快傑 洪吉童伝
(HONG Kiltong:ホンキルトン)

著者 : 許キン(竹冠に均)
1569〜1618、李朝中期の宣祖〜光海君時代の文人.
号は蛟山、左参判(次官級)を勤めた許曄の三男である.
庶類の文人等と交友が多かったが逆賊のかどで処刑された.

解説
洪吉童伝は韓国では有名な古典小説である.
封建貴族社会の矛盾により庶民の苦しみが多かった.
それが文学とか歌、踊りなどの芸術として多く伝えられている.
同じ父の子供でありながら下女が生んだ子は父をおとうさんと呼んだらいけない.
ナーリ(旦那さん)と呼ばねばならない.自分のことは'小子'では無く'小人'である.
今考えるとばかげたことだと思うけどそれが其の時代の社会秩序であったのである.
父である士族は自分の子には違いないから別に部屋を与え学問も教え、他の婢僕の子のように働かせはしなかった. それだけが他の奴隷と違うところである.
だからインテリ無職者になるしかない. 母が主人に可愛がられるお陰で一生遊んで暮らせるから結構な身分とも言えるが、いくら貴族の血筋を引いていても所詮は"奴隷"でしかないのだ.だから血気盛んな青年の立場では欲求不満になるのも当然である. 主人の血筋でも主人の家族には入らない. だからといって主人の子だから奴隷とも言えない.したがって主人の側からも下僕の側からもよけ者にされる.厄介者な存在になるだけである.
元々父の戸籍には入れないで婢僕の籍に入っている.母が女婢の誰それだと乗っているだけておやじの名前は無く"父不明"と書いて、女の私生児にしている.だから正式の家族ではなく中途半端な身分で「庶子」と言った. 
家族としては扱われない. <奴隷の子は奴隷だ>という原則があったからだ.
嫡子だけを認めた、正妻の生まれでなければ何の権利も無かった.
いくら才能があっても科挙を受けられない.出世の道が塞がれている.
悪いことに昔のヤンバンは妾を何人も置いて自慢にして居た.だから庶子が量産される.妾は正妻には「奥方様」とたてまつり絶対服従しなければならなかった.要するに妾は主人の"おもちゃ奴隷"の身分であったのである.しかもそれが国の法律で定められた公の秩序だったのである.

主人公の吉童は大官の胤ながら女卑の腹で生まれたが故に数々の差別に不満を持つ.彼は先天的な奇才であったのが禍して謀殺の危機に遭うが道術を用いて難を逃れ家を離れる.放浪の途中盗賊の群れに逢い頭となる.
変幻自在の道術と知略で貪官汚吏の財産を奪い貧民に与え活貧党を自称した.
洪吉童は宮中おも震撼させるが終には海外に逃れ南方の島を占領し国を建設する.
彼の神出鬼没な冒険の数々は貴族社会の過酷な蹂躙にさいなまされた一般の常民(町人)階層に歓迎を受け庶民の永遠の偶像になっている.
いまもなお神出鬼没にして捕らえ難いものや、意表を突く奇策を立てる者を "ホンキルトン(洪吉童)のような者" と言っている.

ちなみに当時の階級構成はいわゆる士農工商と言う言葉で象徴されるが其の内、農、工、商は常民(町人)であるが其のほかに"践民"階級があった.践民階級である「婢僕」は士族の所有物であり自主権が認められなかったため「人民」の範疇から除外された.彼らには役所が発行した「奴婢文書」というのが有って所有主が握っていた.犬の血統書のようなものだ.若し逃げたら全国に「逃亡奴婢」として手配され捕まったら処刑されるのが当時の法律であった.主人は下僕を売り払うことも、殺すことも出来たのである.
アメリカの黒人奴隷と良く似たものであった.
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洪吉童伝 

  胎夢

世宗朝時代に大臣にまで登った洪ナニガシと言う人が居た.
代々の名門家の出身で早くも青少年で科挙に合格し、だんだんと進級をして吏゙判書(内相)まで勤めた.信望朝野に仰がれ忠孝兼備していた.要するに立派なお方であったと言うわけである.
彼には息子が二人居る.長男は「仁衡」と称し正室柳氏の生まれである.
もう一人の息子は名前を吉童とつけ女卑春蟾の生まれである. 
名前からして重みが違う.仁衡、しかつめらしい名前に反して吉童とはいかにも下僕らしい名前である.
表向きには一夫一妻であったが、数人の妾が有るのを誇りとしていた世の中で"妾は側女(ソバメ)であって妻ではない"という理屈だから妾が何人居てもやはり一夫一妻なのだ.嫡子だけを子供と認められるのだから正室の奥方様のお鼻が高くなるのも当然であるし、妾が生んだ子は"庶子"つまり非公式の子で息子としての権利が無かったので社会的なトラブルが起きるのもまたやむを得ないことだ.
封建的身分社会の矛盾の一面である.

洪公が吉童を得る前に書斎で書物に目を通している内、眠気がさしうとうとしていた.
にわかに雷がとどろき稲妻がピカピカッと天地をつん裂く中、巨大な青龍が降りて洪公の懐に抱かれるのである.おどろいて目をさませば一場の夢であった.洪公はそれが胎夢であることを確信した.天が自分に偉大な子孫を与える兆候であると悟り胸をときめかせた.善は急げた.天の贈り物を頂くのに一刻も無駄に過ごしてはならない.そう思うと下の物も心得て天を衝く.彼は興奮に顔を赤らめながら奥の間に入り正室の柳夫人に直ちに夫婦の交わりを要求し押さえに掛かった.ムードも何も考える暇が無い.柳夫人は顔色を変えて立ちあがり、
『何をなされます相公、未だ宵の口ですぞ.ヤンバンの体面をおぼしめされ.年少軽薄者の如き卑陋な行いは仕えかねます.』とブンブン言いながら部屋を出て行った.
洪公はすごすごと書斎に戻り溜め息をついていると襖が静かに開き女卑の春蟾がお茶を入れて入ってきた.立ち居振舞いが静かで上品さがある.春蟾は芳齢18歳、咲きたての花、艶めかしさの中に気品がある.顔も綺麗だしスタイルも抜群だ.洪公は春蟾の手を引いて寝室に導き処女の純潔を奪った.それも主人の権利だから女卑としては逆らえられないのだ.女卑が妾になったのだから出世したことになったわけである.
春蟾は身ごもり10朔を経て男の子を産んだ.栴檀は双葉より芳しとか赤子は生まれた時より気骨非凡にして英雄の相が有った.洪公は嬉しい中にも一方正室の生まれでないのが惜しい気持ちを隠し切れなかった.

