
さすがは退妓月梅の家である、瞬く間に酒肴の膳が各自の前に置かれた.
みなを良い機嫌に飲み食いさせて五両のお金を紙に包んで出し、『帰りにお茶でも一杯召し上がれ』と差し出した.番手どもは"とんでもないお金まで頂くのは"と手を振る真似をしたが内心喜んでいるのが目に見える.
このとき離れでは行首妓生(妓生の頭)が部屋の扉の前で掌をパンパンと打ち
『これ春香や話を聞け、お前ほどの情熱は私にもあるし、お前ほどの操は私にもあるわ.お前ほどの貞節と操は誰でもあるのよ.貞節夫人のお嬢さん、守節夫人のお姫さん.小さいお前一人のために六房が大騒ぎになり、各庁の頭たちが大変な目に逢っているんだよ.出て来なさい、早く行こう.』と皮肉たっぷりに催促する.お役所に何かのことがあって自分を呼ぶなら行くしかない.春香は普段の身なりそのまま、顔も直さないで戸をぱっと開けて出てきた.
『姉さん、行首の姉さん.人にそう辛く当たるものじゃ有りませんわ.貴女とて何時までも行首かわからないものだし、私とて春香のままで居るとは限らないわ.人生一寸先もわからないもの、死ぬのも一度だけよ.二度死ぬことは無いわ.』春香腹をくくってサートの前に行き
『春香です.お呼びですか.』
サートが見て大いに喜び
『おお、春香が間違いないな.ここへ上がれ、上がれ.』と横の部屋へ通した.
春香は部屋に上がり端正に正座した.サートはぞっこん惚れこんで
『冊房に行って会計の旦那を呼んで参れ』命を受けて会計の書生が入ってきた.
サート上機嫌で
『君、見てみろ、あれが春香だよ』
『はあ、こいつ飛び切り綺麗ですね.サートが漢陽で"春香、春香とおっしゃっていましたがなるほど美人です.』サートからからと笑い
『君が仲人になれ』
『サートが初めから春香を呼ばないで仲人の婆を呼ぶのでしたね、少し軽率にはなりましたが呼んだ以上仕方がありません、婚礼を挙げるしかね.』
サーと大いに喜び、春香に命じた.
『今日から身たしなみを綺麗にして俺に抱かれろ』
『サート殿.恐れ入りますが一人の夫に仕えるため仰せに従いかねます.』


妾身雖賎

 サートが褒めて言うに
『美しくも殊勝な女子じゃな.お前が本当の烈女だわイ.お前の貞節を守るその気持ち
可愛いのう.女として当然のことだ.然し李秀才(イトリョン)はソウル士太夫のご子息で名門貴族の婿さんになっているから一時の出来心で付き合ったお前なぞに関心があろうか、お前は貞淑だから生涯操を守り通して綺麗な顔に皺がより白髪になって無情な年月が流れる水の如きを嘆くとき悲しくも哀れなのがお前ではないか.お前がいくら貞節を守っても判ってくれる人も居ないし誰に表彰されるものでもないのだぞ.過ぎたことだと忘れて官長のおれと人生を新しく出発するのが良いか?過去に縛られて虚しく時を過ごすのが良いか?お前が良く考えてみろ.』サートは口説くのも上手だし自信にも満ちている.
春香が申し上げた.
『忠臣は二君に仕えず、烈婦は二人の夫に仕えず節操を守ると言う教えに従うつもりで居ますがたってと仰せられれば生きているのが死ぬに及びません.小女、命ある限りは決して二夫に仕えませぬゆえご随意に処分なさりませ.』要するに死んでもいやだと言うのだ.この時、会計役の書士が前に出て
『これ、これ、お前は妖邪な奴だな.人生は浮き草のようなもの何もそう頑なに断わることは無いじゃないか.サート殿はお前を可愛く想って可愛がってやると仰せられるのだ.お前如き娼妓なぞに守節とか、貞節などは当たらないぞ、旧官を送ったら新官をお迎えするのが当然なことで法にも適っているのだ、つまらないことに執着するのは許されんぞ、賎しい妓生の類に忠節の文字が該当すると思うか馬鹿者.』
春香は呆れ返って静かに然しはっきりと言い放った.
『忠孝と烈女に上下がありますか.しかとお聞きなさりませ! 妓生について申しましょう「妓生に忠孝烈女は当たらない」と言われますが、それを申しましょう.海西妓生弄仙は洞仙嶺に埋もれていますし、宣川妓生には童妓ながら七去学門に入っている者がいますし、晋州妓生論介はわが国の忠烈として忠烈門に祭られ年々祭祀を挙げていますし、清州妓生花月は三層閣に上っていますし、平壌妓生月仙は忠烈門に入っており、安東妓生一枝紅は生烈女門を建てた後貞敬婦人の資格を頂いていますから妓生だからとて侮らないで下さいませ.』
春香は更にサート殿に申し上げた.
『初め李秀才と逢う時の泰山の如く西海の如き堅く心に誓いし小女の一心貞節は猛夫の勇猛でも剥ぎ取れませんし、蘇秦と張儀の言弁でも小女の心を動かせないでしょうし、孔明先生の高い才能は東南風を祈りましたが一片丹心小女の心を曲げる事は出来ますまい.箕山の許由は堯帝の代理を辞退しましたし、序山の伯叔両人は周の国の米を食べませんでした.若し許由が居なかったなら"高蹈之士"は誰が残り、万一伯夷叔斎が居なかったらば乱臣と賊子がもっと世にはびこったでしょう.小妾身分賎しいとて許由や伯夷叔斎も知らないでしょうか、人の妻になり夫を背き家を離れるは、上に仕えるサート殿が王様を背くのと同じことですので御意に処分なさりませ.』
サート大いに怒り
『あま!良く聞け!謀反大逆の罪は八っ裂きの罰だし、官長侮辱の罪は市棄律(処刑して市場に棄てる)に処するようになっているし、官長を逆らう者は厳罰に処するようになっているぞ.死刑を受けても悲しむな.』

 有夫劫奪

サートの威嚇に春香もひるまず声を張り上げて悪態をつく
『人妻を劫奪するのが罪でなくてなんですか』
サートはあまりの怒りに硯床(脇卓)を拳で打ち下ろした.その拍子に冠が落ち、ちょん髷がほつれた.官長の権威で押し通せばたやすく折れるとたかをくくっていたのが大きく外れたのも癪に触るのに弱点を突かれて気が気じゃない、喉が詰まり声がかすれた.
『こ奴を引き下ろせ』とブルブル震えながらかすり声で怒鳴った.
『へいっ』通人、番手らが一斉に飛び掛り
『このアマを引き下ろせ』と掴み掛かるのを"放せっ"と一喝して振り払い自ら東軒の石階を下りて庭に立った.この時番卒どもが飛び掛り
『このアマ、小癪な奴、尊いお方の尊厳の前でそんな不敬な言葉、態度を示して生きていられると思うか』と突き倒して庭に転がした.その上、綺麗に梳いた春香の髪を鷲掴みにして子供らが凧糸を巻く如く、船頭が錨の綱を巻く如く、手にぐるぐる巻いて引っ張り上げ地べたに投げ倒した.哀れなるかな春香、白玉の如く美しいからだが無様に伸びてぐったりと倒れたまま身動きもしない.
『おい、刑吏はどこに居るか.早く呼べ.刑罰の準備をしろ』
サートは怒りのあまり目は血走り、体を震わせ、口から泡を飛ばしながら叫んだ.その形相が鬼のようである.番卒どもが四方に走り刑台、縛縄、刑杖などを用意し刑吏が駆けつけてきた.サートが又叫んだ.
『おーい、そ奴には拷問は要らない、叩いて肌を裂き、骨を砕いて叩き殺せ!』
刑吏が春香を刑台にうっぷせにして十字架に磔にする如く縛り付けて刑杖、棍杖などをジャラジャラと選り分け丈夫なものを手に持ち、片肌を抜いて気合を入れて恐怖を煽り、命令の下りるのを待っている.その恐ろしい雰囲気に気押され春香の魂は半ば飛んでいた
ついに執杖司令の命令が下りた.
『刑を執行しろ.万一刑の執行に手加減を加えればお前の首が飛ぶから容赦なく打て』
『サート殿の厳命が御座いますのに何の容赦が要りましょうか.こら、罪人は足を動かすな若し足を動かしたら骨が折れるぞ.』大きな声でしゃべり春香に近づいて小さい声で
『二つ三つだけ辛抱しろよ.この足はこっちを向きあの足はあっちを向かせろ』と囁いた『初めろっ』
『へいっ』パシッ、アアッ、春香が悲鳴を上げる.パシッ、アアッ、パシッ、アアッ
刑杖が折れて折れた半分が空高く飛んだ.春香は歯を噛締めて耐えるが悲鳴が自ずから出る.



