古典小説 謝氏南征記
作者 : 金萬重 1637〜1692
雅号は西浦.朝鮮朝仁祖、粛宗間の文臣.
丙子胡乱の時殉節した父金益謙の遺腹児として生まれた.母の為に書いたという"九雲夢"が有り、母を追悼して認めた"尹氏行状"と、随筆集"西浦漫筆"が伝わる.
謝氏南征記
劉公嫁を選ぶ
明国の嘉靖年間に金陵の順天府に一人の名士が居た.姓は劉、名はRと言い開国功臣劉基の後裔である.ひととなりが賢明にして且つ正直であり文章と風采が一世を風靡するほど秀でて年少にして登科し吏部侍郎、參知政事、に至り名望朝野に振動した.
はやく侍郎崔某の娘を娶い妻にした.崔氏又婦徳があり琴瑟は良かったものの膝下に子女が無く心配して居たが遅まきながら男児を生み幾ばくもせずして婦人が没した、公は功名に志を持たなくなった、折しも奸臣どもが権勢を振るうので身病を口実に職を辞し家に篭もった.国の政治には手を引いたものの当世の名士等彼の清徳を慕わない者は居なかった.
公には妹が一人居て性格が優しく奥ゆかしい徳があり文士の杜康に嫁したが夫に死に別れ寡婦になり公の家に共に暮らして主婦の居ない兄の家を助けていて兄妹の仲が極めて良かった.
息子劉公子の名は「延壽」である.成長するにつれ容貌は冠玉の如く才気溌剌して14歳にて郷試に合格し、15歳には大科に合格した.皇帝は彼の才能を大いに賞賛し翰林学士 を除授されたが延壽は自分が年少なる故、もう10年を勉強に励んだ後に出仕をしたいと嘆願した。帝はその心構えを美しく思われ5年の猶予を許した.劉翰林は天恩に感謝して宮廷を辞した.公亦忠義を尽くし国恩に報いるよう息子を諭した.公はこういう家慶を妻と共に出来ないので亡き妻を偲び残念がった.
延寿が大科に級第した後婚談が多く入った.娘を持つ親は前途有望な名門の子弟と因縁を結ぼうとするのは人の常であり、公も亦最良の嫁を迎え入れるべく妹の杜婦人と相談をして城中の媒婆を集めて嫁入り適齢の閨秀達の情報を聞き取った.口数の多い婆どもが顔を合わせたのでおしゃべりが喧々囂々してつきない.彼女等は褒めたら天上の仙女の如くまつりあげ、貶したら奈落に突き落とすように言って朝から夕まで喧しいだけで結論が出なかった.其の内朱婆という媒婆が片隅で黙々と一語とも言わずに居たが皆が座を立つ間際に申し上げた.
『全ての話しが公平とは言えません.小人が有りの侭を申し上げます.老爺が若し富貴を重んじなされば厳宰相の孫娘ほどの者はありませぬし、窈窕な淑女をお求めになれば新成県の謝給事宅のお嬢様が最高ですから二つの内一つをお選びなさいませ.』
『富貴はもとより望む処で無い.謝給事は本来台諫をしていたが謫所で死んだ人で真に硬直な人であるから結縁をしても良いが令嬢本人は如何な者かなあ.』
『姫の容貌、徳行ともに一世に稀です.いかに言葉で言い尽くせましょう.小人が媒婆をして30年間王侯、宰相あらゆるお宅を回り新婦を見て来ましたがこの様な窈窕賢哲な閨秀は初めてですので問答無用で御座います.』
公が曰く.
『これは外に現れる色(容貌)を言うのではなく内に秘められた徳行を申すのだ.』
媒婆は
『謝姫は貞浄幽閑して窈窕淑女の徳が外貌にまで現れています.媒婆の話しが疑わしければ改めて閨秀の賢不賢を確かめなさりませ.小人メが殿様に偽りを申しましょうや.』
媒婆が帰った後、公は杜婦人に逢い相談をした.
『媒婆の話しを鵜呑みにするわけには行かない.どうすれば謝氏の徳行を知り得よう?』
杜婦人答えて
『男女の徳行は筆法に現れると言います.謝氏の筆法を見るには妙策が御座います.家に伝わる南海の観音画像は唐時代の呉道子の作です.私はこれを羽化庵に贈り布施するつもりですが羽化庵の尼僧妙惠を呼び画像を持って謝氏のお宅に行きそこの令嬢に観音讃を書いてくれるよう頼み令嬢の親筆を貰えば彼女の才徳を推して知ることが出来ます.妙惠も彼女の顔を見る筈ですから妙惠に聞けば判る筈です.』
公が曰く
『それは妙策に違いないが観音讃を書くのは難しい筈、若年の娘が為し得るかのう?』
『難しい文章を作り得ねば才女とは言えないでしょう.』
公は納得し早く事を運ぶよう頼んだ.杜婦人は羽化庵に人を遣わし妙惠を呼んで来て.
『謝氏のお宅と姻戚を結ぼうとするが新婦の賢不賢をわかりかねている.師匠が観音画像を持って謝氏のお宅に行きそちらの閨秀に観音讃を書き込んでもらって来なさい.閨秀の筆跡を見たいから抜かり無く頼みます.観音画像は羽化庵に布施する積もりです.』
杜婦人は妙惠に観音像の軸を渡した.妙惠はそれを受け取り直ちに謝給事宅に赴きお目通りを願い出た.謝婦人は予てから仏法の信心が深く妙惠も数度出入りしたことがあるので心安く部屋に上げてくれた.妙惠は婦人に丁寧に合掌して挨拶を申し上げた.
『久しぶりにお目にかかりますね.今日はどう言う風の吹きまわしてここまでお出でになりましたの?』
『はい.小僧の住まっている庵子が頽落いたし財を得て重修をしていましてつい久しくご無沙汰を致しましたが修役を終えましたのでご婦人にお目にかかり布施をお願いする為に参りました.』
『仏事にお使いになるのにどうして布施を惜しみましょうか.ただ貧しい家とて財物が有りませぬので大した事は致しかねますがお望みのものは何でしょうか?』
『小僧が求めます所はご婦人にはお金が掛からないことですが小僧には千金よりも大事な物です.』
『それでは話して見なさい.』妙惠はしんけんに願いたいことを申しあげた.
『小僧の庵子を重修しました後或壇家より観音画像を布施されましたがこれは唐の名画ですけれど、それに賛辞が無いのが玉に瑕で御座いましてお宅のお嬢様の親筆で賛辞を書いて頂ければ山門のこの上ない宝になりますしその功徳は七宝を布施なさるより十倍も大きなものでしてお嬢様の福徳に仏様の加護が厚くなることと存じます.』婦人はそれを聞き
『女児が古今の詩文に通じるといえどもこういう文章は書けないと思いますが兎に角呼んで聞いてみましょう.』と婦人は女卑に命じ娘を呼んだ.謝閨秀は命を受け蓮歩を移し母親の前に出た.妙惠は令嬢を見て感嘆した.灑落な容貌は観音菩薩が降臨した如く物腰に気品を備え"塵世にこういう人が居るとは."と密かに思い、合掌拝礼して.
『小僧 が4年前にお目にかかりましたが覚えておいてでしょうか?』と聞いた.
令嬢は顔を上げ妙惠を一瞥し.
『覚えておりますとも.』と答えた.婦人が令嬢に
『大師が遠くよりわざわざお見えになり、お前に観音讃を認めて欲しいと仰せられるのだ.お前に出来る事かね?』令嬢答えて曰く.
『小女の駑鈍な才能では叶い難き事ですしまして女子が詩賦を綴る事は古より戒めることですので大師の仰せながら従いかねます.』と断ったが妙惠は更に頼み、
『小僧 が求める所は詩文では有りません.観音画像に文を添えその功徳を称える事です.観音様は女の御身ですので処女の文筆を頂くのが清浄だと存じましたし当今の女子のうちお嬢様を除いてこの文を書き入れる人は覚えていません.願わくば斥けないで下さいませ.』と懇願した.聞いていた婦人も
『お前に自信が無ければ致し方ないがその文は利益(リヤク)があるのだから書いて見たらどうじゃ.』妙惠は画軸を上げた.婦人と令嬢が軸を広げてみたら波が滔滔たるの海中の孤島に観音菩薩が白い衣を着て髪も梳かず瓔楽も無しに一人の童子をともない竹薮の間に座っている絵であったがまるで生きているようであった.令嬢は.
『私が知っていますのは専ら儒家の文であり佛書は存じませぬゆえ、たとえ作りましても大師の御気に召さぬと存じます.』妙惠は.
『小僧が承りまするに青い蓮の葉と白い蓮の花は色は違えど根は一つであり、孔夫子と釈迦如来は道こそ違えど聖人の教えは一つと言います.お嬢様が佛書を知らなくても儒家の文章にて菩薩を称えればなおさら善いと存じます.』
令嬢やがて手を洗い画軸をかけ焚香拝礼し端正に座り画軸に観音讃数百字を書き入れ終わりに某年月日に謝貞玉再拝書すと書いた.妙惠亦文を知るので令嬢の文章と筆法を褒め称え再拝参拝して謝氏宅を辞した.
妙惠は明るく笑いながら劉公と杜婦人が待ち構えている面前に画軸を差し出した.
劉公は性急に聞く.
『謝閨秀の才能と容貌がどうだったかのう?』
『絵の中の人と同じでした.』と答え、謝給事の婦人と令嬢との問答を詳らかに話した.
公は大いに喜び
『謝家の女息の才能と徳行は凡庸ではないようだのう.』と言いながら軸を掛けて見ると先ず筆法が精妙に整い聊かの乱れも無く温和柔順な徳行が字から滲み出るようで公と杜婦人は感嘆を止まなかった.観音讃に曰く.
"観音は古の聖人であり周の太任と太似の如し、關スイ(目辺に隹)と葛覃は后妃の行状である.独り空山におわすは本意にあらず皐陶と稷契は世を救い伯夷と叔斎は飢え死にしたる是道は同じくとも立場の異なるに依るなり.吾画像を見るに白衣を纏い子供を連れている.絵を見てその人となりを推して知るべし.昔の節婦は髪を切り世との縁を絶ち義を取りしが世俗の愚衆仏の教えを知らずして偽りを好み倫紀を損なう.悲しい哉、観音菩薩は如何にしてここにおわすや.孤島の竹薮、波路万里なり.真理の光輪廻を乗り越え善なる徳は世に遍く.億万の蒼生誰ぞ敬わざらんや.万古に其の名不生不滅なり.崇高なる徳を筆により称え難し."
劉公と杜婦人見るを終え大いに賞賛して曰く.
『筆法と文章が斯くも奇妙なれば才徳が兼備しているのを推して知るべきた.果たして媒婆の褒め言葉に偽りが無かったな.誰を仲に入れて結婚を申し入れ謝家の許しを得るのが良かろうか?』杜婦人が曰く.
『早く朱婆を遣わして通婚なさいませ.』
『うん、それが良かろう.』
公は直ちに朱婆を呼び寄せ謝家に通婚を頼み.
『余が謝閨秀の徳行を既に確かめたからお前は直ぐそちらに通婚し承諾を得て来れば重賞を遣わす.』朱婆は命を受け謝家に向かった.
元来謝閨秀は謝厚栄の娘である.厚栄は硬直な性格で清廉潔白な官吏だが朝廷には小人の輩が政治を篭絡するのを見かね帝に数回に亘り疏状を上げた.それが反って奸臣の讒訴を受け蘇州の地に流配されたまま謫所で死んだ.謝婦人は数々の恨みと悲しみを抱いて娘を連れ故郷の実家に帰り暮らした.娘は勉学に励み母には孝行をし美しく育った.謝婦人は娘が品性も学問も容貌、体格までも申し分なく立派に育ったのは嬉しかったが適齢になるにつれ良縁を結ばねばならぬのにと心配していた.この日媒婆が来て.
『小人は劉相公の命を受け御宅の令嬢との婚姻を纏める為に参りました.劉翰林は少年登科し陛下より翰林学士を除授されていますし、風采と文章、才徳が一世を圧倒しています故お嬢様とは天が定めた佳縁かと存じます.』と申し述べた.
婦人も予てから劉翰林の風采抜群なるを聞いていたので喜びながら、それでも本人の意向を聞いて見てから受け入れようと媒婆を待たせておき自ら娘の部屋に赴き媒婆の話しを伝えて.
『母は良い縁談だから受け入れようと思うがお前の意向はいかがかな?可否に拘わらず心中を話して御覧なさい.』嬢が答えて曰く.
『劉相公は当世賢明な大臣ですので其の御宅との結縁が悪いとは言えませぬが私が承りまするに君子は徳を尊しとし色を重んじないと存じています.今朱婆の話しを聞きますると先ず先にその才色を誇る如き話し方が気に入りませぬし、己の家門の富貴を自慢し先親の清徳には触れていないのが、ただ媒婆の短慮に依る誤りであれば構いませぬが万一劉公の意思が左様なれば公の名望亦信ずるに足りませんから小女其の家に嫁ぐのを願いませぬ』
謝婦人も娘の理屈に叶った話しに異議を挟めず内室に戻り朱婆に娘未だ幼いのを口実に婚談を断った.
朱婆はしょんぼりと戻り断られたと報告した.
公と杜婦人は残念がっていたが朱婆に聞き糺した.
『お前が行って何と申し上げたか?』
朱婆は自分が話した事と向こうの様子をそのまま詳細に話した.公はふと思いつき.
『これは余が迂闊して教え方を間違えたのだ.良いから帰って居れ.』と媒婆を返した.
翌日公は自ら新成県に赴き県知事に面談し.
『余が謝氏と縁を結びたくて媒婆を遣わしたが斯く斯くの事で断られたがこれは媒婆がこちらの意向を正しく伝えなかった為であると思う.貴官が余の為に謝家に赴いて結縁仲介の労を惜しまないで下さい.』
『小官がどうして公に従わざるを得ましょうや.如何に致せば宜しいかお教え下さい.』
『他の事は言うに及ばず専ら'謝給事の清徳を欽慕し求婚をします.'と言えば必ず許すと思います.』
県知事は劉公を官舎に残し謝家に赴いて謝婦人に面会を申し入れた.
謝婦人は知事が婚談のために来たと思い客間を綺麗に整え知事を通した.
茶・菓を出し、女卑を遣わして口上を述べる.
『城主殿がわざわざお見えあそばせ弊舎の光栄に御座います.』
『小官がお宅を訪問したるは外の事ならず、貴府令嬢の婚礼を仲介する為です.前の吏部侍郎、參知政事、劉公が令愛の婦徳を兼備し器量優れたるを聞き賞賛するのみならず先給事殿の清廉正直なるを欽仰致しましてその女息ならば問わずとも知るべしとし貴府の令嬢を嫁に頂きたいと申しております.劉公のご子息は金榜に壮元級第され官職が翰林でありますし陛下の寵愛また篤いですので娘を持つ親は婿に欲していますが劉公は全てを斥け貴府令嬢の声華を聞き及び小官を介して婚礼を請い求めている次第で御座います.願わくば機を逸せずお許しあれば小官帰りまして劉公にも顔が立つというもので御座います.』
それを聞いて婦人は又伝えた.
『庸愚な女息、才徳が浅く容貌又取るに足らざるのに城主殿直々のご足労まで頂き、いかにお言葉に甘えずに居られましょうや.快くお受け致しますと申し上げて下さいませ.』
家乱の兆し
謝氏婦人の快諾を聞いた新成県知事は庁に帰り劉公に謝氏宅訪問の一部始終を詳しく報告し謝婦人の快諾の言葉を伝えた所劉公大いに喜び県知事に感謝の言葉を述べ帰宅し杜婦人にこの事を伝え即時婚礼の吉日を選んだ所一ヶ月あとに決まった.
劉公は謝給事が平素清廉潔白して家計が貧しいのを勘案し結納を豊かにした.劉公は嬉しい中にも一方婦人崔氏とともに喜びを分かち得ない寂しさに浸るのだった.
婚礼の日には両家とも大宴を開き儀式を挙げた.新郎新婦は真に窈窕淑女、君子好逑と言えた.似合いの夫婦である.謝婦人は新郎の神仙のごとき風貌が気に入り娘の連れ合いとして適合するに満足し嬉しい中にも亡き給事を想い密かに目を潤すのであった.新郎は新婦を駕籠に乗せ本府に帰り幣帛を捧げ大礼をする時、公と杜婦人が新婦の美しさは言うに及ばず賢淑な徳性が自ずから表に顕れるのを見て嬉しさを隠し切れず杜婦人を顧み.
『余の嫁は実に太任・太似の徳がある.時俗の女子とは比べものにならない.』と悦に入り侍女を呼んで小さい箱を持ってこさせ其の中に有る宝鏡一座と玉の指輪一双を新婦に渡しながら.
『これは大した物ではないが我が家の世伝之宝物だ.余が今新婦を見るにその清いこと鏡の如く徳は玉の如きに依りこれにて余の情を表すのだ.』
新婦は恭しく一礼して受け取った.
劉家に嫁いた謝氏は舅には孝行し君子には恭順して仕え誠意を込めて祭祈を捧げ恩にて婢僕を使うので家門が和気藹々した.
或日劉公が偶然病を得日増しに重くなった.翰林夫婦は昼夜に薬湯をあげるが百薬が無効である.公は再び起き上がれない事を悟り杜婦人を呼んで嘆いていわく.
『余は今死に臨んでいる.賢妹は悲しむ事は無い.千万保重して家事を主掌し間違いが起きぬようにして呉れ.』又翰林の手を取り.
『お前は全てを夫婦相談の上運び叔母の教えを余の言葉の如く従い学問に励み忠誠を尽くして家声を落とさぬようにせよ.』又謝氏には
『賢婦の窈窕な徳行は既に承知の事.更に何を頼もうや.』と遺言した.
三人は涙を流し平復を祈ったが其の夜公が歿した.翰林夫婦と杜婦人の悲しみは実に計り知れないほどであった.
葬日に至り霊柩を先塋に安葬し、時が流れ三喪まで終えた.
翰林は君命を受け朝廷に出仕した.彼は社会特に政界に経験が少なく純真無垢であったので小人を斥け忠誠のみを考え硬直を通した.帝は寵愛し昇進させようとするが宰相の厳崇が其の都度阻み何時までも品階が上がらないままに居た.
劉翰林夫婦が結婚して既に十年が過ぎ齡30を臨むが膝下に子が無いのを憂い謝婦人は翰林に.
『小妾気質が弱く生産の望みが無い様です."不孝三千の内でも子が無いのが最も大きい"と申しますから妾の子無き罪は尊門には許されない事ですが相公の寛容のお蔭で今に至っていますが思えば相公は累代の独身で後継ぎを作るのが急な次第です.願わくば相公は妾には構わず善き女子を選び子供をお作りになれば家門の慶事であり妾の罪亦免れることだと存じます.』
要するに妾を貰って後継ぎを作りなさいと薦めるのであった.翰林は笑いながら
『一時、子無きを理由に妾を入れましょうや.妾を入れるは家内を乱す本です.婦人はどうして禍を自ら招こうとしますか.これは千万不当な事です.』
『宰相家に一妻一妾は古より伝わる事ですし小妾譬え徳が足りませぬが世俗婦女の嫉妬は善くないことと存じますので相公は心配なさいますな.』と言い密かに媒婆をよび然るべき良家の娘を求めていたが杜婦人この話しを聞き大いに驚き謝婦人に.