  吉童に刺客をさし向ける

吉童は健やかに育ち8歳になってからは聡明さが益々目立ち一を聞けば百を悟るのを見て公の寵愛を深めたが吉童は身分低き女卑の生まれなるため少年が"父上" "兄上"等と呼べば叱り付け厳重にとがめた.
吉童は10歳を超えてからは父をナーリ(旦那様)、兄をトリョンニム(若旦那)と呼ばねばならないのが悲しく下僕等までが『やい吉童や』と自分たちの同僚として相手しているのが気にさわり悶々としていた.頭が良いだけに悩みも深いのが当然だ.
秋も酣の9月の或る夜、明月は明るく窓に点し、風は涼しく胸に沁み虫のねが心にしみる夜、吉童は読書中の書案を押しのけ溜め息をつきながら "男児世に生まれ孔孟に匹敵する学を成し難ざれば兵法を修め大将印を腰に吊るし東征西伐して国に大功を立て名を後世にまで輝かせるのが男児の本望とする所であるのに、嗚呼、吾はいったい何か? 何も出来ないじゃないか?父兄が居ても父と呼べず、兄と呼ぶのさえ許されない身の上とは痛恨に堪えない事だ"と、庭に下り木刀を持て剣術を鍛えて気分を紛らわせていた.
折柄明月を鑑賞し庭を散歩していた洪公が足を止め 
『お前は何の興味があって夜更けまで寝付けずにいるのか.』
吉童は恭しく腰をかがめ 
『小人(身分の低い者が自分を卑下する言葉)は月色を賞味していましたが "天が万物をお造りになるに人が最貴なり" と本には書いていますが、小人には貴は無く賎があるのみです.正に人にして人にあらずで御座います.』 
『お前は何が言いたいのじゃ』 
洪公は彼の意中を察しながらもわざと不機嫌に聞いた.
『小人が一生悲しむ所は旦那様の精気を受け堂々たる男児に生まれましたのに、その父を父上と申し得ず、兄を兄上とお呼び得ません.然るになお人間と言えましょうか.』と涙で袖を濡らしている.洪公も返す言葉が無い.慰め様も無い.威厳を正し叱るしかなかった.
『宰相家の賎婢所生がお前だけではなかろう.身のほどを弁えぬ思い上がりじゃ.もう一度左様なことを申せば只では済まさぬぞ.しかと覚えて置け.』
吉童を惜しみ愛していた洪公だがそうするより仕方が無かったのである.
吉童は父なる主君にそれ以上申し立ても出来ず大地にひれ伏して泣き崩れるのみであった.
『下がれ』 父の叱咤にすごすごと寝所に帰り悲しみを噛み締めながら夜を明かした.「恨み骨髄に徹す」と言う思いであった.

或る夜吉童は母の寝室を訪れ涙ながらに告げた.
『母上、小子母上より生育のご恩を賜わり何時までもお側にて孝行し奉るが人の道理で御座いまするが身分卑しきにより志を立てるすべが御座いません.男として生まれ人より蔑(サゲスミ)を受けるのは耐え難い所で御座います.小子膝下を離れ広い世界に出る所存です.願わくば小子の事はご放念なされお迎えに参るまでご健勝なさりませ.』
いとしい愛児より不意に別れを告げられ母は衝撃を受け顔色があおざめた.
『宰相家の賎出がそなたのみでは有りませんのに左様な激しい心を起こして母を悲しめまするか』
『昔、張忠の子、吉山は賎生ながら13歳にその母と別れ雲蓬山に入り道を修め後世まで美名を遺しました.小子も彼に倣い己の運命を自ら拓いて行く所存です.母上は安心して後日をお待ちなされませ.最近谷山母の様子を見まするに相公の寵を失うことをおそれ私ども母子を仇の如く当たっております故必ずや問題を起こすでしょう.小子が家を離れるのは運命で御座います.母上はご安心なさいませ.』
ちなみに谷山母は谷山のキーせン(芸者)で洪公の妾になった女で名は楚蘭である.
生意気な上に嫉妬心が強く浅はかな考えの持ち主で少しでも自分の気に入らないことがあれば大きく膨らませて洪公に讒訴するのでトラブルの元であった.自分には子供が無く春蟾は吉童を生み公が寵愛するのが妬ましくて仇の如く憎んでいた.

楚蘭は或る日懇意の巫女を呼んで相談をした.
『この家で私の地位を固めるには庶子の吉童を亡くすに限る.お前が私の願いを叶えてくれれば充分な御礼をする所存だがどうじゃ?』
『はい奥様、興仁門の外に流行りの観相女を知っていますがあらかじめ家族や吉童のことを知らした上で旦那様に勧め観相を見るようにして観相女の口から吉童が禍を招く凶相であると告げさせれば旦那様が吉童を亡くすことを考える筈です.その時を見計らってしかじかかくかくなさればどうでしょう.』
『それは妙計じゃ、左様にしましょう.』
楚蘭は大いに喜び先ず巫女に50両を渡し観相女と手はずを決めるよう言いつけた.
あくる日洪公が内堂(女主人が住む家)(内堂、外堂、客堂、別堂などと各々塀を囲んで別棟になっている.)に入り婦人と話しをしているうち吉童の才能が非凡なのを指摘しながら庶子の身分であるのが惜しい等の話しをしている最中に、庭先で下僕が来訪の客を取り次ぐ声が聞こえた.障子を開けて見たら始めて見る婦女子が腰をかがめて待っていた.
『旦那様、奥様、ご機嫌伺い申し上げます.』と口上する.
『そのほうは何者で如何様なご用で参ったかのう.』
『はい、小人は観相家で御座いますが若しや御役に立つかと思い伺いました.』
洪公は吉童の将来が知りたくて吉童を呼び寄せた.
『この子の相を見てくれ』
『はい、公子の相は千古の英雄にて且つ一大豪傑の相ですがその..』と語尾を濁している.
『構わぬから有りの侭を申せ』
『それではお人払いを.』 人を退け洪公夫婦だけが残った.
『公子の相は凶中に造化無窮、眉間に山川の精気がありまして正に王侯の気性です.成長すれば必ずや大事を起こし滅門の禍を招きましょう.旦那様はお察しなさりませ.』と言う. 洪公は驚愕ししばし思いを巡らした後厳かに言った.
『人間の運命は測り難いもの、お前はこの事を口外致すな.』と戒め金子を渡して返した.その後吉童を山亭に移し密かに一挙手一投足を監視させた.

吉童は身に迫る危機を感じ取り、家出の機を伺いながら六韜、三略、天文、地理の勉強に励んでいた.
(六韜とは周の太公望の著なる兵書、文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の6韜.三略はこれも太公望の著になる兵書にて、上略、中略、下略.)
洪公はそれを知り "こいつは才気に富むが若しも間違った考えを起こせばそれこそ相女の言う如く滅門にもなりかねない.困ったことだ、どうすれば良いか" と悩んだ.
一方楚蘭は巫女、相女等と合い通じ千両を懸けて特才と名乗る専門刺客を求めた.
然る後楚蘭は洪公に 
『こないだ相女の観相は正鵠を衝いていました.是はお家の重大事で御座います.今のうちに吉童を斬り捨て、後患を断つ必要があります.旦那様の御決断あるのみだと存じます.』 
『その件は余が決めることじゃ、お前は嘴を入れるな.』 断固と退けたが心の中に心配が積もり夜も寝付かれない.ついには病となり床に臥するようになった.

主人の病に奥方は佐郎を勤めている息子の仁衡を呼び相談をしている時、側に仕えていた楚蘭が
『旦那様のご病気は吉童に因るもので御座います.小人の考えでは吉童さえ亡き者に致しますとお家も安泰し旦那様もお元気を取り戻しなさるに違い有りません.』
奥方は 『それは天倫に背くこと、忍ばぬことですよ.』 
楚蘭は 『不憫では御座いますが情にこだわる時では御座いません.小人の聞きますところ特才という刺客がいますがこの人はどんな剛物でも鶏を絞めるように殺すそうです.おりよく吉童はいま山亭に居ますからこの際、千両をやって夜中に密かに事を済ませば後で旦那様がお知りになっても既に過ぎたことで御座います.よくよくお考えあそばせ.』 洪公に斥けられた楚蘭はこんどは奥方を煽りたてた.
婦人は息子の顔を見る、息子も母を見返す.暗黙の承認が行き交う.
『これは忍び難いことではありますが大きくはお国のためであり次には旦那様の憂いを無くす事であり又洪門の保存のためです.お前の思うように進めなさい.』
奥方は溜め息と共に承諾した.楚蘭は大いに喜び早速特才を呼び寄せて、
『今宵中に行え』と殺人指令を出した.

