ウサギ


 実験室のウサギたち

 − お迎えの経緯 −
これも悪い暮らしじゃ
なかったわ。
でも、もう戻るつもりは
なくてよ。
  実験室にいた頃のイチ、1111と呼ばれていました





うちには、レン、イチ、ゴブの3匹のウサギがいるが、この子たちは、医薬品の承認申請のための実験に使われたウサギである。

良く言えば“安全性試験”、悪く言えば“動物実験”だ。

あまりいいイメージはないと思うが、人の命のために、生活の質の向上のためにはどうしても必要なものだ。

医療や食の安全は言うに及ばず、目に見えない様々なところで、私たちの快適な生活はこれによって支えられている。

この訳ありウサギ3匹は、仕事の関係で譲っていただいた。


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レン


実験用のウサギは通常、赤目の白ウサギであるが、特別な事情からこの種類のウサギが選ばれた。ダッチウサギ(通称パンダウサギ)といえば、昔はペットショップの店頭でよく見かけたが、近頃あまり見ないなーと思っていたら、こんなところで生き延びていた。

この手の試験では最終的には解剖されるのが常であるが、この子たちは薬物の血中推移をモニターするための動物だったので難を逃れた。しかし、いずれは“人道的に”安楽死させられる運命だ。

どう見ても愛玩用としか思えないウサギに研究員も気がとがめたようで、実験が終わりに近づいたとき、「連れて帰ってくれないか」とお声がかかった。

私は実験には関与しないが、現場の立会いには何度か出入りしていた。

“ゆくゆくは処分される”というウサギに心が動いた。
部屋の中をウサギが跳ねている ― そんな光景を思い浮かべ、それも悪くないと思った。

「じゃあ、1匹」と、とびきり可愛い雄ウサギを選んだ。それが、レンである。

実験用に繁殖された動物は遺伝的には均質であるが、それでもウサギたちは皆、顔も性格も違うようであった。



「このフワフワの床は何ですか?」
(お迎え直後のレン、硬直しています)
他にもっとベタベタに馴れているものもいたが、レンは一癖ありそうなところが気に入った。

模様もちょっとしゃれている。(ペット用のダッチであれば、こういうのはミスカラーというのであろうか)

実験終了の翌日、レンを貰い受け、連れて帰った。

このときレンは生後5箇月、かわいい子ウサギ時代を見ることはできなかったが、まだまだ十分に若かった。



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イチ

約1箇月後、レンにお嫁さんをもらう事にした。
レンは予想をはるかに上回るかわいさで、こんなにかわいいのなら、もう1匹いてもいいと思った。レンが片時も私のそばを離れず、ストーカー状態になってしまい、ウサギのお仲間がいた方が良いと判断した事もある。

里親を探すために残っているウサギの写真を撮影した際、ケージを開けても知らん顔していた図太そうな(?)雌をお迎えすることにした。それがイチである。

もちろん、ウサギを雌雄で飼育するなら、去勢・避妊手術は必須である。間違いがあれば、たちまちのうちに我が家はウサギランドと化してしまう。手術代は安くはないが、小さな命を1つ助けるつもりで奮発した。



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ゴブ

ウサギも2匹となれば、お世話も大変だ。小鳥3羽にウサギが2匹、一人で世話をするには、もう限界かなという感じであった。

しかし、実験室にはどうしても気になるウサギが1匹残っていた。
実験者の間で“オシッコ野郎”と呼ばれていた雄ウサギである。この子は、ケージの中でオシッコを撒き散らし、どういう訳か額にはいつもウンコが付いていた。

ウサギたちが来て間もない頃、飼育担当の女性が「この子、毎朝、顔拭いてあげてるのに、すぐウンコ付けてるんですよ〜。」とこぼしていた。

一見、ふてぶてしく見えるそのウサギは、外見に反して愛嬌があり、「汚い」と嫌がられながらもかわいがられていた。

しかし、そんなウサギに貰い手が現れよう筈もない。

実験が終わって半年が経過しようというとき、そのウサギと再会した。
“オシッコ野郎”は見る影もなく、落ちぶれていた。身体中オシッコまみれで、黒い毛は所々茶色く変色し、其処此処で毛が固まっていた。

「君、こんなになっちゃって…」と抱き上げると、ウサギは悲しい眼をして、こちらをじっと見つめた。こんなに悲しい眼を初めて見た。以前のふてぶてしさは全くと言っていいほどなかった。

こうなっては、とるべき行動は一つだ。
“オシッコ野郎”に「絶対、迎えに来るから待っててね」と約束した。


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この子たちを引き取ったのは、ささやかな罪滅ぼしと感謝の気持ちからである。たった3匹引き取ったからといって、何が変わる訳でもない。

しかし、この子たちと一緒に生活し、ウサギが如何に素晴らしい動物であるかを知っていく中で、「命をありがとう」と心から感謝し、日々繰り返されているこの尊い犠牲がどうか無駄にはなりませんようにと、いよいよ強く願うようになったのである。






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