『そなた、甥のために妾を求めているそうだが真か?』
『左様で御座います.』
『家に妾を置くは禍を招く元です.諺にも'一つの馬に二つの鞍が無く、一つの飯茶碗に二つの匙が無い.'と言います.たとえ君子が貰おうとしても其の良からざるを戒めねばならぬのに自ら禍を招かんとするは何故ですか.』
『不肖小妾が尊門に参りまして既に10年が過ぎましたが、未だ一点の血肉が御座いませぬ.古法にも嫁して三年子無きは去ると申します故君子より捨てられても致し方有りませぬに敢えて側室置くを厭いましょうや.』
『子女を生産するは早晩があるのではない.杜氏の門中にも三十を越して生産し男児五児を生んだ例も有り、四十を過ぎて初産をする人も多い.そなたの齡未だ三十に至っていないから余り心配する事は有りません.』
『妾(ワラワ)は気質が弱くて子を産む見こみがありませぬし、又道理としても一妻一妾は男の常なること妾がたとえ太似の如き徳はありませぬが世俗の婦女らの如きやきもちはみならわない所存で御座います.』杜婦人笑い.
『太似亦嫉妬しない徳は有ったが文王の偏らざる寵愛に感動して全ての側室達が怨む事はなかったけれども万一文王のような徳が無ければたとえ太似の如き婦人と雖、如何に教化し得られましょうか?あまっさえ古今の時代が違い、聖人と凡人の違いが有るのにただ嫉妬しない事によって太似を見習おうとするのは虚しい名を欲し禍を免れない事になりますからそなたはよくよく考えなさい.』
『妾が如何に昔の聖人に及びましょうか.ただ時俗の婦女等が人倫を弁えず嫉妬し家道を乱す者多きを嘆きまするが、妾は庸劣ながらかかることは致しませぬ.又君子万が一体を顧みず妖美な色に溺れますれば妾は真を込めて戒める所存です.』
杜婦人はもはや止められない事を悟り嘆息して曰く.
『やがて入ってくる人が純真な者か亦は君子が戒める言葉をよく聞けばよいが其の人が性質のよくないものであり、男の心一度傾けば元には戻り難いもの、そなたはこの後わらわの言葉を考え後悔を残さぬようにしなさい.』憮然と一言を残した.
あくる日媒婆が来て謝氏に申し上げるに.
『或る所に女子が一人居ますがどうも奥方様がお求めになる者とは過ぎるような気が致します.』
『どう言う事かね?』
『奥方様が求めまするはただ婦徳があり、子供を良く産めば宜しいでしょうがこの人はさにあらず容貌姿色が素晴らしくて奥方様の意にそぐわないのではないかと存じます.』謝氏笑いながら.
『媒婆は人を秤にかけないで詳しく話しなさい.』
『その女子(オナゴ)の姓は喬、名は彩鸞と申しまして河間府で成長した者で元は役人の娘ですが早く父母を亡くしその兄の家に引き取られていますが現在16歳です.自分から貧しい文士の本妻になるより公侯や富貴家の妾になる方が良いと言っています.顔の美しさは府で一番ですし針線、織物、何でも上手です.奥方様が旦那の為に妾をお求めになれば是に越した者は居ないかと存じますよ.』謝氏多いに喜び.
『元々お役人の娘ならその行いが無知な賎人とは違う筈、わらわが相公に話してみます.』と一旦媒婆を帰し、翰林に媒婆の話しを伝え妾に入れる事を強く勧めた.翰林は
『余が妾を娶るを急ぎはせぬが婦人の好意を退け難いから日を決めて入れることにします.』と承諾した.
やがて親戚を招待し喬氏を迎え入れる時喬氏は翰林と婦人に拝礼し座を占めた.皆が見るに顔が美しく身動きが軽くてまるで一輪の海棠の花が朝露を含み風に揺れる如き風情に賞賛せざる者いなかったが杜婦人のみは喜ばなかった.
この夜喬氏を花園別堂に居させ翰林が入り夜を過ごすとき二人の情、既に洽然たるものがあった.翌日杜婦人が謝氏に.
『そなたが側室置くを薦めるなれば当然純情で真面目な者を選ばねばならぬのにあの如き絶対佳人を入れるとは.おそらくあれの性根が善からずただそなたのみを不幸にするのみならず劉氏の家門に禍を齎すのではないかと畏れます.』謝氏答えて曰く.
『昔衛莊姜は綺麗な顔を持ちましても善良な心構えを持っていました.佳人だからとて善良でないとは限りますまい.』
『莊姜が善良でありましたが彼女には子を産めなかったのですよ.』と二人は笑った.
翰林は喬氏が住む別堂を百子堂となずけ侍婢臈梅等5人の下女を所属させた.家中の者皆が喬娘子と呼ぶ様になった.
喬氏は聡明且つ狡猾で翰林の気持ちを良く合わせ謝氏にも丁寧にして家中の好評を得た.
わずか半年足らずして喬氏懐妊した.翰林夫婦は大いに喜び彩鸞を大事にした.
喬氏は腹の中の子が男であれば良いが若し女の子ならどうしよう.それが心配で堪らないので卜者を招いて聞いてみたら或る者は男児だと言い、或る者は女子だと言い又曰く男を産めば寿命が短く女子を産めば福と壽が兼ねると言い、信頼が置けず心配を重ねていた.侍婢臈梅がそれを知り彩鸞娘子に申し上げた.
『この村に十娘と言う女が居ますが元は南方の人だそうですがここえ住み着いている者で色々な才能に長けて知らない事がないと言います.この女に聞いたら如何ですか』
喬氏はその話しを聞いてすぐに十娘を呼び寄せ.
『お前は胎中の子が男か女か正確に判別が出来るか?』
『小女才能が完全とは申せませんが胎内の子の男女を分別する方法が御座いますから暫く脈を取らせて頂きます.』彩鸞袖をまくり腕を差し出せば十娘は脈をみた後.
『是は確かに女子を産む脈で御座います.』と答えた.喬氏驚き又失望して
『相公が私を妾にしたのは色を好んでではなく息子を産みたいからなのに万一女子を産んだら産まないよりも悪いからどうすれば良いの.』十娘は
『私メが早く山に入り異人に逢いまして腹中の女胎を男胎に換える術を習い多くの人に使ってみましたら百発百中当たらない事がありませんでした.娘子が若し男の子が欲しかればこの術を使って御覧なさいませ.』娘子大いに喜び
『若し斯様な術方があるなら験さないわけはありますまい.万一成功すれば千金を惜しまない積もりだ.』
『畏まりました.』十娘は紙筆を取り寄せ厳めしい表情で呪符・守り札等を書き、奇怪な呪文を唱えながら符を諸方に隠し喬氏の褥の下にもいれて言うのに.
『次に参りましては男児ご出産のお祝いを申し上げます.』と言い残して帰った.
時は過ぎて十朔に至り喬氏果たして男児を出産した.赤子は眉目秀麗にして気質に英気があった.翰林と謝氏の喜びは言うに及ばず婢僕に至るまで喜びに溢れ、翰林は喬氏えの愛情が篤さを増し百子堂を離れる事が無かった.翰林は子を'掌珠'と名づけそれこそ掌中の珠の如く可愛がり、謝婦人亦心から愛し己の子と聊かも変わる所が無かったので家中の者でさえ妾室の子だとの気持ちを持たなかった.従って彩鸞の地位も盤石の如く揺るぎ無い位置を占めるようになった.
晩春のある日、山野には百花が咲き乱れ美しいので翰林は帝に勧め西苑に花見のお供をした.帝も多いに喜び宴会を催して興じられた.翰林は未だ宮廷より退庁せず、謝婦人は書案に依り古書を読んでいたがこの時侍婢の春芳が、
『花苑には今牡丹の花がいっぱい咲いています.旦那さもは未だお帰りでありませんから花苑の東屋にお出ましになって花見をなさいませ.』
謝婦人は書を閉じ衣裳をなおして5,6人の侍婢を従え蓮歩を移して東屋に至れば枝垂れ柳が欄干まで垂れている中花香は蓮塘に漂い百花咲き競ううち牡丹は花中の王に相応しく華麗な姿を誇っていた.謝婦人は喬氏を招いて茶を飲みながら共に花見を楽しむつもりで準備をさせていたら何処からか琴の音が聞こえた.不審に思いながらも耳を澄まして聞いてみたらその琴の音曲が人を感動させるほどのものであった.婦人が侍婢達に
『この琴は誰が弾くのか知っているか?』
『琴の音が喬娘子の処から聞こえるようです.』謝婦人はまさかと思い、
『音律は良家の婦女の成すべき事ではない.喬娘子がする筈が無い.確かめねばならぬ、誰か行って見届けて参れ.』
侍婢が婦人の命を受け音をたどって行けば果たして百子堂から聞こえる.密かに覗けば喬娘子が膳卓いっぱいに酒肴を並べ琴を弾き向かいには華やかに着飾った一人の美女が琴に合わせて歌を歌っていた.侍婢が帰り詳しく報告をした.謝婦人大いに驚き."喬娘子いつの間に琴を習い又歌を歌う美女はいかなる人か?わらわが呼んで詳しく聞き真偽を確かめた上良く諭して再びかかる事をせぬよう致さねば"と思い喬娘子を呼んだ.
この時喬娘子は十娘の入れ知恵に従い翰林の寵愛を一身に集めるべく呪いをし又、
『男の夜を楽しませるには音曲が一番です.琴を習いなさい.』
『良い師匠がありますか?』
『はい、私に琴の名手の友人が居ます.名を佳娘と言い琴の名手、歌も名唱です.それを呼んで琴と歌を習いなさいませ.』喬娘子大いに喜び早速佳娘を呼び習い始めた.
元々佳娘は常人のうちでも下流に属する育ちで琴と歌に才があり呼ばれれば何処えでも顔を出す者だが名門の家に呼ばれたので喜んで喬娘子に取り込んだ.二人は話して居る内に意気投合し喬娘子は佳娘を師匠にして琴と歌を習い始めたが頭が良く才気に満ちた喬娘子は日進月歩上達が早く古今の韻律に通達するに至った.喬娘子は佳娘を夾室に隠し翰林が出仕している間には佳娘と共に韻律に耽り翰林が帰ってくれば琴と歌で翰林を楽しませ徐々に堕落に導いていた.翰林は喬娘子に深く嵌まり謝婦人とは遠くなって行った.今日も翰林が入番しているので佳娘と共に杯を傾けながら琴と歌で楽しく遊んでいたのである.其の時急に謝婦人の侍婢が参り婦人のお呼びであることを伝え同行を促した.
喬娘子は仕方無しに侍婢に従い謝婦人が待つ東屋に行った.
謝婦人は喜んで迎え隣に座らせ一緒に居た女性が誰かと穏やかに聞いた.喬娘子は
『あの人は私の従妹です.』と答えた.謝婦人は真面目な顔になり.
『女の行いは嫁すれば舅姑えの孝行と君子に奉仕する合間に子供の躾を厳にするのです.女が韻律を好み歌などで時を過ごせば家道が自然と乱れますからそなたは深く考え再び左様なことをせぬようにし其の女を帰してわらわの言葉を悪く思いなさるな.』
『学問が浅くて過ちに気がつきませんでしたが婦人の戒めのお言葉を頂きご尤もと存じます.骨に刻んで忘れぬよう致します.』謝婦人再三労わり、
『わらわは娘子を愛するので思った事を其のまま申しましたから若し後日私に過ちがありますればそなたも亦指摘して諭してください.』等と談笑を交わし日が暮れてから別れた.
この日劉翰林は宮廷での宴会を終え酩酊して遅く百子堂に帰った.月色は明るく花香庭に満ちてほろ酔い気分もてつだって興を起こし喬娘子を呼び琴を弾いて歌を歌うように言った.普段なら自ら歌を歌い翰林を誘惑した喬娘子が今日は不機嫌な顔で、
『風気味が有って歌えません.』と断る.翰林も不機嫌になり.
『家夫の言い付けをそっけなく断るのは女子の道理に背く事なるを知らぬのか ?』
『私が昼に無聊なので唄を歌っていたら婦人が聞いてお叱りになり"妖怪な唄で家風を乱し相公を魅惑に導いてはならぬ"と、お前若し今後再び唄を歌えばお前の舌を切り取る刀も有るし唖にする薬も有るからしかと覚えて置けと言われました.私は貧乏人の子で相公のご恩を蒙り富貴と栄華の中に居ります故たとえ死ぬとも怨みは有りませんがただ私が為に相公の清徳に瑕でもつくかと心配です.』と泣き崩れた.
翰林は大いに驚き心中に思うに"あれは常に嫉妬は致さぬと言い、又喬氏を対するに温かくし一度も欠点を口にするのを聞かなかったのに今喬氏の話しを聞けば家内に何か尋常ならぬ事が起きているらしい."と思い喬氏を慰めた.
『お前を娶ったのは皆婦人の勧めに依るものだしお前を対するに誠意をもってし一度も嫌な顔をしたことは無かったのだ.これは婢僕等の讒言による誤解に違いない.婦人は元よりおとなしい性格で決してお前に害を与える事は無い筈だ.安心しろ.』
喬娘子内心では怏怏するが外には出せず感謝を述べ一応引っ込んだ.
俗に"虎を描くに骨を描きがたく、人を交わるにその心中を知り難し"と言う.喬氏の素直な言行と美しい容貌の裏に鬼が隠れているのを知るよしも無い謝婦人は只唄などで君子が淫蕩に陥らしめぬよう喬娘子を諭したに過ぎず決して嫉妬したのではないのに喬娘子は恨みを抱き有らぬ事を翰林に訴えたのである.喬娘子は徐々にその妖悪な本性を現しだしたのだ.
獅子身中の虫
或る日、喬氏の侍婢臈梅が謝婦人の侍婢達と遊んだ後帰り喬氏に告げて曰く
『いま秋香の話しを聞けば婦人に胎気が有るようだと言ってましたよ.』
喬氏それを聞いて大いに驚き
『成婚して10年が過ぎたのに今更妊娠とは珍しい事だ.若しや月のものの不順で間違った噂が立っているのじゃないの?』とうわべは何とも無いように言ったが心の中では"謝氏が本当に妊娠をして男の子を産んだ日には私の立場は無為になるはず、是をどうすれば良いだろう?"と人知れずやきもきして居る内婦人の妊娠がはっきりして来たので家内が皆喜んでいるが喬氏のみは嫉妬に燃え怏怏不楽して侍婢臈梅とぐるになって落胎する薬を何回も謝婦人が飲む薬に入れたが其の都度どうしたわけか婦人が其の薬を飲めば吐き気を催し全部吐き出してしまうのだった.まるで神仏の助けを受けて居るようで流石の喬娘子も手の施し様が無かった.
謝婦人満朔に至り男児を産んだ.骨格非凡にして俊逸である.翰林大いに喜び名を麟児とつけた.正に麒麟児である.麟児健やかに育ち掌珠とも良く遊んだが麟児幼いながらも凛とした気性は掌珠の繊弱さとは対照を為していた.翰林が外出から帰ったとき子供達の遊ぶのを見て麟児を抱き上げ、
『この子の額には仙気が有る、将来必ずや我が家門を誇らしくする筈だ.』と呟き大奥に入って行った.是を見て居た掌珠の乳母が喬氏に告げて曰く
『旦那が麟児だけを抱いてやり掌珠には目も呉れませんでしたよ.』と涙を流した.
『私の容貌と資実が謝氏より劣り、あまっさえ嫡妾の隔たりが有るけれども私は男児を生み謝氏は子が無いから殿の恩寵を受けていたが今は自分も男児を生んだのでその子がこの家の後継ぎになるのは必定であり私の子は何でもない付けたりに過ぎないの.今でこそ婦人が私に良い顔で対してくれるけどその心の奥は知らぬもの万一婦人の計略で殿がそちらに傾けば私の行く末はどうなるか解からないの.』と嘆いて十娘を呼び相談をした.十娘は喬氏より沢山の金銀宝貨を貰っているので心僕になり喬氏に奸悪な入れ知恵をしていた.
或る日翰林が朝廷より家に帰ってきたら吏府の石郎中(郎中は職名)から使いが書簡を持って待っていた.開いて見れば
『使いの者、董清は蘇州の生まれで才能の有る書生ですが運悪く年少の折父母を失い科挙にも受けられず孤独に流浪して居ましたが或る因縁で小生の家に寄食して居ました処この度小生外地に転任になり董生は頼るところがなくなりました.小生が伺いまするに尊兄が書生をお求めの由、この者を推薦致します.この者は敏捷で達筆であり要領の良い男です.一度試してご覧になれば彼の才能をお解かりになるはずと存じまして尊門に遣わしお目にかける次第です.試してご覧なされませ.』とあった.
もとより董清は士族の生まれながら早く父母を失い身勝手に振る舞う内、無頼の輩と与して酒色と賭博に耽り家産を蕩尽して故郷を離れ流浪し権貴富豪家の食客になっていた者で天性が美男子で且つ達弁、能筆で要領が良く人の気持ちに取りこむのが上手で初めは重宝されるが少し時が経つと主人の子弟を誘惑し、妻妾を犯して放逐され南にも北にも容れられず居たが石郎中の家まで転がり込んでいた.石郎中亦彼の本性良くないのを知ったが折り良く外地に転勤を仰せつかり敢えて角を立てるのを控え劉翰林に転嫁すべく薦挙したのである.
翰林は予てから書生を一人置こうとしていた矢先だったので董清を引見して見たらはきはきして応対にわだかまりが無いので気に入り即時門下において書誌を任した.仕事をさせてみれば字も達筆であるばかりでなく敏感狡猾して主人の意中を察し愛想良く合わせるので純真な劉翰林はすっかり信任して万事を董清の言う通りに決めるようになった.謝婦人は夫をいさめて言った.
『わらわが聞きまするに董清の人となりが正直でないと言います.前の所でも妖悪な行いが露見して放逐され転々とした者ですので永く置かないで早急に追い出すのが良かろうと存じまする.』翰林は
『余も亦噂で聞いてはいますが確かな証拠が有る訳でもなく又書士を求めるのみで友人としての義理は有りませぬからその善不善を言うのも無用な事です.』
婦人は更に
『相公がたとえ彼と友人ではありませぬが良からぬ輩と共に暮らせば自然と人に悪い影響を与えるものですし不良なる者を家内において家道を傷つけることでもありますれば地下におわす舅姑の家法に汚れになるかと恐れるものです.』翰林は
『婦人のお言葉に間違いはありませぬが世俗の人達は人を誹るのを好むゆえ行いを見た上で良き措置を致しますから婦人は安心して婢僕どもを恩義を持って対し家道が乱れぬようにして下さい.』
婦人が聞くところ翰林の言葉に何か骨があるようで釈然しない向きも感じたがまさか讒訴により翰林が動じているなどとは思いもよらずそのままに聞き流した.
翰林は董清に書士を任せて仕事をさせてみるが董清元より奸猾なので翰林の気に入るようにして居る為婦人の忠告を気にかけず安心して任せ切りにしていた.
喬氏は謝婦人を嫉妬し何回も讒訴をしたが通じないのを憂い十娘を呼び謝婦人えの信任を傷つける計略を相談した.十娘暫く考えた後喬氏に耳打をしていかじかすれば謝氏といえども翰林より遠避けられるでしょうと悪知恵を出し喬氏賛成して.
『速やかに行え』と指示した.十娘は妖昧な物を作り所々に埋めておき、喬氏心僕の臈梅にこうこうするよう言いつけた.この事は喬氏と十娘、臈梅3人意外に知る者は居なかった.
或る日翰林が入番していて数日振りに家に帰ると家中の上下が慌てで居る内掌珠の病が重態だと言うので急いで百子堂に行けば喬氏翰林を見て泣きながら訴える.