  家出、暁の空を飛ぶ

一方吉童は自分に向け暗殺の陰謀が進められ危険が刻一刻と迫っているのも知らず山亭で一人本を読んでいた.一刻も早くこの家を出たいのだが父が病に居ると聞いていたので時期が宜しくないと思い機を伺っていた.
この夜燭台の光で朱易に目を通して居る内、烏の鳴き声が三度も聞こえた.
"烏が夜鳴くとは不吉だなあ"と呟き何気なく八卦を引いてみて大いに愕いた.
書案を隅に押しやり床を敷いて寝ているように作り、明かりを消し遁甲法で姿を隠し様子を窺った.四更(午前2時ごろ)に黒い人影が音も無く忍び入った.手に持つ短刀が鈍く光る.吉童が真言を念ずれば一陣の陰風が起こり山亭は姿を消し畳々たる山奥に変わった.刺客は大いに驚き短刀を隠して逃げようとしたら千尋の絶壁が行く手を遮った.進退窮まり慌てふためいて迷う時清らかな横笛の音が聞こえる、目の前には一人の少童が驢馬に跨って現れ刺客を叱って曰く 
『汝何故に吾を殺そうとするのか?悪行をなす者には天罰が降るものなるぞ.』と真言を唱うれば砂石が雨霰の如く刺客に降りかかった.刺客は心を落ち着けて良く見れば少年は吉童であった.吉童の幻術には感嘆したものの刺客の特才もしたたか者、未だに人に引けを取った覚えは無い.
『お前は死んでも俺を恨むな.楚蘭が巫女と相女と通じ主人の許しを得てお前を殺すのだ.小僧、おとなしく往生しろっ.』と 必殺の気合いで刀もろども突っ込んできた.
吉童の目に蒼い光が閃いた.あくまで殺そうとする刺客の冷たさに憤慨したのだ.ひらりと体をかわすのと同時に刺客の手首を掴んでねじ上げ短刀を奪い取り尾骨を蹴った.賊は前にのめり頭を壁に打って転んだ.
『人殺しを職とする汝の如き非道なものは生かしておく価値が無い』と短刀一閃刺客の首をはねた.それでも鬱憤収まらず道術を使い相女を捕らえ刺客の死体の横に転がし一喝する.
『汝吾と何の恨みあって楚蘭と共謀して吾を殺さんとしたか.その罪の報いじゃ』
相女をも斬り捨てた.二人を殺し一息つく間、空を仰げば銀河は西に傾き月色も朧に吉童のゆううつな気持ちを表すようであった.吉童は楚蘭も殺し恨みを晴らそうと刀を握りなおしたが父の愛妾を殺すのはと思い刀を投げ捨て、亡命に立つ前に父に別れを告げるべく父の寝所に行った.その時洪公は寝付けず体を転々としていたが外に人の気配を感じ窓を開けたら吉童が居た.
『夜も深いのにお前は何故休まずさまようのか』 吉童は地べたにひれ伏し.
『小人、父生母育の恩を蒙り万分の一でも報いんものと致しましたが家内に不義のものが居まして旦那様に讒訴し、てまえを殺そうとしました.危うく命は助かりましたが旦那様に御仕え出来なくなりましたのでお暇を頂きたく参りました.』 洪公は大いに驚き
『何事が起きたと申すのじゃ.まだ幼いのに家を離れ何処え行くと申すのか.』 
『夜が明けますれば自然とお解かりになることで御座います.捨てられた身の上、敢えて行く当てがありましょうや.』と泣き崩れる.かわいい子なればこそその姿憐憫に耐えず 『お前の恨みは父も良く承知している.今より父と呼び兄と呼ぶを許す.』 と宣言した.社会的に知れれば轟々たる非難があろう、発狂したとも言われよう、まかり間違えば今までの家門と一身の栄誉が水の泡になるかも知れない.その全てを賭けての宣言であった.吉童は再拝して申し上げた.
『小子の一片至恨を晴らしてくださいまして今死すとも余恨が御座いません.願わくば父上万寿無彊なさりませ.』と踵を返した.公も憮然と見送るしかなかった.
吉童は母の寝所により別れを告げた.
『小子ただいまより膝下を離れまする.必ずお迎えに参りますればそれまでお体を大事になさりませ.』 春蟾は予め覚悟はして居たもののいざ別れるとなると涙が先に立つ.話したいことは山ほどなれど喉が詰まって言葉が出ない.涙を流すのみである.吉童は母に再拝して家を出た.
彼は走った.いや飛んだ.涙に遮られ何も見えない.道術を使い空を飛んだ.市街も城門も山野をもはるか下方に見下ろし、キン斗雲に乗った孫悟空の如く闇の空を飛んだ.


  吉童、盗賊の頭になる

一方楚蘭は特才から報告が無いのが訝しく焦りながら山亭に人を遣わし様子を窺わせたら吉童の姿は見えず特才と相女が死んでいたと知らせてきた.人を殺しに行った者が殺されていたのだから驚く他は無い.びっくり仰天して奥方に注進した.奥方は佐郎殿を呼び相談した挙げ句家主の洪公に申し上げた.父の詰問に長男の仁衡も隠し切れず事の経緯を一部始終告げた.洪公は火の如く怒った.己の家で斯くもあさはかな陰謀が進められていたとは思いもしなかったことである.吉童が若し尋常な少年ならば既に殺されていて犯人も解からずじまいになった筈、思えば身の毛のよだつことだ.公の怒りも当然である.公は楚蘭を追い出し、死体を隠密に葬り家僕を集め厳重に口止めを命じ一応の後始末をしたものの公は己の不徳を自責し嘆いた.

吉童は未だ明けやらぬ闇の空を飛んだ.方角などどうでも良かった.ただ都の漢陽から遠く離れたかった.東の空に赤みがさす頃、地面に降り立ち辺りを見ればこんもりと木立の繁った山の中である.暁の空気がすがすがしい、持てるものも無く当ても無く知り人も居ない天涯孤独である.これからは自分の力のみで生きねばならない.一抹の寂しさは有るけれども見えない桎梏から逃れ自由を得た喜びに若い力が漲っていた.彼はゆっくりと歩いた.朝日を受けながら辺りを見まわすと景色が素晴らしい.足の向くまま山奥深く入って行った.ふと見ると大きな岩の下に石門があった.吉童は好奇心につられ門を押してみた.門は音も無く開いた.中はトンネルになっていて向かいの出口には明るい日が差している.彼はつかつかと進んで出口に出た.見れば広い平野に数十戸の家が並び人々がせわしく行き交う.空腹を感じて居た矢先の吉童は食べ物に有りつく積もりで近づいて行った.村の真ん中の広場には大勢の人が酒盛りの最中であった.大漢が一人立ちあがって吉童に聞いた.
『お前は何者か?.何の用で参ったか?』 声がわれがねのように大きい.
『小生は漢陽の者で洪判書の賎妾の生まれ吉童と申すものですが家中の蔑視が嫌で家を飛び出し放浪中に偶然ここまで参りました.』若いながらも男らしい当当さが有る.
大漢は吉童の毅然たる態度に感心して言葉つきを変え.
『ここは各地の英雄達が集まった所です.つまり盗賊の巣屈と言う訳です.まだ頭を決めていません.若し勇力あって参加したければあの石を持ち上げてみなさい.』
『行場の無い者、受け入れてくだされば有り難く存じます.男児あれほどの石を持ち上げるに何を憚りましょうや.』と庭にある大きな石を軽々と持ち上げ数十歩を歩き放り投げた.石の重さは千斤であった.歓声と拍手が一斉に起きた.吉童を上座に座らせ
『大将軍をお見それ申しまことに申し訳御座いません.我等数千の内あの石を持ち上げる者有りませんでした.天が我等を助ける為将軍をお遣わし下さったに違い有りません.どうか我等の首領になって下さいませ.』一同ひれ伏して願い出た.
五尺の体天下に宿す所も無き吉童はこれだけの勢力があれば大事を成し遂げる自信と覇気が全身に漲るのを感じながら頭領を受諾した.

