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三島の祭りに付き物なのが、この「三島ばやし」。通称「しゃぎり」と言われている。

歴史     しゃぎり曲     競り合い     当番町制    緑町三島囃子保存会

 ※このページを作成するにあたって参考にした文献はこちらに紹介
<歴史>

昭和42年に三島市無形民俗文化財に指定。
平成3年には静岡県無形民俗文化財に指定
その歴史は古く、天文年間(1532年〜1554年)、今からおよそ450年前に、幸若與太夫の子の幸若與惣太夫によって創曲されたと伝えられている。
幸若與惣太夫は、三島市大場周辺に居住していた三島大社の舞々務(まいまいつとめ)をしていた人。
舞々とは、武士の世界の物語を勇壮な歌詞で謡い舞うもので幸若舞のことをいうのだそうだ。
三島大社に信仰の厚かった北条氏が、おかかえの舞々役幸若與惣太夫に創曲をさせたのだろうといわれている。
また、北条氏康(3代)が三島囃子の振興したともある。
ただ現在、楽譜というのは存在していないので、
何百年もの間、人から人へ受け継がれてきたものであることに間違いはない。
川原ヶ谷、谷田、大場、梅名、柿田の氏子衆にお囃子の演奏を古来のように勤めるよう促す文書も残されている。
戦争や戦後の町名変更などにより衰退した時期もあったが、
先人の大変な苦労の甲斐もあり、上記の地域の方だけによる伝承ではなく、
現在のような、三島のほぼ全域に亘る「しゃぎり」の伝承がされるようになったのだという。
三島っ子から三島っ子に伝承されてきた三島囃子。
今まで何気なくやって来た事が文化財であり、
かつ、これほどの歴史があるものだった事に驚きと誇りを感じずにはいられない。




<しゃぎり演奏曲>

三島囃子は、7曲の『お囃子』と9曲の「しゃぎり」の総称であるそうだが、三島夏祭りの中で披露されるのは、『しゃぎり』。
『お囃子』は7曲中3曲が現在に受け継がれているのみで祭の中で演奏されることはない。
『しゃぎり』については、9曲中8曲が受け継がれ、演奏されている。

お囃子の曲目には、屋台、神楽昇殿、荷崩し(にくづし)、速(はや)、四丁目(しっちょうめ)、鎌倉、雷電、(大間(だいぜん))、切りばやしがある。

さて、お囃子というと、品よく・静かに練り歩く…というイメージ一般的であるが、
三島囃子、通称「しゃぎり」は、勇壮という言葉がピッタリ。
摺鉦(すりがね)が目立つのも、その特徴といえるかもしれない。




<三島夏祭り名物:競り合い>

しゃぎり中でも代表的なのが「屋台囃子」による「競り合い(喧嘩ばやし)」。
各町の山車が対面した時などに、各町が練習してきた技を競い合うものだ。
洪水のような音の中で、十数名が息を一つに「屋台ばやし」を演奏する。
特に当番町数町による「競り合い」は三島っ子の血を騒がせる。
かくいう私も「どっこい!」という始まりの掛け声を聞くと、なぜが落ち着かない。

「競り合い」で競い合うのは「勇壮」さだろうか。
どれだけ粋に決まっているか
どれだけ一致団結した演奏ができたかがPointだろう(と私は思っている)。

「競り合い」というからには「勝敗」があるのだろうと思われがちだが、
勝敗をつけられることはない。
勝敗は見ていた方々のそれぞれの心の中で決めていただこう!
(相手の町内の演奏に巻き込まれたら「負け」ですが、そういう事はめったにありません)

競り合い終了後、最もうれしいのが、沿道で見ていて下さった方々から拍手!
何気なく歩いていた人が「ふっ」と足を止め、見入ってくださるのも感激!!

楽しく・粋に・格好よく
声を嗄らして・いい汗かいて・笑顔満面!!
今年も祭り囃子を楽しみたいものだ。


競り合いに向け、各町の山車が競り合い会場となる大社鳥居前または広小路駅前に集結します。


<当番町制>

三島夏祭りには「当番町制」という旧市街地の町内における祭りの取り決めが存在する。
これは江戸時代後期に、周辺町内の協力体制を整え、祭の進行をすみやかにするために設けられた制度のようだ。
昔、大社には4月と11月に例祭があり、この取決めとして設けられたものが、8月の大祭にも適用されるようになったということだ。
かつては、旧市街地の町内を4つにわけていたようだが、現在では6つに分けられている。
例えば、市の西地域に位置する我が町内会は、同じ西地域の町内会数町と集合して
当番町を担当する。
江戸や明治の頃に取り決められた当番町の役割(資料が存在するそうだ)と現在の役割とは異なる点も多いが、
当番町が三島夏祭りの主役であることには変わりがないようだ。

祭り期間の3日間にわたって、祭りの表舞台でしゃぎり披露ができるのは当番町だけ。
現在は、「据え置き山車」といって、当番町以外の町内もしゃぎり披露ができるようになっているが、
これは3日間のうちのわずか数時間のことである。(毎年抽選が行われている)
当番町とそうでない時とでは、出番の数が違うのだ。
三島市内の町内会(しゃぎり保存会)が当番町の年を心待ちにしている気持ちが少しでもお分かり頂ければうれしい。

当番町の年は、三島大社での神事を受け、神楽昇殿を奉納演奏して「祭り」が始まる。
12年前の神事では貧血で座り込んだ苦い記憶があるが、
(そのあと、すぐに山車の上から担ぎ下ろされた…不覚…6年前は大丈夫でした)
夏真っ盛りの3日間は、体力的に結構きつい。
15日にはウキウキで、16日は筋肉痛。17日は気力の勝負。
いくら疲れたと言ってはみても、17日の夜になると寂しくなるのが三島っ子。
そして6年後をまた楽しみ待つのだ。