『掌珠が病を得重態です.これは尋常な病ではありません.誰かが呪いをかけ鬼神の仕業に違いありません.助けてください.』翰林は喬氏を慰め掌珠の病勢を見れば成る程熱が高くうわごとを言うので医者にも見せ、薬を飲まして見るが一向に効果が無い.翰林は大きく憂い喬氏は泣くばかりであった.妖邪な女の悪知恵に巻きこまれ翰林の聡明が曇り心に疑惑と迷いが宿るようになった.
この頃より喬氏は董清と密かに私通するようになった.翰林が入番し帰らざる日はもとより家に居ても内堂にて寝る日は董清を呼び同寝して居た.然しこの事も侍婢の臈梅以外は知る者が居なかった.男女二人の奸物が体まで一つになり臈梅と十娘が与して純真な翰林の心を迷わせ聖人の如き謝婦人を亡き者にする工作を進めていた.
翰林は掌珠の病が治らざるを心配して居たが今度は喬氏まで病を称し一切食を断ち只泣き暮らすばかりで憂いが加重している時臈梅が台所で怪しい物を発見して持ってきた.翰林と喬氏がそれを見て顔色を変えた.喬氏は
『わたしが16歳の時お宅に参り今まで誰にも恨みを買った覚えがありませぬのに誰がわたしの母子に危害を与えるのでしょう?』と悲しく泣いた.
翰林は喬氏を哀れみながらも黙り込んでいる.喬氏は更に
『相公はこの事を如何に処理されまするか?』と聞きつめた.
『これは奸悪な事ではあるが家中に雑人が居ないのに誰を指差しましょうや.其の物は焼き捨てるが良いと思います.』と答えた.喬氏は暫く考えた後.
『ご尤もな仰せで御座います.』と同意し臈梅を命じて翰林の目の前で焼き捨て、臈梅にも口止めを命じた.
翰林が出て行った後臈梅が喬氏に
『何故旦那に犯人を捕らえるよう迫らないで事を終わらせるのですか?』と聞いた.
『ただ相公の疑いが確かなものにすれば良いのよ.急げば反ってしくじる恐れがあるのよ.相公はもう完全に疑っているから次の手を進めたら良いのよ.』と言った.
実に恐るべき緻密さである.焼き捨てた怪文書は喬氏が董清に言いつけ謝婦人の筆跡を模倣し謝婦人が書いた如く作った物で、翰林が見て謝婦人の筆跡なるを知り焼き捨てるようにしたが心の中では、"この間喬氏が謝婦人が嫉妬していると言っていたがまともに受け取らなかったのに斯様な事を仕出かすとは思いも依らない事だ.最初子供が出来ないので自ら選んで押し付けるから喬氏を貰ったのに今では自分が子を産んだから悪辣な企みをするとは、外には仁義を重んじるように見せ内心は奸悪な本性を持つていたのだ."と思うようになり謝婦人に対する態度が変わっていった.
この折謝給事の本宅で老婦人の病勢が重くなったので娘を逢いたいと欲しておられる旨の書簡が来た.謝婦人は驚き翰林に、
『母の病が危篤と言います.万一今お目に掛からねば一生恨みを残しますから相公のお許しを頂きたく存じます.』とひまを願い出た.翰林は
『義母の病勢危篤なら急がねばなりませぬ.こちらの事は気にしないで行って来なさい.わたしも暇を見てお見舞いに参ります.』と快く許した.婦人はお礼を言い喬氏を呼び家事を頼み麟児を連れて急いで新成県の実家に向かった.
実家で久しぶりに親子が嬉しく会ったが謝氏は母の病が重態なので実家に留まり母を看病する為容易に帰れず数月が過ぎた.
翰林は閑職に居たので度々新成県の妻家を訪問したがこの頃山東、山西、河南地方に凶作の為百姓らが流浪をしていると言うので帝は大いに憂い朝廷で信任の厚い臣下3人を選抜し3路に分けて百姓の苦しみを調べて来るよう命じた.翰林は其の一人に選ばれ山東に出張した.謝婦人は実家に帰って居、翰林は王命により長期出張で家を空けたので喬氏は気侭放題に振る舞い董清とまるで夫婦の如く憚る所が無かった.二人は存分に情事を楽しんだ後一息ついている時喬氏が董清に相談を持ちかけた.
『相公が長期出張だし謝婦人も家に居ないので今が計画を進める絶好の機会です.如何にすれば謝婦人を追い出せるでしょうか.』
『俺に妙計が有る.この方法を使えば謝婦人をこの家から追い出すのは間違いない.』
『あらそう、じゃくわしくおっしゃって下さい.』ひそひそと密談が交わされた.
『貴方の計画は神も測り得ない妙計です.然し適当な人が居ますか?』
『俺の心僕で冷振という者が居るがこいつは利巧で要領が良いから成功させるはずだ.只謝氏が大事にし翰林が良く知っている宝物を手に入れるのが大事だ.』
『謝氏の侍婢雪梅は臈梅の妹でこれを口説いて手に入れます.』
やがて臈梅密かに雪梅を呼び金銀財宝をやり品物を盗み出すように言った.雪梅は、
『婦人の宝物箱は部屋に有るけど錠がかかっているから鍵が要るし又何に使うつもりなの?』
『つまらない事を聞くな.そして誰にも内緒にするんだよ.まかり間違えば吾等姉妹命を落とす事になるのよ.』と釘をさし鍵束を渡しながら付け加えた.
『謝婦人と相公が普段重宝にしている物を出して来い.』
雪梅は他の婢僕の目に付かぬよう用心をしながら謝婦人の部屋に入り鍵を使って宝石箱を開け玉の指輪を盗み出しすぐに喬氏に渡して
『これは劉氏宅の世伝之物で最も珍重にしていました.』と述べた.喬氏は大いに喜び重賞を与えて帰し、董清に計画を実行するよう頼んだ.
おりしも謝婦人のお供をした下僕の一人が戻り謝老婦人の死去を知らせ.
『謝公子未だ幼少にて他に近親が居ない故婦人自ら喪儀を終えて帰るから喬氏に家中を頼むと言付かりました.』と述べた.
喬氏は臈梅を謝氏の実家に派遣してお悔やみをさせる一方董清に計画の実行を促した.
謝婦人不倫の疑い
この時翰林は山東地方に至り酒店(食堂)に入り昼食を注文して居たら或る青年が近づきお辞儀をして同席を乞うので許し向かい合った.見れば青年の風采が中々立派である.翰林が名前を聞いたら.
『小生は南方の者で冷振と申しますが、先生の高姓大名をお伺いします.』
翰林は本名を隠し他の名前を告げて民間の実情を聞いたらはきはきと答え気に入った.
『貴公は何処え行くのかね.南方の人だと言うが言葉は王都の言葉と同じですね.』
『小生はもともと孤独な者でして浮き雲の如く各地をさすらいまして数年間都に居ましたがこの春新成県と言う処で半年程居まして今故郷に帰る所ですが同行できれば幸せに存じます.』
『私も一人旅で淋しかったですが君に逢えて幸いです.』と二人は酒を酌み交わし同じ旅館に泊まりあくる日早朝連れたって出発した.其の時ふと見ると彼の肌着の結わい紐に見慣れした玉の指輪が結ばれてあるのが見えた.翰林は訝しく思い
『私は偶然西域の人を逢い玉類の鑑定法を覚えたが貴公が持っている玉の指輪が普通の者では無いようです.見せて下さいませんか.』
其の青年は指輪を見せたのを後悔する如くもじもじして居たがやむなく紐を解いて見せて呉れた.指輪を受け取り良く見れば色合いやら作りなどが家伝の指輪其のままである.
それに青い糸で同心結まで結わえてある.世の中に全く同じものが二つ有るのも可笑しいし自分の家の家伝の宝をこの男が持っているのも不可解である.
『是は稀な宝物です.貴公は何時何処で手に入れましたか?』
冷振はさも悲しい表情になり何も語らず指輪を戻しうけ元どうり下着の紐に結びつけた.
『貴公の玉指輪には何かわけが有りそうですが私に話してくれませんか』冷振は暫く後
『北方に居た時に懇意な人が呉れたのだから貴兄に話しても始まりません.』と心の傷に触ったように悲しそうな表情がありありと浮かぶ.翰林に其の話しは益々怪しかった.玉指輪も間違いなく謝氏の持ち物だし又新成県に数ヶ月居たと言うし若しや婢僕等が盗み出してこの人に売ったのかとも思えるがその訳を掘り出す為に数日を同行して親しくなった時又聞いて見たら、
『貴兄とは心安い間なので御話しをしても良いですが只情愛の有る人との事なので笑わないで下さい.』
『そんなに有情な人が居たのなら何故一緒に暮らさないで南方に行くのですか?』
『好事魔多しとか、造物主の妬みか、美しい縁が切れざるを得ませんでした.心残りがあるだけです.』と悲しみに沈み口を噤む.翰林は
『貴公は情の深い人ですね.』と慰め其の日は酒を酌み交わして楽しみ次の日に別れて其々違う道を行った.冷振と言う青年が自分の書生董清の心腹で董清の指図で翰林に近づきわざと指輪を見るようにして冷振が謝氏との不倫が有った如く振る舞った其の裏の真相を知る由も無い翰林は悶々として疑問が頭から離れなかった.千思萬慮、愁乱の中でも王命を果たし6ヶ月ぶりに帰宅した.
謝婦人は数ヶ月前に既に帰っており翰林は初めて義母のお悔やみをしたあと喬氏と二人の息子を嬉しく愛撫したがふと冷振青年の持っていた玉指輪を思い出し謝婦人に聞いた.
『婦人は以前先父が下さった玉指輪をどこにしまって置きましたか?』
『あの箱の中に有りますが何故今急にお聞きですか.』
『解せない事が有りますから出して御覧なさい.』
婦人もまた訝しく思い箱を寄せて開けて見れば他の物は皆あるのに指輪だけは無いので驚き
『確かにここに入れておいたのに何故無いのでしょう?』
翰林は顔色を変え黙っている.婦人は
『若し、指輪の行方を相公がご存知ですか?』翰林はかっとなり、
『そのほうが人にやり余に聞くとは何事ですか.』と怒声を発した.
全く寝耳に水である.謝氏何やら訳も解からず、初めて夫に叱られ恥ずかしく、口惜しくて何も言えずにいるとき侍婢が
『杜婦人様が御見えで御座います.』と告げた.
翰林が急いで迎え入れ無事王命を終え帰還した挨拶を述べた後.
『家中に不祥事が起きまして叔母上にご相談申し上げるつもりでした.』
『何事ですか?』翰林は山東路の道中で逢った若者冷振の事を話し
『この事が甚だ怪しく、家に帰り玉指輪を探したら果たして無いのです.門戸の大きな不祥事です.如何に処理すれば宜しいでしょうか?』
謝氏側でこの話しを聞き魂飛百散して涙を流しながら
『妾は普段から行いを正しく致して参りましたが相公がこのような醜悪な行いを疑いなされば何の面目で顔を上げ人に対しましょうか.わらわの生死を相公の御意の通りになさいませ.古より伝えるに"君子は讒言を信せず、讒訴する者は豺虎に与えろ"と言います.願わくば深く考え悔いの残らぬようなさりませ.』杜婦人聞いた後怒って曰く.
『お前の聡明が先小師(亡き劉公)と比べてどうだと思うか?』翰林答えて
『小甥が如何に先大人に及びましょうや.』
『先兄はもとより知人之鑑があり又天下に知らざること無かりしに常に謝氏を褒めて
"わが子婦(嫁)は天下に類い無き烈婦だ"と仰せられ、わらわに頼むに"延壽が年少だから万事を良く教え悪い罠に嵌まらぬようにしてくれ"と言い、又子婦には"何も戒める事は無い"と言われた.これは謝氏の善行淑徳を既にご存知であったからだ.お前の聡明さでもゆうに測り知る事なのに先兄が知鑑した謝氏の節行にこのような陋名を被せ玉の如き妻を疑うのか?.これは必ず家中に悪人が居て盗み出したのだ.何故厳重に劾査せずこのように不明な事を申すのか?』と厳しく咎めた.翰林は
『叔母上のおっしゃる通りで御座います.』
翰林は裏庭に刑具を並べ侍婢どもを拷問した.然し多くの侍婢の中真相を知る者は臈梅・雪梅の姉妹だけてある.知らないものは知らないから幾ら叩かれでも白状の仕様が無く臈梅・雪梅の姉妹は白状したら殺されると思うからとことん知らぬ存ぜぬを通すしかない.結局拷問は失敗に終り謝婦人の嫌疑は晴れないまま仕方なく杜婦人は帰っていった.
謝婦人は姦通の疑いを被っているので罪人の如き立場で謹慎し全てを翰林と喬氏の線で仕切るようになった.翰林は予てから謝氏に対する讒言を多く聞いていたので謝氏えの疑いを解き得ないので喬氏は密かにほくぞ笑んで居た.
翰林が喬氏に謝氏の処理を相談したら喬氏は
『杜婦人の御言葉が正しいようではありますが聊か不公平な嫌いがあります.謝婦人のみを褒めて相公を圧迫なさるは相公を軽く見すぎる事です.先老爺とて高名な方ですが謝婦人が嫁入りして幾ばくも無く亡くなられ謝婦人の心の中までは察し難かったでしょうし、臨終の時の遺言も相公を戒め、婦人を激励する意味ですのに杜婦人がその御言葉を借りて相公には事ある毎に婦人に聞いて行えと言われるのは偏僻に過ぎます.』
奸智に長けた喬氏は実に巧妙な言い方で翰林を煽動する.
『謝氏は普段行いが善良なので余もまた不善は行うまいと思っていたが山東道上で奇異な事を見たので疑わざるを得ないのだ.前日掌珠が病にあった時の怪しい文書が謝氏の筆跡だったのでその時は焼き捨てるようにしお前にもそれを言わなかったがどうもあの人は信じられない.』喬氏はすかさず
『それでは婦人を如何に処理するつもりですか?』と聞いた.翰林は
『明白な証拠が無いので処理の仕様が無く又先父の愛もあり叔母の強い意向などで難しくなっている.どうすれば良かろう?』聞きかえした、喬氏も亦黙り込んだ.
この頃喬氏身ごもり10朔を満ちて男児を生んだ.翰林喜び名を"鳳雛"とつけた.
あるひ喬氏は翰林留守の時を計らい董清と共に計略を相談していた.喬女は
『前日の計画が実に絶妙だったけれど翰林が謝氏を処分しかねている.俗に"草を取るなら根まで掘り返せ"と言います.この後如何にしますか? 又謝氏が杜婦人と共に玉指輪の行方を探すとも言います.若しも露見の時には一大事になりますよ.』董清は
『杜婦人が指輪の行方を手を尽くして探す筈だお前はそれとなく杜婦人を翰林に讒訴して叔母・甥間を離間して叔母を遠避けるようにしろ.』
『私も其の様に努めて見ますが普段から杜婦人を父母のように仕えていますので叔母の言葉に逆らえず従っていますから離間は難しかろうと思いますよ.』
『それでは妙計は直ぐに出る物ではないから時間をかけて考えてみよう.』
この時杜婦人は謝氏の為に人を使って指輪の行方を探して居たが突き止められず居た.どうも喬氏の姦計によるものとは思いながらも証拠を得られなくて悩んでいる間に息子の杜億が長沙府の総菅に任命され、息子に従い長沙府に移住することになった.
杜婦人は息子の栄転は嬉しいながらも一方、謝婦人の困境を思い憂鬱であった.
劉翰林は杜氏の母子を招待し栄転祝賀の宴会を開いた.席上に謝婦人が顔を見せないので不快に思ったが顔には出さず翰林に曰く.
『先兄が亡くなられた後賢甥と頼りあって暮らしたがこの度万里も遠くに離れるようになって寂しいです.わらわが賢甥に頼みがありますが聞いてくれますか?』
『小甥不束ですが叔母上の御言葉を逆らえましょうか.何なりと申しつけて下さりませ.』
『他ならぬ謝氏の事です.謝氏の婦徳は日月の如く明るいのをお主の聡明さで悟らないのが恨めしいです.わらわが遠くに居る間何かのことが起きても又讒言を聞いても信じてはいけないし魅惑に落ちてはなりませぬ.万一良からぬ事が有ればわらわに手紙を下さい.一人で取り決め後々に悔いを残さぬようにしなさい.』
『叔母上の仰せの通り致します.ご安心なさいませ.』杜婦人侍婢を呼び.
『わらわを謝婦人の居る処に案内せよ.』
謝氏は髪も結わえず垂れ下げたまま憔悴して骨と皮のみの形像で大きな目に涙を湛え杜婦人の前にひれ伏した.杜婦人その哀れさに胸を抉られる如きて喉が詰まる.
『叔叔殿栄転なされ叔母上も栄光の行列にて旅たたれ当然尊顔を拝し御祝いを申し上げるべきですが、この身が万古の陋名を被っております故拝顔もあたわず恨みのみを噛み締めましたが以外にもここまで足を運ばれ恐れ多き次第で御座います。』杜婦人も涙ぐみ.
『先兄が臨終の時遺言され翰林をわらわに頼まれた御言葉が今も耳に残っていますがわらわが甥児を良く導かなかった為このような事態を招きました.これ皆老母の罪です.他日あの世で先小師にまみえる面目がありません.しかしそなたは余り傷心なさるな.終には恨みを晴らす時が来る筈です.古より英雄烈士と節婦烈女等が時運宜しからずして困厄に臨むことがありました.賢甥婦は'事かならず正に帰す'を信じ望みを保ちなされ.劉家はもとより忠孝の家門で通っていますが小人輩の姦計で害を受けることがしばしば有りましたけれど家中の清い伝統は維持されていましたのに、先小師歿した後このような奇怪な事が起きるは家中に妖邪な侍妾が居て甥児の聡明を曇らす為です.最近の甥児の様子を見ますれば前日の精気が消え去り家事の相談もなくなり叔・甥間の義も減退しつつあります.実に憂うべき事ですがこれは甥婦が自ら招いた事でも有ります.これ皆天が定めた一時の運命でしょう.心を強く保ち悲嘆に落ちぬようにしなさい.』
と言い、侍婢に命じ翰林を政堂に呼びつけ席を立った.
政堂にて翰林と対座した杜婦人愁然たる面持ちで曰く.
『最近お前の様子を見れば本心を失った人の如きでわらわは深く憂います.悲しい哉先小師棄世の折家中の大小事をわらわに委ねられた仰せが未だに耳に残っていますのに汝庸劣して謝氏の氷玉の如きたしなみを疑い陋名を被せるは残念至極です.わらわが遠くへ移り行くに当たり気をゆるすことが出来ませぬ.お前に真に頼みまするにこの後謝氏に対し良からぬことを申す者ありてお前の目に見せ付けられる事有るといえども軽やかに決めずにわらわの帰るを待って処理しなさい.謝氏は節婦貞女ですから決して他には行きますまい.今謝氏の身の上が危うきを見ながら遠くに行くので足が重いです.お前は心を落ち着けて妖邪な言葉を信じないようにしなさい.』
翰林は眉を顰め頭を下げて黙々と聞くのみで一語とも答えない.
杜婦人は深い溜め息をついてくれぐれも頼み帰って行った。
喬女は'目の上の瘤'の杜婦人が遠くに離れるので雀躍し時を逸せず董清に.