吉童は皆に武芸を教え軍法を馴らし一気に烏合の衆を規律整然たる軍隊に仕上げた.卓越な指揮官の訓練を経た山賊部隊は自信に満ち士気は天を衝く.ある日会議の時
『私等は早くより陜川の海印寺を襲い寺の財宝を奪うべく調べましたが寺の警戒が厳しく手を着けかねていました、将軍のご意向はどうでしょうか.』
『それは俺が手に入れる.お前達は指図通りにしろ.』
洪吉童は盗賊の頭としての始めての仕事に乗りかかった.
彼は青い羽織に黒の帯を締め驢馬に跨り数人の供を従え出発した.さながら良家の書生の出で立ちである.寺に乗り込み先ず住持を呼び.
『某は漢陽の洪判書の倅ですがこの寺に逗留し科挙の勉強を致す積もりです.明日白米20石を供養しますからお納め下さい.』と言い、寺を一回り見た後数日後来ると約束をして帰った.戻った吉童は衆を集め作戦を指示した.
『明日は上等の白米20石を寺に収めよ.収めるとき住持に俺が行ったときにはこういう風にしなさいと言い含めさせ、決めた日、寺に行きかくかく致す.お前等は俺の合図にしかじかと致せ.』と、作戦を言い渡し準備を進めた.
当日洪吉童は従者数十人を従えて堂々とお寺の山門を潜った.住持を始め寺の諸僧は列を成して貴公子を出迎えた.一介の書生を斯くも丁重に迎えるには訳がある.仏教は高麗朝の国教であった.高麗朝の中期までは仏教が精神的な支柱としての役割を充分に果たした.しかし政治も宗教もマンネリ化し腐敗し出し終には僧と王室とのスキャンダルまで生じ高麗朝崩壊の原因の一つになった.李朝はこれを警戒し建国始めより儒教を国の理念とし仏教を排斥した、所謂崇儒排仏政策である.この新しいイデオロギーは強権的政治と相俟って仏教界を圧迫し、ただ生き延びるために気息奄奄としていた時代である.だから教界内では高僧と崇められる和尚でも権力者の前では卑賎な存在でしかなかった.斯かる時代に王都の権門の子弟が莫大な供養米を惜しみなく出して部屋を借りると言うのだから全寺を挙げて優遇するのも当然である.お米を20石も持ちこんだのは自分と供の用のみならず寺全体の食料を受け持つと言う意味である.一介の書生が往来するのに数十人の従者を従えるのも不審に思うところか権力の強大さに威圧されたであろう.

吉童は老僧を呼びつけて問う。
『送り申した米が不足では御座らぬか』
『いや充分で御座います.まことに恐れ入っておりまする.さあ、こちらえどうぞ』と大広間に案内し吉童を上座に座らせ全ての僧侶が両側に並び座を占める.
やがて精進料理の膳が出た.お椀に盛られたご飯の白さが目に眩しい.吉童はにこやかに微笑みながら言う.
『皆、存分にお上がりなされ.米の心配はなさるな.』諸僧恐縮して
『あり難く頂きます.南無阿弥陀仏』と口を揃えて礼を言う.
皆が美味そうに食べている時吉童は密かに砂を口に入れて力強く噛んだ."カチャッ"と音が響く、吉童は口の中のご飯をべっべっと吐き出し
『無礼者.お前等が拙者をこのように粗末に扱うとは忍び得ぬ侮辱じゃ.許し置けぬ。』と大いに怒り侍立している供の者に命じた.
『こいつ等を一人残らず縛り上げろ』
命令一下電光石火の如く諸僧を縛り数珠繋ぎにした.然る後、吉童を始め従者は庭に下りた.

  活貧党うまれる

その時何処から出て来たのか数百の群れが寺に現れ秘蔵の財宝を手当たり次第に運び出すのであった.僧侶たちは縛られているのでどうすることも出来ない.ただ声を張り上げて罵るのみである.山に焚き木を取りに行っていた寺の雑役の爺がこれを見て官家に飛んで行って届けだので急遽官軍が出動に及んだが寺に着いたときには賊の群れは既に引き上げた後だった.捕校は
『未だ遠くまでは行かない筈、追いかけて捕らえろ.』と先頭に立って追跡した.
道が二つに分かれた地点に一人の老僧が立っていて声を張り上げ
『賊は北の谷の方に行きました.はよう行って捕まえなされ.』と教えてくれる.
官軍は逮捕間近しと北の方に殺到した.その老僧は吉童が変装した姿とはつゆ知らずに.

吉童が部下の一行を南の大路に行かせ老僧に変装し官軍の追跡を巧みに交わして根拠地に戻ったときには贓物の整理も済み落ち着いた時だった.一同出迎えて吉童を称えた.
『男児其れほどの知恵も無くして如何に衆人の頭と言えよう.』と大笑いした.
その後吉童は山賊の集団を"活貧党"と名つけ盗賊の進むべく方向を示すと同時に大義名分を高く掲げ盗賊の犯罪行為を社会反抗、社会改革の行動隊としての名分を与えた.組織化した行動も大袈裟で朝鮮8道各地の腐敗官僚の黒い財産、豪族の良民を収奪した財産等を専門に奪い貧民に分け与え国家の正当な財政には手を着けなかった.隷下の犯罪者共も彼に教化されひねくれた暗い翳りが無くなり社会を変える革命家のような自負心を持ち張り切っていた. 或る日一同に
『咸鏡道の観察使(道知事)なるものが大変な貪官汚吏で浚民膏澤が甚だしいと言う.これは許されない.天誅を加えるべきだ.諸君は我が輩の作戦通りに行えよ.』と作戦を言い渡した.
活貧党の勇士は商人や易者などさまざまに変装して咸鏡城に潜入した.或る晩南門外に大火が起きた.咸鏡監司(観察使、道伯)は大いに驚き急遽官属を召集し総出で鎮火に当たらせた.城中はごったかえしの大混乱に陥った.その隙に数百の活貧党員は官庫を打ち破り糧穀と武器を奪取して北門から逃げた.平素進退の訓練を重ねた甲斐有って一糸乱れぬ鮮やかな行動であった。
まさに朝鮮版水滸伝と言う所である.

咸鏡監司は火事騒ぎに重なり官庫が荒らされる事態に逢い慌てるのみであった.犯人もわからず手掛かりも無い.然し手を拱いて居る訳にもいかない.早く犯人を捕らえろと下のものを急き立てた.翌日北門に榜(張り紙)が貼られた.『官庫を開き兵器、糧穀並びに金銭を押収したのは活貧党の頭、洪吉童の仕業である.監司の苛斂誅求を戒めるためなり.』と達筆で書いてあった.

  8人の洪吉童

洪吉童は盗賊を働くがターゲットは主に腐敗官僚であった.つまり官憲を相手にしかも大袈裟に派手な立ち回りをし自分の名前を堂々と明かした.従って逮捕の追っての網も厳重な物であった.彼は諸衆を集めて.
『我々は海印寺の財宝を奪取し、また咸鏡城の官財をも奪い取った.城門に榜を貼り活貧党の仕業なるを明らかにした。ゆえに全力を挙げて逮捕に向かう筈だ.しかし、余り心配することは無い.これから俺のすることを見るが良い.』
藁人形七個を作り真言を唱え魂を吹き込んだ.すると忽ち7人の吉童に変わるのであった.7人の吉童はそれぞれ別々に行動をし話もするし立ち居振舞いが洪吉童本人と全く同じである.どれが本物の吉童でどれが偽者か則近すら判別がつかなかった.彼等は部隊を8隊に分け、8人の吉童が一隊つづ指揮して8道に向かって出発した.朝鮮8道に一人つづの洪吉童の活貧党が各地の貪官汚吏の財産を奪うことになったのである.8人の洪吉童は同じく呼風喚雨の術を弄しお役所の倉庫も豪族の屋敷の蔵も一夜にして奪取されて行った.全国は騒然とした.役人と金持ちは夜も眠れず日が暮れれば道行く人も途絶えた.各地の役所は戦々兢々としている.疑心暗鬼、人を見れば皆が洪吉童に見えるからかなわない.郡からは道に、各道からは中央政府に賊の跋扈を訴える状啓が尾を引いて次々と中央に送られた.