春香伝18

 十杖哀歌

 普通の棍杖、苔杖の時は使令が立ったまま一つ、二つと数えるが刑杖は法杖なので数え方が違う.刑吏と通人が向かい合ってしゃがみ棒で地面に線を引いていく.無学の常人が居酒屋で酒を飲む時飲んだ杯の数を壁に棒を引いて記すようなものだ.春香は叩かれる痛さも耐え難いが、非道な仕打ちを受けねばならぬ身の上に悲しみがこみ上げて涙を流して泣きながら叫んだ.
『一片丹心思い詰めるは一夫に仕えたい覚悟です.叩かれても殺されても変わりは致しますまい.』
この時、春香がサートに体を許すことを拒み折檻されていることが南原府内に広まり老若男女を問わず東軒の庭に集まって来て見ていた.
『酷いなあ、惨いなあ、官長の仕打ちが酷いなあ.血も涙も無い叩き方だ、あの鬼のような刑吏の顔を良く覚えておけ、街に出たら殺してやるから.などとひそひそがやがや囁き交わしている.
三つ目を打たれる時
『三従の礼、尊い仕来り、三綱五倫を習いし者、三度の拷問を受け、島流しにされようとも三清洞におわす吾が君イトリョンは忘れられません.』
四つ目を打たれて
『士太夫のサート殿は四民の公事は見ずして威力の公事にのみ力を入れましたら四十八坊の南原人民の恨みを買うのを知りませぬか.四肢を裂かれようとも死生同居の吾が君、忘れられません.』
五つ目を打たれては
『五倫倫紀に終わり無く、夫婦有別、五行で結ばれし縁をスダスダに裂こうとも寤寐不忘の吾が君忘れまじ、梧桐秋夜明月は吾が君の住処をご照覧されるはずなのに今日お便りがあるか、明日手紙を頂くか待つ罪無きこの身に悪死は当たりません.誤決なさいますな.エゴー、エゴー、悲しいわが身の上よ』
六つ目を打たれた時
『六六の三十六、考え直しても、六万遍殺されようとも六千の節節にまとわりし吾が心変えようがありません.』
七つ目の杖を打てば
『七去の悪を犯しましたか?、七去の悪でもないのに七度の拷問とは何事ですか.七尺の長剣で七つに斬り落として殺してくだされ.刑房の旦那、打つたびに私の顔色を伺いなさるな、七宝紅顔の私は打たれ死にます.』
八つ目の杖を打てば
『八字(生年月日時の干支…運命のこと)の良い、春香が八道方伯の中、第一の名官にお逢いしましたね.偉大なサート殿、善政をしに来たのじゃなくて悪刑をしに来ましたか』九つ目の杖を打てば
『九曲肝腸は腐敗し、吾の涙は流れ流れて'九年の水'に成るでしょう.九峰深山の松の大木を切って造った船に乗り漢陽城に入って九重宮闕の王様に悔しい事情を詳しく申し上げた後宮廷を退いて三清洞に吾が君をたずね逢い九重に積もった恨みを晴らしたい.』
十番目の杖を打たれては
『十生九死されるとも、十八娘の志、十万べん殺すとて変わろうか.十八の若い春香、杖殺されて怨鬼に成ります.』
十篇打たれるくらいで止むと思ったら続けて打たれ15回になった.
『十五夜明るい月よ、ソウル三清洞におわす吾が君を見ているの?、私にはどうして見えないの?』
二十を数えても終わらず二十五を打たれた.
『二十五弦、夜弾月に不勝清怨あの雁よ、お前行くところが何処なの?、行きしなに漢陽城に寄って三清洞の吾が君に私のことを伝えてくれ、忘れないでね.』

 無男独女

三十三天(六欲天中の第二天)が若い愛情を玉皇殿で見下ろしているのに白玉の如き春香の肌に裂かれた傷からは紅い血が流れ、とめどなく流れ出る涙と合わさり地面を流れ武陵桃源に紅流水である.
春香は頭がぐらぐらし瞼が重くなるのを感じ、渾身の力を振り絞って叫んだ.
『私をこんなに生殺しにしないで一気に八っ裂きにしてください.そしたら死んで怨鳥になって招魂調を啼き寂寞空山月の明るい夜に吾がトリョンニムの眠りを覚ませるようにしてくだされ』と一語と叫び身魂尽きて気絶した.
そばにしゃがんで叩く杖数を数えていた刑房と通人涙を流しながら顔を見合わせ、叩いていた刑吏も汗を拭く振りをして涙を拭き顔を背け、
『これは人間のすることじゃないワイ』と嘆いた.
役所の庭一杯に取り巻いて見ていた市民らと、官属までもが涙を拭き拭き顔を背けて
『人の子として春香の叩かれるざまは見るに忍びないね、酷いよ、すごいよ、春香の貞節がすごいよ.天が授けた烈女だよ.』口々に感嘆しサートの仕打ちを非難しざわめいた.こんな光景を見ていたサートとて気持ちが愉快なはずが無い.
『こら、女メ、役所の庭で悪態をついて、打たれて、サートに盾突いて身に戻るのは苦しみだけだと言うことを思い知ったか.それでも又逆らう気か.』
半死半生の状態に有る春香、どこからそんな声が出るのか一層の大声で悪態をついた.
『そこのサートさん、死を覚悟している私の心がわかりませんか.「少婦恨みを含めば五月にも霜が飛ぶ』と言う言葉も知りませんか.怨魂が虚空を彷徨う内王様に私の恨みを訴えたならサートとて無事には収まりますまい.早く殺しなさい.』
サートは返って呆れてしまった.
『なんと、あくどいアマだなあ、首枷をかけて獄に入れておけ.』 
首枷とは幅1尺、厚さ5寸、長さ3尺の2枚の板で上から1尺ほどの位置に半円に抉って2枚を合わせるとようやく首が通るようになっている.それを離れないように錠前をかけて合わせ目には官長の印を押した封印を貼り付けるのだ.罪人を無残に扱った昔でも死刑に相当する重罪人だけに施したものだ.春香は血みどろに叩かれて動けないので獄司長が背中におんぶして監獄に入れた.
その時数人の妓生がついてきて
『春香ちゃん しっかりしなさい.可哀想に』と慰めながら傷口に薬を塗ったり手足を揉んだりしているとノッポの落春もついて来て
『サートに盾突いた女は春香ちゃんが初めてだよ.南原に名物が生まれたわね.可哀想にどうしましょう.』とはしやいた.
春香がサートに杖刑を受けていると言う話を聞いた春香の母、月梅はあたふたと獄舎に来て惨めな姿に変わった春香を抱きしめ、
『アイゴー、どうしてこんなことがあり得るの、罪は何の罪、杖刑とは又何なの、杖訓房の親方、杖を打った刑吏の旦那、どんな仇がありましたの.アイゴー』大声慟哭しながら身の上の愚痴をこぼしていた.
『70を目の前にした老婆が頼るところが無くなったわね.一人娘の吾が春香、閨中で人知らずに育て昼夜に書籍を友とし、内側篇を勉強して、私に言うのに『お母さん悲しまないで息子が居ないからとて悲しむことは有りませんわ、私の子もお母さんには孫ですよ」と言って慰めた娘ですよ.母を大事にしてくれる孝行娘、漢の郭巨や孟宗も私の娘には及びますまい.自分の子が可愛いのは上下があるはずがありません.胸が焦がれて出るため息が煙になります.金番手さん、李番手さん、上司の命令が厳しいからと言ってもこれほどまでに人を打ちましたか。エゴー、吾が娘の打たれ傷を見てごらん、氷雪のような無垢な体が血みどろじゃないの、真っ黒い痣だらけじゃないの。名門の家柄でも子無しの奥方は目の見えない娘なりと欲しがるのよ、それなのにこの月梅の綺麗な娘のこんな惨いざまはどうしてなの.春香やしっかりしなさい.エゴー、エゴー、悲しいわよ.』
ひとしきり泣いていた月梅が
『香丹や、外に出て飛脚二人を雇ってきなさい.ソウルに早飛脚を送るから.』
と言いつけて唇を噛んだ.春香がそれを聞いて.
『お母さん止めなさい、若し急報を受けてトリョンニムが厳格な父母の膝下でどうすることも出来ずに悶々と悩み続けそれが元で病にでもなったらもっと大変なことよ.当分このまま辛抱して推移を見ましょう.』
と弱弱しい声で母を諭した.