『今まで杜婦人が居て憚る所が多かったが息子に従い遠くへ行きましたからこの機会に徹底した策略を立て謝氏を完全に追い出すようにしましょう.』
則天武后の苦肉の秘策
董清曰く
『謝氏に今すぐにでも天地間に到底許されない大罪を被せる事が出来るが只お前が聞かないことが気にかかるだけだ.』喬氏歓喜し
『本当に奇抜な計画なら聴かないはずが有りませんわ.』董清は
『この本は唐の史記だ.それを見たら昔唐の高宗が武昭儀を寵愛した.武昭儀は皇后を讒訴し皇后を追い出して、自分が皇后に収まる計略を考えるが是と言った方策が無かった.おりしも武昭儀が娘を産んだ.赤児が顔が綺麗で可愛らしい.高宗は非常に喜んで赤児を可愛がった.皇后も可愛がり或る日赤児を膝に乗せあやして帰った後、昭儀が赤児の首を締めて殺して大声で慟哭しながら"誰かが我が児を殺した"と泣き叫んだ.宮中は忽ち大騒ぎになった.帝は大いに怒り周辺の者を厳しく取り調べたが外からは誰も子供部屋に近寄ったものは居ず只皇后が暫く寄って帰っただけだと皆が同じく陳述した.皇后は弁解したが通らず、憤慨した皇帝は皇后を廃し武昭儀を皇后に封じた.その武昭儀が後の則天武后である.古より大事を成す者は小事に拘らないのだ.お前は則天武后の故事を倣い謝氏に転嫁すれば謝氏たとえ任似の婦徳と蘇張の雄弁が有るとしても一語とも弁解するあたわず自ら退かざるを得ないだろう.』
喬氏聞き終わってから董清の背中を叩き
『蛇の如き畜生も自分の子を愛するのに人間に生まれて如何して己が産んだ子を殺せますか.』董清は
『お前の今の立場が罠に嵌まった虎の如しだ.俺の計略を使わなかったら、後悔先にたたずだぞ.』董清はもう亭主顔で脅かす.喬女は
『幾らなんでも是はやりかねないから他の妙計を考えて御覧なさいね.』と話している時翰林が宮廷から帰ってきたとの報せで急いで離れた.
董清は密かに臈梅を呼んで因果を含ませた.
『....それをお前の主人には出来ないからお前等も危なくなったのだ.お前が喬女の代わりに適当な時期を見て斯く斯く行え.』臈梅は下手の機会を伺っていたがある日掌珠が縁側で昼寝をしているのを見た.其の時は乳母も何処かえ行っておらずおりしも謝氏の侍婢春芳と雪梅の二人が縁側の横を通っていた.臈梅は董清の言葉を思いだし二人が遠さかったのを見届け寝ている掌珠を絞め殺し密かに妹の雪梅に言い含めた.
『お前が玉指輪を盗み出した事は未だ誰も知らないので謝婦人がその行方を探すべく百方手を尽くしているから若し露見したらお前が一番先に殺されるのだ.しかし私の言う通りにしたら禍を無くし反って重賞を貰えるから私の指図通りにするんだよ.』
『うん.解かった.』
掌珠の乳母は掌珠が寝ているので安心して居たが何時までも起きないので起こしてやろうと近寄ったら鼻と口から血を流して死んでいるではないか.乳母は大声で泣き叫んだ.その声に驚いて喬女が駆け付けたらその始末だ.是は畢竟董清の所為だと瞬間的に直感し計画実行の為恐怖と悲嘆に取り乱した恰好で翰林に訴えた.翰林が現場に来て無惨な掌珠の姿を見、体を震わし骨髄まで戦慄して言葉も言えない状態で慄いている.
『私等を呪っていた女が我が児を殺したのよ.相公は早く犯人を捕らえて仇を打ってください.嗚呼、可哀相な掌珠、掌珠、』喬女は完全に取り乱して泣き叫ぶ.
翰林は直ちに庭に刑具を出して先ず掌珠の乳母を問招した.乳母は
『小婢が若様を抱いて縁側に居ましたら若様がお眠りなさるのでそっと寝かせ暫く外に出た間に起きた事です.若様のお側を離れた罪は死んでも余りますが如何した事かわ存じません.』と申し、臈梅は
『小婢が門前を通りながらふと見ると謝婦人の侍婢、春芳と雪梅が縁側の欄干の前で何か話しを交わしてからそそくさと帰るのを見ました.あの二人にお聴きになれば判る事と存じます.』と述べた.
翰林は春芳と雪梅を捕縛して逃げられぬようにし、先ず春芳を拷問した.
『小婢は雪梅と庭を通っただけで何も知りません.』幾ら叩かれてもそれ以上は出ない.
次は雪梅の番だ.雪梅も初めは春芳と同じく言い張っていたが棍棒で10回もお尻を叩かれたら堪らず絶叫した.
『わたしは叩き殺されます.どうせ死ぬ命何を隠しましょう.奥様が"誰でも掌珠坊やを殺す者には重賞を与える."と仰せられ隙を狙っていましたが折り良く若様が縁側で昼寝あそばし側には誰も居ませんでしたので今が絶好の機会だと春芳と二人で下手しようとしましたが私は背筋に悪寒が走り手足がわなわなと震えて動けずにいましたら春芳が縁側に上がり若様の首を締めて殺しました.』翰林は大いに怒り春芳を再び刑具に据え容赦無く叩き白状を促した.春芳は雪梅を罵り
『お前は上には奥様を売り、同僚を誣告するお前は犬畜生にも劣る者だ.』と叫んだ.
『しぶとい奴じゃ、白状するまで叩け.』翰林は怒りの為理性を失ったようだ. 春芳はついに息を引き取った.叩き殺されたのである.
喬女は翰林に
『雪梅は下手をせず真相を明かした功が有りますから論外ですし、春芳が死にましたので仇は一部打ちましたが上の命令を実行しただけですから春芳も恨めしい筈です.』
続けて喬女は胸をかきむしり天を仰ぎて叫ぶ.
『掌珠坊や、わらわがお前の仇を打って上げねば生きていられません.坊やの後を追ってわらわも死にます.』部屋に飛びこみ紐で首をくくり天井に吊った.侍婢どもが驚いて紐を解き下ろした.喬女は泣きながら翰林を捕まえ揺すぶる.翰林は頭を下げて黙り込んでいる.喬女は
『相公はどうしてくれるつもりですか.嫉妬に燃えて初めは私ら母子を殺そうとして呪いを掛けそれにもあきたらず侍婢をけしかけて罪のない天真爛漫な坊やを殺すとは人でなしです.今日坊やを殺し、明日は私を殺すでしょう.私は仇の手で殺されるより自分で死んだ方がましです.相公があの悪女と偕老を望まれれば私を殺してあの女を満足させなされ.私の死ぬのは惜しくありませぬが一つ憂うるは、あの女既に間夫が居ますから将来相公とて危うい目に逢う事です.』と言い、又部屋に入り首を吊ろうとした.
翰林は急いで喬女を押さえて止めさせ憤怒の余り大きく怒号した.
『実に許せない奴じゃ.家中の醜聞は恥ずかしい事ながら夫婦の義理を思い不問に付したのだ.祖先伝来の玉指輪までを姦夫にやり情を通じたのは当然逐出すべきなるも家門の恥を考えそのままにして置いたのに反省はおろか奸悪な侍婢と謀り天倫を逆らうまでにいなったとは天地間に許されまじき事じゃ.捨て置けば今後如何なる事を仕出かすやも知らぬ.この際断固たる処置をせねばならぬ.』続けて喬女に.
『今日は既に日が暮れたから明日は親戚を集め家廟に告げて淫婦を追い出しお前を正婦人にして祖先の祭祈を任すから余り悲しまないで落ち着けよ.』と慰めた.喬女感激し
『主婦などと身に余る事は望みませぬが仇と同じ屋敷に居ないだけでも私の怨みが幾分かは晴れるかと存じます.』
翰林は婢僕等を手分けして親族一族を祀堂に集まるよう言付けた.侍婢等が泣きながらこの事を謝婦人に伝えた.謝婦人は顔色一つ変えず静に.
『何時かは斯様な事が起こると存じていました.』と呟いた.
翌日翰林が一家親族を集めて謝氏の罪状を明かし追い出すと知らせた.全ての人が謝氏の婦徳を信じ、翰林が魅惑に落ちだとは思うが翰林が既に意志を固めた事に反対して親戚の義理を損ねたくもないし、翰林が宗家の後継ぎなので.
『この事は翰林の意のままに処理される事で、我等には判断しかねる事です.』と述べた.翰林は香を焚き家廟に焚香拝礼して謝氏の罪状を読み上げた.
「申し上げます.某年某月某日に孝孫翰林学士延壽は謹んでこの文を曽祖考文賢閣太学士文忠公府君、祖考太常卿吏府尚書聖賢公府君、顕妣婦人崔氏の神位に明らかに告げまする.夫婦は五倫の一つにして萬福の基であり国でも是を持って万民を治める所、如何に疎かに致しましょうか.然るに悲しい哉謝氏は初めに家門に嫁いし頃は淑徳にして礼法にも誤りが無かりしに終始等しからず次第に宜しからざる行いあるも家門の威信を思い又三年喪儀を済ませたのにも免じて黜婦せずに居たるに反省はおろか母の病に便乗して本家に行き淫行を欲しい侭にしたのが暴露したけれど家門の恥辱なるためひたすら隠しそのままに捨て置いたるに、はたまた大罪を犯し七去之悪の標本ですのでやむを得ず黜去致し、妾室喬氏はたとえ六礼を整えた訳では御座いませぬが名家の出身にてその行いに非がありませぬゆえ祖宗の祭祈を奉り得る為に正室に封じまする.」とあった.
(七去之罪:不順舅姑去、無子去、淫行去、嫉妬去、悪疾去、口舌去、盗窃去)
読み終えた後謝氏を呼びつけ祖宗の霊前に四拝して退去の挨拶をさせた.謝氏は事ここに至るを潔く受け入れ一語とも釈明を致さぬも涙を限りなく流した.見て居た親族郎党皆無言のまま涙を流して居た.
乳母が麟児を抱いて来て謝婦人子供を抱き.
『母の事を考えず健やかに育ってください.何時の日又会えるやら.』嘆息し又.
『親鳥の居ない雛は育たぬと言います.母親の居ない坊やが命を保ちましょうか.今生での尽きぬ因縁、来生で繋ぎ母子に帰るを願うのみです.』涙は終に血に変わった.
麟児を乳母に返し麟児の頭を撫で待機の駕籠に乗る時麟児は母を呼び大声て泣き叫んだ.
一方祀堂では喬女が侍婢達の助けを受けながら主婦としての初の焚香をした.壕゚紅裳に玉牌を帯びにぶら下げ天上の仙女の如く美しかった.焚香式を終え家僕等の祝賀を受けた後主婦としての訓示を述べた.
『本日よりわらわがこの家の家事の全てを総括します.お前たちは各々受け持った仕事を果たし粗相が無いようにしなさい.』下僕等恭しく承り引き下がった.その時数人が
『謝婦人が逐出されましたが長年の情誼が御座いまして若しお許しを頂ければ別れの挨拶を致しとう御座います.』と願い出た.
『それはお前達の情誼です.わらわは阻み度ありません』と寛容を示した.
殆どの家僕が謝氏の駕籠の前に居並び涙もて別れを告げた.謝氏は
『お前等が見送ってくれて感謝します.誠を尽くして新しい婦人に仕えなさい.そして故人も忘れないで下さい.』と言い残し駕籠を発たせた.
謝氏は新成県の実家に帰らず駕籠を舅姑の墓地に向かせた.謝氏は墓の近くに家を借りて未だ幼い侍婢一人のみを連れて侘びしく暮らした.
謝婦人の弟謝公子は姉の話しを聞いて驚いて謝婦人を訪ねてきた.
『姉上、女が夫より容れられ無ければ実家に帰ッて来て姉弟が頼り合って暮らしたら良いのに何故こんな辺鄙な所で独り淋しくおられますか.何か小弟に不満が御座いましたか?それが気にかかります』と言った.謝氏は
『いやいやそうではありません.私とて姉弟の情誼と母の霊前の懐かしさを知ら無いわけでは有りませんが一旦実家に戻れば劉氏とは完全に因縁が切れます.翰林が性急に私を捨てましたが私が今まで罪を犯したことは有りませんから舅姑の墓の近くで余生を終えるのが私の望むところですから賢弟はご放念なさい.』謝公子は姉の意地を知っているのでやむなく帰り婢女一人と雑用の爺を送った.謝氏は女婢は要らぬからと返し爺だけを置いて外庭の用に当たらせた.元元この一帯は劉氏の所有の地で劉氏の一族や農奴等が住み謝氏に同情して野菜などを供給して呉れだし謝氏亦こまめに針線・紡織等をして延命した.
一方、喬女は情夫董清と謀り吾が子を殺してまで非道な計略で正室謝婦人を罪人にでっち上げ追い出し待望の正室奥方に収まった.もうおのれの天下である.翰林出仕の時は董清と情事を欲しい侭にし、劉家を董清と乗っ取った形で意気揚揚として居たが謝氏が新生県の実家に帰らず劉家の先塋の地で暮らしていると聞いて"新生県の実家に帰らず劉氏の墓地が有る所で住まうのは未だ劉氏の家族であると自処しているからだ"と思い翰林に告げて曰く
『謝氏は祖宗に罪を犯して黜出されていながら厚かましくも先塋の地に留まるは怪しからぬ事では有りませぬか.』翰林は暫く考えた後.
『既に黜婦させた以上は何処で住まおうと構う訳にも行かぬ.あの地には他人も住んでいるからなおさらだ.』と言う.喬女は気に掛かりはするが黙るより仕方が無い.
或日その事を董清に相談した.董清は
『謝氏が劉家の墓地に留まり実家に行かないのは四つの理由があるからだ.一つは前日の玉指輪の事件を突き止める事と、二つは劉家の嫁だと自任する事によって後日を図ることと、三つ目は劉家の一族に同情を得後日に助けを得るため、しまいに翰林が春秋に墓参りの時自分の惨めな様を見せる事に依り如何に木石と言えども前日の情誼を甦らざるを得ないようにする為だ.』
喬氏は
『それなら人を遣わして殺せば済む事です.』董清は
『それは良くない.謝氏が人に殺されだとなれば翰林が疑う筈だ.俺に妙案がある.冷振は元より家族が居ず一人身だ.それに奴はこの前計略の下調べの為新成県に行った時謝氏を見てその美しさに好意を持っている.奴に謝氏を騙して連れ出し手篭めにしてでも妾にしてしまえばそれで終わるのだ.人に体を許せば女はもう元には戻れない.その人のものになるより仕方が無い.どうだ俺の計略が.』喬女は
『その計略は最高だけど実行をいかにしますか?』董清笑いながら
『実家に帰らず劉家の墓地に留まっているのは劉家との絆を断たないで居て若し杜婦人が帰ってくれば杜婦人に訴え翰林との縒りを戻そうとする下心があるからだ.だから杜婦人の手紙を偽造して呼びつけば行く筈だ.だから杜婦人が差し向けた如く装い駕籠に乗せて冷進の家に連れて行けば後は冷振が力づくでも手篭めにしてしまえばそれで終わりだ.如何に節義の高い謝婦人とて冷振に体を許せば劉家とは完全に切れる事になるではないか.』喬氏大いに喜び
『貴方の知恵は昔、六出奇計した陳孺子の再現のようです.』と褒め称えながら董清の胸に抱きついた.
五千里逃避行
董清は密かに冷振を呼び謝氏陵辱の作戦を指示した.独身の冷振にしては憧れの美女を手に入れる好機を得たのだから喜んで受諾した.董清は杜婦人の筆跡を一通冷振に渡して偽造の資料に提供した.
詐欺と恐喝は冷振のお手の物である.念入りに杜婦人の筆法を模倣した手紙を一通認め先に人を遣わして送り、駕籠と数十名の心腹どもに謝氏を連れてくるよう手筈を決め自分は婚礼の準備までして緻密に計画を進めた.
自分を取り巻いて恐ろしい陰謀が進行しているのを知る由も無い謝氏は或日部屋で織物をしていると外で人の声がした.
『ここが劉翰林婦人謝氏が住まう家か?』爺が
『そうですが』
『ソウルの杜推官宅から来た者だ』 (ソウルは首都の意)爺は訝しげに
『杜推官が大婦人をお供して長沙に行かれた後確かに空いている筈なのにどうして来たのか』
『知らないらしいな.うちの旦那が長沙推官におられたがお国で翰林学士にお呼びになり大奥方様が先にお帰りになったのだ.謝婦人がここにおられると聞き手紙を書いて私が持って来たのだ.』と封書を差し出した.爺が謝婦人に取り次ぐ.披いて見れば
「一別以来憂いて居た事や、子が長沙推官から翰林学士に呼ばれ上京することになった事を書き自分がソウルを離れている間にそなたがこういう目にあったのは口惜しいが今更言うても始まらぬ事、そなたの居る所は辺鄙で強暴な輩が犯してくる恐れも有るから我が家にきてお互いに頼り合った方が良いではないか.良ければ駕籠を送る.」とある.
謝氏は杜婦人上京の知らせに接し嬉しくて何も疑わずに行きたい旨を返書に認めて返した.その晩は万感が交々行き交い一人考えに耽り、ここがたとえ辺鄙ではあるが先塋を頼り慰めていたのにいざ離れるとなると何だか淋しい思いがして居る内何時しか眠りに落ちた.ふと人が来て言うに
『老爺と大奥様がお呼びです.』と言う声に目を覚まして見れば舅の卑僕が立っている.
それに連れられ或る所に行けば前に舅に仕えた侍婢数人が居並ぶ中寝所に案内された.
其処には劉小師、崔婦人と共に椅子に腰掛けている.容姿が前日と少しも変わらなかった.謝氏嬉しくて丁寧にお辞儀をし涙を流した.小師は謝氏を座らせ.
『愚息が讒言を聞き賢婦を艱難に落とし心配に耐えない.亦今日の妹杜婦人の手紙は本物ではない.賢婦は詳らかに見れば解かる筈だ.』崔婦人は謝氏の手を取り.
『わらわは早く世を別れ賢婦に逢えず悲しかったです.頭を上げて顔をはっきり見せてたもれ.幽明が異なるとは言え賢婦、延壽と共に祀堂に上り献酌の都度嬉しく頂きました.これからは喬女が祭祈を上げてもわらわは頂かないつもりです.悲しい哉、賢婦が家を離れてもここえ来ているので頼りになりましたがそなたは遠くえ行きますから悲しいです.』謝氏は泣きながら
『叔母上杜婦人がお呼びでも如何にここを離れ得ましょうか.』舅曰く
『いや.そんな話しではない.あの手紙は偽物だし、お前亦ここに居てはいけない.未だ七年の災厄が残っている.急いで南方に向かい水路五千里に避難せよ.』
『かよわい女の身でどうして七年間も流離致しましょうや.先先の吉凶なりと教えて下さいませ.』
『是は天数なる故、致し方がない.ただ一つこれから六年後四月十五日に船を白蘋洲につけて待っていて危急な人を救え.これだけは絶対に忘れるな.ここで長居は出来ぬ怱怱に帰れ.』
『いま尊顔を離れますれば何時の日に亦お目に掛かれましょう.』と泣いた.
謝氏が寝ながら泣いたり喚いたりしているので側に居た乳母と小婢が謝氏を揺すぶり起こした.目を覚まして見れば一場の夢である.夢の話しをしたら乳母も感嘆した.謝氏は舅の話しを思い出し杜婦人からの手紙を綿密に読みなおして、
『杜総官のお父さんの名前に康の字が有るので杜婦人は平素話すときとか文書を書くときに'康'の字を避けていたのにこの手紙には'康'の字が入っている.これは偽造に違いない.誰がこう言う事をするのでしょう.』と思いに沈む時東の空が明けかかるので乳母に
『舅様が南方に水路で五千里を下って行けと仰せられた.長沙は南方であり、また杜婦人が出発の時五千里だと言われた.これは杜婦人のもとに行けとの暗示に違いない.』と南方に行く船便を密かに探させた.そうしている時、爺が入ってきて
『杜府から駕籠が参っておりますが如何致しましょうか.』謝氏は
『わらわが昨夜風邪を引いて今は起きられません.2・3日後治ったら行きます.』
爺がこの事を駕籠に伝え、駕籠は仕方なくそのまま帰って行った.
