ヤンバン(両班=士族)物語

作者 : 朴趾源 (1737〜1805)雅号は"燕巌".
朝鮮朝、正宗時代の文人で実学者.
正宗4年(1780)中国の燕京に行って来て書いた"熱河日記"は有名である.
文集には(燕巌集)が伝えられている.


ヤンバンとは士族を称えて呼ぶ言葉である.
江原道旌善郡に一人のヤンバンが住んでいたが、彼は性質が穏やかで読書を好みいつも本を読んでいた.学徳が隣近に知られていたので郡に新しく郡守が赴任して来れば必ずこのヤンバンの家に訪れ敬意を表するのが慣例になっていた.
然し元々家が貧しいので官穀を少しずつ借りてきて食べていた.それが長年積もりに積もって一千石にもなった.官穀の監査をしていた道の監察使(知事)は大いに怒り.
『ヤンバンを楯に国庫の大事な軍糧を一千石も着服するとはけしからん.直ちに捕らえて投獄せよ.』と厳命を発した.
命令を受けた郡守は処理に窮した.人の良いヤンバンを投獄するのも可愛そうな事だし、かといって貧乏して食いつぶした糧穀、もとより返済の目当てが無いまま、上司の命令を施行しない訳にも行かないからだ.
ここに至ってヤンバンは日夜泣き暮らすだけて手のつくし様が無かった.
婦人も夫の無能を恨み愚痴を述べる.
『貴方が一生働かず本だけを読んでいて今に至って官穀を返すあてもなく牢に入れられる羽目になりましたね.お国の糧穀を横領した罪ですよ助かりっこありません.ヤンバン、ヤンバン言ってでもそのヤンバンって物、一文の価値も無いものじゃないの?』

その村には金持ちが一人住んでいた.彼は勤倹貯蓄して大きな財産家になったが身分が低い常人出身でヤンバンの前ではいつも平身低頭しなければならなかった.ヤンバンが牢に入れられる羽目になった経緯を聞いて家族会議を開いて相談をした.
『ヤンバンは貧乏でも尊ばれるが俺はいくらお金が多くても身分が卑しいので何時も自ら卑下をして暮らさねばならないし、ヤンバンの前では腰をかがめて低くしなければならない、土下座をし、鼻が地べたに着くほど頭を下げ、膝歩きをせにゃならぬ.一生を屈辱の中で暮らしているのだ.ところが今ヤンバンが貧乏して官穀を返せず獄に繋がることになっているからヤンバンも無用になっているのだ.だからこの機会に俺がそのヤンバンを買いとってヤンバンに身代わりしようと思うがどうじゃ.』
家族も大賛成、喜んで歓声を挙げた.

常人のお金持ちはヤンバンを訪れ自分が代わりに官穀を代納する意向を述べた.
ヤンバンも大いに喜びヤンバンの身分をお金持ちの常人に譲り渡すと承諾した.
お金持ちは直ちに米一千石をヤンバンの名義で官府に返納し貸借を帳消しした.
驚いた郡守はかねて尊敬していたヤンバンを慰労しことの経緯を聞くためヤンバンの家を訪れた.郡守の来訪を知ったヤンバンは部屋から飛び出して庭の地面にひれ伏した.
カッ(編み織りの冠)も羽織もなくちょん髷をまるだしにし股引きをはいて常人のみなりそのままで'小人''小人'を連発し郡守を仰ぎ見るのも憚っていた.郡守は更に驚いてヤンバンの手を取り立たせながら、
『先生はどうして斯くも自らを賎しくなさいますか?』と聞いた.
『恐れ入ります.小人が自らを賎しくするのではなく、ヤンバンの身分を売って官穀を返済したので御座います.是からは向かいの金持ちがヤンバンで御座います.小人がどうして以前のようにヤンバンの振る舞いを致しましょうや.』と恐る恐る申し述べるのだった.郡守はヤンバンの悲運を嘆息し、金持ちの行為に感激した.

『双方とも真の君子です.金持ちでありながら吝嗇せざるは義であり、人の困境を助けるは仁であり、低いのを厭い高いのに憧れるは智恵が有るというもの.この人は真にヤンバンに値する人です.然しヤンバンを個人の間でやり取りして何らの証文を作らなかったのは後日諍いの種にもなりかねない.依って私が貴方方二人と村人を呼び寄せ証人になり文書を作ってすべての人が信用するように郡守の私が署名してあげます.』
こうして郡守は役所に帰り管内に住む全てのヤンバンを呼び農・工・商の常人を庭に集めた.
新しくヤンバンになった金持ちは右の高い席に座らせ常人になったヤンバンは庭に立たせた.郡守は証書を作成してそれを朗読した.証文に曰く

