タマムシ 居間の角材から生まれる

2010年5月10日(月)
居間にたまむしが飛んでいるのを見つける。どこから入ってきたのだろうと思ったが、はっきりかわからず、虫かごに入れて置く。

5月12日(水)
11日、12日と居間でタマムシが見つかる。どこから出てきたのか不思議に思い。よくよく調べたら、昨年(2009)11月1日に、スローステップ用に茨城の原田製材所の社長さんからいただいた角材(25×35幅45cm)から出てくることが判明した。

2010年5月13日(木)から17日(月)まで
13日も3匹生まれた。合計6匹
名古屋の恵子の家に行く。玉虫は孫たちに見せようと思って籠に入れて持っていく。でも、餌は何をやってよいか分からず、イチジクの枝を入れておいたが食べる様子もなし。
14/15/16日と名古屋に泊まり、
焼津へ帰ってきたら、3匹生まれていた。計9匹となる。

2010年5月19日(月)
毎日のように生まれてくる玉虫13匹くらいになったけれど、餌として何を与えてよいやらわからず、タマムシについての記事をパソコンで調べたら、隣の藤枝市にタマムシを育てる会があることが分かり、メールと電話を入れるとすぐに対応してくださった。藤岡小学校の近くのお宅に伺い、餌となるエノキを教えてもらい、川の土手に生えているエノキの所にも案内していただき、育て方も教えていただき、これから玉虫を育てる準備ができた。
その太田さんの話によると、タマムシは普通夏6・7月ごろに生まれ、気温30度くらいで元気に飛び回るのだそうです。5月10日に生まれたのは、角材が家の中に置いてあって暖かかったから、こんなに早く出てきたのでしょうとのことでした。
15−2 13匹

2010年5月20日(木)
ケースを大きなものに変えた。45×45幅90cmのガラスケースにした。
虫の寿命は1・2ヶ月くらいのようです。祐介が切ってくれたサクラの切り株(直径20cm長さ60cm位)に、のこぎりの切れ目を入れて、ケースに入れました。うまくいけばそこに卵を産み付けるはずです。
15−3 12匹   12匹ガラスケースに入れた。

5月21日(金)
全部で15匹生まれたうち3匹死んだので12匹となる。
3cm位の幼虫が角材から出てきてしまった。穴のそばに置いて、蓋をしておいたら、穴に戻ったらしい。暫くたったら見えなくなっていた。

5月22日(土)
藤枝のタマムシを育てる会の太田さんは、とても熱心で、茨城の製材所から貰った角材の置いてあった環境を知りたいようなので、妹に電話して茨城の原田製材所の電話番号を知らせてあげました。
茨城の製材所の辺りでは、タマムシがその辺に置いてある木に卵を産み付けて、自然に飛び交っているようです。
茨城の原田製材社長さんから、いただいた角材から、続々とタマムシが出てきて、楽しい。
2匹生まれ 17−3  ケースの中は14匹

5月25日(火)
10時、タマムシを育てる会の太田さんが尋ねてきて、ホームページ用の写真を撮っていく。
エノキの枝をさして置く花瓶は、口が狭いほうがよいこと(虫が水の中に落ちないように)
ケースの床には、エノキの葉を敷いていておく(ガラスの床に落ちて、ひっくり返っている虫が起き上がりやすい)
などと教えていただく。
エノキが家の近くにないかと、出かけるたびに高く茂っている木を見つけると調べていたら、見つけました。家から近くに、瀬戸川の対岸に行ったところにエノキがありました。これからは、歩いても取りに行かれます。
2匹生まれ 19−7 12匹 

5月26日(水)
SBS島田支局廣木様から、取材以来の電話が入った。5月31日10時に取材と決まった。
茨城では珍しくないのかもしれませんが、この辺では、珍しいし、家の居間に置いた角材から、タマムシが20匹近く出てくると言うのは、もっと珍しいことでしょう。
今日も一匹出てきました。
茨城の原田製材で、直径1メートルくらいで60センチくらいの切り株を4つに分けて、4個の角材にして、4軒に分けてくれたのです。
池田と塚本の家では、特に変わったこともなし。
もう一軒の池田の弟の家では、木屑が出たといって、日に干したそうです。そのときに、玉虫が出てきてどこかに飛んでいってしまったのかもしれませんと言っていました。
居間に置いた角材から、こんなに沢山玉虫が出てきたことは、ニュースです。
餌を与えて、観察していくのは、大変ですが、面白いです。
20−7 13匹