駕籠が来るのを待っていた冷振と董清がその話しを聞いて.董清は
『謝婦人は目ざとい女で疑いを起こして病を称し避けたのだ.是が失敗したら大変な禍になるぞ.』冷振は
『兄貴、乗りかかった船ですぜ.頑丈な奴等数十名と駕籠を墓の付近に忍ばせておいて夜になったら謝氏を拉致して来ましょうや.』
『それが良かろう.手配しろ.』話しは決まって冷振は破落戸を集めに出て行った.
この時謝氏は南方行きの船便を八方手を尽くして探していたら折り良くナンキン(南京)行きの船が有った.この船の船頭は元杜婦人の卑僕であったが杜婦人の恩恵で自由を得た張三と言う者で謝氏も知っているものである.危難が迫っているから一刻も余裕が無い.謝氏は尊舅の墓に焚香別れを告げ早速乗船出帆した.一行は謝氏、乳母、爺、小婢の四人で、皆が着の身着のままの逃避行である.
日が暮れて冷振は数十名の強盗と共に墓の付近の林に身を潜め夜を待ち三更に謝氏の家を襲ったが其の時には既にもぬけのからであった.冷振は張り合いが抜け、空になった感じで
『果たして謝氏は知恵のある女だ.良くも危機を感じて逃げ去ったなあ.』と地団太を踏んだ.すごすご引き上げ董清に報告した.董清と喬女は謝氏を逃がしたのを口惜しがったが後の祭である.
一方謝婦人は急いで船に乗り一応危機を逃れたが温室の花の如く周囲に守られ安定した中で美しさと上品さを保ち世波の険しさを知らずに居た閨中の婦女が一葉扁舟に身を任せ渺茫たる大海に帆を孕ませて、荒くれた船人の忙しげな足音、空を飛び交う海鳥の鳴き声等は旅の者に悲しくも侘びしさを加え、三日月が空に掛かった明け方に遠くで聞こえる山猿の鳴き声は心細さに耐えられなくした.謝氏は悲しみに胸が抉られる如きて声を上げて泣き
『天は何故に吾貞玉を出しながら斯くもア嶇なる運命を下されましたか.』と嘆く.乳母と爺もつられて共に泣いた.やがて乳母が謝氏を慰めて.
『天は高いがお察しがある筈です.何時までも艱難が続く筈がありません.奥様はお体を大事にして辛抱為されませ.』婦人は涙を拭いて.
『わらわの運命稀薄な為お前達にも辛い目に逢わせています.わらわは己の罪ですが乳母と爺は何の罪ですか.ただ不運な主人に巡り合った為です.閨中の婦女の身で一葉扁舟に身を任せ海上に浮いています.嗚呼わらわが向かう所はいづこか当ても無し.杜婦人が吾を待つのでも無し、また舅家より追い出されたからだ、死にきれずに長沙に行くこの身の上が悲しいだけです.せめて蒼波に身を投げ屈三閭の忠魂に倣いましょうか.』と嘆きに沈むので乳母と爺が慰めている間数日が過ぎた.舟は帆いっぱいに順風を受け南え南えと進んだ.或日突然大風が起こり荒波が押し寄せ舟が木の葉の如く揺れ今にも覆らんばかりに揺れるので婦人は嘔吐を催し息も絶えんばかりになったのでやむなく近くの陸に船を付けて家を探したら近くに灯火が見えた.
その家を訪ねれば14,5歳位の娘が出て来た.
顔たちが整い物腰が淑やかである.爺が事情を話し暫く休む事を頼めば快く承諾し謝婦人を迎え入れた.家には娘が一人のみなので謝婦人が聞いた.
『お前の父母は何処え行って一人で居るの?』
『私は林氏ですが幼少の時父を失い偏母の膝下に居ますが母が川向こうに行ったのに暴風で帰れない様です.』と丁寧に答えた.娘はまた晩御飯の用意をして出してくれた.簡素なおかずながら田舎に似ずこ綺麗に供えている.謝氏は感心しながら美味しく食べて
『不意に訪ねてきてご迷惑をおかけしましてすみませんね.』とお礼を述べた.娘は
『尊い奥方様を陋屋に迎えまして家門の光栄で御座いますし.村家に何も御座いませんので粗餐を差し上げましたのに丁寧なお言葉を頂き恐れ多い次第で御座います.』
只の田舎者の言動でない由緒のある血筋を感じさせた.その晩は其処で泊まり明くる日出立するつもりであったが暴風が止まず三日を滞在した.その間娘は誠意を尽くして婦人をもてなした.ようやく風が収まり別れる時が来た.婦人が巾着を明けて見れば玉の指輪が一個残っていた.婦人はそれを娘に渡し
『これはささやかですがお前の指に嵌め、わらわの情を忘れないでね.』娘は遠慮し
『これは奥様の遠路の旅に緊要な筈、頂けません.』と断る.
しかし婦人はなにか謝礼をせずには居られない気持ちであったので強引に
『ここから長沙が遠く無いし其処え着けば使う所も無いから貰って頂戴.』と押し付けるようにしたら娘は恭しく頂くのだった.
別れを惜しみながら船を出して数日して爺がなれない船旅のためか病を得て死んだ.舟を岸につけ爺を埋葬してまた帆を上げた.謝氏は心細くなり長沙までの道程を聞けば"数日のうちには着きます."と言うので一安心して居たが俄かに風浪激しく起こり舟は風に追われ洞庭湖には入り岳陽楼のまえに泊めた.この地は昔、楚の国であり史跡の多い所である.その昔舜帝が国を巡察しこの地に至ったとき蒼梧の襲撃に逢い怱怱に帰った.そのとき二人の王妃、娥皇と女英は一行からはぐれ瀟湘江岸で合い抱き泣く時血の涙が出、竹薮に払えば竹に血痕がつき瀟湘斑竹になったと言う.後には楚の忠臣屈原は忠誠を尽くして懐王に仕えたが奸臣の讒言を受け江南に流刑されこの地で数間草屋を建てて暮らしたが終に汨羅水に身を投げて死んだ.又漢の賈誼は洛陽の学者だが大臣の誹りを受け長沙に放逐されこの地に至り屈原の忠魂を弔う祭文を上げたので後世の人々に慷慨の念を抱かしめた処である.それで九疑山に雲が掛かり、瀟湘江に夜が更け、洞庭湖に月明るく、黄陵廟に杜鵑悲しく鳴く時はたとえ悲しみが無い人も涙を流すと言われているから悲しみを抱いた人は更に悲愴が倍増する処だ.ましてや謝婦人は窈窕淑女の氷玉の清い身で妖女の讒訴を被り家夫より剔黜された身で、はたまた正体の知れぬ兇計の犠牲になる所を舅の霊魂の導きによって五千里離れた洞庭湖まで来た孤孑の身の上を思い船側に凭れ侘びしさに沈んでいた.
この時南北の商船が入り乱れ錨を下ろし騒がしい中にふと聞けば、
『我が長沙の百姓も運が悪いやなあ.』
『何でだ.』
『去年来た杜推官殿は正直で政治を公平にして百姓どもが喜んでいたのに今年に新しく赴任して来た柳推官は欲の深い奴で罪の有る無しに拘わらず酷い拷問を掛け銭を巻き上げているのだ.こんなに名官が去り貪官が来たから運が悪いじゃないか.』
『そりゃぁえらいこっちゃなあ.』こういう船頭達の会話が耳に入った.
この話しを聞いた謝婦人は眩暈を感じた.長沙の地が目の前だと言うのに頼りにしていた杜推官は既に他の地に転勤になったというから目先真っ暗である.夜が明けて直ぐに張三を呼び事の仔細を調べさせた.張三が帰って言うに
『我等の老爺は長沙に来られて明治をなさっておられるのを巡行中の御史が国に報告をして帝が喜ばれ成都知府に昇進されて既に大婦人ともども成都に赴任されたそうです.』謝婦人は目先が真っ暗になり途方にくれた.どこに行くか目当ても無くなり、銭もなく、頼るところも無い、暗澹たるのみである.天を仰いで嘆いた."悠々蒼天よ.わらわにどうしろと言われるのですか"と独り言を呟き、張三に
『杜婦人が既に成都に行かれたからには長沙は縁の無い地で、其処え行く訳にも行かず此処え留まる訳にも行きません.お前は我等三人をここえ降ろして船を出しなさい.』
『長沙に行くのもならず、私もここで長居は出来ません.婦人は何処え行かれるつもりですか.』
『私が行く所はお前が気にする事はありません.お前はお前の行く所に行きなさい.』
張三は三人を岸に降ろし謝婦人に別れのお辞儀をして、
『何卒お体にお気を付けなさりませ.』と言い残し船を出して去った.
絶望の洞庭湖
謝氏は喬女・董清らの悪辣な陰謀に逢い千辛萬苦の末、辛うじて船便を得虎口を逃れ長沙の近くまで来たが頼りにしていた杜婦人は既に成都に移ったのを知った.
洞庭湖岳陽楼の下、水辺に小婢と乳母の三人は為す術もなく絶望と悲哀の中に居た.
『四顧無親のこの地にて路銀も無しに奥様いかが致しましょう.』と乳母が心配する.
『人が世に生まれ壽夭長短と吉凶禍福は天の定めるところです.一時の厄運に拘る事は有りませんがわらわの身の上を思いますれば自ら招いた禍です.昔より天が降す禍は逃れ得ても自ら招いた禍は逃れられないと言います.今路上で進退極まる難儀に遭い何処に向かい誰に頼りましょう.全然めどがつきません.』乳母が慰めて
『昔から英雄豪傑と烈女節婦が斯かる難儀を経ない人も少ないそうです.奥様に一時の厄災御座いますが明天が見下ろし、神仏の助けもありましょうからやがて風が黒雲を吹き流せば日月もまた照らしましょう.奥様余り悲しまないでお体を大事になさいませ.』
『昔厄災に遭った人が一人二人ではありませんでしたが其々助け人が居て命を保ちましたが、わらわにはそんな望みも有りません.軟軟弱質の女の身、どうしましょう天にも昇れず地にも潜れません.潔く死して後世に名を残しうればわらわの幸せでしょう.』
謝氏は洞庭湖の水に身を投げようとするのを乳母と小婢が抱きしめ泣きながら.
『小婢達、千辛萬苦して奥様をここまでお供しましたからには小婢らも一緒に身を投げあの世まで奥様に御仕え致します.』一蓮托生自分たちも共に死ぬと言う.謝氏は
『わらわは罪人なので死ぬのは当然ですがお前達は何の罪あってわらわの後を追いますか.行李に路銀が有りませぬ故お前達は人家に頼りなさい.小婢は若いから言うに及ばず乳母も未だ人の家で飯を炊けるから身を寄せるところは有る筈です.各々生き長らえて若し北方の人に逢ったらわらわがここで死んだと報せて下さい.』と言った後、道端の樹皮を削り立ち木の幹に字を書いた."某年某月某日に謝氏貞玉が舅家で黜婦されここに到りて身を投げて死す."と書き終えて慟哭した.乳母も小婢も共に泣いた.日月も光を失せ草木や鳥獣までも悲しむようであった.やがて日は暮れ東の空に月が昇れば黄陵廟の杜鵑の鳴き声、瀟湘江竹林では猿の鳴き声ひと際悲しさを煽る.乳母は
『夜風が冷えています.あの上に上がって夜を明かし明日去就を決めましょう.』と勧め、岳陽楼に登った.九嶷山は屏風の如く周りを囲み渺茫たる洞庭湖には月が映っている、正に岳陽楼は江南第一景であったが景色を鑑賞する心の余裕などはもとよりない.岳陽楼で一夜を明かし東の空が明ける頃がやがやと騒ぎながら数十名の人が岳陽楼に上がってきた.謝氏は急いで座を立ち裏門から抜け林の中に身を隠した.
『これから身を寄せる所とて無く、夜は明けました.何処に行きましょうか.幾ら考えても洞庭湖に身を投げるしかありません.乳母は阻まないで下さい.』と言って湖水に向かって歩き出した.乳母と小婢は慌てて謝氏を掴まえ共に泣く時、謝氏力尽きて乳母に寄りかかり崩折れて意識を失った.一人の女童が現れ
『ニャンニャン(娘娘)が婦人をお招きしています.』謝氏驚いて
『ニャンニャンとはどなたですか』
『行けば自然お解かりになります.』
謝氏は女童に従い或る所に行けば江辺に一座の殿閣があった.謝氏と女童は其処え入った.中では暖簾を上げる音がして"上がれ"と言う声が聞こえる.謝氏殿に上がり正面を見れば二人のニャンニャンが椅子に座り左右に多くの婦人が立ち並んでいる.謝氏が禮を上げればニャンニャンは謝氏を座らせ.
『我等は他ならぬ舜王の二人の王妃です.上帝より(天上の玉黄上帝)我等の情況を哀れに思し召されここの守り神を任され今に至っています.そなたは一時の禍を受けているのです.天の定によるもの死のうとしても死にきれません.心を大きく持ちなさい.』
謝氏立ち上がり謝拝して申し上げた.
『人間の卑賎なる女子が書籍を通じて聖徳を仰ぎお慕い申して居ましたがお目に掛かるとは分外な光栄で御座います.』
『婦人を招いたのは他ならぬ事、婦人が千金よりも大事な体を虚しく屈原を倣おうとするのは平常な聡明が曇った為です.そなたを慰め天命に従うよう勧める為に呼びました.』謝氏禮を言い申し上げた.
『ニャンニャンのお教えに甘えまして私の身の上を申し上げます.小妾は元より寒微な身で早く厳父を失い偏母の膝下で育ち学が無く行い又不敏でした.尊舅去世の後、東海の水を傾けても洗い落とせない汚名を蒙り閨門を出て舅姑の墓地で生き延びて居ましたが謀らずも江湖に流れる身になり為す術を知らず天を仰ぎ嘆いた末、蒼波に身を投げ様としました.ニャンニャンを煩わせた罪万死に当たります.』ニャンニャンは
『万事が天の定めです.人の力では如何にもなりません.どうして屈原の死を倣い、天を恨みましょうや.婦人は未だ将来の福禄が無窮です.どうして自処されましょうか.劉氏の家門は元より善を積んだ家柄ですが劉延壽が余りに早達し学問は深いが世相に緻密ではないので天が暫しの災厄を降し戒めるものです.婦人は早焦りしてはなりません.婦人を讒訴した者は未だ得意がり放恣驕慢にて例えば汚物の虫が己の汚れたるを知らざる如きで言うに及びません.天は将に大きな罰を与える筈です.ですから婦人は安心して早く帰りなさい.』謝氏は
『ニャンニャンが妾の過ちを責めることなく斯くも明確に教えを賜わり感激に堪えませんが帰りましても行く所も御座いません.ニャンニャンは妾の立場を哀れみ侍女としてお取り上げ下されば永久にニャンニャンに御仕え致しとう御座います.』娘娘笑い
『婦人も後にはここえ居るようになりましょうが未だ時期でありませんから帰りなさい.南海道人がそなたと因縁が有りますから其処で身を寄せるのが亦天の意思です.』
『南海は天の端だと言い遥かに遠いと存じています.如何して行けましょう.』
『縁があれば自然行くようになる.心配する事は無い.』侍立した美しい婦人を指差し.
『この人は衞国婦人、莊姜だ.』(周の王姫で衞莊公の婦人)と紹介し、又一人を指し.
『漢の班捷、だ』(漢の女流詩人、成帝の寵妃)と順を追いいちいち紹介した.
『婦人がここえお出でのついでに引き合わせるのですから知っておきなさい.』
『今日多くのご婦人様を拝顔するを得光栄に御座います.』と丁寧に挨拶し婦人達も各々謝氏と挨拶を交わした.謝氏が四拝して退く時娘娘は
『物事に誠を尽くせば50年後にはここに集まる事になりますからご自愛なさい.』と言い女童に
『お送りせよ.』と命じた.謝氏は女童に従い庭に降りた.後ろのほうで十二珠簾の下がる音に目お覚ました.
謝氏が気絶している間乳母と小婢は心配しながら手足を擦り色々と介抱して気が戻るのを待っていたら謝氏が目を明け手足を動かすのでホッとした.
謝氏は起きあがって娘娘の話しを詳しく聞かせた.乳母は目を見張り感嘆した.
『奥様は3時間も眠られました.長い夢でしたね.』乳母は謝氏が寝ていたときのことを話した.謝氏は
『わらわが夢の中で竹林に入ったからその通り行って確かめて見ます.付いて来なさい.』と、林に入って行った.
林の中には一座の祀堂があり"黄陵廟"と書いた懸板があった.紛れも無い舜の二王妃の祀堂である.手入れをせずに居て丹青は色褪せ、甚だしく退廃していた.殿上を見れば二王妃の肖像画が掛かっているが夢で見た通りであった.謝氏は拝礼して祈りを上げた."わらわがニャンニャンのお教えを頂きまして何時か良き時勢に遭いますればニャンニャンの聖徳のおかげで御座います."拝礼して殿を退き祀堂の前で小婢を堂守りの家に行かせご飯を貰ってきて3人が分けて食べひとまず飢えを凌いた.
そうこうして居る内に又日が暮れあたりが暗くなった.謝氏は
『我等3人が方々さまよい身を寄せる所が無いので心乱れて神霊が見えたようです.』
と独り言のように呟き、朦朧たる月光の下で暫く躊躇った後、
『人が世に生まれ富貴と貧賎は運命と言いますが女として洗い落とし得ぬ陋名と数々の苦難を経ここに至り動けなくなったからには死ぬより為す術がありません.』と言った.
其の時祀堂の門前からいきなり声が掛かり
『婦人が難儀に遭ったとてどうして命を絶とうとなさいますか.』
一行が驚いて目を上げて見れば一人の年老いた尼僧と女童が立っている.謝氏が
『私らのことをどうしてご存知ですか.』と聞いた.尼僧が合掌して
『小僧は君山寺に居ましたが先程夢現の間観音様が現れ、"善良な女子が艱難に遭い為す術を知らず水に身を投げ死なんとする.直ちに黄陵廟に行き救えよ."と仰せられ急いで舟を漕ぎ参りましたら果たして婦人に会いました.仏様の御霊験あらたかで御座います.』
『私らは死なざるを得ない身の上.尊師の草庵遠く且つご迷惑になり憚れまする.』
『出家の者、慈悲を基にします.ましてや仏様の導きで御座いますれば遠慮は要りません.』一行は尼僧を先頭に湖辺に下りて船に乗り女童が櫓を漕ぎ瞬く間に君山に着いた.
君山は洞庭湖の中に孤立した小さい島であり山は竹林に覆われている.尼僧は舟を下りて謝氏を案内し歩き出した.道が相当に険しい.休み休みして漸く草庵に到着した.
寺には"水月庵"と書いてある.孤島の竹林の中の草庵は人世を離れた別天地の感じである.謝氏は心身ともに疲れ果て夜が明けたのも知らずに深い眠りに付いていた.
尼僧は早くから起きて仏堂を掃除し香を焚いて磬鐘を鳴らし謝氏を起こして禮佛をしろと言う.乳母と小婢を伴ない仏堂に上がり禮佛をあげた.目を上げて正面を見てハット驚いて目に涙を溜めた.主佛は他ならぬ16年前自分が讃辞を書きこんだ其の観音像であったのである.謝氏は万感こみ上げ涙汲んだのである.尼僧が不思議に思い聞いた.