春香伝19

 獄中名花

春香が獄司長に負ぶされて獄舎に運ばれる時香丹が首枷を支え持ち、月梅も後に続いた。獄房の前まで来ると薄暗い中吐き気を催すような異臭が漂う、獄房に入った後春香を介護するために許しを得て月梅と香丹もしばらく獄房の中に留まっていた。
獄房は5坪ほどで高いところに小さい明かり窓がある小さいために明かりが十分に入らず薄暗いが外気が入り通風は出来ていた.座っていると床に敷かれた破れ茣蓙の間から蚤、虱、南京虫の類が体を這い上がってきくる.
春香は首に嵌められた枷のために体を横たえることが出来ずに壁に凭れて長嘆歌を唱えた
『この身の罪は何か
 国穀偸食(国庫横領)でないのに
 厳刑・重装は何事か.

 殺人の罪人でもないのに
 手枷・首枷は何事か.

 国法を犯し、道徳に反してないのに
 身体の拘束は何事か.

 陰陽盗賊(姦通罪)でもないのに
 この刑罰は何事か.

 三江の水を硯の水にし
 蒼い空を一枚の紙にたとえ
 この身の悲しみを訴え
 玉皇上帝に上げたし.

 君を慕いて胸を焦がす火の手
 ため息に吹かれて燃え盛り
 わが身を焼く

 一輪咲きのあの菊の花よ
 高い節概も尊し
 
 雪の中に立つ青い松の木は
 千古の節に違いなし

 青い松は吾の如く
 芳しい菊は君の如く

 悲しい心、涙に濡れ
 ため息に吹かれる

 溜め息は清風に化し涙は細雨になって
 清風、細雨吾が君のところに吹き降りて
 君の夢をさませてたもれ

 牽牛と織女の星は七夕の逢う瀬を
 銀河の水に遮られても欠かしたことが無いのに
 
 吾が君のおわす所とは
 何の水が遮っているのか
 便りすら貰えないのか

 生きて斯くも慕え苦しむよりは
 いっそ死んで忘れたし

 いっそのことこの身が死んで
 空山の杜鵑になり

 梨花月白、夜三更に
 悲しく啼いて君に聞かせたや

 清江の鴛鴦になり、双をなし戯れて
 多情・有情を君に見せたし
 
 三春には胡蝶になり香り馴染んだ双の羽で
 君の着物に降りて春の光を誇りたや

 晴れた夜空に明るい月になり
 明るい光を君の顔に照らしたや
  
 私の焦がれる肝臓の血をもて
 君の肖像を描き掛け軸にして
 
 扉の正面に掛けておき
 出入りのたびに眺めたし

 守節、貞節の絶対佳人
 惨めに成りましたね

 紋様も麗しい荊山の白玉が
 泥の中に埋もれた如く

 芳ばしい紫芝草が雑草に囲まれた如く 
 梧桐に戯れし鳳凰が荊棘(イバラ)に棲む如く

 古より聖賢おも
 罪無くして桎梏されたり

 尭舜禹湯の聖君も
 傑紂の暴虐にて獄に入れられたが
 後に放たれ聖君になられたし

 命徳治民の周文王も
 商紂の害を受け獄に繋がれた後
 聖君にお成りなされたし

 万古の聖人孔夫子も
 陽号の謗りを受け

 貫野に幽閉されたが
 放免され大聖になられた
 
 このことなどを思えば
 罪なきこの身も

 命あるうちに世を更に見れようか
 はかなくやるせなく悔しく

 私を助け出す人誰あろう
 ソウルに居る吾が君よ

 官命を受けここに来て
 死に行くこの身を助けられないだろうか

 夏雲は多奇峰して
 山が高くてこられぬか

 金剛山の最上峰が平地になれば来れますか
 屏風に描かれた鶏が羽ばたいて

 四更の時を知らせて鳴き声を上げれば
 その時には来てくれますか

 エゴー、エゴー、私の運命(サダメ)よ』

獄房の格子を嵌めた小さい明かり窓から月光が射し込み、見上げると明月が見える.
『お月様、吾が君のおわす所が見えますか.明るく照らして私にも見せてください.恋しい吾が君寝てますか、座っていますか、見えるまま私に伝えて狂いそうなこの心を癒してくださいな.』



春香伝20

 黄陵之廟

エゴー、エゴー、壁に凭れて目を腫らしすすり泣きに泣いていたが泣き疲れていつの間にか眠ってしまった.
魂が宙に舞い上がり胡蝶が飛ぶようにひらひらと無限の空を飛んでいた.
霧か霞か混沌としたところを通り或るところに至ればぱっと明るくなり空は青く澄み大地は広い、山は鬱蒼と森が茂り川は清く美しい.ふとある所を見れば竹林の中に一座の楼閣が鎮座していて神々しさが漂っていた.近づいて見上げれば「万古貞烈黄陵之廟」と金文字で大きく書かれている.春香は畏敬の念に恍惚としていたらどこからか3人の美女が提灯を持って現れた.良く見れば昔、晋の国の烈女緑珠、晋州妓生論介、平壌妓生月仙の3人であった.みな昔の人だ.春香が知るはずがない、然しなんとなく判っていた.
春香は3人の案内で廟内に入り本殿の前まで来た.扉が静かに開いて白衣の二人の婦人が手招きで春香を呼んだ.春香は畏れてその場に正座し
『俗世の賎しい身が如何に尊い黄陵廟に上がれましょうか.』と申し上げた.婦人は再三上がってくるように要請するので春香はやむなく恐る恐る上がれば座を勧められ座った.『お前が春香か.殊勝だな.この間、朝会があって瑤池宴に行ったらお前の評判が盛んだったので逢ってみたくてお前を招いたが悪かったかな.』春香は更にお辞儀をして
『小女浅学ではありますが古書を読みましてお慕い申しておりました.死した後には尊顔を拝められるかと思いましたがはからずも黄陵廟にて拝顔を致し畏れ多くもあり悲しみもこみ上がりまする.』
湘君夫人(舜帝の二人の夫人)が言う
『吾が舜君、大舜氏が南の地方を巡訪中に蒼梧山にて亡くなられ吾ら二人はやるかたなく瀟湘竹林にて血涙を迸らせた.枝枝と葉ごとに恨みが貼り付いたのだ.