5月27日(木)2匹生まれる
5月28日(金)2匹生まれる
5月29日(土)1匹生まれる
5月30日(日)2匹生まれる
  27−7 20匹となる

5月31日(月)
妹夫婦、9時50分着(SBSの取材が来るので、茨城の原田製材さんからエノキの角材をもらってきてくれた妹夫婦にも来てもらった)
SBSの人は10時に来て、1時間くらい取材していきました。おばあさんのお見舞いながら来てくれた妹夫婦も、茨城の原田製材所の話をしてくれました。
SBSのイブニングアイ(18:15から)で、放映予定だそうです。
いつ放映するかは、決まり次第連絡をくれるそうです。
玉虫を育てる会の太田さんは、現在イタリアへ旅行中で、その間にテレビで放映があったら録画して置いてくださいと頼まれています。
取材に来た、SBS島田支局の廣木さんが、静岡新聞焼津にも連絡していいでしょうかと言ったので、どうぞ言ってあります。静岡新聞焼津支局でも取材に来るかもしれません。
島田市横井の池田の弟の所に届けたステップ台でも、玉虫が穴から首を出し始めたと電話連絡がありました。

6月1日(火)
朝、焼津広報の人から電話が入り「SBSの人から、耳寄りな話として玉虫のことを聞いたので、取材させてください。」と言ってきた。今日15時に取材に来ることに決定
妹夫婦は、今日も焼津に来た。島田市横井の弟の家でも角材から玉虫が出てきているので、餌のエノキを教えてもらいたいとのこと。1時頃来てエノキノ枝を取って、これからタマムシを育てる準備をすると言って帰っていった。
15時には、焼津市広報担当の方がみえて、1時間くらい取材して行った。いろいろ話してその人が帰ろうとしたときに、床を這っているタマムシを見つけた。今、穴から出てきたばかり、背中には細かな木屑をつけたまま、床を這って、明るいほうへ行こうとしていた。時々、羽を広げて飛ぼうとしていたけれど、まだ力がないのか飛ぶことはなかった。そっとケースに入れた。
餌を調達出来るようになってからは、ほとんど死ぬこともなく順調に育っている。
茨城の原田さんは、玉虫の死んだのを作業場で見つけてとっておくと、仕事できた人がきれいだからほしいと言って持っていくので、原田さんの家には、タマムシは、無いそうです。死んだのを欲しいと言ってきたと言うので、死んだ7匹のうちの五匹を原田さんにあげるように、持って行ってもらいました。
原田さんからは、玉虫が卵を産みつけるようにと、エノキノ切り株が届けられることになっています。
1匹生まれ  28−7 21匹となる。
   付記 毎年飼っているスズムシが、卵から沢山孵っていました。

6月2日(水)
1匹生まれ  29−7 22匹

6月3日(木)
14時半ごろ、SBSから、今日の夕方6時15分からのイブニングアイで、放映しますと連絡が入った。
SBSイブニングアイで、18時30頃「タマムシ」の放映、終わるとすぐに川根の澤村さんから電話が入る。
テレビで、「焼津市岡当目」というので、ええ・・・と思いつつ見ていたら、お宅の出来事で驚いたと・・・。
テレビのおかげで、懐かしい人と電話で話をすることになった。
テレビ放映を見て、向かいの家の人たちが、タマムシを見に来ました。
静岡の弟の家でもタマムシが、生まれ始めたとのこと。これで4個の角材のうち3個からタマムシが出てきたことになる。弟の家では、逃がしてやったとのこと。
1匹生まれ  30−7 23匹
  付記  次男の家で、午後7時頃、第二子誕生

6月4日(金)
午後、私たちが、昨日生まれた赤ちゃんを見に、三島へ行っている間に、また1匹出てきた。
1匹生まれ  31−7 24匹

6月5日(土)
今朝1匹生まれた。
10時には、玉虫の研究所の芹澤七郎さんと玉虫愛好会の吉野禎朗さんが、尋ねてきてくださった。
玉虫関連の話を一時間半くらいしてくださり、初めて玉虫を20匹も飼うことになった私に取っては、いろいろ参考になること、興味のあることばかりでした。玉虫を見ながらの話はつきませんでした。また連絡をしあうことにして、お別れしました。
パソコンで、深沢さんのお顔は拝見していましたので、初対面とは思えない、懐かしい人にお会いしたような、親しみを感じました。
午後には、近所の家のお孫さん(浜松から来た)が、親子で玉虫を見に来ました。
玉虫のおかげで、思いがけない人の訪問を受けて、年寄り二人きりの生活に変化と張り合いが沸きました。
1匹生まれ  32−7 25匹