『婦人はどうして観音像を見て涙を流しますか.』
『画像に書いてある讃辞は私が幼い時書いたものですが意外にもここで見ますので悲しい思いが自然に起こりました.』尼僧は驚いて
『おお.それでは婦人は新成県の謝給事宅のお嬢さんではありませんか.婦人の容貌やお声に覚えがある様で不思議に思っていました.小僧が其の時婦人に書きつけ頂いた羽化庵の妙惠です.小僧が劉小師の命を受け婦人に観音讃を書いてもらいお見せしました所、小師大いに喜ばれ婚姻を進めましたし小僧にも重賞を下されました.その時師匠よりの急の使いで婚礼に参加できずに帰りました.それから10年間師匠の元で修道をしましたが師匠が亡くなったのでここに草庵を建て一人で勉強しながら仏像を拝む都度婦人の玉雪の如き容貌を思いだして居ましたが婦人はどうして又このようなお姿になられましたか.』謝氏は涙ながらにその間の経緯をつぶさに話した.妙惠は溜め息をつき
『世の中の事はこの様に計り知れない物です.婦人は余り悲しみなさるな.』婦人が仏像を改めて見れば孤島の中の竹林に座した観音様がまるで生きている如く.讃辞の意味亦己の流落を予言した如きで嘆息してつぶやいた.
"娑婆の世のこと天の定めによるものを人の小さい力で如何になりましょうか."
其の日から観音菩薩に焚香し麟児との再会を祈って暮らした.妙惠は折りを見て婦人に
『婦人はここに居られまして服装を如何になさいますか.』謝氏は
『わらわがここに居るは止むを得ないからです.服装を変える訳には参りますまい.』
妙惠は
『小僧が思いまするに劉翰林は君子ですので一時讒言に耳を傾けましたが後日には必ず明らかに悟り婦人を迎えられましょう.小僧が師匠から修学の時四柱も若干習いました.四柱をおっしゃって下さい.』
謝氏が教えたら妙惠暫く沈思した後明るい顔で
『運は大吉です.初年には幾らか災厄がありますが、後には夫婦安楽して子孫に栄華あり福禄が豊かです.』婦人が嘆息し
『薄命な人生、尊師の過ぎた讃辞は伺いかねます.如何に信じられましょう.』と言い続いて四方山の話しをする時謝氏が江上で風波に遭い人家に留まる時其の家の留守をしていた娘の賢叔さに感嘆したと褒めた.話しを聞いていた妙惠は
『婦人が小僧の甥女を会われました.甥女の名は秋英ですが母が赤子を残して死にまして父が辺氏を娶りましたが今度は其の父が死にました.辺氏は秋英を小僧に託し僧に育てるよう頼みましたが幼児の相を見まするに尊い子を多く産み福禄に富む相でしたので辺氏にそのまま育てるよう勧めましたが近くに伺いますれば秋英が母に孝行して睦まじく暮らしていると聞いていますが婦人がお会いになったのですね.』
『遭い難いのが善良な人です.人の心を知らなかったばかりに陋名を被り難儀を重ねていますから恨めしいのみです.』
『これ皆天が定めた命運です.婦人と小僧が多少の因縁で繋がっています.』
『仏様と和尚さんの御蔭で私は無事に居ますが家に残した麟児の生死の程が心配ですし、亦家に妖邪な者がいて翰林の身の上に如何なる禍が降りかかるかきがかりですし、前日舅姑の墓下に居る時舅姑の尊霊が夢に現れ"6年後4月某日に舟を白蘋洲に付けて待機し危うい人を救え"とくれぐれ仰せられました.誰がどういう危機に遭うのかそれも気がかりです.』
『翰林相公は五福を備えた相ですし、合わせて劉氏代代積徳多いのにどうして夭折が犯し得ましょうか.白蘋洲に危急な人を救えとの仰せを必ず守り御救いなされ.劉小師は公明正大なお方ですから必ずや重大な意味がある筈です.』
婦人も同意しその日より水月庵に居て乳母と小婢と三人で針線紡績に励み寺内の用出しを助けた.
翰林死地に流刑される
一方喬女は自分の子を殺してまでの悪辣極まる策略で謝婦人を追い出し正婦人の座を占め百子堂から本屋の内堂におさまり奥方様として屋敷の一切を切り回した.もう自分に楯突く者は勿論憚る者は一人も居ない.謝氏が寛容と善意で下僕らを対したのとは反対に残忍苛酷に支配し聊かでも気に入らない事があれば酷い刑罰を与えた.又十娘に命じ正堂の四面に翰林の聡明を曇らす呪物を埋め込めて置いた.翰林が出仕するのを待って董清と百子堂でおおっぴらに淫乱な遊びに耽ったが刑罰が恐いので皆が見て見ぬ振りをしていた.或日は喬女、百子堂で董清と一夜を過ごし夜が明けて董清は外堂に帰ったが喬女は疲れてそのまま昼過ぎまで寝ていた.其の時翰林が帰って正堂に喬女が居ないので侍婢に聞けば百子堂に居ると言うので百子堂に行ってみたら喬女が寝ていた.翰林が喬女を起こして其処で寝て居る訳を聞いたら喬女答えて曰く
『近頃正堂で寝る時、何故か夢心地が悪く寝つかれないので昨夜はここで寝ました.』
『婦人もそうですか.私も寝ると夢が乱れ煩悩しますが外では安らかでした.婦人もそうでしたら卜師に占って見ましょうかな.』と言った.
この頃皇帝は西苑にて祈祷三昧に耽り政治を疎かにしていた.諫議太侯徐園世は疏文を上げ祈祷を戒め、丞相厳崇の非理を論劾した.皇帝は大いに怒り徐園世の職を奪い
『遠地に追放せよ.』と流刑の処分を下した.劉翰林は疏文を上げ徐園世に寛大な御許しを願い出た.帝は劉翰林を叱りつけ、勅令を発し"今後朕の祈祷を反対する者あらば斬首に処すべし."と厳命した.劉翰林は病を届け出て出仕をせず家に篭もった.
或日、平素翰林と親しかった朝天館の陶真人が見舞いに来た.翰林は他の客を皆帰した後陶真人のみを内室に導き妖気を察するよう頼んだ.陶真人は暫く四方を見まわした後
『別に大した事はないが然し良くない』と言い寝室の壁を剥がし怪しい人形数十個を取り出した.翰林は顔色を変えた.真人は笑いながら
『これは人を敢えて害する目的ではなく貴方の女の内、男の愛を得ようとして人の理性を迷わす呪物だからなくし又家に良く無い気が漂っているがこれは'主人が家をはなれる'術法であるから用心して災厄が起こらぬようになさい.』と注意した.
『忝い.用心します.』と言って.陶真人に禮を言って帰し独り思うに.
"家中にこのような事がしばしば有る度に謝氏を疑っていたが今は謝氏は居ず部屋を作り変えたのも最近なのにこんな事が有るとは、謝氏は初めから無実ではなかったのかな"
思えば疑問が跡を絶たない.元元これは喬女が十娘と謀って行ったのだが百子堂に寝た時、咄嗟の言い訳に"内室で寝たら寝心地が悪い"と言ったのがきっかけになったから皮肉な物である.翰林は曇っていた聡明が戻ったのか疑いが次々と尾を引いた.
そのおりに長沙の杜婦人から手紙が来た.懐かしい思いで早速披いて見たら謝婦人の貞淑さを信ずるように頼み喬女を警戒するよう戒めていた.叔母が謝氏の逐出を知らずに居るので余計に申し訳ない思いがした.省みれば謝氏は性格が公明して後ろめたい事をする人ではないし玉指輪が他所に流れているのは自分が確認したが侍婢らが盗もうと思えば幾らでも出来る事では有るし、侍婢の春芳が拷問を受けて死ぬときも雪梅を叱り罪を認めずに死んだのも解せない.思えば思うほど疑問が重なり心安からざるものが有った.
喬女は翰林の態度に以前とは何か違うのを感じ取り不安に陥り董清に相談した.
『翰林の様子が前とは違うのよ.若しや内らの事を知っているのではないかと思うわ.どうすれば良いの.』董清は
『我等の事はこの家で知らないものは居ないだろう.翰林の耳に入らないのはお前が恐いからだ.若し調べられたら全てが暴露するだろうし、お前と俺は命が幾らあってもたらないだろう.』
『それではどうすれば良いの.貴方が良い知恵を出して何とかして頂戴.ねえ貴方.』
『方法は一つ、"人が吾を捨てんとすれば吾が先に人を捨てる"だ.毒でも盛って翰林を殺せば我等二人の世になるではないか.』
『それも悪くは有りませんが'若しも'と言う事も有るから慎重に相談しましょう.』
事態は翰林殺害を口に出すまでになって行った.
このとき翰林は病を称して出仕しなくなって相当な日にちが経った.彼は親友とあい丞相厳崇の非行を糾弾し鬱憤を晴らすのが日課になっていた.董清はある日偶然翰林の書案にあった厳崇を非難する書き付けを発見した.董清はそれを盗み懐に入れた.董清は喬女に
『天が我等二人を百年偕老するよう結び付けてくれたぞ.』喜んで言う.
『何の事なの.ねえ貴方.詳しく話してよ.』
『この前天子が勅書をもって"今後朕の祈祷を反対する者あらば斬首に処すべし"と厳命を出したが、いま是を見れば丞相厳崇は私欲のため天子に祈祷を勧め政治を壟断していると書いてある.これを持って厳丞相に見せれば丞相が天子に報告して翰林に厳罰を下したら我等の邪魔者が無くなるから百年偕老が出来るじゃないか.』と計画を話す.
『まあ貴方.この前の案は危険が伴ないましたが今度は人の手を借りて敵を打つのですから申し分有りません.やはり貴方は最高ですわ.貴方!』と董清を抱きしめ頬擦りして大喜び、続けて淫乱極まる享楽に耽るのだった.喬女は完全に董清の女である.
董清は厳丞相府に赴き面会を申し入れた.丞相は董清を引見し.
『何のご用かの.』
『賎生は翰林学者劉延壽の門客ですが、延壽は常に丞相に敵意を持ち丞相を非難していましたので聞くに耐えませんでしたが昨日は酒に酔い小生に"厳崇は天子を誤った道に導く小人の輩だ"と言い又今の世を宋の徽宗の時代に喩え"われたとえ諫書は上げずとも文を書き我が意を表すべし"とそれを書きました.小生が其の意味を聞きますれば丞相を昔の奸臣秦檜と王欽若に比べた文書だと得意がりましたので盗んできて丞相に差し上げるものです.』
厳崇が受け取って見れば果たして玉杯天書の文句がある.厳崇は冷笑し.
『劉延壽の父子のみが吾に逆らっていたが子供の癖に思いあがって泰山を誹るとは自殺を図ることだ.』と文書を持って天子を謁見して.
『近来国の紀綱が乱れ若い学者が国法を軽く思い放逸していまして憂るところです.今は陛下が国法を広めて居られるのに翰林劉延壽は新垣平の玉杯と王欽若の天書にたとえ臣を悪口しています.臣は構いませんが陛下を誹る意味も含まれて居ますれば国法を明らかに施行すべきだと存じます.』と恭しく劉翰林の文書を上げた.天子文書を読み大いに怒り直ちに劉延壽を投獄しやがて死刑に処すことにした.
太侯王世民は疏文を上げ"忠臣が死罪を犯したと承りますがその罪が判りませぬゆえ件の文書を下され解かる様にして下さいませ"と願い出て、天子が書類を見せ.
『劉延壽は天書玉杯と言う文句で朕を嘲笑したるにどうして死を免れ得よう.』
王世民は
『この文を拝見致しますれば天書玉杯にて陛下を笑ったとは明らかでありませんし、又漢の文帝と宋の真宗は聖君でしたので劉延壽罪ありますが死罪までには行かないと存じ上げます.願わくば死刑は免ずるよう寛容なさりませ.』帝は無言で居た.側に仕えた丞相厳崇が輿論が良くないのを目敏く察し、さも寛大であるかのように装い申し上げた.
『学者の意見がこのようですから劉延壽を流刑に処したら如何でしょうか.』と申し上げ帝が許した.厳崇は有司を呼び.
『劉延壽を幸州の地に流刑せよ』と命じ一段落した.
厳崇が帰宅し董清にこの事を話した.董清は
『このような重罪人をどうして殺さないのですか.』と聞いた.厳崇は
『同情する者が居て殺せなかったが幸州は南の端で水土が悪くて北方の者が行って生き帰ったものが居ないのだ.散々苦しんだ挙げ句死んでいくだろうよ.ハッハハ.』
それを聞いて董清は大いに喜んだ.
このとき翰林は不意に投獄され終には流刑に処せられ罪人護送の車に載せられ畜生の如く運ばれる憂き目に逢った.喬女は下僕らを伴ない城外で護送の兵士に金を握らせて別れの面会をした.喬女は慟哭をしながら
『わらわがどうして独りで家に居られましょうか.相公の後に従い相公と死生を共に致します.』と喚いた.翰林は
『私の前途には険しい運命が待っています.婦人は家を守り祭祀を奉り麟児を良く育てで下さい.麟児は悪い母の生まれですが骨格が非凡ですから良く育てれば婦人にも頼りになるはずですし私も安心して死ねますから後を頼みます.』
『相公の子が私の子です.どうして鳳雛と差別しましょうか.ご安心なされませ』
翰林が流刑の宣告を受けて移動する時董清が密告したとの噂を聞いていたが見れば董清の顔が見えない.
『董清が見えないがどうしたのか』と家のものに聞いたら
『3,4日前から家に居ません』と下僕らが答えた.
翰林は噂が本当だったと知り口惜しかったが後の祭だ.仕方なく官吏の護送の元、南えと向かった.
董清は丞相厳崇の家人になり持ち前の要領良さでお気に入りの心腹になり丞相の推薦で陳留県令に任命された.(江蘇省の東)董清は産まれて初めで官職に付いたのである.
董清は喬女に自分と一緒に陳留に行き共に暮らそうと誘った.喬女は大喜びで承諾し家の者には
『従兄弟が遠い地方で住んでいるが病が重く危篤の報せが来たので行ってくる.』と言い下僕らに家を守るように言いつけ心腹の侍婢数人と麟児、鳳雛を連れて出発する時金銀財宝と有り金を全部行李に詰めて家を出るとき麟児の乳母が付いてくるのを止め
『麟児は乳を飲まず人が多くても煩雑だから家に居なさい.』と斥けた.主人公は流刑に引かれて行き奥様は実家に行くという.誰もとやかく言う者が居る筈もない.董清は波止場で待っていた.県令赴任の行列らしく威儀も整い華やかである.董清は
『麟児は仇の子だから連れていってもしょうがない.早く殺してしまったほうが良い.』
と言い喬女も賛成して雪梅に
『麟児が大きくなれば私とお前が危なくなるからお前が江に投げて殺してしまえ.』と命じた.雪梅が麟児を抱いて川縁に沿って人の居ない所まで行き川に投げようとしたら何も知らない子供は天真爛漫にすやすやと寝ているではないか.雪梅は其の顔を見る瞬間良心の呵責を受け非情な心が挫け涙を止めど無く流し.
『謝婦人の恩義を受けていながら主人を謀叛して不幸に陥れ、今又其の子まで殺したら天罰は免れないと思い、草の茂みの中に寝かせて帰って
『麟児を江に投げたら見えつ隠れつしながら流れて行きました.』と報告した.
喬女と董清は大喜びで船に乗り酒宴を開いて琴を弾き歌を歌い晴れ晴れと赴任の旅をした.
一方劉翰林は良家の若殿、世間知らずの坊ちゃまで何時も錦衣玉食に慣れていたのがいきなり囹圄の身になり南の辺境まで流刑にされ其の苦難は筆舌につくし難い物があった.
あまっさえ幸州は水が悪く風土病の激しい土地であった.翰林は苦難の中でつくづくと後悔していた."謝氏は早く董清を近くに置かぬよう忠告したがそれが正しかった.俺が思い上がっていて賢妻の意見を無視した.嗚呼あの世に行って父祖に逢う面目もない."と嘆息を止まなかった.心の痛みと食べ物の粗末さ水の悪さなどが重なり病に付いてしまったがめぼしい薬とて無い所である.病気は日に日に重くなって行った.或る日夢現の中に一人の老婆が壜を持ってきて
『相公の病が重いです.この中の水を飲みなさい.』と言った.
『あなたはどなたですのに死に行く人を御救いになりますか.』と訊ねた.
『わらわは洞庭湖の君山に住むものです.』と答え壜を庭の真ん中に置いて去っていった.もっと詳しく聞こうとしたら夢から覚めた.明くる朝婢僕の爺やが「庭に水が湧いていますよ」と叫んでいるので戸を開けて見れば夢に老婆が壜を置いた其の場所から清い水が滾々と湧き出ていた.翰林は水を汲んでこさせ飲んで見たら水の味が良く胸がスッキリして頭が晴れ体に元気が戻るのを感じた.翰林は水を数回飲んだら病気が治り健康を回復した.水の奇跡は直ぐに評判になり村人皆が飲んで風土病が無くなった.水量も豊富で水を貰いに来る人が絶えなかった.土地の人は其の井戸を「学者井」と名づけた.其の井戸は今まで伝わっていると言う.
翰林危機一髪に命を助かる
董清は喬女を伴ない陳留県令に赴任してからは貪欲に人民を搾取し蓄財に狂奔した.
人間の欲には限りが無いもの、自分の私腹も肥やし出世の為厳崇に思い切り賄賂を使い自分の手腕を見せて、より高い地位に上るためであった.陳留は小さい所、如何に悪辣にしても財物が物足りない.それで厳崇に書状をあげて、
『陳留県令董清は叩頭再拝して丞相座下に書状を差し上げまする.小生は誠を尽くして丞相殿に仕えんと努めていますが何しろ地域が狭くて財物が少なく大して御役に立ち申しません.産物が多い南方の地方を治めれば誠意を尽くしてお役に立つように致す所存で御座います.』と書いた.厳崇は殊勝な奴だと気に入り陛下に謁見して.
『陳留県令董清は才能に長け政治を良くしますので大きな地方をお任せになれば如何でしょうか.お察し願います.』帝は其の意見を聞き入れ董清を「桂林太守」に任命した.
董清トントン拍子の出世である.
このころ天子は皇太子を冊封して大赦令を出し全国の罪人を釈放した.翰林も其の恩恵を蒙り自由の身になった.彼は王都に帰らず故郷の武昌に行って暫く休養をし、やがては故郷で自然を友に悠々と暮らす考えで武昌に向かった.6月の日照が暑く疲れてもいたので道端の木の陰で座りこみ一休みしながら武昌には土地もあるから家を整備し妻子を連れてきて農業をしようと考えていた.
其の時北の方から人の声騒がしく聞こえ幟や槍を持つ兵士の行列が現れ「ひかえろ、さがれ、」と道払いの声が近づいた.翰林は草叢に身を隠し行列を見て居たら一人の官員が金鞍白馬に高く跨り威風堂々と通って行く、良く見れば間違い無く董清である.驚いて"あ奴がどうしてあれほどの高官になったのか?"と考え、行列の規模から見て刺史や太守に違いない."されば俺を讒訴し厳崇に諂い出世をしたのだ"と判断し口惜しがった.行列には華やかに着飾った侍女10余人が七宝金を飾った駕籠を取り巻いて通っていた.行列が通りすぎた後藪から出て来た翰林は近くの食堂に入り昼飯を食い休んでいる時
向かいの店から一人の女が出て来て翰林を見て吃驚して目を見張り.
『旦那様が如何してここにお出でですか?』と聞いた.良く見れば雪梅である.驚いて
『俺は今大赦令で釈放され北え行く途中だがお前こそ如何してここまで来たのか?』
雪梅はそそくさと翰林の袖を引いて人の見えない木陰に連れて行き涙を流しながら
『その間の経緯を如何して一口に申し上げられましょう.先ほどの行列を誰のものと思し召しますか.』と問うた.