春香伝21

 繍衣登程

この時漢陽の李トリョンは昼夜の区別もなく詩書百家語を熟讀、勉学に勤しみ、文章では李白であり、筆では王義之の域に達していた.国に祝いことが有って科挙を施行した.
お役人になるためにはぜひとも科挙に合格しなければならない.しかし科挙は不定期だ、いつ又有るか判らないものだからいったん科挙の公告が出ると全国から受験生が集まる.大変な競争率である.合格者の数もおおむね10人以内である.科挙に合格するのは天の星を捕るようなものだ.いかに狭い門であっても登竜門であるからには通らねばならない.李夢龍ももちろん参加した.
科挙は成均館の庭で行われる.庭には受験する書生がいっぱいに並んで座っている、
やがて雅楽が鳴り響き宮女の鸚鵡舞が始まると王様が入場する.受験生が一斉に起立して王様に拝礼をする.試験官の長官である大提学が王が自ら出した詩題を掲げた.
<春塘春色古今同>とあった.
李夢龍は解題を熟考したあと答案紙を広げ龍池硯に墨を擦って唐黄毛の無心筆をほぐし墨をつけて王義之の筆法,趙孟の書体で一筆揮之に書き下ろして答案紙を第一番に提出した.上試官がこれを見て感嘆した.文字の一つ一つ、句説の文章があまりに立派で非のうち所が無かった.文字は龍が天空を駆ける如く鳩が砂場に下りる如く今世の大才に違いない.金榜に合格者の名前が掲げられた、李夢龍は見事に壮元(首席)合格であった.
壮元合格の答案紙は試験場に掲げみなに公開した.
王様は三杯の祝賀の御酒を賜り褒められた.壮元合格者には王様から御使花を下賜され冠に挿して栄光を表すようになっている.壮元が試験場を退く時には宮廷から楽隊が派遣されて街回りをすることに成っている.李夢龍は街回りをしたり祖先の墓参をしたりあいさつ回りなど三日間の休暇をあわただしく過ごした.
登科の休暇を終えた李夢龍は宮廷に入侍して王様を拝謁した.王様は大いに喜ばれ近くに呼び
『卿の才能は朝廷第一だよ.』とお褒めになり、都承旨(王の秘書長)をお呼びになり
「全羅道暗行御使」の任命状を作らせ李夢龍に与え、『若い正義観で貪官汚吏を摘発し官僚の気風を正してくれ.』との勅命を下した.
ちなみに暗行御使とは王の特命を受けて秘密に行政を監察し必要な時は現場で直ちに王を代理して判決を下し処置をする権限を持つ王の特使である.李夢龍は願ったり適ったりの大役を授けられたのである.李夢龍は王様から直接繍衣(刺繍を施した御使の正服)と、身分を証明する馬牌(マーペ)並びに鍮尺(真鍮の指揮棒)を頂いて御前を退いた.
馬牌(マーペ)は馬が浮き彫りされていて5種類ある、御使のマーペは馬5頭の最高のものだ.これさえ見せればどこの官庁でもどんな命令でも下せる法令がある.マーペは王の信任状だから.
李夢龍は父母に別れの挨拶をして任地に出発した.王都漢陽の南大門で胥吏、中房、駅卒などを従えて青坡駅で駅馬を選んで乗りナナペ、ハチペ、船橋を過ぎ、飯街を素通りして銅雀の渡しを渡り南太嶺を越え果川邑で昼食をとりサクネ、弥勒堂から水原に入り一泊して大皇橋、餅屋街、チン川、中美、を過ぎて振威で昼食をとり蔦院、素沙、コタリ、成歓駅で宿を取り、上柳川、下柳川、新酒幕、天安邑で昼食、サンコリ、道里峠、金堤駅で馬を乗り換え新・旧徳坪を過ぎワンターに宿り、八風亭、弓院、広程、毛老院、公州で錦江を渡り錦営で昼食し、坂道をソゲモン、恩津、カチタリ、皇華亭、ジャンオミ峠を越え礪山邑で宿し、あくる日、胥吏、中房を呼んで指示した.
『ここから全羅道だ.国家の重大な任務を負って、明らかにしないといのちは無いものと思え.どこまでも内密に公正に調べろ.』と秋霜の如く命じた.つづけて
『胥吏お前は左の道をとり、珍山、錦山、茂朱、龍潭、鎮安、雲峰、求礼の8邑を回って某日に南原邑で待て、中房おまえは右の道をとり、龍安、咸悦、臨坡、沃溝、金堤、萬頃、古阜、扶安、興徳、高敞、長城、栄光、武昌、茂安、咸平に回って某日に南原で待ち、従事、お前は益山、金溝、泰仁、井邑、順昌、玉果、広州、羅州、昌平、潭陽、同福、和順、康津、霊巖、長興、宝城、興陽、楽安、順天、谷城を回り某日に南原邑で待て.』
と各々分担を定め秘密監査の要領などを書いた指針書を渡し説明をしてやった.
部下を派遣した御使はご自分も支度に取り掛かったがその変装の格好が又奇抜だ.
封建社会で支配階級である士族のヤンバンは特権があり服装も常民とは違う.
衣冠はヤンバンのたしなみで寝る時以外は脱がない.ヤンバンは普通の着物の上にトーポと言う長い羽織を着る.頭には馬の尻尾の毛を編んで作った'カッ'と言う冠を被る.
このトーポとカッがヤンバンの象徴である.ヤンバンは上層階級に属し、たいていは裕福であるがヤンバンもピンからキリまである.科挙に落第し浪人をすれば収入の道が無い.ヤンバンは士農工商のうち農と工・商は許されない.一生を書生で暮らすしかない.だから貧乏なヤンバンは悲惨である.御使の李夢龍は落ちぶれたヤンバンに変装した.
網冠(カッ)は破れて天井が抜けていて広いひさしだけが残ったのを被り麻紐であごに結わえた.よれよれのトーポは破れたところを所々布を当てて縫ってあり、10年も洗濯をしなかったのか汚れっぱなしだし、それでもヤンバンだとでも言うように大きな扇子を持っているが紙が破れて骨だけ残ったものだ.足には布か革の靴でなしに草鞋を履いている.乞食も三代目乞食のようだ.李御使は乞食に変装して従者たちにも他の人がわからないように離れてついてくる様に言いつけた.
このヤンバン乞食は骨だけの扇子を扇ぎながら周囲を見物して歩いた.誰が御使だと判ろう.李夢龍は一日歩いて参礼で宿りハンネ、ジュエンジャンイ、シンコンジュァン、シュッジョン、拱北楼、西門をすぎて南門に上がり辺りを見回したら西湖、江南がここに違いない.麒麟峰の上に上る月、寒碧堂の清い渓流、南古山の黄昏の鐘の音、乾止山上の十五夜の月、多佳の弓場の的、徳津の蓮根堀、飛阜亭に降りる雁の群れ、威鳳瀑布等、完山八景をくまなく見物しながら一方民情視察の暗行もおこたらなかった.
この頃全羅道では暗行御使が回っているとの噂が官庁界に広まりだした.各郡では緊張して不正の跡を密かに消すのに躍起となった、長官のサートだけでなく各房の官属に至るまで戦々恐々としていた.中には逃げる準備をしている者もいた.暗行御使は任実の平野を通っていた.このときは農事が忙しい季節で百姓どもは田畑で仕事をしながら農夫歌を歌っていた.

エヘラサンサテーヨ
千里乾坤太平の世
徳の高い吾が王様
長い間童謡で伝わった
堯帝さまの聖徳だよ
エヘラサンサテーヨ

舜帝さまの高い聖徳で
つくりし農機具もて
歴山に畑を耕し
エヘラサンサテーヨ

神農氏教えた農業の術
千秋万代に伝う
いや高いご恩なるや
エヘラサンサテーヨ

夏禹氏聖なる王様
9年洪水を治める
治山治水の偉大さよ
エヘラサンサテーヨ

殷王、成・湯、聖なる王
七年の旱に逢い給う
エヘラサンサテーヨ

仕事に精を出して
御国に税を出し
残りの穀を集め
親孝行と妻子を養うよ
エヘラサンサテーヨ

百草を植えて
四時をわきまえる
百草こそ確かなものよ
エヘラサンサテーヨ

青雲功名、高い誉れ
この業にはかなうまい
農は天下の大本だよ
エヘラサンサテーヨ

南田北畠大いに耕し
含哺鼓腹(満腹して腹を叩く)してみよう
エヘラサンサテーヨ

竹杖を突いて歩いていた御使が立ち止まりしばらく聞いていたが
「今年も豊年だなあ」とつぶやいた.