6月6日(日)
今朝1匹生まれた。
今朝メールをチェックしたら、中国桂林旅行(今年4月に行った)で、メール友達になった現地ガイドの愛妍さんからメールがと届いていた。私のホームページを見てくれて、早速玉虫について調べたそうです。中国では漢方薬に使われること、木を食い荒らす害虫であるとも言われているとのこと。愛妍さんも玉虫は見たことが無いそうですが、私のホームページを見て、タマムシのことを知ることができたとメールをくれました。4月に知り合ったばかりの中国の友達から、ホームページを見た感想のメールが届くなんて、とても嬉しいことでした。
夜、メールをチェックしたら、愛妍さんから、またまたメールが届いていました。日本の友達のホームページに自分の名前が載っていて嬉しかったとメールをくれたのです。
1匹生まれ  33−7 26匹

  付記  今夜は、高草山のふもとでの「ホタルウォッチング」に行ってきました。蛍里親クラブの人たちが大切に飼育した、幼虫を、ふるさとジュニアカレジの子供たちが、山のふもとのせせらぎに放流したのです。そして迎えた鑑賞会でした。8時頃あちらこちらで、ピカーピカーと光がみられました。みんなが自然を大切にし、昔の姿を取り戻したいと努力した結果でした。蛍が光ると、みんなの歓声が上がり,とてもよい鑑賞会でした。

6月7(月)
昨日も今日も、近所の家のお孫さん達が、玉虫を見に来てくれました。
子供たちに「この玉虫の記録が私のホームページに書いてあるからね。」と、アドレスを書いた名刺を渡したら、「なんて検索するの」と聞かれました。「やいづばあばと検索すれば出てくるよ。」と答えました。別の子が「ここに、yaizuba-ba と書いてあるじゃん。」と言いました。パソコンでいろいろ検索している子供らしい発想でした。子供に教えられました。名詞に「やいづばあば」も付け足します。
芦澤七郎さんの著書「タマムシは環境が悪いと長生きする」(たまむしの飼い方)の本を持っていた増田さんが、本を貸してくださったので、一気に読んでしまいました。長年にわたっての粘り強い飼育と観察の結晶でした。これからの玉虫の飼育に大変参考になりました。
今日は、一匹も生まれなかった。

6月8日(火)


6月9日(水)

7・8・9日、三日間玉虫は生まれなかった。もう、生まれなくなったのだろう。
早い頃生まれたのは、弱ってきている。
「タマムシは環境が悪いと長生きする」芦澤七郎氏の著書を自分の手元に欲しいと思い、書店で出版社に問い合わせてもらったところ在庫は無いとのこと。芦澤さんのところにはあるかなと思ってメールしたが、芦澤さんも暫くは手元にあったけれど、今は、自分のものが一冊手元にあるだけとのこと。 残念。 

 6月10日(木)
ケース、の中の様子を見ていたら、起き上がりやすいようにとケースの底に敷いたエノキの葉がカビていた。玉虫には良くないだろうと思い、ケースの中を掃除して、かびていないエノキの枯れた葉に入れ替えた。ついでに虫の数を数えた。1匹死んでいた。合計8匹死んだことになる。生きているのが23匹いた。
島田の妹の家でも玉虫が生まれたとのこと、直径1メートルくらいで60センチの木を、四分の一に切り、角材にして、四軒に分けた木、全部から、タマムシが出てきたことになる。
8日には、妹の家に、茨城の原田さんが、遊びながら、タマムシを見に来たとのこと。
元気な玉虫が 23匹 死んだのが8匹

6月11日(金)
平凡な生活の私たち夫婦に、変化と期待をもたらした玉虫、
これからは、寿命が来て死んでいく姿を見つめていくことになるのだろう。
卵を産んで、二・三年後に玉虫が生まれ出てくることに、
希望と期待をして、見守っていこう。

6月12日(土)
1匹死んでいた。
大谷の弟の家では、今までに、5匹生まれたとのこと。
そのうち、1匹は、自分の出てくる穴が小さくて出てくることが出来ず、頭が見える状態で死んでしまったとのこと
元気な玉虫は 22匹  9匹死す