『董清が役人になって赴任するみたいだった.』
『はいそうです.後に続く駕籠の女は誰かと思し召しますか.』
『董清の家内だろう.』
『その董清の家内が喬氏です.小婢も一行に入っていますが馬から落ちて着替えをする為に店に入っていましたが御蔭で旦那様にお目に掛かるとは意外で御座います.』
翰林はあまりのショックに激動したが漸く心を静め
『世の中は実に測りがたいのう.兎に角詳しい話しを聞かしてくれ.』
雪梅は地べたに頭をつつき涙で語った.
『小婢天を欺き主人を叛いた罪は死んでも償えません.』
『お前の罪はさておきその間の事情を詳しく話して見よ.』
『謝婦人が婢僕に恩義でやさしく対されましたが小婢は臈梅の誘惑に落ち玉指輪を盗み喬氏に上げましたし又臈梅が掌珠を殺した時其の罪を謝婦人に被せたのも私で御座いますし全てが喬氏が董清と早くから私通し十娘と共謀した結果です.旦那様が流刑にされた直後喬氏は実家に行ってくるとの口実で金銀財宝を行李に詰めて董清のところに行き大っぴらに夫婦になっています.喬娘子は下の者に厳しく対し酷い刑罰を与えています.小婢も随分折檻を受けました.』と言いながら腕や足に残った焼き金の跡を見せた.
『謝婦人を叛いて喬女に付いたのは母を悪魔に売ったも同然です.何も弁えず臈梅に買収されたこと万死するとも惜しくありません.』とすすり泣く.翰林聞き終わり
『麟児はどうなったか.』
『喬女が董清のもとに走った時小婢に麟児坊ちゃまを川に投げろと命じましたが小婢其処までは出来ず川縁の草叢に隠して寝かせて喬女には川に投げたと偽りました.』
『麟児が若し生きていたらお前は俺の恩人だ.だが俺は淫らな女に欺かれ罪無き妻子を死地に追い込んだ馬鹿者だ.何の面目で生き延びられよう.』と嘆息した.
『一行が待ちますので長引くと疑われます.一語とだけ申し上げます.昨日鄂州で聞きますれば劉翰林の婦人が長沙に行く途中暴風雨に逢い死んだとか、いや死にゃしなかったとかの噂を聞きました.御体御大事になさいませ.』と言って走って行った.
喬女は雪梅の遅れた理由を糺した.
『なぜこんなに遅れたのか』
『はい、落ちた所が痛くて暫く休んでいました.』
然し疑い深く奸悪な喬女である雪梅と同行したものに聞いた.
『なぜこんなに遅れたのか』
『はい、雪梅が店で一人の男と会い話をしていました.』
『どういう男だったのか?身なりとか形、身分など詳しく申せ.』
『流刑から帰ってくる劉翰林といっていました.』
喬女は大いに驚き直ちに董清に相談した.董清亦驚き
『あ奴は南方の鬼になったと思うたに生きていたのか.あ奴が生きていたら私等が死ぬのだ』と言い、屈強な兵士数十人を選りだし厳命した.
『今すぐ劉延寿を追いかけ首を切って来い.賞金千両を懸ける.』
皆が力み出し飛び出して行った.雪梅は嘘がばれたので喬女に殺されるのを予見し家の裏の木に首を吊って死んだ.喬女は自分の手で殺せなかったのを悔しがり地団太を踏んだ.
翰林は道を歩きながら考える."俺は淫婦の狡猾な手段にまどわかされ賢妻を捨て吾が子までも失い一身に拠り所もない万古の罪人である.吾あの世え行き何の面目で妻子に会えよう."と嘆息しながら鄂州の地に至り川辺をさまよいながら会う人毎に謝婦人の事を聞いたが皆が知らないと言ったが一人の老人が
『数年前に一人の婦人が二人の女を連れて岳陽楼にのぼり夜を過ごして長沙方面に向かったがその後は知りません.』と言った.
翰林は哀しみに沈みながら道を歩いていたらふと道端の松ノ木を削って字を書いたのを発見した.見れば"某年某月某日に謝氏貞玉はこの地で涙ながらに水に身を投げて死す."と書いてあった.翰林はそれを見て慟哭するうち気絶したのを従者が慌てて介抱をし目を覚ましたが哀しみに堪えず溜め息をして."婦人の徳行賢淑であったのに斯くも惨めに死んだのか、ああ悲しいことだ.吾祭りでも挙げて上げよう."と近くの酒楼に入り部屋を借りて祭文を書くとき涙が込み上げ目の前をふさぐのだった.
突然外が騒がしく一群の兵士が酒店になだれ込み怒鳴り声がして
『劉延寿のみを捕まえ他の者には手を出すな.』という声が聞こえた.
翰林大いに驚いて裏門から飛び出し方角もわきまえず唯ひたすらに逃げて行くときいくらも行かぬうち道が切れ川が前を塞いだ.後方では
『遠くには行っていない逃がすな.』と叫び声が聞こえる.
進退きわまった翰林は天を仰ぎ嘆息して曰く
『吾は無実な妻に重罪を被せて追い出した者だ.どうして天罰がなかろうか.敵に捕らわれて死ぬより自ら水に身を投げよう.』と水際に行き身を投げようとするとき舟を漕ぐ艪の音が聞こえた.
一方謝婦人は妙恵の水月庵に留まり暮らしていたが或日妙恵に
『以前尊舅夢に現れ "某年某月望日に舟を白蘋州に浮かべ危急な人を救え" と仰せられましたが今日がその日ですから行こうと存じます』 と言った.妙恵も了承し
『小僧が行って参りますから婦人は汀でお待ち下さい』と、舟を用意して夕暮れ時に庵の尼僧に舟を漕がせて白蘋州に行った.翰林が聞いた艪の音は妙恵の舟であったのである.翰林が急いで水際に行き眺めれば二人の女性が歌を歌いながら悠々と舟を漕いて近づいた.
その歌に
禄水明水月 蒼波に月は明るく
南湖採白蘋 南の湖で浮き草を取る
荷花嬌欲語 蓮の花は美しい姿を見せたがり
愁殺蕩舟人 舟を漕ぐ者虚しさに浸かる
もう一人の女性はこれに答えて
江南春己暮 江南に日は暮れて
汀州採白蓮 水のほとりで蓮花を採る
洞庭有帰客 洞庭湖に人有りて
瀟湘逢故人 瀟湘で故人と逢う
翰林が大声で呼びかけた.
『江上の仙女よ危急の者を助けて下されよ』
妙恵舟をつけ翰林が急いで船にあがった.
『後ろに賊が追いかけて来ています.早く船を出して下さい.』
妙恵速やかに竿を押して船は離れた.一団の群れが岸辺に押し寄せ
『船を戻せ、そこに乗っている者は凶悪な殺人犯で桂林太守殿の逮捕令が出ているのだ.舟をここえつけたら重賞を与えるぞ』と叫んだ.
翰林はそれを聞いて董清が遣わした者共と悟り女船主に言う.
『私は劉翰林という者です.あ奴等は盗賊です.』
妙恵は艪を早く漕ぎ帆を揚げて歌で聞かす.
"蒼梧山夜空に月は明るく九疑山に雲が散る.あそこに行く俗客は独行千里何事か.徒に行くのみ哉."
翰林はその時は妙恵の歌の意味を解からないまま君山の波止場に船が着いたら白衣の女性が翰林を迎えて悲しく泣くのでよく見たらほかならぬ謝婦人である.悲しくも嬉しい懐かしい感慨がこみ上げ人目も憚らず抱きしめ慟哭をしたのち翰林が
『ここで逢うとは本当に以外です.』と嘆息して曰く
『吾おもてを上げ婦人にまみえるに恥ずかしさに堪えません.何を申しましょう.然し婦人は延寿の愚かなるをお聞き下さい.』と前置きし、婦人が家を離れた後の数々の出来事、喬女十娘と図り呪符を埋め込み、董清と情を交わし董清丞相厳崇に讒訴して流刑になったこと赦免を受け帰る途中董清の行列と雪梅に逢い雪梅が玉指輪を盗み出しそれを喬女が董清にさらに冷辰にやり冷辰が自分に近づき玉指輪を見せさも謝氏と深い情交をかわしたが別れるに際し形見として貰った物だと偽ったことを話し自分は愚かにもそれを信じていたことを告白した.
謝氏は涙ながらに
『相公がその話しを仰せられなかったらわらわは九天に参りましても目を閉じられなかったでしょう.』 翰林は更に、掌珠を殺し雪梅に春芳の仕業だと証言させ結局謝婦人に罪をかぶせた事、喬女が家の金銀宝石を皆持ち出して董清について行った事を話した.
謝氏は黙って聞いているだけであった.翰林は深く溜め息をつき
『他のことは仕方が無いとして麟児は父母を失い川の水に溺れて死んだようでそれが悲しくてたまりません.』と言いながら涙を限りなく流した.謝婦人はこの話しを聞き"ああっ"と一言叫んでは気絶した.
翰林は介抱して蘇らせ亦続ける.
『雪梅の話しによればあまりの罪深さに川に投げ得ず叢に置いたと言いましたが天の助けて生きていればと願うのみです.』謝氏涙にて
『雪梅の話しを如何に信じましょう.また叢に置いたとて如何に生きるを望めましょう.』と哀しみに浸かった.翰林はまた
『懐沙亭の松ノ木に書かれた婦人の筆跡を見て婦人が水に身を投げたと思い道端の酒店で慰霊の祭文を書いているとき董清の追っ手に捕まえられる寸前に思いもかけず婦人の助けを受け生き延びましたが婦人はどうしてここに来て、又如何して船を出して私を助けたのですか?』 謝氏は
『わらわが先山墓下に居た時賊が偽造の手紙をよこして誘拐される前の晩夢に舅さまが現れ某年某月某日に白蘋州に舟をつけて危急な人を救えと仰された話しとその後の経緯を話し
『幸いにこの尼僧さまにお会いし今までお世話になっていますし今日も尼僧様のお陰であなたを助けましたし、懐沙亭の木に書いたのはわらわが死ぬためでしたが和尚様のお助けで今まで命を保っていますけれども.ここで相公と回り逢おうとは思いもしませんでした.』と妙恵を紹介した.翰林は溜め息をつき
『吾ら夫婦は妙恵大師の救命のご恩を受けております.』と丁寧にお辞儀をして
『大師は羽化庵の妙恵様でしたね.元々吾ら夫婦の婚礼のときにお世話になり又私らの命を死ぬ寸前お救いくださいました.大師様は正に天が吾ら夫婦のためにお遣わしになったお方でございます.』妙恵は
『相公と婦人の天命が尊いからでして小僧の功ではございません.ここは長話をするには相応しく御座いませぬゆえ庵子に行きましょう.』と翰林を案内して水月庵に上がり部屋に通しお茶を上げ小婢と乳母も歓迎の挨拶をした.翰林は謝氏に、
『私は虎口は逃れましたが身を寄せる所も有りません.これから武昌に参り土地や家屋を整備して京に上り家廟を武昌に移して婦人に過ぎし罪をおぎなう所存です.一緒に同行されるが如何でしょうか』謝氏は
『相公がわらわを退けなさぬならば喜んでお受け致しますがわらわが家を黜去する時一家眷属を集め父祖の霊前に報告をしました.今わらわは人前に顔を出す面目が御座いません.黜去した者が戻るにもそれ相応の儀礼が有るはずです.礼法に従い行うのが宜しかろうと存じます.』 翰林は素直にあやまった.
『私の考えが足りませんでした.家廟を移し申し、麟児の消息も探して引き取り、礼を整えて迎えに参ります.』 婦人は
『然しながら相公は文弱な独り身、若し賊にでも逢えば危険ですから特にご注意あそばせ.董清が相公を捕らえ損ねましたから必ずや賊を放ち危害を加えるはずです.願わくば偽名をお使いなさいませ.』
翰林は承知し謝婦人と妙恵に別れを告げて行った.数日をかけて武昌の故郷に着き財産を整理し家廟と住宅を修築し農業を営む準備をした.
翰林江西省伯になる
董清は喬女を連れて桂林に赴任の途中劉翰林が赦免され帰ると聞き大いに驚いて将校を派遣して"首を斬って来い"と命令したが将校たちが失敗して戻ってきた.
董清と喬女はなお驚いて."劉延寿が京に入れば我等の罪を皇帝に上奏し恨みを晴らすはずだから安心して居られない.必ずや殺さなければならない."と決心し将校等を督励し
『劉延寿を探して必ず息の根を止めて参れ.』と厳命して更に送った.
このころ冷辰は身の拠り所が無く困っていて考えた. "董清が大きな地方の太守になったからそこえ行って世話になろう."と思い桂林に行き董清を訪ねた. 董清と冷辰は同じ穴の狢である.気心の知れた相棒だから大歓迎して心腹に使い人民の収奪に励んだ.たちまち董清の評判は悪くなった.然し丞相厳崇の権力を恐れ誰も異議を唱える者が居なかった.喬女は桂林に行って間もなく息子鳳雛が病を得て死んだ.喬女は哀しみに浸かった.董清は仕事が忙しく喬女を慰める暇もなく各地を歩き巡った.
冷辰が内部の切り回しを引き受けていたので喬女とも近づく機会が多く終に喬女と冷辰が私通した.色気の多い喬女は若い冷辰に抱かれて思い切り欲情を燃やした.あだかも劉府にて董清と私通したのと同じ状況である.
董清は丞相厳崇に益々深く取り入るべく金十万両を揃え冷辰に丞相厳崇の誕生祝に贈った.冷辰が十万両の大金を護送して京に入ったとき、天子が丞相厳崇が貪欲に財物を掻き集め政務を壟断するのを知り削奪官職して投獄し、すべての財産を没収したことを知った.世の中が変わってしまったのである.
目先の敏い冷辰は考えた.
厳崇に贈る大金を持っていることが知れたら忽ち捕らえられて投獄処刑されるのが落ちである. かといって十万両の大金を桂林まで持って帰るのも馬鹿らしい事だ.厳崇が失脚した今、董清の将来も先が見えている.さればこの機会に董清の不正を官に告発すれば、贔屓の綱が切れた董清は救われないであろう. 十万両も持っていれば何処え行っても安楽に暮らせると判断して、登聞鼓を打って桂林太守董清を告発した.
董清は喬女と私通して劉延寿を裏切ったが今度は冷辰が喬女と私通し董清を裏切った.質の悪いものどものやることは自分の利益のためには義理などは考えないのだ.
『私は北方のものでたまたま南の地方に行きましたが桂林太守董清が悪辣で虐政をしているのみならず百姓は勿論、旅人のお金も巻き上げていました.』と言い、自分が知っている詳細を記録に認め差し出した.係官はこの事を皇帝に報告した.皇帝は大いに怒り直ちに"桂林太守董清を逮捕して投獄せよ"と厳命を出し一方調査官を桂林に急派して真相を調べさせた結果、冷辰の告訴と違いが無いので市内の広場に引き出して貪官汚吏の標本として斬首し家産を押収したら黄金4万両に金珠宝貝が数え切れず出たと言う.
冷辰は逸早く桂林に人をやり喬女を連れてきたが賑やかな京に居て人目につくのを避けるため山東地方に向かって出発した.馬車には十万両の大金が積んであり喬女も金銀宝石をいっばい持っている.これだけあれば何処か景色の良いところに落ち着いて豪族として充分威勢良く暮らすことが出来る.董清は処刑されたし劉翰林は行方不明である.もう世に憚る者は居ない.俺の世の中になったのだ.
福の神は舞い込んで居るし側には美人の喬女が愛嬌を振りまいて尽くしてくれる.冷辰は機嫌が良かった.途中或旅館で酒を飲んで寛いだ.好い気分で二人がさしつさされつ飲んでいる内大酔して重なって寝転んだ.馬車を馭していた車夫の鄭大寛と言う者は元々盗賊であった.冷辰の荷物が皆金貨であるのを鋭い勘で知っていた.この時とばかり喬女の宝石まで盗んで闇の中に逃げて行った.朝目がさめた二人は荷物が無くなったのに気がついて探したが馬車も車夫も居ない.仕方なしに官憲に訴えたが捕らえられなかった.十万金のおお金持ちが一夜のうちに元の木阿弥、無一文になったのである.
天子は朝会のとき地方長官えの行政査察の報告を聞くとき董清の罪状を聞いて.
『この者は誰が推薦した者か』
『厳崇が推薦しまして陳留県令になりすぐに桂林太守になった者です.』
『されば厳崇が推薦したものは皆不届き者だ.反対に奴が排斥したものは皆真の忠臣である.』と吏府に命じて厳崇が推薦した者数百人をみな免職させ彼が排斥したものは呼び寄せるようにした.先に免職された諫議太侯徐園世を都御史に任命し、翰林学士劉延寿を吏府侍郎に任命し、また科挙を開き広く人材を集めるようにした.
このとき謝給事の子で謝婦人の弟、謝喜郎は参榜の役を務めていた.
謝公子(喜郎)は姉が急に南方に行った為その後の便りもわからず姉のことを心配していた.一時は蜀中まで杜推官を尋ねてみようとも思ったがそれもままならず気を揉んでいた.最近杜推官が順天府使に転じて一応上京するとの話しを聞き又科挙の日も近づいたので応試の準備をしながら杜推官の上京を待って杜府を訪れ杜推官に逢い姉の消息を聞いた.杜推官は沈痛の面持ちで
『実は私も消息を知りませぬ.私が長沙に居るとき姉上が南行きの船に乗り私に頼ろうとしたが中途で難儀をし水に身を投げられたとの噂を聞いて人を出して調べさせましたが雲を掴むような話しのみでした.その中には劉翰林が通り掛かりに妻が投身の間際に書き残した筆跡を見て哀しみに堪えず祭りを挙げんとする時一団の盗賊に襲われ逃げて行ったがその後の行方がわからずに居ます.今朝廷でも劉翰林を探していますが未だに知り申さぬありさまで御座る.』話しを聞いた謝公子は
『されば義兄と姉はすでにこの世にはおわせぬので御座ります.』と慟哭した.
謝公子は科挙に応試して合格した.天子は彼に江西省南昌府の推官に任命した.
南昌は長沙に近いところである.謝公子は推官を授かったのもありがたいが姉の行方を調べられるのが嬉しく直ちに家族を連れて赴任した.
一方劉翰林は本名を隠して偽名を名乗って居たから知る者が居なかった.農業に精を出して糧穀を水月庵に送り"近況を聞いて参れ"と言いつけた.使いのものが帰って言うのに
『奥様はご無事でおられますし、鄂州官衙に榜が貼ってありそこにはお国で旦那様を探すと書いていました.人に聞いてみたら天子様が旦那様を吏府侍郎に任命されたが本人が現れないので各地に榜を貼り、探しているのだそうですけれど小僕は何も言えず黙って帰りました.』と報告した.翰林は考えた. "厳崇が居たなら俺に吏府侍郎が回ってくるはずが無い.これは厳崇が失脚したのだ"と判断し武昌府に出頭して太守に会った.
太守大いに喜び丁寧に迎えて曰く.
『天子が先生を吏府侍郎に任命されまして出仕をお待ちしておられます.今まで何処え居られましたか.』
『小生は名前を変えて隠れていましたが陛下が厳崇を逐出し小生をお呼びとの話しを承り参りました.』と答えた.
翰林は君山に使いを出して謝婦人に王命を伝えて置き、出仕が遅れたので駅馬を利用して上京した.途中南昌府の駅に泊まる時、一人の官員が訪ねてきた.名刺には 「謝景顔」とある.初めは良く知らなかったが官員が涙を止めど無く流し喉が詰まって言葉が出ない様子、訝しく思い訳を聞けば.