 田園問答

少し行った所、麓の樹の下に数人の老人がたむろして休んでいた.
頭には葦の網帽を被り鍬や鋤などを持ち白髪歌を歌っていた.聞けば

聞きに行こう、聞きに行こう
神様がなんと仰せられるかな

年寄りは死なないで
若い者は老いないで

あだだよ、あだだよ
来る白髪を防ぐため
右手に斧持ち
左に棘を持って
振り回したがその甲斐も無く

紅顔には皺がより
黒髪が白髪に成ったよ
少年行楽尽きぬようでも
無情なのが歳月よ

千金駿馬に跨り
長安の大路を駆けてみたい
天下の良い景色を
くまなく見てみたい

絶対佳人をはべらせて
艶妖嬌態に浸かってみたい

花朝月夕四六時中
目は暗く、耳遠く
見るも、聞くもままならぬ

悲しいかな、友よ
何処に行くのかな

九秋紅葉落葉の如く
暁の空に星が消える如く
消えていくのが人生よ

エヘヤデヘヤ
我等が人生
一場の夢なるか

歌が終わったごろ、一人の老人が
『タバコ一服しようか』と腰に挟んでいた煙管を引き出し帯につるした巾着を開けてタバコの葉っぱを一掴み掌に移して親指と人差し指でもみもみして潰しその上につばをぱっとかけて煙管に詰め込んでから火打ち石を撃ってヨモギに火をつけ、タバコをぽかぽか吸いだした。煙管が詰まったのかちゅうちゅう鼠の鳴くような音がする.百姓はほっぺたをへこませながら熱心に煙を吸い込んでいた.ほほえましく見ていた御使が言葉をかけた.
『ご老人、一つ聞きたいのだがな.』常民はヤンバンに敬語を使わねばならない、然し李夢龍の身なりがあまりにもみすぼらしいので百姓も見くびっていた.
『何を?』
『ここの春香と言う娘がサートに身を捧げて賄賂をかき集め評判が良くないと聞いたが本当かね.』農夫はかっと怒って
『あんたは何処の者かね』言葉が穏やかでない.
『何処の者でもかまわんだろう』
『何処の者かはしらねえがお前さんは目ん玉も耳たぶもねえのかね、今春香はサートの言うことを聞かないからと言って死ぬほど打たれて獄に入れられているんだよ.今どきそんな烈女は居ないよ.白玉のように綺麗な春香に汚ねえことを言いふらせばお前さんのような乞食が物乞いも出来ねえぞ.ソウルに上京したと言う、李トリョンとか何とかいう野郎は行った限り音沙汰も無いと言うんだ、そんな義理の無い野郎はヤンバンどころか犬のくそにもならん奴だ.』
『人をあまり貶すのじゃないのかね』御使は自分の悪口を聞いて苦笑する.
『何じゃ、お前さん知ってる奴かね.』
『知りはしないがあまり人を悪く言うからね.』
『それは初めからお前さんが春香の悪口を言ったからだよ.』



春香伝22

 道逢血書

『はっは、恥をかきましたね。みなさん達者でいなさい.』
乞食ヤンバン姿の御使は道を歩き出した.
しばらく歩いていると向こうから一人の少年が竹杖を地べたに引きずりながらこちらに向かって来るのが見えた.その少年は南道特有の詩調調で言葉を歌にして歌いながらやってきた.

「今日が何日か、
千里の道、漢陽のソウル
何日がかかるかな

趙子龍が河を越えた
青い龍馬があるならば
今日中にでも着くだろうに

哀れなや、春香は
李トリョンを思慕して
獄中につながり
命も旦夕にせまっている

無情な人、李トリョンは
行ったまま便りも絶やしている
それがヤンバンの道理と言うものか

それを聞いた御使が呼び止めて
『お前は何処の者かね』
『南原に住んでます』
『それで何処え行くの』
『ソウルに行きます』
『ソウルは何の用事かね』
『春香の手紙を持って旧官の御宅に行きます』
『その手紙を見せてくれ』少年はにわかに緊張して
『このヤンバン了見の無い人だなあ』
『何でか』
『だってあんた、人の手紙を見ようと言うのも間違っているがましてや女の手紙ですぜ.見せられるわけが無いでしょうが』
『"手紙は手渡す前にもう一度確かめる"と言う言葉があるのだ.俺がみてやってもわるくはないとおもうがな』
『このヤンバン身なりは汚いが頭には学問が入っているみたいだな、早く見て返しなさいよ.』少年はこの人に悪意は無いと見て取ったようだ.
『不埒な奴だな、お前は』手紙を受け取って読んだら
「一別以来便りが絶えています.トリョンニムはご両親を奉り恙無くおいでですか.御伺い申し上げます.賎妾春香は官の怒りを受け杖刑投獄され命旦夕に御座います.魂はすでに冥界に出入りしています.賎妾一万遍死すといえどもひと筋に"烈女は二夫に仕えず"と言うことで御座います.小妾の命、老母の運命が如何に惨めな目に逢うかも知れませぬ故貴方様は深くお考え成されて事に臨んでくださりませ.」 おわりには

「去歳何時君別妾   過ぎし何時の日か、君と別れて
 昨己冬節又動秋   昨日冬だと思いしに、又秋が過ぎて行く 
 狂風半夜雨如雪   狂風が夜半に豪雨を注ぎしは 
 何為南原獄中囚」  南原の獄に囚われの身になる為だったのか 

読み終わった御使の目から涙が頬を伝って流れた.それを見た少年が
『人の手紙を見てどうして泣くの』
『うん、人の手紙だけど悲しいくだりを読んでいるうちに涙が出るね』
『あんた人情が有る振りをして人の手紙に涙を落として汚したらどうしますか.その手紙がいくらだと思いますか、十五両でっせ.弁償しなさい.』
『おい小僧、俺の言うことを聞け.李トリョンは俺と竹馬の友でな、俺が故郷に帰るのに一緒に来て全州で用事があるとかで明日南原で逢うことになっているのだ.俺と一緒に行ってその方に会えば良いのだ.』それを聞いていた少年が顔色を変えて
『あんた私を子供だと思ってごまかし成さんな.手紙を返しなさい。』と掴みかかった.途端に御使の懐にあったマーペに触った.少年は後ずさりして
『それは何かね、背筋に悪寒がしたよ.』
『こら、一語とでも口に出せば命は無いものと思え』と叱った.