『乾竜10年某月某日この証書を持って明らかにするはヤンバンを売り官穀を返したその量は一千石であった.須らくヤンバンには色々なことがある.専ら書物を読むのをソンビ(文士)と言い、政治に携われば大夫と言い、徳有る者を君子と言う.武官は西に文官は東に座を占め、合わせて両班(ヤンバン)と称する.この二つの中一つをそなたは自由に選べよ.但し絶対に卑陋を捨て昔人を見習いその志を崇賞せねばならぬ.
朝五更(3~5時)には起きて蝋燭を灯し正座して目で鼻先を見る如くし'東莱博議'を暗誦せねばならぬし、ひもじさ、寒さ、暑さ、貧しさに耐え、それを口に出して言わない.咳をして痰が出た場合は吐かないで飲みこむ、カッ(網冠)を袖先で軽く掃って被るが埃を払う袖を漣のように振り音が立たない様にする.手を洗うときも拳で擦るようにしないし、嗽する時も音が立たぬよう静かにする.長く声を引いて下僕を呼び、ゆっくりと歩き足を上げず履き物を引くように歩く.'古文真宝'とか'唐詩品彙'を写し書くが字を細かくし一行に百字づつ書く.また手で銭を触らず、米の値段を聞かない.幾ら暑くても足袋を脱がず、食事の時にも冠を脱がない.飯を食うときはお汁から先に飲まず、喉を通す音を立てない.箸を揃える時膳を叩かず、生葱を食わない.酒を飲む時に髭を嘗めず、煙草を吸うときに頬が膨らむほど吸いこまない.幾ら怒っても妻を叩かないし、癪に障っても器物を投げない.拳で子供を叩かないし、下僕に悪口で叱らない.家畜を殺さず、金をかける賭け事をしない.
このような100種の行動規範の中、守れない事が有る場合は官庁にこの文書を持参すれば訂正してくれる筈だ.』
朗読を終え郡守が署名捺印し座守、別監まで署名をした.通引は官印を押した.

お金持ちは悲しそうな表情で暫く考えたあと発言をした.
『ヤンバンがこんな者ですか?私はヤンバンは神仙のようなもので自由にふるまうと聞いて居ましたがこんな事だけなら窮屈過ぎますから願わくば書きなおして下さい.』
その要請を受け入れ郡守は文書を書き直して言う.
『天が人を作るとき士・農・工・商の四種類にした.この四つの人間のうち最も尊いのは士の文士であり是をヤンバンと言い是より良いものは無い.農事もせず、商いもしない.学問を学び大きくは文科に進めるし小さくとも進士にはなる.文科の紅牌というのは大きさこそ二尺に足らぬがこれには百の効能がある、依って是を宝箱とも称する.進士は齢30に初仕をしても名を馳せるし権勢の有る南人に与すれば出世もするし、腹は下僕等の'ヘーイ'と言う返事の声に自ずから肥えて来る.部屋には遊び道具として妾を置いても良い.貧しい文士が田舎に住んでも自分の思いのままなんでもできる.隣の牛を引いてきて自分の畑を先に耕しても構わぬ.村人を集めて己の畑の草取りをさせても誰も文句が言えない.百姓を拷問したりちょん髷を柱に結びつけて折檻しても敢えて恨む事は出来ない.』
文書は又続いているが、其処まで読み上げている時金持ちは大きな声で制止した.
『止めなさい.よしなさい.とんでもない.私をそんな非道な者にするつもりですか?  そんなことは根性の悪い人でなしのする行いです.私はそんなことは出来ません.』
頭を振り振り帰ってしまった.それから彼は死ぬまでヤンバンを口にしなかったそうだ.

―おわりー

*余談*
封建社会には士・農・工・商の階級があったと云うのが通念ですが私の考えは少し違います.
農・工・商は階級的な差別は無くひっくるめて"常人、常民"であったわけで"士"の階級とは月とすっぽんの差があったのです.つまり"士"は支配階級、"常人"は支配される階級でこれを「班・常」と呼びました.それにもう一つの階級がありました."賎民"です.
常人は一般人民、士のヤンバンは支配者、賎民は奴隷です.
常人の人権はヤンバンに差し支えが無い範囲でありましたし賎民には人権と言う観念が該当しなかったのです.例えば男女の下僕がそうでした.是は主人の所有物で生死与奪の権限が主人に有ったのです.洪吉童伝にもありましたが女卑は主人が抱いて遊んでも構わないし、若し子を孕んだら奴隷の子は奴隷で主人の籍には入れられなかったのです.
もう一つの賎民は"えた"です.彼等は家畜を屠殺し、皮をなめし、靴などを作るのを業としますが人里離れた所に集団で暮らしました.官も接触を嫌い殆ど治外法権でした.
人間が集まったのが社会です.その社会が非人間的なものでした.今はどうですか?我々は今果たして完全に人間的な社会を営んでいると言えましょうか?
さぁねぇ(o^-^o)