『俄かに洪吉童と言う大賊が現れ疾風の如く各邑の財物を奪取して行きまする.地方のわれわれの力では到底手におえませぬ.願わくば左右捕庁(警視庁、左右2庁有り)に命され凶賊を逮捕して下されたく願いあげます.』この様な趣旨であった.
実に情けない話しだが王様の元には洪吉童に関わる状啓が後を絶たなかった。読んで見れば東西南北全く離れた土地なのに同じ日、同じ時間に洪吉童に襲われたとの事である.到底有り得ない事が起きているのだ.
王様は大いに驚き左右捕将を呼んだ.捕将は捕盗庁の頭で、治安の総責任者である.
『洪吉童なる賊の勇猛さと法術は計り知れないものがある.このものは尋常な方法では捕らえ難いであろう.左右捕庁が同じく發軍して早急に賊を捕らえよ.』
この時右捕将の李洽が.
『臣、非材ながら凶賊を捕らえてお見せ申しますゆえ殿下にはご安心あそばせ.両捕庁が共に動くのは王都の治安が空きますので宜しくありません.』と申し上げた.
王も聞き入れ李洽に討賊総指令に任じ發軍を命じた.
李洽は多くの軍卒を動員し勇躍、洪吉童逮捕に向かった.李洽は用意周到な作戦を立てた.人目につかぬよう全員に変装をさせ三々五々バラバラに出発させ、何月何日慶尚道の聞慶に集合するように命じ自らも裕福な文士に変装をし数人の従者を従えて道々情報を集めながら行った.

  ミイラとりがミイラに

或る日李洽の宿所に一人の青年が訪れた.お互い一応の挨拶を交わした後若者が口を開いた.
『普天の下王土にあらざる所無く、卒土の民王臣にあらざる者無しと申します.小生郷曲に居ますが国の為にうれえざるを得ません.』と溜め息を漏らした.
捕将は驚いたふりをして聞き返した.
『其れはどういうことですかの』書生は
『今洪吉童と言う盗賊が八道を駆け巡り悪戯をしていまして人心を不安にさせていますのにこの者を捕らえずに居るので憤慨に堪えないのです.』と言う.捕将は
『そなたは気骨逞しく考えも忠直ですね.私と力を合わせて盗賊を捕らえて見てはどうでしょうか.』
『私は早くより賊を捕らえようとしましたが勇力ある人と巡り合えず居ました処貴方に逢えて幸いです.然しお互いの実力を知るために静かな所に行って試してみるのが如何ですか.』
『其れも良いでしょう』
豪傑は豪傑を知る.二人は意気投合して共に外に出た.彼等は崖の上に行った.
『貴方はありったけの力で私を蹴って見なさい.』
若者は崖の淵に捕将に背を向けてあぐらをかいて座った.
"少し生意気な若者だなあ.ようし谷底に蹴落としてやろう"と思い近づいて力の限り蹴った.若者は微動だにしなかった.やおら立ち上がって曰く
『貴方はさすがに力士です.私は何人かと試してみましたが私の内臓を響かせたのは貴方だけです.私に付いて来なさい洪吉童を捕らえましょう.』
若者は捕将を伴ない山奥深くに入っていった.
"俺も力では人に引け目を取らないのに俺に蹴られてびくともしないとはあの若者には参った.あれなら奴一人でも洪吉童を捕らえそうだ.とにかく付いて行ってみよう"と捕将は考えながら共に歩いた.
やがて青年が振り返って言う.
『ここが洪吉童の巣窟です.私が先に行って様子を見て来ますから貴方はここで待っていてください.』と言い森の中に姿を消した.李洽が石に腰を下ろし煙管にタバコをつめ一服しながら待っていたら四方から数十人の黒装束の大漢が襲来し抵抗する暇も無く取り押さえられ縛られた.

『お前が捕盗大将李洽か?我等は閻魔大王の命令でお前を捕まえに来た鬼達だ.』と言い有無を言わさず引き立てて連れて行った.捕将は咄嗟の事に肝を潰し何が何やら判らないまま或る所まで行った時、尻を蹴られて膝をついた.心を落ち着かせて見まわせば壮大な宮闕の中、赤鬼青鬼の外にも数百の黄巾力士が居並び殿上の玉座には閻魔大王が座を占め大声にて厳かに叱咤する.
『汝の如き幺麼匹夫が身の程も弁えず洪吉童将軍を捕らえんとしたか.地獄に突き落とせ.』と大渇した.
捕将は地獄に落ちたのを痛感したがこのまま死ぬわけにも行かない.
『小人は寒微な人間でして罪無く連れられました.助けてくださりませ.』と哀願した.
『わっははは、李洽殿.私を良く見なさい.我こそは活貧党の頭領洪吉童です.そなたが吾を捕らえようとするのでどれ位の勇力と胆力があるのか試してみたくて昨日青い羽織の青年に変装して君を誘いここに連れて来て私の威厳を見せようとしたのです.』
縄を解き座敷に入れ酒肴をもてなした. 酒興酣の頃
『そなたが私を捕らえるなどとは叶わぬことです.諦めて帰りなさい.私を見たと言えば必ず禍を招くでしょう.お口を慎みなさい.』左右に命じ帰らせた.
殿閣を出るまでは覚えているがその後は全く記憶に無い.辺りは真っ暗闇で身動きも侭ならない.よくよく見れば革の袋の中に入っているではないか.漸く這い出した.辺りには同じ袋が3個もある、中を開けたら自分が連れていた従者であった.皆も同じ様に記憶に無い.まるで狐につままれた気持ちである.ここはどの辺りかとよくよく見ればこれまたいかに、王都漢陽の北、北岳の麓であった.到底有り得ない事である.本人達も知らぬ間に一夜の内に数百里も離れた所に袋に詰められて運ばれたのである.信じられない事だ.
捕将李洽は嘆いた.いやしくも捕盗庁の頭なる者が賊に捉えられミイラ取りがミイラになった形で顔も挙げられない恥だ.しかも自分等が経験したことを話しても誰も信じてくれない筈である.洪吉童の才能は計り知れないものがあるから容易に捕らえ難いであろう.迂闊に顔を見せれば罪を問われるのは必定だ.当分隠れているより仕方があるまい.と身を潜めた.

  洪吉童の素性知られる

この時国王は8道に勅命を送り洪吉童逮捕を督促し全国の警察と官僚が血眼になっているのに当の洪吉童は何処吹く風かと涼しい顔で高官、貴族に扮し従者を従え堂々と王都漢陽の街を駕籠に乗り行列を作って通るとか或いは御使に変装して郡守級の貪官汚吏を取り調べ証拠を掴んでは先斬後啓の例に従い処刑した後、王に洪吉童の名前で状啓を送るなど人を食った行いをシャーシャートやってのけた.王は洪吉童の状啓を手にして激怒する.
『この者が国法を無視して各地で横着を働いていても捕らえられないのをどうすれば良いのじゃ.』
三公、六卿を召集し御前会議を開き詰問する.誰も名案を出せずひたすら恐縮するのみ.その間にも洪吉童の状啓は後をついて到来した.王は大いに憂い.
『この者は人間離れの才があるがさりとて鬼神ではない.誰かこの者の素性を知らぬか?』
と核心を衝いた質問をした.その時末席から声が掛かった.
『洪吉童は前任の吏曹判書洪某の庶子で兵曹佐郎洪仁衡の庶弟で御座います.その親子をお呼びの上、直々に審問なされば判る事と存じます』と申し上げた.
王は益々大怒した。
『馬鹿者.何故今になって申すのか.たわけめ.』
直ちに禁軍を遣わし洪判書親子を拿捕投獄し、先ず仁衡を引き出し王直々に親鞠した.