『姉上の行方を知らずやるせない気持ちで居ましたが、義兄をお目にかかり悲しさと嬉しさが重なりつい涙をお見せしました.』 と言う.侍郎は初めて義弟であるを知り手を取り喜びながらも嘆息して.
『俺が昏闇して無実な姉上を追い出し妖婦の奸計に嵌まり苦しんだことは話すのもいまいましい.俺は自業自得なれど姉上には申し訳無いことをした.幸い姉上は尼僧の妙恵の助けを受けて今君山の水月庵に無事に居ますから心配しないで下され.』
『姉上が生きているのは義兄上の幸運であり妙恵のご恩で御座います.』
『皆に心の傷を与え申し訳無い.天の恵みが有り難いのみだ.もう心配しなさるな.』
二人は酒を酌み交わし積もった話しを夜が更けるまでして別れた.
侍郎は京に上り天子に謁見して謝恩した.天子は前のことを後悔された.侍郎は畏れ多きお言葉に叩頭謝礼し.
『聖恩限りなく存じ上げまするが微臣能力が未だ微弱でして大任を担いかねまする.』(*:吏府侍郎は内務次官級)
『されば卿の意を汲み江西省伯(江西省の省長)に任ずる.
人心を察し善征せよ.』
劉延寿江西省伯を拝受して本宅に来て見れば家は荒れ庭には雑草が茂り廃家の如き有り様であった.悲しみに堪えず祀堂に慟哭謝罪した後、家を出て杜府に行き杜婦人に逢いその間の過ちを謝罪した.杜婦人も涙を流しながら慰めて言う.
『わらわが生きていて賢甥に再会出来て嬉しいが祖宗の亨祀を久しく廃しています.その罪を如何にしますか.』翰林謝罪して曰く
『小甥の罪は万死に当たりますが、それでも幸い夫婦が再び合いましたのでお許しを願います.』 婦人は喜び
『これ皆あなたの厄運です.昔から"賢人は福を頂き、悪人は災いに逢う"と言っています.あまり自責なさるな.』
翰林はその間の経緯を詳細おばに話した.杜婦人涙をぬぐい、
『世の中にかようなことが又とありましょうか.』と感嘆して止まなかった.
劉府には主人が戻ったので一家親戚が再会を喜び江西省伯に任命されたのを祝福した.伯が家廟に焚香し祖先の位牌を奉り江西に向け出発の準備を急いだ.杜婦人は謝氏がその場に居ないのを惜しがり涙ぐんだ.謝推官が姉を連れてくることを話し劉省伯が
『その方が君山に行って連れて来なさい.吾は江西の川辺で待ちます.』と言った.
謝推官は喜んで君山に向かった.ついで江西省伯の行列が動いた.
謝推官は君山に至り久し振りに姉弟が回り逢った.死んだのではないかと心を揉んでいた姉と弟の邂逅は悲しみと憂いを喜びに変え手を取り合い過ぎし日の話しが尽きぬようであった.謝公子が科挙に合格して南昌府の推官になったこと、劉翰林が南昌府がある江西省の方伯に任命されたことに喜んだ.謝推官は姉に劉翰林の書状を渡した.書状には謝公子と一緒に江西に来る様にとの内容であった.謝氏は妙恵に其の間の変化を説明し夫の所に行くことを告げ改めて感謝を述べ礼物を差し上げた.
翌る朝謝婦人が謝推官と劉翰林の許に帰るとき妙恵を初め庵子の尼僧全員が水際まで送り妙恵と謝氏は別れを惜しみ握った手を離せずに居た.
舟を江西の港に着けば方伯があらかじめ来て待っていた.岸辺に絹の幔幕を巡らし玉節紅旗並び立て方伯婦人の到来を歓迎して居た.謝氏上陸して幕内に入り方伯と挨拶を交わすと侍婢が新しく仕立てた着物を上げ、謝氏は7年間纏った白装束を脱ぎ捨て華服に着替えた.一応貴婦人のみなりに整えた謝婦人は持って生まれた美貌と教養による気品が人々を感嘆させた.やがて府中に入り夫婦が並んで家廟に拝礼して再び夫婦に和合したことを告げた.其の祝文には真心がこもり陪席の諸人を感動させた.方伯夫婦は愛子麟児の行方を探したが解からないまま
10年の歳月が過ぎて行った.
事必ず正に帰る
光陰は矢の如く月日に関守無しとか、劉翰林が江西省の長官を勤めてはや10年の歳月が過ぎた.彼は忠義を尽くし万事を公平に正しく処理したので皇帝の信任も篤く人民にも人気があった.
個人的には妻の謝婦人を愛し睦ましく暮らしたが只ひとつ独り子の麟の行方をわからず生死すら確かでないのが悩みであった.
ある日謝婦人は劉省伯に
『わらわが前日人を間違えて推挙した為家内に大乱を招きまして痛憤に堪えませぬが妾の歳40に至りましたし、10年間も生産出来ませぬのでもう一度相公に淑女を薦挙しようと思います.』 劉省伯は
『婦人の考えも理解は出来ますが前日喬女に惑わかされたのにも懲りましたし麟児の生死も不明な恨みが骨髄に透り二度と雑人を家に入れたくありません.』と断った.
『わらわとてそれを知らぬわけは御座りませぬが麟児の生死がわかりませぬし将来後継ぎが居なければ地下に参りましても祖先に対する面目が立ちませぬ.』
『それでも未だ婦人は断産には至っていませぬ.かような不吉な事は言いなさるな.』
謝婦人が悶々としているうち以前南に逃避するとき暴風に逢い2,3日海岸の小さな家に泊まったとき其の家の少女の貞淑さに感嘆したことを思い出し又それが妙恵の甥であることにも思いが至り"今は成人に成ったはず"と懐かしくなった.
謝氏は劉省伯に前の日逃避中に老いた卑僕が死んだとき埋めてやれなかった事、黄陵廟の修築を約束したことを話し助けを求めた.劉省伯は直ちに部下を派遣して老僕仮墓を捜して安葬してやり、黄陵廟を修築し、なお其のとき世話になった林氏と妙恵に金帛を充分に贈った.妙恵はその金子で水月庵を重修し入り口に石塔を立て名を婦人塔と付けた.
当時謝婦人をお供した侍婢順礼が使いとして華容県の林家を訪ねたら、継母辺氏は既に死に、成長した娘子が独りで居た.林氏は訝しげに
『どなたですか?』と問う
『お忘れですか.私は以前謝婦人をお供して長沙に行った侍婢の順礼です.』
『ああ思い出しました.どうぞお上がり下さい.』と言って迎え入れ謝婦人の安否を聞いた.順礼は謝婦人のその間の苦難と陋名が晴れ、本家に戻り、旦那様が江西省伯になり今は江西におられる話しをしたら林娘子は大いに喜び祝賀を申し上げた.順礼は持って来た綵緞と書簡を渡した.林娘子は恭しく拝受し書簡を開けてみれば親身な情誼が溢れていた.林娘子感激して再びお目に掛かりたいと願った.
さて、雪梅が麟児をとても江に投げるに忍びずかわべりの叢に置いて帰ってから麟児が目を覚まして周囲に誰も居ないので大声で泣いた.それを南京に商いに往来する舟の船頭が発見して抱き上げて見たら幼児があまりにも可愛いので拾って行ったが華容県の辺りで暴風に逢い幼児を陸地に下ろしておいて行ってしまった.二度捨てられたわけである.
其のとき林家の娘、継母の辺氏と寝ていたが江べりに奇異な光が射しているのに驚いて目を覚ましたら夢であった.不思議に思いかわべりに行って見たら幼児が捨てられている.抱き上げて帰った.部屋に明かりを点けて見れば幼児が眉目秀麗である.起き上がった母の辺氏も大いに喜び大事に育てるうちに辺氏が死に葬儀のとき林娘子の弟が好男児なるを見て婚礼を申し込んだ人も居たが姉が未だ嫁入り前だと断り姉弟で仲良く暮らしていた.
順礼が帰り謝婦人に華容県に行き林娘子を訪れたいきさつを詳らかに報告した.謝婦人は劉省伯に
『わらわが長沙に行くとき華容県の蓮花村で嵐を避けたとき林家の娘子を見たときその立ち居振舞いが貞淑で容貌また美しく感嘆しましたが其の娘子を家に迎えて家事を任したく存じます.』と請い、劉省伯も仕方なく許した.
謝婦人は侍婢と駕籠を送り林氏を連れてくるようにした.使いの者が林氏にこの旨を伝えれば林氏も喜び、手回り品を大まかに整理して、弟を伴ない江西府に入り謝婦人と嬉しい再会をした.謝氏は親戚を集め宴会を開き林娘子を翰林の側室にした.劉省伯娘子を見れば容貌美しく淑やかで気に入った.婦人に曰く
『林氏が美しく徳性亦顕著して気に入りましたがそれが為若しや婦人への情が薄れるかが心配になりますよ.』と常に無く冗談を言う.婦人は微笑むのみで答えずに居た.
ある日麟児の乳母が林氏を訪れ涙ぐみながら林氏に頼んだ.
『侍婢に聞きますれば婦人の弟様がうちの坊ちゃまに似ていると言っていますから一度お目に掛かりとう御座います.』林氏は訝しく思い
『坊ちゃまを何処でなくしたのですか?』
『はい、順天府でなくしたそうです.』
『順天府でなくした坊やが千里も離れた南京に居たとは思われませんよ.』と言いながら弟を呼び寄せた.乳母が見たら麟児坊やの幼い時の面影がそのまま残っているので嬉し涙を止めど無く流した.林氏見ていて
『この子は母の生まれではなく某年某月某日に捨て子を拾って来たのです.顔に尊さがあるのを感じ弟として育てましたが坊ちゃまに似ているとなれば何か曰くがあるのかもしれませんね.』
少年は乳母をひとしきり見つめていたが
『乳母は私に見覚えが無いのか?』乳母がこの話しを聞いて感涙にくずれ
『これはうちの坊ちゃまに違い有りません.でなければ如何して私を覚えているでしょうか.』と言い、少年を待たせてすぐに謝婦人のところにとんで行った.謝婦人乳母の話しを聞いてあたふたと林氏の所え来て少年に
『お前はわらわを覚えているか?』少年は謝婦人を見つめていたが急に泣き出しながら
『母上は少子を覚えておられませぬか.母上が家を出てからいつも母上を想っていましたが継母に連れられて遠くに行きましたが私が寝ている間に川辺の叢に捨てまして目を覚まして泣いていたら通り掛かりの舟に拾われて行く途中に又捨てて行きました.其のとき姉さんに拾われて親身に育てて下さいましたところ思いもかけずここえ来て母上にお目に掛かり、もう死んでも恨みは御座いません.』と言いながらしゃくりあげた.
謝婦人これを聞いて如狂如酔(超感激)し少年に育った麟児を抱きしめ大声慟哭し
『おお、これが夢ですか現ですか.再び逢えないと思っていましたのにお前に会えるとは天のお助けです.』
直ちに省伯に知らせた.省伯も急いで来て謝婦人に麟児再会の話しを聞き大いに喜び且つ感激して止まなかった.省伯は林氏を褒め丁寧に礼を述べた.
『今日吾父子が再会し生涯の遺恨が晴れたのは皆あなたのお陰です.実に大きな恩を受けました.これで心の恨みが晴れました.ありがとう御座います.』
林氏恐縮して頭を下げ
『今日の父子相逢は祖先のお守りですし、謝婦人の請願を神仏がお聞きになったのです.小人は只お使いをしたに過ぎません.』省伯も頷いた.
麟児は幼少の時より尚一層英知と凛々しい気性が漲っていた.家中のものはもとより一家郎党、役所のものまで祝賀し麟児の雄々しさを褒め称えた.
又林氏にも謝婦人に次ぐ礼儀を持って対し林氏亦謝婦人に誠を込めて仕えた.これで劉延寿の家庭はいつも和やかで情愛が深い平和な雰囲気に変わった.
さて、喬女は冷辰と永住の地を探して十万両の大金を持って山東方面に行く途中持ち物全部を盗まれた後、冷辰は蛇の道は蛇で其の地方の盗賊の群れに入り込み持ち逃げした車夫を探したがこの付近の者でもないしこの近所でうろうろしている筈も無く、遠くに逃げ去った後で探しようが無い.やむなく冷辰は盗賊の仲間になり本業に戻ったわけだが、もとより頭の利く冷辰である.たちまち頭角をあらわし頭になり荒稼ぎをしたが悪運尽きて捕らえられ賊の魁首として処刑されてしまった.
人から盗み取った他人のお金で贅沢に暮らしていた喬女も身の危険を感じて逃れ、徐州に流れ着き美貌をもとてに娼妓に落ち青楼に身を託して名前を"七娘"と変え淫らな手練手管で徐州の人々のお金を巻き上げていた.喬女は奇怪にも身を売りながらも"自分は翰林学士の婦人だ"と公言し、それが亦評判を呼び喬女は徐州の有名人(?)になった.
謝推官の従僕がたまたま徐州に来て"翰林学士婦人娼妓七娘"の話しを聞き好奇心が動いて妓楼の客になり七娘を呼んでみたら間違いなく喬女ではないか.従僕が謝推官に報告し謝推官は直ちに義兄の江西省伯にこの事を報らせた.
劉省伯は大いに怒りこの事を謝婦人に告げて
『余は喬女を捕らえられなくて遺恨に思いましたが居所が判ったので必ず妖女を捕らえ恨みを晴らすつもりです.』
謝婦人もことさらに喬女えの憎念が蘇えり雪恨の意を固めた.
劉省伯は麟児を探した後、心の悩みが解消し政務に打ち込み人民が各々その職に励み社会が安定し平和を謳歌した.天子この話しを聞いて劉省伯を礼府尚書(大臣)に昇進させた.
劉尚書は一家を率いで京に向かった.途中徐州を通る時一泊して喬女の在りかを確認し其の地の媒婆を呼んで充分な金子を与え娼婦七娘にしかじかするよう詳しく言い含めた.
媒婆は七娘に逢い
『今礼府尚書に任命されて京に上るえらい旦那が花魁の芳名を聞いて貴方を妓楼から引き取り側室にしたいと申されていますよ.下女の話しによれば奥方は病で女の勤めも出来ないらしいの.そこえ入れば奥方と変わり無いのよ.ほんとに玉の輿ですわ.ご身分が変わるのよ.女冥利に尽きると言うものだわ.』
喬女は考えた."私は今のままでも不足はないが歳が重なるのが問題だ.生涯の保証を考えざるを得ない.尚書の妾なら不足は無いわ."との結論で快く承諾した.媒婆は
『旦那様は本宅に入ってから奥方様立ち会いの上娶妾の儀礼を上げるそうで、貴方を行列の後に付いてくるように仰せられました.』
『それも良いでしょう』
そうして喬女の乗った駕籠を行列から間を置いて離していながら護衛の武士の監視のもとに置いた.京に着いてからも別の家で儀式の準備が出来るまで待たせた.
劉尚書は宮廷に出仕して皇帝に伺候し謝恩粛拝をし帝より慰労と激励のお言葉を賜わり御前を辞退した.
家に帰り一族を召集して祝宴を開いた.勿論叔母の杜婦人も上席に参席頂いている.謝氏は杜婦人に林氏を紹介して.
『この人は喬女とは違いますので宜しくお引き立て願います.』
と申し上げた.杜婦人は
『善良なれど関わりませぬ.』とそっけなく言う.
尚書は杜婦人に
『叔母上、今度の道中で名唱を拾ってまいりました.ご覧下さいませ.』と申し侍従の武士に七娘を連れて参るよう命じた.
武士は七娘のもとに行き儀式の準備が出来たからお呼びですと伝え駕籠に乗せて本宅に連れて来た.
喬女が見たら劉翰林の邸宅である、驚いて供の侍婢に
『ここは劉翰林の宅なのに如何してここえ来るの?』と聞いた.
『劉翰林は流刑されて帰らないのでうちの旦那が使っています.』と答えた.喬女はホット胸をなでおろし"私はこの家に因縁があるみたい.それでは今度も百子堂に住まおう"と独り思った.玄関に入ってから布を垂れて顔を隠し侍婢が両脇から喬女の腕を抱え内堂の広い庭に入った.在る場所まで来て侍婢が顔を隠した布をはらりと取り除け.
『旦那様と奥方様にお目通りしなさい.』と言う.
喬女顔を上げてみればなんと其処には劉翰林と謝婦人、劉氏一家がずらりと並んでいるではないか.喬女は瞬間雷に打たれたようなショックを受け、地べたに崩折れてわなわなと体を震わせて泣きながら『助けてください、命だけは助けてください.』と叫んだ.
劉尚書激怒し
『淫乱な妖婦め.お前の罪を知っているのか?』と怒鳴った.
『万々承知していますが罪をお許し下さいませ.』尚書は
『お前の罪は一つ二つではない.淫婦は良く聞け.初めに婦人がお前に女のたしなみを教えるため淫乱な歌舞を戒めたのにお前は返って俺に讒訴し吾を惑わかしたのが罪の一つ.十娘と相組み吾を騙したのが罪の二つ.陰険な婢女と党をなしたのが罪の三つ.自ら放悉してそれを婦人がした如くなぞりつけたのが罪の四つ.董清と姦通し家門を汚したのが罪の五つ.玉指輪を盗み冷辰にやり婦人があだかも不倫をした如く吾を信じさせたのが罪の六つ.自分の子を殺して罪を婦人に被せたのが罪の七つ.姦夫と共謀し家夫を死地に流刑にさせたのが罪の八つ.麟児を川に投げ殺そうとしたのが罪の九つ.漸く命を保ち帰ってくる吾を殺そうとしたのが罪の十だ.天地間にかくも大罪を侵してなお生きるを願うのか?』と大喝した.
喬女は泣きながら
『皆が私の罪ですが掌珠を殺したのは臈梅で、冷辰を送り、厳崇に讒訴したのは董清のことです.』と言い訳し、謝婦人に
『私が婦人を裏切りましたが婦人はお慈悲を持って践妾の命を助けてくださいませ.』婦人は涙ぐみながら
『そのほうがわらわにした罪は許せても、夫や子供にした罪は許せません.』と断固と断った.尚書は侍従に
『あの女の腹を割り肝を取り出して持って参れ.』と命じた.
謝婦人は尚書に
『罪は重いですが久しく相公に仕えた身ですので死体だけでも全うするようお計らい願います.』と請うた.尚書も感動し市場に連れだし万人の目前で罪状を読み上げ打ち殺した.
謝婦人は春芳が無実に掌珠殺しの罪を受け惨死したのを哀れみその死体を捜して埋めてやり、十娘を罰すべく探したが既に他の罪で捕らえられ獄死した後だった.
林氏が劉府に入ってから10年の間に3人の息子を生んだ.
3人とも玉骨仙風の美丈夫で長子は名を「熊」、次子は「駿」、3子は「鸞」と付けた.3人とも秀才である.
天子は劉尚書を左丞相に昇進させた.主席副総理である.
皇后亦謝婦人の清徳をお聞きになりしばしばお側に呼び親しくお話しを交われたので劉門は栄光に輝いた.
又謝推官も順調に昇進し家門を大いに興した.
丞相夫婦は80歳を越すまで安らかに暮らした.大公子麟は兵府尚書に至り、劉熊は吏府侍郎、劉駿は戸府侍郎、劉鸞は太常卿(儀典長)になったので林氏も福禄が無窮にして嫁と多くの孫を率い謝婦人に良く仕えた.謝婦人は「内訓」10編(歴代皇后の美談、逸話)、「烈女伝」3巻を著し世に広めた.
おわり