 黄昏行脚

『お前は黙って付いて来い、明日は李トリョンに会わせるから』
少年を連れて南原に入った.境界のバッソク峠に上がって見渡せば山も川も以前のままだ感慨新たである.南門を入り「広寒楼や、無事に居たか.烏雀橋も前の通りか、客舎の前の柳の樹は驢馬をつないで遊んだ場所だし青雲落水清い小川は俺が足を洗ったところだ.禄水秦景大通りは何時も行き来した道だ.烏雀橋橋の下で洗濯をしていた女のうちに数人の娘の子たちが話し合うのが聞こえた.
『ねえ、お前』
『なあに』
『可哀想だね春香さんが可哀想よ.春香さんの高い貞節を権力で奪おうとしてもくじける春香さんではないわね.命をとられても怖れる春香さんではないわね.それより無情だよ李トリョンが無情だよ.』おしゃべりに余念が無い.
御使徒(オサート)(官長はサート、御使はオサート)楼に上りよく見れば陽は西に傾きかけて鳥は巣に帰るにせわしく向かいに見える柳の大木はかつて春香がブランコに乗っていた樹で懐かしく、東の方には長林の林の間に春香の家がそこに在る.陽が暮れ薄暗い頃を見計らって春香の家に行った.内東苑は昔のままだが壁ははや所々崩れて主人公が獄に繋がっているのが実感された.庭に立っている碧梧桐の一本樹も寂しく見える、元気だった鶴も犬に噛まれたのか羽もむしりとられた跡があり足もびっこしている.居眠りしていた犬が人の気配を悟りワンワン吠え出す.中門を覗けば自ら書いて貼り付けた立春大吉もその他の詩句も剥げ落ち破れて廃家のようだ.感慨に浸り内庭に入れば春香母がかまどに火を入れ春香に届けるお粥を炊いていた.
『どうしよう、どうしたらいいの、シクシク、恨めしいよイトリョンが恨めしいよ.娘は危機に居るのに便りも無いのね.シクシク、香丹やここに来て私と代わってくれ.』
その目には涙が流れている、薪の燃えるのが煙たくて出る涙ではなさそうだ.やおら立ち上がった春香母は庭の小川にしゃがみ顔を洗い髪も洗い梳き上げ小さい甕に新しく清水を汲んで庭にしつらえた壇に乗せて地べたに跪き祈る.
『天と地におわす諸々の神々よ.お天道様、お月様、お星様、心を一つに合わせてくださいませ.私の娘春香を大事に大事に育て孫に跡継ぎをしようと思いましたのに罪も無くして激しく杖を打たれ獄に囚われておりますが私には助け出すすべが御座いません.天と地の神々よお察し成されて漢陽城の李夢龍を高い地位に出世させ哀れな娘春香の命をお助け下さいませ.』





  春香伝23 
  
  乞人之上
 
 祈りを終えた後
 『香丹やタバコを一服詰めてくれ』長い煙管にタバコをいっぱい詰めて差し
出すものを香丹から受け取った春香の母、月梅は火鉢の炭火に火をつけて深く
吸い込んではふーと吐き出すが煙を吐き出すのかため息をつくのかわからない.
 
隠れて一部始終を見ていた御使李夢龍のイトリョンは 「俺が出世をしたのが
祖先のおかげだと思いきや義母のお祈りのお陰だったらしいなあ」と感嘆した.
陰から出てきて
『誰かいないか』と声をかけた.
『どなた?』
『わたし』
『私って誰なの?』
乞食姿の御使が入って行きながら
『李君だよ』
『李君って、ああ李風憲の子どもの李君かね?』
『義母も耄碌をしたのかな、私を見分けられないの?』
『あんたは誰なのにそんなことを言ってるの?』
『婿は百年の客だというのに私を知らないのかね』
その声は確かにイトリョンの声に違いない.
薄闇の中なので顔は詳しく見えないが声や話し方がイトリョンだ.春香母は吃驚して
『あれまあ、イトリョン様に違いないわね! どこからひょっこり現れたの. 風にふかれて来たの? 雲に乗って来たの? 春香の話を聞いて命を助けに 来たのだね.さあさあ、上がりましょう』と御使の手をとって座敷にあげた懐かしさと嬉しさを隠し切れず行灯をともして向かい合わせに座り御使の顔を見た瞬間、春香の母月梅は再び驚いてしまった.顔こそ前のサーとのご子息、娘春香の旦那、イトリョン李夢龍に違いないがなんと身なりが乞食のうちでも上の乞食じゃないか.到底考えられない変わりようである.呆れて考えがまとまらない.
『一体全体、どうしてこんなになったの?』
『ヤンバンも落ちぶれ出したら底なしだよ.あの時ソウルに行ってから間もなくおやじは罷免になり、俺も科挙に失敗し、家産も蕩尽して親父は村の子どもらに手習いを教えて食わせてもらっているし、母は実家に帰って行って、一家別れ別れになったよ.俺も春香のところに行って小遣いでももらって当分のだしにしようかと思って来たのだが来て見ればここの家も大変だね.』
春香母は唯一の望みが崩れ去るのを感じ愚痴が自ずから口から出た.
『一別以来今まで便り一本くれないとはひどいじゃないかね、そんな道理があるのかね、誓いを立てたのを頼っていたけど良いざまだね.弓を離れた矢だし、こぼれた水だわ.誰を恨み誰を責め様か、でも娘春香をどうしてくれるつもりなの?』のぼせたあまり御使に飛び掛って鼻を噛み切ろうとした.
すばやく身をかわした御使が
『おいおい、俺のせいであって鼻のせいでは無いだろう.義母は俺を見くびるなよ、天が無心のようだが風雲の造化と雷声霹靂があるものだよ.』と、人は気が気じゃないのに案外のんびりしている.月梅は呆れて
『ヤンバンが落ちぶれて頭まで変になったみたいだわね.』
御使は春香母をもう少しからかうつもりでわざと
『ひもじくてしょうがないなあ、飯を一椀食わせろよ.』
『ご飯は無いよ』とそっけなく言って横を向いた.
飯が無いわけは無いが憎らしいのでそう言っただけだ.外で話を聞いていた香丹が部屋に飛び込み
『トリョンニム(若様)お帰りなさいませ.香丹メご挨拶申し上げます.大旦那様や大奥様、ご機嫌麗しゅう御座いますか.』
『おお、お前も苦労するなあ.』
『はい、私メは無事に居りますが、奥様さようにおっしゃいますな.千里の道をはるばるとお出でになりましたのに、お嬢様がお判りになるとお怒りになりますよ.あまり冷たくなさいますな.』急いで台所に行き冷ご飯をキムチと2,3のおかずを添えてお膳に載せ、イトリョンの前に差し上げて
『熱いご飯をすぐに炊きますから下拵えに少しお上がりなさいませ.』
イトリョン嬉しそうに
『久しぶりのご飯じゃわい』箸も匙も取らずに手づかみでおかずをご飯に載せ手で口に掻きこみがつがつと瞬く間に食べてしまった.何日も飢えていたような有様だ.見ていた香丹は涙を流してむせび泣き、月梅は舌打ちをしながら
『ふん、乞食がもう堂に入ったね.』と皮肉った.


  



春香伝24

 怒気天を突く

 このとき香丹は主人の春香を思い、悲しくて声も出せずに忍び泣く
『どうしましょう、どうしたら良いでしょう、お嬢さんが可哀想でどうしましょう、気品の高いうちのお嬢さん、どうしたらお助けできるでしょう、シクシク』涙がとめどなく流れ裾を濡らした.憮然と見ていた御使
『香丹や、泣くなよ.お前の主人まさか死にはすまい.心の正しい者は浮かばれる時が有るものだよ.』と慰めた.それしか言えなかった.大事を前にした御使が秘密を明かすわけにも行かないのだ.聞いていた春香母の月梅が
『フン、ヤンバンの手前、負け惜しみはあって、大体あんたはどうしてそんなざまかね.』トリョンニムがあんたに変わった.あまりにも情けないからだ.『うちの奥様のお話を悪くおもいなさいますな若様.お歳を召して気力が抜けているのにたった一人のお嬢様が大変なめにお会いなされて気が転倒なさっておられるのです.ご理解なさってくださいませ.さあ、熱いご飯ができましたどうぞお上がりなさいませ.』御使はお膳を前にしたが官長の理不尽な仕打ちに憤慨がこみ上げ食欲が消えてしまって食べる気にならない.
『香丹や膳を下げろ』
煙管を灰皿にボンボン叩いて灰を落とし
『義母さん、春香を会いに行きましょう』
『そうしましょう、あなたが春香を会わないわけには行かないでしょう.』
香丹が
『今の時刻には門が閉ざされています.通禁解除の鐘がなりましたら私がご案内いたします。』
暫く待っていたらゴーンゴーンと鐘がなった.
香丹は急いで台所に下りて春香に上げるお粥を準備して頭に載せ手提灯を灯して先にたち御使と月梅が後につづいて獄牢に向かった.
早朝なので路にも獄内にも人影が無い.
このとき春香は半ば夢うつつの中に懐かしいイトリョンを見たが、頭には金の冠をかぶり紅色の羽織を着ていた.春香は恋焦がれた矢先の嬉しさに李夢龍に抱きついていた.
『春香や』と母の呼ぶ声を聞いたがまだ完全に夢が覚めてないので返事が無い『もっと大きな声で呼べよ』.と御使が促した.
『しーっ、此処から東軒が目と鼻の先ですよ.もしサーとの耳に入ったらどんなお叱りを受けるかもしれませんよ.』
『なにかまうもんか、俺が呼ぶ』と制し
『おい、春香や』と大きな声で御使が呼んだ.
その声にハッと目を覚ました春香、「あっ、この声、その声だわ.まだ夢の中なの?』と半信半疑していた.
『私が来たと取次ぎなさい。』
『いきなり来たと言えば気絶するかもしれないから待ちなさい』
春香母の話し声を聞いて、
『お母さんどうしたのこんな時刻に、私のために暗い道を歩いて若し転んだら大怪我をしますよ.家に居なさいよ.』
『私の心配はしないで気をしっかりするのよ.来たよ.』
『来たって何が来たの?』
『ただ来たよ.』
『もどかしくてたまらないわよお母さん、夢に旦那に会いましたが旦那からお便りが有ったの?、お役目を頂いてお出でになるとの前文でもあったの?』
『お前のダンナかカンナかとにかく乞食が一人来たよ.』
『おお、そうなの?夢でお会いしたばかりなのに現実にお目にかかれるの?こんな嬉しいことが…』