『洪吉童なる盗賊が卿の庶弟と言うが何故に止めないで放っておき国家の大患に至らしめるのか?速やかに捕らえて来ねば卿父子の忠誠を疑わざるを得ない.早急に手を尽くし捉えて参れ.』 仁衡は恐れ戦き免冠頓首して申し上げた.
『臣に賎しき弟が居まして早く人を害し亡命逃走致して数年を経過していますがその間一度も消息が御座いませんので生死の程も判らないままの状態です.臣の父もこのことで病を得命旦夕に御座います.吉童の無道不測により聖慮を煩わし臣の罪万死無惜で御座います.請い願わくばお慈悲を下され病中の臣の父を釈放して自宅にて療養するようお許し下さいませ.臣は命を懸けて吉童を捕らえ臣父子の罪を贖罪致しまする.』と哀願した.
王は暫く沈思の後仁衡の願いを許し更に付け加えた.
『卿に慶尚監司を申し付ける.監司の職権無くしては吉童を捕らえ難かろう故じゃ.但し一年の期限を与える.一年以内に捕らえて参れ.』仁衡は百拝謝恩して退いた.
罪人から反って昇進したのだから喜ぶべきだが期限付きの毒薬を飲まされたようなものだから王の政治的手腕も相当なものだと言うべきであろう.
ともあれ仁衡は即日支度を整え赴任した.
仁衡が慶尚監司を仰せつかったのは道の政治を司とるためではない.洪吉童を逮捕して国の混乱を安定させるためである.従って行政は副監司に任せ、洪吉童逮捕に専念した.然し方法が無い.先ず榜をしたため各邑に貼り付けた.
『人間が世に生まれ五倫が基ではないか.五倫有るからによって仁義禮智が明らかになるのにこれを疎かにし君父の命に逆らい不忠不孝をなせば世に受け入れられざるは必定である. 吾が弟吉童は斯かる道理を良く承知のはず、自ら兄の前に現れ縛めを受けよ.父親はお前のため病骨髄に至り、聖上(国王)の憂いまで深からしめて居る.これ皆お前の罪が原因であるのだ.よって吾を特に道伯を提授されお前を捕らえよとの命令だ.若しお前を捕らえ得ねば吾が洪門の歴代の清徳が一朝にして滅亡せざるを得ない.これは悲しい事ではないか.願わくば吉童はこれを思い速やかに自現すればお前の罪も軽くなり一門又保全されるだろう.吉凶禍福、いづれもお前の一存に掛っている.よくよく考えて自ら現れお上の縄を受けよ.』とあった.
庶子の弟に"進んで自首をしてくれ"と泣きついてみるより方法が無いのである.

  俺が本当の洪吉童だ

或る日一人の少年が驢馬に跨り十数人の従僕を従え慶尚道の監営を訪れ道伯の面会を申し入れた.監司が許し招き入れた.堂上に上がり監司を面会した.監司が良く見れば客は他ならぬ吉童であった.監司驚いて左右を退け吉童の手を握りむせび泣きながら
『吉童よ.お前が家を出てから生死存亡を知らず父上は病が膏盲に至っておられるのにお前は親不孝のみならずお国に大きな禍を作って居るのは如何なる了見か.不忠不孝をしているのみならず又盗賊になりはてて世の中に比べ無き罪を犯しているか.殿下もお怒りになり俺にお前を捕らえ来るよう厳命されたのだ.これはもう避けられないことだ.お前は京師に押送され天命を順受せよ』と言い涙を止めど無く流した.
吉童は頭をうなだれ、
『賎生がここに参りましたのは父兄の危機を助ける為ですから余談は不用で御座います.そもそも初めから賎しい生まれとは言え父の胤に違い有りませねば父を父と呼び兄を兄と呼ばして頂いたなら斯くの如くにはならなかった筈、過ぎし事をとやかく申して何になりましょう.小弟を結縛して京師に送りなされませ.』と言った後口を噤んだ.
仁衡は腹違いとは言え唯一の弟を自分の手で囚禁する悲哀を噛み締めながらも公の役割を果たさなければならなかった.
吉童は重罪人であるため手枷、足枷、首枷まで施して檻車にのせ、途中一党の襲撃に備え屈強な将兵数十人を護衛に付けて漢陽に送った.一方洪吉童逮捕の急報を王様に状啓したのは言うまでもない.

吉童が慶尚監司の実兄に自首した同じ日、他の道でも洪吉童が一斉に自首してきた.8人の洪吉童が全て自首して自ら捕らえられたのである.全国の御用聞き隠密どもが目を皿の如く探しても見つからなかった洪吉童が各道で進んで縄を受けたから大評判である.洪吉童の檻車の通る道々見物人が群がった.さすが政略には長けた大臣等も8人の洪吉童には開いた口が塞がらない.王は宮廷の広い庭に満朝百官を並べさせ直々の審問(これを親鞠と言う)をした.
『汝等の内誰が本当の洪吉童か.』 私です.私です.8人が一斉に言う.
終には自分たちで争う.俺が本物の洪吉童でお前は影武者だ.いや違うお前こそ偽者だ俺が本物だ.顔も、体つきも、声も全てが同じで区別がつかない.やむなく病中の洪公を呼んだ.


  洪吉童兵曹判書(国防大臣)を拝受する

『知子莫如父(子を知るは父の如きなし)だ.あの8人の内、卿の息子を探せ.』と王が命じた.洪公は畏れながら頓首請罪して申し上げた.
『臣の賎生吉童は左の足に赤いあざがあります故お確かめ願います.』とお答えし、
なお八人の吉童に向かって
『畏れ多くも只尺に殿下がおわし、下に父がいるのに千古に類のない罪を犯したからには死を悔いるな』と絶叫し血を吐いて気絶した.王が大いに驚き医員を呼び手当てをしたが効果が無い.見ていた8人の吉童が涙を流しながら各々薬嚢から一個づつ丸薬を取り出し洪公の口に入れたら間も無く洪公は意識を取戻した.
吉童等は王に上奏した.
『臣の父、国恩を篤く蒙っておりまするに臣敢えて不法を致しましょうや.臣は元より賎婢の所生でその父を父と呼び得ずその兄を兄と申し得ない恨みに耐え難く家を飛び出し賊党に加わりましたが一般の良民は聊かも犯さず各邑の首領なる者で浚民膏澤した財宝のみを奪取しましてそれを貧しい百姓に分けてやりましたが決して国に楯突く所存は御座いません.10年後には朝鮮を離れ国外に出て行く所存ですので請い願わくば殿下にはご安心なされて臣の逮捕令をお取り消し下さいませ.』と申し上げて8人が一斉に倒れた.
良く見れば8個の藁人形であった.王は驚き、なお恐怖すらを感じた.
若し洪吉童が彼の超能力を駆使して王権を握ろうとしても不可能ではない筈である.
自信があればこそ自ら捕らわれ自分の能力を誇示し不法では有りながらも国家に損害を与えるのではないから放任せよと言うのである.国王の前で斯くも堂々と主張した盗賊は前にも後にも有り得ない事である.国王には君主の威厳があり国には国法が有る疎かには出来ない.王は尚いっそう厳重に洪吉童の逮捕命令を発した.洪吉童は依然として各地に跋扈し平然と腐敗官吏を苛め続けた.