6月13日(日)
今日も一匹死んでいました。
お隣の山本さんに会ったら、「先日、テレビを見ていたら、焼津市岡当目と言ったので、あれ・・・と思って聞いていたら、隣の清水さんのことなのでびっくりしたよ。」といいました。早速、玉虫を見に来てくれました。「よく餌が分かったね。」とも、言っていました。今までのいきさつを話し、「ホームページを見てね。」と言っておきました。
元気な玉虫は21匹   10匹死す 

6月14日(月)
今朝も1匹死んでいた。
生まれてきたときは、嬉しく楽しかったけれど、毎日死んでいく姿を見るのは、さびしい。
元気な玉虫は20匹  11匹死す

6月15日(火)
13時玉虫が、サクラの木の枝の割れ目に、お尻の先を突っ込んでいる姿を認めた。卵を産んでいるらしい。
玉虫が退いたので、見たら、切り株の表面に、2個、卵らしきものがついていた。写真に撮って暫くしたら、落ちてしまったらしく見当たらなくなった。木の割れ目に卵があるか見たけれど、確認できなかった。
 

6月16日(水)
朝のうちは、曇っていたのに、だんだん晴れてきて暑くなり日中は、30度、玉虫には、もってこいの気温、元気に動き回、り飛んでいた。
今日も、気をつけて様子を見ていたけれど、よく動き這い回るが、サクラの木にはあまり、寄り付かない、サクラの木に卵を産みつけるだろうか、心配になる。エノキでないと、駄目かなと・・・。

6月17日(木)
梅雨時なのに梅雨前線は、南方の海上で、快晴の真夏日、気温30度。玉虫にとっては、快適なのだろう。
日中、一匹の玉虫が、産卵管のようなものをサクラの木の肌に触れながら、歩き回っていた。木の割れ目で立ち止まっては、探っていた。、やっと気に入った割れ目を見つけたのか、暫く、お尻を突っ込み、じっとしていた。卵を産んだのだろうか。その様子は写真に取っておいた。
   10:43  5分くらいじっとしていた。
芦澤さんからは、サクラの木でも、きっと卵を産みつけるでしょうとのメールをいただく。

6月18日(金)
昼過ぎから雨、気温25度、玉虫たちは、木の葉に止まりじっとしていた、ほとんど活動しなかった。
妹のところでは、タマムシが20匹くらいになったとのこと。玉虫が穴から頭が見えたので、出てくる様子を見ていたら、二時間かかって、穴から出てきたそうです。口で木をかじって、自分の出てくる穴を作りやっと出てくるのです、大変な仕事をして生まれ出てくるのですね。

6月20日(日)
本格的な梅雨、今日も朝から雨、玉虫は、あまり活動しない。
ケースの中を掃除しながら、何匹健在か、確認した。
玉虫が落ち着かないのではないかと心配して、
「あまりケースの中を触らないほうが良いのでは?」と、
主人は、掃除をしている私に声をかけてきた。
二人きりの生活の私たちのにとって、玉虫は、子供みたいに気にかかる存在である。
お昼ごろ、SBSの廣木さんが、お宅で個人的に録画してくださったDVDを届けてくださった。
16匹健在  4匹死んでいた 計15匹死す

6月23日(水)
雨模様の毎日で、、気温も上がらないので、玉虫は、あまり活動的ではなく、変わったこともなし。
昨日、島田の妹たちが、来ての話。
妹の家では、20数匹生まれてきたとのこと。茨城の原田さんから「タマムシの飼育箱を、大工さんに頼んで作ってもらったので、取りに来い。」と連絡があり、茨城までもらいに行ってきて、玉虫を入れてやったら、広々とした箱の中を元気に飛び回っているとのこと。「大きくて立派な飼育箱をいただき、玉虫確り育てて、次の玉虫が生まれるまで、何年も世話をしなくてはならないね。」と話しあった。
焼津市広報担当の前島さんから、7月1日号に、タマムシの記事を載せる予定とのメールが届いた。玉虫のおかげでまた一つ楽しみが増えた。

6月24日(木)
久しぶりの晴天、気温25度、玉虫は、日中よく活動していた。
木の割れ目に、卵管を差込み、暫くじっとしていた。卵を産んでいたのだろうか?
鋸で切った所より、自然に割れた所を好んでいる様子