 春香伝25

 握手気絶

 寝起きの朦朧とした頭が電撃を受けたようにバッと正気に戻った春香は獄舎の格子の間に腕を差し出して恋焦がれ待ちに待った御使李夢龍の手をとり感極まってとめどなく流れる涙に目が霞んで朧にしか見えないが夢で見た華やかな身なりではない. 金の冠もないし紅色の華麗な絹の羽織でもない. 落ちぶれたみすぼらしい身なりからして不幸な立場なのは一目でわかる.そんなものはどうでもよかった. 此処まで来てくれたのが嬉しいだけである. 
『エゴー、誰だって?、旦那様なの?、ああまだ夢の中かしら、あなたに会えたからもう今死んでも心残りはありません. 嗚呼わが母娘どうしてこんなに薄命なの? 日な夜な旦那のお便りをお待ちしていたのに月が過ぎ年が過ぎてもお便りが無いまま、挙句の果てはサートの横暴に遭い貞操を守るため命を落とす破目になりました. 今日サートの誕生祝に私を嬲り殺して酒の肴にするそうです. 私の命なぞ、惜しくはありませんが旦那様はまたどうしてそんなにおなりになりましたか?』
御使は返事に詰まった. 大事を前にして何もいえないではないか.
『おお春香やあまり悲しむな. 人の命は天にあるもの、まさかお前が死にはすまい.』春香は自分の大事な旦那に辛い思いをさせまいと思いそれ以上聞かなかった. 母を呼び寄せて
『漢陽城の旦那様を待つこと、7年日照りに雨を待つ百姓とて私の心情には勝てなかったでしょう、植えた木が枯れ積み上げた石の塔が崩れました. 悲しいかな私の運命、逃れられないようです. お母さん、私が死んだ後でも恨みが残らないようにしてください. 私の絹の着物が鳳箪笥にありますからみな出して売って上等の麻布に変え旦那の羽織を作って上げて下さい. 白方糸紬のチマは売って旦那の冠帽と靴を買って上げて下さい. 純銀の簪と密花粧刀と玉の指輪も売って旦那の着物一式を調えて上げて下さい. やがて死ぬおなごが家財道具があって何にしましょう、竜箪笥、鳳箪笥、その他の物まで売り払ってお口にあうご馳走を作ってもてなしでください. 私が死んだからとておろそかにしないで私が居るときのように大事にしてあげてください.
旦那様にお願いします. 今日本官サートの誕生日に酒癖の悪いサートが私を引き出して叩き殺して腹いせをするそうです. 私が死にましたら骸を引き取って私たちが始めてお会いした芙蓉堂の近くに旦那さま手ずから着の身着のままで仮埋蔵をして下さい. 後日旦那様が出世をなさった後に白装束に着替え入棺して葬輿に乗せ旦那様ご本家の墓地の片隅に埋めてください. 
碑文には "守節寃死春香之墓"と八字だけを彫ってくださいませ. 
西の空に沈む日は明日の朝また昇りますが春香は一度逝けばいつの日に戻り得ましょうか.胸に凝り固まった怨みなりと晴らして下さいませ.
アイゴー わが母娘の儚いサダメ(運命)よ. 悲しいかなわが母一人娘の私を亡くし孤独の中に家産を蕩尽し老いた身で人の家の軒軒をさまよい物乞いをして気力尽きてどこぞの麓で倒れて死んでいけば地異山の烏がかーかーと群がり鋭い嘴でほじくっても誰が追い払ってくれましょうか.アイゴーアイゴー』涙なくしては見られない悲しい訴えであり切実な遺言でもあった.御使は
『泣くな春香や.天が崩れ落ちても浮き上がる穴はあるものだよ.俺が居るのに何を悲しむのか.』






 春香伝26
 
 破冠末席

まだ明けやらぬ七つ半(午前5時頃)人の目に付かぬとは言え、長居は無用である疑われる恐れがある.御使は春香母を促して一応引き上げた.御使は用事があるからと言って別れ闇の中に姿を消した.
春香は暗闇の中でしばしの間旦那に会ったのが夢のようであった. 獄に囹圄されている身の上は永遠の如く、待ち焦がれた君なのに逢う瀬は瞬間に過ぎた.一人残された春香は悲哀の海に沈む思いであった. 嘆息の独り言をつぶやく『おしなべて明天が人を出すとき差別があるはずがないのに私は何の罪が斯くも厳しく二八青春に恋しい君と離れ離れになりそれも足りずに杖刑、入獄の苦しみの後果ては死ぬまで叩かれる運命とは、死んで黄泉に行っても上帝に何とご報告をいたしましょう、アイゴーアイゴー』泣き疲れ半死半生の状態に陥った。
御使はひそかに役人らの宿舎に忍び入り様子を伺った. 
吏房の窓の下で聞き耳を立てたら、
『おい、暗行御使は漢陽新門外に住む李氏だとの話だが先程春香の母と獄内に入っていったみすぼらしい身なりの男がどうも怪しい、今日サートの誕生祝に何か波乱が起きるのじゃないか、わしらは当たり障りのないように用心するのが一番だぞ.』 『ああ そうとも』 御使はそれを聞いて「うわさがはやいなあ」と呟いた.それもそのはず三南地方に暗行御使が回っているという話は官吏の間では公然の秘密であったし、特に南原府は問題が多い所だから無事には済まないだろうとの噂が広がっていたのだ.
次は軍官庁に行って見た. 折から軍官長が軍官を集めて訓辞をしていた.
『諸君、さきほど獄舎を訪問した乞食姿のヤンバンが甚だ怪しい. あれが御使かもしれない、 人相書きを描いたのを持って来い.』と言うのが聞こえた.六房を回ってみたが皆が緊張しているのが歴然だ. 御使は秘密の臨時本部に引き上げて部下と相談し出動の手はずを決めた.
夜が明けた. 南原府の東軒はあわただしく動いた. 朝からサートの誕生祝の宴会の準備のためである. やがて招待された周辺の郡長らが驢馬に乗り供を従えて祝いの品物を携え続々と集まってきた. 雲峰営将を筆頭に求礼、谷城、順昌、玉果、鎮安、長水の各郡守達だ.東軒の広い政庁には食卓が並べられ其の上には美酒と山海の珍味が所狭しと山盛りされている.華やかに着飾った妓生が客人の横に座り愛嬌を振りまいて酒を勧めている.楽隊は六角風流を奏で名のある名唱が一斉に「ジワジャー」を歌う中、十数人の踊り子が大袖を振り振り舞い踊る.中央には今日の主人公のサート南原府使卞学徒が鷹揚に構えている.主客の豪快な笑い声、妓生の嬌声、嬌笑が入り乱れて乱痴気騒ぎを演じている.
このとき玄関先に一人の乞食姿のヤンバンが現れ番兵に大声で
『お前の上司に告げろ.今日南原サーとの誕生宴に遠方の乞食がご馳走にありつきたくて参ったと申せ.』その態度がまた堂々としているので番兵が気圧されていた. 報告するまでもなく行首使令が前に出て
『うちのサートが"雑人は一切入れるな"との厳命ですから駄目ですよ.』と追い返したがそれくらいで引き下がる御使ではない.
『こら、官属の分際でヤンバンに楯突くのはけしからんぞ、サートに取り告げろ.』といっそう大きな声で言った.
その様子を宴会場で見ていた雲峰が卞サートに
『あの者は身なりこそみすぼらしいですがヤンバンの後裔に違いなさそうですから末席に上げて酒でも一杯飲ませたら如何でしょうか』サーと渋々
『雲峰がしたいようにしてみなさいがね…』どうも気に食わない様子.
『おい、その方をこちらに案内しろ』と雲峰が命じて御使を末席に座らせた.