ある日漢陽の四大門に榜が貼られた.それには
『妖臣洪吉童は如何にしても逮捕は不可能である.彼を兵曹判書に任命する教書を下されば賊変わりて忠臣になり国家も安泰する筈である.この策が最善なり.』とあった.洪吉童は国を脅迫して庶子進官の道を拓こうとしたのかもしれない.
王は榜をご覧になり朝臣に問われた.諸臣口を揃えて.
『盗賊を捕らえんとして捕らえ得ず反って兵曹判書を提授なされれば賊に降伏する結果になり、国の威厳を保たれませぬし隣国にも笑われることで御座います.』と反対した.つまり国の恥を晒すことになるのだと言うのである.
王も諸臣の意向に同意し慶尚監司仁衡に洪吉童逮捕を督励するのみであった.
仁衡は聖上の厳旨に畏れ慄き成すすべを知らず嘆息し焦燥するのみであったが或る日吉童が空より降りて来て、
『小弟今は本当の吉童であります.兄上は安心して小弟を縄縛し京師に送りなさい.』
『この無情な者よ.お前はわしと兄弟であるのに父兄の教訓を聞かず一国を騒がしているのか.今真身が兄の前に現れ自ら捕らえらるのを願うとは殊勝なことだ』と言い左足を見れば赤い痣が有る.即時厳重に緊縛し檻車に入れ数十人の将校に護衛をさせ急遽王都に送った.洪吉童は檻車の中でも泰然としていた.数日後檻車は王宮の門前に到着した.正に檻車が宮門を潜ろうとする瞬間、吉童を緊縛していた鉄索と檻車が粉々に砕け散り吉童は空中に舞い上がり雲の間に消えるのであった.この光景を見ていた護衛の将校をはじめ廷吏、見物の野次馬どもは皆唖然として魂を失った.然しもう取り返しは付かない、やむなく有りの侭を王に報告した.目撃者が大勢いる.王も唖然とせざるを得なかった.

『世の中にこんな事があろうとは』と先を憂い嘆息された.則近の一人が、
『その洪吉童の希いが兵曹判書を一度したら朝鮮を離れると言いましたから一度その願を聞き入れてやれば謝恩に参る筈ですからその時を計らい捕らえるのが如何でしょうか』と進言した.王も万策尽きたのを悟り建策を受け入れ洪吉童に兵曹判書任命の勅令を出して四大門に榜を貼った.これは正式の告示であり官報である.終に政府が折れ洪吉童に国防大臣の重任を授けたのである.<奴隷の子は奴隷、婢僕の生まれは婢僕>揺るぎ無い原則であった社会で賎婢の生まれである洪吉童が三公六卿の列に加わるのだから世の中が沸きだった.然し洪吉童の威名が余りに大きく事態があまりにも切迫しているし、外に代案が無いので誰一人反対する者が居なかった.
洪吉童は兵曹判書の官服を着用し四人轎に座り "控えろ、控えろ" "兵曹判書殿のお通りだ、控えろ" と道払いをしながら数十人の護衛の兵士を従え堂々と漢陽市内の大通りを威勢良く進め宮中に入った.この時大臣達は緊急会議を開き洪吉童が王に謝恩の挨拶を終えて退宮する時数人の刀斧手を待ち伏せ撃ち殺す手筈を決めていた.
洪吉童は王を拝謁し
『小臣罪が多いにも拘わらず兵曹判書に任命される皇恩を賜わり小臣の宿願がはれました.まことに有り難きしあわせて御座ります.もう未練は御座りません.永久に殿下のもとを離れまする.何卒萬壽無彊なさりませ.』と再拝し空中に舞い上がり去って行った.王は感嘆して曰く
『吉童の~術は古今に類が無い.実に大した物だ.彼は朝鮮を離れると言った.余は彼を信ずる.騒擾は終わったと見ても良かろう.惜しい人物だった.』と仰せられ、
洪吉童逮捕令の解除を全国に通達した.

一方根拠地に帰った洪吉童は一党の幹部を召集し
『余は行って見るところがあるので暫く留守をする.その間一切の活動を中止し静かに待機しろ』と厳重に指示した.
自分の父を何故"旦那様"と呼び、兄を何故"若様"と呼ばねばならないのか?
又他の者どもが兄には"若様"と呼び恭しく敬語を使いながら何故俺には"吉童や"と呼び捨て'餓鬼'などと蔑むのが当然なのか? 
男尊女卑と貴族階級の社会制度が生み出す本質的矛盾に対して幼年の吉童は理解し得ず、個性の強い彼は世の中の慣わしに対して不満を抱いていた.天性が怜悧な彼は真理を得るために学んだ.学ぶにつれ制度的非合理に対する抵抗が益々強くなって行った.と同時に其れが個人の力では如何ともし難い人間社会の普遍的矛盾であることも知った.かといって彼の自尊心はそれを素直に受け入れ、運命と諦めてしまうのを許さなかったのである.
吉童はほぼ反乱に近い強制的方法で国家を脅迫し強引に貴族の列に加えられた.其れで充分だそれ以上は無理だ.もうこの国には用が無い.新しい新天地を拓くのだ.今までの活動は予行演習のようなものだ.これからが本番だ.彼は覚悟も新たに空を飛んだ中国の南京方面に向かって.


  妖怪を退治する

中国寄りの太平洋の空を飛びながら見下ろすと聿島国が見えた.周りを旋回しながら良く観察すれば山川が秀麗で平野もあり優に身を休め得る所であると心に留め置き続けて南に飛んだ.南支那に着陸した吉童は周辺を遍く渉猟する内提島と言う島に上陸し詳しく観察した.島の真ん中には梧鳳山と言う山があって景色が正に絶景であり山の周りが700里に及び田畑が広く住民又純朴で住み良い所であった.彼は取り敢えずこの地に移住して徐に計画を進めようと思い、一応帰って一党を集め視察した結果とこれからの計画を話して自分と一緒に海外移住を希望するものを募集したら殆どが洪吉童と運命を共にすることを望んだ.其れもその筈、国内に居れば盗賊を働き終には捕らわれて刑場の露と消えるのが落ちである.それならば洪吉童将軍に従い国外に出で新しい人生を拓くのが望ましくはないか.全国に広がっていた活貧党の団員とその家卒及び財宝、武器などを船に積み大船団にて故国よさらばと船出した.

洪吉童は配下を引き連れ南支那の提島に入り数千戸の家を建て農業に励み武庫を建て兵法を馴らし農兵一体の体制を整え事実上提島の領主となった.
或る日吉童は鏃に塗る薬の薬草を採る為芒蕩山に行った.途中洛川ではその地方の大富豪白竜と言う人の一人娘で美人のうえ才知にも長けた愛娘が突然一陣の狂風が吹きすざんだ晩、忽然と行方不明になった.父母は娘を捜してくれる者に千両の金貨を懸けて探したが一向に効果が無い.悲嘆に暮れた親は『誰でも娘を捜してくれる者には財産の半分を分けてやり娘の婿に迎える.』と公告をしたとの話しを聞いた.噂を聞いた吉童は哀れには思ったがそんなことで時間を潰す暇が無いので其の侭芒蕩山に登り薬草を採った.そのうち日が暮れ辺りが暗くなり露宿の場所を探していたら向こうに灯火が揺らぐのが見えた.人家があるのかと近つけば人の群れで何やら騒いている.不審に思い遁甲術で姿を隠し良く見れば人間の姿に化けた妖怪である.
普通の人なら普通の人間と見分けがつかないが超能力の吉童の目を騙すことは出来ない.吉童は妖怪らの頭らしきものに吹き矢を射た.妖怪共は驚いて倒れた者をかついで逃げ去った.吉童は木の下で一夜を過ごし明くる日又薬草を採り山の中を歩いていると数名の妖怪が現れ
『お前はどうしてこの山奥に入って来たのか?』と聞いてきた.
『私は医者ですが一人で薬草を採っていました』と答えたら妖怪共は大いに喜び
『私等はこの山に久しく棲んでいる者だが我等の大王が嫁さんを貰い昨夜宴会をしていたが突然天殺を受け苦しんでいる.お前は医者だから大王を治してくれ.お礼はたっぷりする.』吉童は聞いて内心ほくぞ笑んだ.'昨日吹き矢に打たれたものが大将だったのか?こいつ等を滅ぼす良い機会だ'と思った.案内されて巣窟に入れば案外壮大な構えで内装も宮殿の如く華麗である.妖怪の王は本性に戻り醜怪な容貌である.
『余は天殺を受け苦しい、おまえの医術で治してくれ』
天から矢を撃たれたと思っているらしい.
『はい、先ず内治の薬で元気をつけたうえ傷を治します、宜しいでしょうか?』
『うん宜しく頼む』吉童は薬嚢から毒薬を取り出し温水に溶かして飲ました.妖怪の王は口から黒い泡を吹いて死んだ.吉童は~通力を発揮して全ての妖怪を退治し拉致されていた二人の娘を助け出した.聞けば白龍の娘で後の一人はこれまた富豪の趙哲の娘であった.
吉童は妖怪の根拠地を焼き払い、娘を連れて山を降りそれぞれの家に帰した.両家では大変喜び洪吉童を婿に迎え婚礼を挙げた.財産の半分を分け与えたのは言うまでも無い.吉童は二人の妻を伴ない提島に帰った.提島では三日間改めて宴会を開き皆が楽しんだ.