6月26日(土)
14時半頃、交尾している姿が見られました。
ここに載せるほど良い写真が撮れませんでした。
付記
名古屋に住んでいる孫たちが、お父さんの転勤で、上海に転居するので、今まで飼っていた石亀を、焼津に持って来ました。かめも預かって飼うことになりました。一年以上飼っていたので、餌をやろうとすると近寄ってくるようになっています。餌をまいてやるとひとつ残らずパクパクと、食べてしまいます。亀も飼ってみるとかわいいものです。

6月30日(水)
このごろ、タマムシは、卵を産み付けるところを探すような動きを盛んにしている。
木の割れ目を見ると、卵らしきものがいくつも見受けられれる。のこぎりで傷をつけたところには見当たりません。自然の木の割れ目が気に入っているようです。
少し楕円形で、ベージュ色の1ミリくらいの塊です。

7月1日(木)
焼津市の広報に玉虫の記事が載りました。
  
                                  玉虫の交尾中の写真を撮ることが出来ました。
14匹健在  玉虫2匹死んでいた。17匹死す

7月3日(土)
ひとつの切り株に、卵を沢山産み付けると、幼虫が過密になって育ちにくいと、芦澤さんと太田さんにアドバイスをいただいたので、ケースの中の桜の切り株を新しいのに入れ替えました。
今までの切り株は直径13cm位、今回入れたのは、直径10cm位の切り株です。
5月はじめに、庭の桜の木の枝をきったのが、そのまま転がっていたので、幸いでした。
卵らしき物が見られるところを写真に撮りました。
一ヶ月くらい後には、幼虫になって木の中にもぐっていくのだろうか。
  
焼津市の広報に載ったことから、第一テレビリポーター倶楽部の方が、タマムシの取材に来ました。
第一テレビで放映することになったら、連絡を下さるとのこと。また、楽しみが増えました。

7月7日(水)
近くに住んでいる、増田さんご夫婦が、玉虫を見に来てくれました。元理科の先生なので、お話くださったことがいろいろ参考になりました。お忙しい方で、次の仕事が待っていると言うことで、短時間で、帰られましたが、もっともっとお話していたい感じでした。
12匹健在 2匹死んでいた。  19匹死す

7月9日(金)
朝、エノキの枝を取って来て、新しい枝に入れ替えて、健在な玉虫の数を確認した。10匹健在、2匹死んでいた。
梅雨のため、毎日、お天気がはっきりせず、気温も上がらないので、玉虫は、あまり、動き回りません。
10匹健在 2匹死んでいた  21匹死す

7月10日(土)
初倉の妹の家の玉虫のケースを見せてもらいに行ってきました。
ケースと言うよりは、タマムシの家と言って方が良いくらいの確りしたものでした。
茨城の原田製材の社長さんが、大工さんに頼んで作ってもらったのだそうです。大きかったので、乗っていった車にやっと入れて持ってきたといっていました。虫籠と言うよりは、部屋の家具のようでした。

私が、妹の家に行っている間に、焼津市内の親子が、タマムシの見学に来たとのこと。

7月12日(月)  
7匹健在  3匹死んでいた  24匹死す

7月20日(火)
藤岡の芦澤さんに連絡を取り、芦澤さんのお宅の、玉虫の様子を見学に行ってきた。玉虫と共に暮らし、玉虫の研究者らしい暮らしをしている様子。
一時間半くらいお邪魔して、玉虫のこと、韓国へ玉虫の寄付と韓国への招待のこと、高山のこと、法隆寺のこと、芦澤さんの生い立ちまで、話はつきませんでした。
次回皆さんが高山へお出かけの時には、是非一緒に行かせていただき玉虫厨子の復元作品を見たいと思いました。
また、アクセサリー作りには参加させていただきたいと思いました。

芦澤さん宅の、玉虫の小屋の中に入れさせてもらいました。玉虫は明るいほうへ集まっていました。
  
2匹健在  5匹死んでいた  29匹死す
もう、玉虫も二匹だけになり、寂しくなりました。

7月23日(金)
残っていた2匹も死んでしまいました。今年の夏はこれで終わり。また来年、生まれてくればいいなと思っています。桜の切り株に卵が産み付けられていたら、2年後くらいに玉虫が生まれてくるのですが・・・。
今年の玉虫の記録は、これで終わりです。

玉虫は、皆死んでしまいましたが、鈴虫は、脱皮して昨夜からかすかな鳴き声が聞こえてくるようになりました。
これからは、鈴虫の鳴き声を楽しみます。