 


春香伝27

 御使出道

御使は宴席の片隅、指定された席に端正に座った.
下働きの者が御使の前に小さなお膳を置いて去っていった.
見ればキミチが一掴みほどとどぶ酒が一椀乗っかっているだけだ.
御使は役人どもの人を差別し、軽蔑する傲慢さに憤慨してお膳を庭に放り投げた. 何事かと座中の皆が目を丸くしているとき目敏い雲峰が接待係りの礼房を呼んで
『お前がお客さんに失礼をしたぞ. まともにお膳をしつらえて差し上げろ.』と言って事態を収拾した. そうして乞食ヤンバンを懲らしめてやろうと思い
『サート殿、学問をした我らヤンバンらしく詩を作ってみるのが如何でしょうか』と提案した. 乞食姿をしている書生だから学問も無かろうと見くびり嘲笑の対象に仕様との企みであった. 卞サートも雲峰の意中を察し笑いながら
『それは面白い. あなたが韻を出しなさい』と賛成した. 雲峰は
『韻は「こう」の字です. たかい高の字、 あぶらの膏の字です.』
と、韻字を指定し、礼房を呼んで
『新しいお客様にも紙、筆、墨を上げろ』と命じた.
御使の前に紙、筆、墨が置かれた. 御使は紙を広げてさらさらっと一気に書き下ろし丁寧に三つ折りに折りたたんで下に置き立ち上がっては
『いやご馳走になりました. また他所にもらいに行きます.』と言い残して出て行った. 雲峰は乞食ヤンバンが慌てて出て行くのがおかしくてわらいながら一体なんと書いたのだろうと思い紙を拾い上げてみた.
御使の書いた詩を読んだ雲峰はショックを受けて息が詰まるのを感じた.
字そのものもまれに見る達筆である. 詩には

 金樽美酒千人血  金の樽に一杯の美酒は千人の血を絞ったもの
 玉盤佳肴萬姓膏  玉のお膳に山盛りのご馳走は一万百姓の膏を絞ったもの 

 燭涙落時民涙落  宴会場の燭涙が落ちるとき人民は苦しみの涙を流す
 歌声高処怨声高  饗宴の歌声が高い反面百姓の怨みの声もまた高いのだ

筆蹟は蛟竜が如意珠を口に含み天空を駆ける如く力強く、詩文は貪官汚吏を辛辣に叱責している内容ではないか今噂されている暗行御使に違いない.ぐずぐずしているとどんなとばっちりが飛んで来るかもしれない.三十六計逃げるの一手だと腹を決め
『アイゴー 急に腹具合が悪くて失礼します』挨拶もそこそこに雲峰は帰ってしまった.そばに居た郡守も訝しく思い紙を取り上げてみて愕然と驚き理由をつけてあたふたと帰ってしまった.次々と来客はみな帰りサートだけが残った.
この時御使は駅卒を武装させ南原府の占領を命じた.三本槍を閃かせた駅卒が『暗行御使出道だ!!』を叫び府の庁舎を包囲して庁舎内に雪崩れ込んだ.
暗行御使李夢龍は馬上に高くまたがり金の冠をかぶり、錦の羽織をまとい、手にはマーペ(馬牌=暗行御使をあらわす信物)を高く掲げ、胥吏、中房、軍官などを従え堂々と府庁に入っていった.この時から南原府の一切の政権は御使に掌握されたのである.
 





春香伝28

 李花春風 (最終回)

胥吏と中房は府の官属を督励して場内を整理する一方書類と倉庫の物資を点検して帳簿と実際の在庫の食い違いを確かめる一方、其の間秘密裏に調べた官長の非理を確認し御使に報告した.広い政庁には中央に御使の椅子が置かれ威儀を正した御使が座について、府使卞学徒は高手小手に縛り上げ庭に跪かせて罪状を読み上げ御使の特権で封庫罷職を命じた.南原府の最高権力者サートが一切の官職を剥奪され無冠の浪人に転落したのである.
御使は牢獄に監禁されている者を全部外に出して一々其の罪状を調べ直し罪のないものを釈放した.
終わりに春香を指摘し
『あのおなごは何者で、いかなる罪状か?』と問われた.刑房が
『妓生月梅の娘ですが官長に悪態をついた罪で獄に入れられた者です.』
『もともと何の罪か?』
『本官サートの夜の相手に呼びましたのに操を守ると称してサートの要求を拒否し官庭で官長に悪態をついた春香と申すものです.』
『それは甚だけしからん、お前が官長に体を許すのを拒んだのか.如何じゃ、この御使には身を任せられるだろう.お前を幸せにしてやるぞ.』
春香呆れて気が狂いそうであった.
『派遣される官長毎、誰彼問わず名官ですね. オーサート(御使殿)お聞きなされ、奇岩絶壁高い巌が風が吹くとて崩れましょうか. 青松、緑竹が雪に覆われたとて変わりましょうか. さようなことを仰せられずに早く殺してください.』御使は
『面を上げて俺を見ろ』
春香が恐る恐る顔をあげて御使を見上げた.
そこには金の冠に錦の羽織を纏った李夢龍がニコニコと笑っているではないか春香は感極まり「ア、ア、」と意味もなさない声を上げ、大手を広げて気絶してしまった.
暗行御使が現れ暴虐なサートが罷職され獄に繋がっていた罪人が放免されたとの噂は瞬く間に南原府一帯に拡がった. 春香母の月梅が香丹をつれて南原府庁に飛んでいった. 時折気絶した春香を御使の居間に上げ介抱したので気を取り戻した. 彼女らの喜びようは筆説に尽くし難いところが有るのみならず
春香の命を掛けた貞節と出世した彼氏李夢龍によって救われた感激的な話は南原府民の自慢の種になった.
東軒前の広い庭には南原の市民が一杯集まり御使と春香の万歳を唱え祝った.
御使は三南での公務を滞りなく終えた後春香母娘と香丹を漢陽に連れて行くとき市民が総出て歓送をした.
春香は栄貴の門出て嬉しい一方生まれ育った懐かしの故郷を離れるのが悲しくもあった. 
自分の居室であった芙蓉堂を顧みて涙ぐんだ.
さらば広寒楼よ
さらば烏鵲橋よ
さらば住み慣れた故郷よ
さらば南原の人民よ
多くの人の見送る中、行列は静かに動いて行った.

御使李夢龍は御前に出て任務遂行の報告をしてマーぺ(馬牌)を返上した.
王様は大いに喜び御使を褒め称え、労苦を労わりありがたいお言葉を与えたのち、吏曹参議(正二品)兼大司成に昇進任命された.
春香には "貞節夫人"の爵位を下され賞賛された.
李夢龍は吏曹判書、戸曹判書、左・右領相などの要職を経て老年に引退した.
貞節夫人からは三男二女を得たが皆が聡明で父を継いて要職に就き尽忠報国したと伝えられる.

ー大団円ー