或る日吉童が天文を見て涙を流し悲しみに沈んだ.周囲の者が訳を聞けば.
『吾が父母の安否を天上の星辰を見て判断していたが乾象を見れば父の病が危篤である.吾遠きにいるため臨終には間に合わないだろう.』話しを聞いて皆も悲しんだ.吉童は月峰山に入り良い墓所を見つけ大々的な山役を進め王陵の如き墓所を作るよう詳細に指示し自分は削髪して僧衣をまとい僧に扮し大船に乗り一路朝鮮国漢江に向かい船を出した.
一方洪判書は病が重くなり家族に最後の遺言をした.『吉童の生死が知らないでいるのが唯一の心残りだ、あれが生きていれば必ず来る筈だ.来たら嫡庶の区別を置かずに親身の家族として遇せよ.あいつの母親も同じだ.』と言い終わると静かに事切れた.
洪家は哀悼に浸かったが長男仁衡には父を弔う山地が無かったので悩んで居た.そこえ或る和尚が弔問に来たと取り次ぐ.喪家で弔問客を断る法は無い.和尚は洪公の霊前で大声慟哭をした後、仁衡に向かい
『兄上は小弟をわかりませぬか』と言う.
良く見れば吉童であった.和尚が吉童であるのを確認した仁衡は弟の手を握りひとしきり泣いた.
『吉童や、その間どこに居たのか父上はお前を嫡子と変わらぬようにしろと遺言された.さあ母上にご挨拶しよう.』と共に手を繋ぎ内堂に行き母婦人並びに生母の春蟾ともお目に掛かり涙の会遇をした.
母は『お前はどうして和尚の身なりをしているのか.』
『はい小子は朝鮮を離れ坊主になり地術を勉強しました.父上のため良い墓地を得ました.母上はご安心なさりませ.』仁衡も大いに喜び
『才気に富むお前の目に吉地なら申し分なかろう、これで一安心だ』
棺(ヒツギ)を漢江につけた大船に運び仁衡と生母春蟾も一緒に船に乗り満帆に順風をはらませ航海をした.仁衡もこんな大船には乗ったことがない。船内の設備も豪奢であり吉童はこういう船を何隻も持っていると言う.ただ驚くばかりであった.やがて提島に着き棺を一応屋敷に移した.二人の新婦とも挨拶を交わしたのは言うまでもない。
仁衡は月峰山の父の墓地を見大いに気に入った.実に最上の地であり墓の規模も王陵を凌ぐほどである.滞り無く葬儀を済ませ仁衡は国に帰った.


  聿島国王洪吉童

吉童は提島で王侯の如き生活をしているが其れに満足しているのではなかった.彼の理想は自分の国を建てることである.其れが為配下を集め武芸と兵法の訓練を怠らなかった.
朝鮮を離れて南海を飛んでいる途中見ておいた聿島国を理想の地として心に留めていた.彼は普段貿易を通じて聿島国の内情を詳らかに研究していた.時至れりと見た吉童は配下を集め
『余は聿島国を討ち取り我等が国を建てんとする.汝等全力を尽くせよ.』と宣言した.一同は一斉に歓声を挙げ歓迎した.国では山賊を働いていたものの南海に理想の地を見つけ自分達の国を建設するのであるから希望に燃え心を躍らせるのも当然と言えよう.
吉童は自ら先鋒に立ち馬粛を後将軍に精兵五万を率いで聿島国に上陸、鉄峰山の要塞を攻撃した.太守金顕忠は正体不明の敵の急襲を受け大いに驚き王に急報をすると同時に自ら将兵を率いて応戦した.吉童は一合の元に金顕忠を斬り捨て一挙に鉄峰山を占領した.吉童は捕虜に慰労金を与えて家に帰し人民を慰撫した後、鄭哲に鉄峰山の守備を命じ、大軍を率いて首都を包囲した.吉童は聿島国の国王に最後通牒を送る.
『義兵将洪吉童は聿島国王に告ぐ.われ天命を受け兵を起こしたり.先ず鉄峰山を占領せり.今この都は吾が軍により完全包囲の中にある.王は戦いを欲すれば戦うべし然らずんば直ちに降伏して無益な死を逃れよ.』とある.王は大いに驚いて曰く
『わが国は鉄峰山の要塞にて守られているのにそれを失い如何に守り得よう.』と嘆息し諸臣を率いて降伏した.吉童は堂々と入城して人民を按撫して王に即位した.
前国王は義寧君に封じ馬粛・崔徹を左右相にし、諸将に各々封爵を与え大赦令を発して罪人を放免し官僚の前非を不問に付した.民心は安定し新王の善政を称えた.
王の治国三年にして盗賊は姿を消え、道に落ちた物でも自分のでないものは拾わない泰平の世になった.

王は義父の白龍を呼び
『朕は朝鮮の聖上に表文を上げようとします.卿が使臣の役を受けて下さい』
『畏まりました』
表文と洪府への書札を渡した.白竜は婿の故国朝鮮に渡り国王に表札を上げた.王は表札を読み大いに感嘆し
『洪吉童は万古の奇才なり』と賞賛された.
王は洪仁衡を使臣にたて祝賀の諭書を認め聿島国の洪吉童王に答礼の使いを命じた.
仁衡は退庁後母に吉童が聿島国の王様になったことを話し自分が使臣として遣わされる事を詳細に報告した.柳夫人は大いに喜び自分も連れて行くよう息子にせがんだ.やむなく仁衡は母を伴ない出発した.聿島国の王宮に着けば王自ら出て迎え入れる.
宮内政殿の大広間には左右に主な大臣官僚が整然と並び中央の一段高い玉座には聿島国王の洪吉童が座を占め朝鮮国の慶祝使洪仁衡が静々と入場して王に恭しく敬礼をした後聿島国王即位を祝う旨の朝鮮国王の口上を述べ且つ王の諭書を奉呈した.吉童王は使臣なる兄仁衡の労をねぎらう宴会を催した.
かつては洪家の婢女であり側室であった春蟾も今は聿島国の母后の大妃である.
しかし春蟾は聊かも奢らず柳夫人に御主人としての礼遇を惜しまなかった.
家族一同洪公の墓所に参拝し連日宴会を開いて楽しんだが、柳夫人忽然病を得ほどなく没した.遺体を洪公の陵に合葬して仁衡一人帰国し王に復命した.
その後数年にして大妃をも没した.王は三子二女を設けた。長男、次男、長女は白夫人の生まれ.三男、次女は趙夫人の生まれである.長子'現'を太子に封じ、以下はそれぞれ君に封じた.吉童王の治世30年に王病を得崩御した.寿齢72歳であった.

――おわりーー

蛇足:学者に依っては洪吉童は実在の人物であるとか、聿島国が琉球だとかの説が有るが何れも検証されてはいない.